第160話:親の意向

「譲司君!良かった、無事だったのね!!」


 長い廊下を早足で急ぎ、大きな部屋の扉を開けた直後、僕の体は嬉しそうな声と共に、彩華さんの柔らかい体に包まれた。彩華さんの父さん、綺堂家の当主である綺堂玲緒奈さんにたった1人で呼ばれた僕がいつまで経っても戻ってこなかった事に対してずっと心配をしていた事が、若干大袈裟にも聞こえてしまう程の言葉からも伺い知る事が出来た。


「い、彩華さん……」

「大丈夫、譲司君!?お父様に失礼な事をされなかった!?嫌がらせを受けていないわよね!?怪我はしていないかしら!?」

「う、うん……だ、大丈夫だよ……」


 僕の体に抱き着きながら、本当に良かった、と目の前で満面の笑みを見せる彩華さんを見つめながら、僕は何とかその心配する心を宥めつつ、同時に少々複雑な感情を心の中に浮かべた。

 確かに彩華さんを心配させるほどに僕は長時間玲緒奈さんの部屋にいたけれど、その間の時間は決して苦痛に満ちたものではなく、むしろ様々な事を知り、驚きの真実を把握し、そして『鉄デポ』でいつもお世話になっている『鉄道おじさん』と楽しく語らう、実に有意義な時間だった。でも、それは絶対に彩華さんには決して明かせないものだった。『特別な友達』だからこそ、これから先もずっと秘密にしなければならなかった。だからこそ、僕は本当の事を言えない状況に少々困ってしまったのである。


 そんな僕に、まるで助け舟を渡すかのように口を挟んだのは、僕に続いてこの部屋に戻ってきた玲緒奈さんだった。


「……全く、彩華、お前は実の父親を何だと思っているんだ」


 そう突っ込む声は、あの部屋で聞いた『鉄道おじさん』の愉快で明るいものではなく、『綺堂家当主』にふさわしい威厳と威圧感溢れたものだった。

 そして、その声に落ち着きを取り戻した彩華さんがゆっくりと僕から離れたのを見計らって、改めて僕は長時間彩華さんたちを待たせてしまった事を頭を下げて謝罪した。幸い、予測していた彩華さん苦言のが僕に降りかかる事は無かった。ただし――。


「譲司君、気にしなくても大丈夫よ。どうせお父様が長話を延々と続けて、譲司君を拘束したに決まっているでしょうから」

「……ふん」


 ――玲緒奈さんの方が彩華さんから文句を言われる羽目になってしまったけれど。


 その様子を見て、僕はこっそり心の中で玲緒奈さんと彩華さん、2人に謝った。そもそも長話になった要因の1つに、もっともっと玲緒奈さんの話を聞きたいと願った僕の行動がある。それなのに、玲緒奈さんは何も文句を言わず、僕の罪も全て背負ったのだ。玲緒奈さんは気にしていない素振りを見せているけれど、これからは僕も2人に甘えないよう気を付けないといけない、と反省した。


 そんな感じの光景が繰り広げられていると、彩華さんと一緒にずっと僕たちの帰りを待ってくれた執事長の卯月さんが、改めて僕と彩華さん、そして玲緒奈さんを元の席――ずっと彩華さんの進路に関して討論を繰り広げた場所へと案内してくれた。そして、僕と彩華さんに向かい合う形で玲緒奈さんが座り終え、しばらくじっと見つめ合った後、彩華さんが声を発した。『これは自分と和達譲司君との話し合いだ』と断言されたけれど、元々これは自分の進路、自身の未来に関する議論のはず。だからこそ、敢えて発言させてもらう、と前置きを述べながら。


「……お父様……いえ、綺堂家当主、綺堂玲緒奈様。失礼を承知で、率直に尋ねます。この私、綺堂彩華の『願い』、和達譲司君と同じ学校へ行きたいという要望、受け取ってくれますか?」


 彩華さんは、自分の思いを、はっきりと玲緒奈さんに告げたのである。


 しばらくの間、玲緒奈さんはじっと僕ではなく、自身の娘である彩華さんの表情を見つめ続けていた。その理由を、僕は何となく察していた。既にあの部屋の中で、玲緒奈さんの本心、そして彩華さんが放った要望をどう受け取ったか、僕はその答えを知っていたからである。だからこそ、玲緒奈さんは敢えて彩華さんの心を試しているのかもしれない、と僕は考えた。

 やがて、決意を込めたような頷きを見せた後、玲緒奈さんは彩華さんに告げた。その件について、既に答えは出している、と。それを聞いた彩華さんは、どこか緊張するように背筋を伸ばした。


「既に述べたが、私は幾つかの候補の中から彩華にふさわしい新たな学校を選択しようとしていた。そんな時に、彩華の隣にいる少年、和達譲司君がここに訪れ、この私を『説得』しようと試みた。彼は、例え私のような存在であろうと、決して怯えることなく、自らの意志を表現し続けようと努力を続けた。そして、彼は単に自分に反対する意見を全て封じて自身の意見を押し通そうとするだけではなく、例え自分の思いに反する言葉を受けても決して挫けることなく、それを尊重したうえでより有意義な形に昇華させていった……」


 どうやら、私は『和達譲司』という少年を、見くびっていていたようだ――その言葉が何を意味するか、彩華さんは瞬時に理解した。

 敢えてアレな言い方をしてしまうと、厳格で威厳に満ちた彩華さんの父さんである綺堂玲緒奈さんが、『和達譲司に負けた』という事である。


「じゃ、じゃあ……!!」


 彩華さんはその次に出るはずの『言葉』を待つように、嬉しそうな表情を見せた。その隣で、僕ももう一度その言葉が発せられるのを期待していた。

 でも、確かに『鉄道おじさん』としては大いに認め、僕を応援してくれる言葉を沢山述べてくれた玲緒奈さんだけれど、多くの人を従える厳格な当主として口にしたのは、喜び勇む僕たちに釘を刺すような内容だった。


「……お前たちが私に何を言って欲しいか、声に出さずとも分かる。だが、仮に私がここでその言葉を口に出したとしても、和達譲司君と彩華が共にあの教頭がいる学校へ転入する事が確定するではないだろう」

「……あっ……」

「お前たちは、これから『転入試験』を受ける必要がある。それに対する勉学に関して、綺堂家当主たる私は、一切の支援を行わないつもりだ。和達譲司君も、その辺の事情は理解する事だな」


 そう、ここで玲緒奈さんがはっきりと僕と彩華さんがあの学校への転入を『承認』したとしても、それを実現させるためには、本当に僕たちに学校に入る資格や学力があるのか、『転入試験』でその実力を示さなければならない。そして、当然ながら大富豪である綺堂家の威光を笠に着る事は一切許されない。これから待つ試練は、全て僕と彩華さんが持つ実力で乗り越えなければならないのだ。

 でも、そのような厳しい言葉をはっきりと述べたという事は、すなわち『転入試験』を受ける事を認めた、という訳である。つまり――!


「……お父様、私と譲司君に、そんな綺堂家からのえこひいきなんて一切必要ないわ。私たちは、自分たちが持てるだけの実力を使って、未来行きの切符を購入してみせるから。ね、譲司君?」


 ――まるで宣戦布告のように自信たっぷりと、そしてどこか嬉しさを見せながら語った彩華さんに、僕も力強く肯定の頷きを見せる事が出来た。

 やがて、部屋の中にいくつもの拍手の音が響き始めた。執事長である卯月さんを始めとした使用人の皆さんが、僕たちの懸命の奮闘が報われた事を祝福してくれたのである。一方、まるで自分を『敵』と見做し、それに打ち勝った僕たちを称えるという行為にも捉えかねないこの状況にも、玲緒奈さんは顔こそ厳しいままだったけれど、何も言わずじっと見守ってくれていた。もしかしたら、心の中では『鉄道おじさん』として、誰よりも大きな音で拍手をして僕たちの挑戦を応援してくれているのかもしれない、と僕はこっそり考えた。


 そして、隣に座っていた彩華さんは、そっと僕の方を向いて、満面の笑みと、少しだけ潤んでいるような瞳を見せた。


「譲司君……私、これで夢に限りなく近づけたわ……!譲司君と一緒に、今度こそ最高の学園生活が過ごせるかもしれない……!本当に嬉しい……ありがとう、譲司君……!」

「い、彩華さん……」


 こちらこそ、本当にありがとう、と声に出そうとした瞬間だった。拍手の音をかき消すかのように、僕のお腹から物凄い音が響いてしまったのは。

 恥ずかしさで顔があっという間に火照るのを感じながら慌てて謝る僕を、彩華さんは優しく宥めてくれた。説得やら何やら、様々な事があったけれど、綺堂家に僕を招いた目的はそれだけではなかった、という事を思い出させてくれながら。

 実は、綺堂家を訪れるにあたって、僕は卯月さんからある提案を受けていた。玲緒奈さんへの説得が成功するか否かにかかわらず、この僕、和達家の長男・和達譲司に、綺堂家自慢の昼食を振る舞いたい、と。成功すれば喜びと共に、失敗しても友情を確かめ合う場として、お嬢様=彩華さんと一緒に美味しいご飯を食べてみないか、という誘いに、僕は乗る事にしたのである。


「本当にごめんね……お昼ご飯の事も忘れていて……時間もだいぶ過ぎちゃったし……」

「気にしないで。無事お父様の説得に成功したのだから、一緒に楽しく味わいましょう」

「でも、本当に僕が綺堂家の皆さんと一緒に昼食を頂いても……」

「いえ、むしろ和達譲司さんだからこそ、今回の昼食を是非堪能していただきたい、とシェフの皆様から伝言を預かっていますよ」

「え、ぼ、僕だから……!?」


 卯月さんの口から出た言葉に驚きながらも、僕たちは彩華さんや卯月さんに促されるように、この大きな部屋を後にして食事用の部屋、いわゆる『ダイニングルーム』へ向かう事になった。勿論、玲緒奈さんも一緒だ。

 そして、使用人の人たちに囲まれて目的地へ向かう僕は、こっそり彩華さんに昼食のメニューを尋ねた。でも、彩華さんは人差し指を唇に当て、『秘密』という合図を送ってきた。


 綺堂家お抱えのシェフの皆さんが気合を入れたお昼ご飯とは一体何なのだろうか。新たな『未知』への期待と少しの緊張を胸に、僕たちは空腹を抑えながら長い廊下を歩き続けた………。

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