第159話:さらば鉄道おじさん
「……それにしても、私とした事が、まさかジョバンニ君にここまで色々な事を語ってしまうとはなぁ」
「そうですね……僕も色々な事を知る事が出来ました……」
『鉄デポ』のムードメーカーである『鉄道おじさん』の正体、理事長の糾弾や支援の打ち切りに至るまでの玲緒奈さんの心の揺れ動き、鉄道オタクたちの隠れ家である『鉄デポ』が今に至るまでの経緯、そして玲緒奈さんの最愛の人にして彩華さんの母さんである綺堂一葉さんの数々の武勇伝。鉄道グッズに満ち溢れた玲緒奈さんの自室の中で、僕は本当に様々な情報や真実を聞くことが出来た。
そして、同時に僕は今までの様々な出来事や出会ってきた数多くの人々に思いを馳せた。彩華さん、教頭先生、『鉄デポ』の仲間、父さんや母さん、図書室のおばちゃん、『鉄道おじさん』こと玲緒奈さん、そして一葉さん。家族から『特別な友達』、ネットで出会った仲間、僕たちを守ってくれた大切な人、そして会う事が叶わない人や見ず知らずの人たちまで、本当に様々な人たちの繋がりがあってこそ、僕はこの場所に辿り着くことが出来た。
様々な出会い、個性豊かな人々。人生というのは、そういった様々な名前や形をした『駅』を経由しつつ、そこで様々な影響を受けながら未来へ向けて進み続ける、片道列車なのかもしれない――そう考えつつ、改めて皆への感謝の思いを強くした僕に、玲緒奈さんはそろそろ良い頃合いだ、と告げた。それを聞いた僕が見上げた先にあった、日本の駅で使われていそうな形をした壁掛け時計の針は、僕たちが長時間にわたって話を盛り上げ続けていたという事実を否応なしに告げていた。
「ちょ、ちょっと話し過ぎましたかね……」
「だねぇ、彩華や執事長から小言を言われるのは覚悟しないとねぇ」
「そ、そうですね……」
「まあ、私は何を言われても全然気にしないさ。それに、ジョバンニ君も私とたっぷり話が出来る貴重な時間に満足しただろう?」
「それは確かに……否定はできないです……」
玲緒奈さんの言う通り、この部屋でもっと色々な事を聞きたい、と僕自身も願っていた。そして実際、様々な話を聞くことが出来て、とても有意義な時間になったのは間違いなかった。彩華さんに苦言を呈されても仕方ない、こうなったら責任を取って堂々と怒られよう、と僕は考える事にした。
そして、若干名残惜しい気分もあるけれど、僕たちは玲緒奈さんの自室を後にする事にした。でもその時、僕はある事に気が付いた。綺堂家当主である玲緒奈さんが『鉄道おじさん』である事は、『鉄デポ』の開設に携わった教頭先生を始めとする一部の人々を除いてトップシークレットの事項。特に、『鉄デポ』に所属している彩華さんの前では、その気配すら隠して過ごさないといけないのだ。
つまり、玲緒奈さんはこの鉄道に満ちた夢のような場所を出てしまうと――。
「……玲緒奈さん、『鉄道おじさん』から綺堂家の当主に戻ってしまうんですね……」
「そうだねぇ、生憎、今の私がリアル世界で『鉄道おじさん』でいられるのは、この部屋ぐらいしかないからなぁ」
――凄まじい程の威厳と威圧感で人々を圧倒させ、有無を言わさないような『恐ろしい』存在になってしまう、という事である。
愉快で快活な思いを隠し、常に厳しい態度でいなければならない。そんな日々、僕ならきっと耐えられず、途中で感情が爆発してしまうかもしれない。やっぱり玲緒奈さんの芯の強さは凄い、という思いを伝えた僕に対し、昔からこうだったから今はすっかり慣れたものだ、と玲緒奈さんは寂しがる僕を慰めるように語ってくれた。
「さっきも言っただろう?厳しくて怖い綺堂家の当主と、明るくて楽しい『鉄道おじさん』の顔を使い分けるのは、私自身で決めた事さ。自分で敷設した『路線』の維持管理は他人に頼れない。結局は、自分の手で何とかしないといけないからねぇ」
「……確かに、そうですね……」
でも、やっぱり本来の自分と違う姿を維持し続けばならないのは大変なのではないか、と尋ねた僕に、玲緒奈さんは少々意地悪げなにやけ顔を見せながら、本音を明かしてくれた。
「怖くて厳しくて威厳のある『綺堂家当主』でいるのも、案外悪くないよ」
「そうなんですか……?」
「大人っていうのは、幾つもの顔を使い分けるものさ。機関車がヘッドマークを自在に付け替えて、多種多様な列車の看板に立つようにな。それを堪能する人生も、ありかもしれないぞ。正体が私だと気づかず『鉄道おじさん』に積極的に話しかける彩華の様子を見るのも、普段威張り散らしている連中が私を見てビビる光景を『綺堂家当主』として眺めるのも、なかなか乙なものさ♪」
「な、なるほど……」
流石に玲緒奈さんのような使い分けは無理だろうけれど、まだまだ若い僕が玲緒奈さんぐらいの年齢になった時に、そういった風に冗談めいて語れる日が訪れるのだろうか――そう考えた僕の心の中に、この機会を活かして玲緒奈さんに尋ねたい最後の質問が浮かんだ。そもそも、どうして玲緒奈さんはここまでたくさんの機密事項を僕に教えてくれたのだろうか。情けなくて冴えない僕の事をそれだけ信用しているからなのだろうか。
そう尋ねた僕に、玲緒奈さんはこう語った。この僕、『ジョバンニ』こと和達譲司と、今後も親密な間柄で居続けたいから、心置きなく話し合えることが出来る『仲間』が欲しかったから。それが理由だ、と。それを聞いて、少しだけ安心した時だった。
「ただし、ジョバンニ君?もう一度、念のために、忘れないように言うけれど、この部屋で起きた事、見た事、聞いた事は、この私が許可する内容以外、彩華を含めたみんなには絶対、絶対、ぜーったいに、内緒だからね?この私、『鉄道おじさん』ともっともっと楽しく鉄道の話題について語り合いたかったら……ねぇ?」
確かに、その口調は愉快で明るく、響きも心地良いものだった。でも、僕の心の中には一筋の冷や汗が流れていた。これだけ得た多数の情報を、僕はこれからずっと彩華さんを含めた全員にずっと隠し通さなければならないからだ。もしうっかりどこかで漏らしてしまえば、『鉄デポ』の和気あいあいとした空間が崩壊し、最悪の場合除名処分を受け兼ねない。下手すれば、彩華さんと玲緒奈さんの親子関係にも悪影響が及んでしまうかもしれないのである。
そんな『鉄道おじさん』こと玲緒奈さんと指切りげんまんをしながら、僕は改めて『責任』という言葉の重さを感じていた。もしかしたら、これが彩華さんと同じ学校に通い、より親密な間柄になる事に対して、玲緒奈さんから与えられた『代償』なのかもしれない、という事も考えながら。
すると、そんな縮みあがってしまった僕の心に気づいたかのように、玲緒奈さんは例外を与えてくれた。教頭先生やコタローさんなど一部の人に関する『鉄デポ』誕生の秘密に加えて、玲緒奈さんの最愛の人である綺堂一葉さん――彩華さんの母さんの事に関しても、彩華さんや僕の両親など、外部に伝えても構わない、と。
「機会があったら、彩華にでも聞いてみるのをお勧めするよ。きっと、彩華なりに『母』の事を思っているだろうからね」
「……分かりました……」
そして、部屋の扉を開けようとした時、玲緒奈さんはふと立ち止まり、僕にある事を尋ねてきた。その綺堂一葉さんが撮影し、玲緒奈さんによってデジタルデータに変換された上で、『鉄デポ』を通して僕の元へ届けられた、あの0系新幹線の写真を持っていかなくても大丈夫なのか――僕にとって思い入れのある写真と言う事を認識したからこそ、玲緒奈さんは気を遣ってくれたのである。
でも、僕は敢えてこの写真をこの部屋に残しておく事に決めていた。デジタルデータが既に手元にあるから、という身も蓋もない理由もあるけれど、玲緒奈さんと僕、そして一葉さんを繋ぐ0系新幹線の写真がこの場所にある事で、僕はいつでもこの写真を拝見したい、という名目でこの部屋に足を踏み入れられる。そして、その時にはまた『鉄道おじさん』とリアルで会話を繰り広げる事が出来るかもしれない――。
「さっき玲緒奈さんが言っていた通り、僕もこれから『鉄道おじさん』と更に仲良くなりたいですから」
「……なるほど、ジョバンニ君、なかなか言ってくれるじゃないか」
――先程心の中に冷や汗をかかせてくれた事に関するちょっとしたお返しも兼ねて、僕は玲緒奈さんをぎゃふんと言わせる事に成功した。
それに、正直言って僕の部屋は整理整頓がイマイチで鉄道グッズが大半の面積を占めている汚い場所。そんなところに、一葉さんが遺してくれた大切な写真を置く訳にはいかない、というもう1つの理由も、僕は正直に玲緒奈さんに告げた。
「あぁ、そうか……それは非常に分かる。私の本棚も鉄道模型の車庫もそろそろ満杯になるからなぁ……」
「お互い、鉄道グッズの整理整頓、頑張りましょう……」
「頑張ろうねぇ……大変だけど……」
やがて、言いたい事を全て言い終えた僕たちは、いい加減そろそろ部屋を後にしないと、流石の彩華さんも卯月さんもカンカンに怒ってしまう、と考え、急いで部屋を後にする事にした。
「さあ、行こうか、ジョバンニ君!」
「……はい……!」
そして、沢山の『鉄道』に関する要素で満ち溢れた部屋の扉がゆっくりと閉じられた直後、僕の傍にいた男の人から、愉快で楽しく明るいムードメーカーである『鉄道おじさん』の雰囲気が一瞬で消え――。
「……彩華のもとへ急ぐぞ」
「……分かりました」
――威厳と威圧感、そして多くの人に畏怖の感情をもたらす存在、『綺堂家当主』である綺堂玲緒奈さんの姿が戻ってきた……。
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