第158話:最強の女子鉄

「ご、ごめんなさい……失礼な事を言ってしまって……」

  

 僕が玲緒奈さんに向けて頭を下げて謝ったのには大きな理由があった。玲緒奈さんの奥さん、つまり彩華さんの母さんが既にこの世の人ではない事を一切知らずに、『機会があれば是非会ってみたい』と迂闊な事を口走り、玲緒奈さんの顔を曇らせてしまったからである。

 でも、玲緒奈さんはそんな僕を宥めるように優しい声で語りかけてくれた。もしかして、彩華さんから自身の母の事について何も聞いていなかったのか、と。


「はい……彩華さんは今まで母さんの事についてほとんど口にしていませんでした。母がもういないという事も……」

「そうか……ならジョバンニ君が知らないのも当然だな。気にしないでいいさ」


 そして玲緒奈さんは、彩華さんが『母』について触れなかった理由かもしれない1つの出来事を教えてくれた。彩華さんの母さんであり玲緒奈さんの奥さんでもあった人、綺堂一葉きどう かずはさんが、『片道切符』を購入して遠い場所へ旅立ってしまったのは、彩華さんがまだ幼く、物心ついて間もない頃だった、という事を。


「私の最愛の人が病に倒れてから、綺堂家一同は全力を尽くして病から救い出そうとした。惜しげもなく金を使って、最新医療を取り入れようとした。だけど、現実はあまりに残酷で無情だったよ。何をやっても手の打ちようがない事を知った時、私は泣いた。子供の時以来、久しぶりに泣きまくって、喉が枯れるまで叫び続けたさ」

「そうだったんですね……」

「でも、情けない私とは正反対に、『一葉さん』は最後の最後まで勇ましかったよ。自分がいなくなった後の彩華の事、綺堂家の事、そして自身のコレクションの事、色々なものを私たちに指示し続けた。どこまでも頼もしく凛々しく振舞い続けた。『気丈』という言葉がぴったりだったねぇ」


 思い出を振り返るような、どこか懐かしげな表情を浮かべながら、玲緒奈さんは言葉を続けた。

 もし今も生きていたら、自分ではなく綺堂一葉さんが、綺堂家という豪華列車の『運転台』に立っていたかもしれない。流石に親戚や隠居した面々から批判が飛び交うかもしれないけれど、それでも自分にとって『綺堂家の当主』の理想像は、凛々しく頼もしく正義感に満ち溢れ、そして皆から慕われていた自身の妻、綺堂一葉さんなのだ、と。

 その思いを聞くにつれ、僕は少しづつこの人物――綺堂家当主・綺堂玲緒奈さんにとって永遠の憧れであり最愛の人である一葉さんがどのような存在だったのか興味が沸いてきた。あの玲緒奈さんが敬服するのだから、よほど凄い人だったもしれない、と僕はある程度考えていた。でも――。


「一葉さんがどのような人だったか、かぁ……。そうだねぇ、今どきの鉄道オタクなジョバンニ君に分かりやすく言っちゃうと……『最強の女子鉄』だね」

「……えっ……?」


 ――返ってきたのは、そんな僕の予想を超える程のアグレッシブな思い出話だった。


 以前、彩華さんは、自身の母は『梅鉢家』という綺堂家と昔から縁の深い家系の出身であり、玲緒奈さんの元に嫁いだことで苗字が変わった、という旨を教えてくれた事があった。

 でも、玲緒奈さんと彩華さんの母さん=一葉さんの関係はそれよりもずっと昔、それこそ2人がまだ腕白な少年少女だった頃にまで遡る、と玲緒奈さんは語ってくれた。そして、一葉さんは一昔前の言葉で言う『男勝り』な性格で、意地悪をした人を懲らしめたり、学校では積極的にリーダーシップを張ったり、各方面で精力的に活躍していたという。互いに気が強い事もあって喧嘩する事もあったけれど、何だかんだで昔から良い仲だった、と玲緒奈さんは楽しそうな表情を見せた。

 そんな感じで多くの人に慕われていたという一葉さんは、同時に大の『鉄道オタク』であった、という事実を口にしながら。


「どんな感じの鉄道オタクだったんですか……?」

「今でいう『撮り鉄』と『乗り鉄』を合わせた感じだなぁ。若い頃は時間を見つけては列車に乗って様々な景色と鉄道を絡めた写真を撮影して、私たちに嬉しそうに見せてくれたっけ」


 どちらかといえば鉄道模型製作や資料収集という屋内作業がメインだった玲緒奈さんと、自分の足で積極的に各地に赴いて記録を残していた一葉さん。ふたりのコンビは、鉄道オタク仲間たちからもからかわれるほど最高の間柄だった、と玲緒奈さんは振り返った。そして、そんなふたりの絆を示す1つの武勇伝を、この機会だから、と教えてくれた。

 たまには一緒に撮影旅行に行こう、と誘われ、レアな列車が走るという情報を得てとある地方の鉄道路線を訪れた際、駅で2人が見かけたのは、線路に堂々と立ち入ろうとしたり駅員さんの対応について陰口を言ったりする、マナーの悪いカメラ小僧、今でいう『悪質な撮り鉄』連中だった。それに対し、なんと一葉さんは大声で注意しに向かい、そのマナー違反をする面々と口喧嘩になったという。

 最初こそ玲緒奈さんは一葉さんの大胆過ぎる行動を鎮めようとしたけれど、次第にマナーを守る気配のない相手側が一葉さんの人格や性別を馬鹿にするような言動を行い始めた結果、あっという間に怒りの導火線が刺激され、一葉さんに加勢する事となった。

 そして、気が削がれた、気色悪い、などの捨て台詞を残し、最終的にマナーを守らない連中はその場を去っていった、という。軍配は玲緒奈さんと一葉さん側に上がった、という訳だ。


「でも、あいつら、私の愛する一葉さんの事を散々に誹謗中傷しやがったんだよなぁ……今思い出しても腹が立つよ」

「そ、それで一葉さんは……」

「それがなぁ、傷つくどころか、『あんな奴らに購入されたカメラが哀れよね』だの『マナーは学ばない癖に捨て台詞はちゃんと学習しているのね』だの、全然気にしていなかったさ」


 後に綺堂家の婦人になる存在の言葉だとはとても思えない、と一葉さん本人も後年までずっとネタにしていた、と玲緒奈さんは楽しそうに語った。流石に今のご時世でこのような事をやってしまうと、幾らこちらが正しくても逆上した相手から何をされるか分からないので、マナーの悪い連中を見つけた時には駅員さんや警察に連絡するのが一番だ、と鉄道オタクである僕に忠告しながら。

 はい、としっかり返事をしながら、僕は一葉さんのアグレッシブぶりに少々圧倒されていた。でも、そんな気の強さや正義感、そして自分の思いをどこまでも貫き通す姿勢は、娘である彩華さんと本当にそっくりだ、という思いも同時に抱いた。


「勿論、私や一葉さんは撮影マナーをしっかり守って鉄道写真を撮る主義だよ。構図も被り防止も大事だけど、やっぱり良い写真は撮影地のルールを認識した上で、アイデアや工夫、それに『好き』という思いを加えるのがポイントだ、と私は思うねぇ」

「……なるほど……」


 そして、その成果であり、一葉さんが玲緒奈さんに遺してくれた大切な宝物が、先程僕に見せてくれたアルバムの中の写真だ――そう玲緒奈さんが語ってくれたおかげで、僕はある事実を知った。

 

「じゃあ、もしかして……僕が『鉄道おじさん』から貰った0系新幹線の写真のオリジナルは……!」

「お察しの通りだよ、ジョバンニ君。あれはねぇ、私たちが撮影旅行に出かけた時、一葉さんが撮影しまくった傑作集の1枚なんだよねぇ!」


 あの0系新幹線の写真は、玲緒奈さんの最愛の人が撮影した貴重な記録だった、という事をはっきり玲緒奈さん本人の口から聞いて驚いた僕は、同時に少し心配になった。既にこの世にいない人の写真を勝手に『鉄デポ』にアップロードしても大丈夫なのだろうか、と。

 すると、返ってきたのはこれまた意外な事実だった。むしろ、一葉さんは自分の写真をもっと色々な人に見せてもらいたい、と病床で玲緒奈さんにお願いした、というのである。自分たちの趣味のためだけに撮った道楽の写真だけど、少しでも鉄道の魅力を伝え、鉄道という概念が『好き』になるきっかけを与え、そして皆の心に響く事になってくれたら、これほど嬉しい事はない、と述べながら。


「……あ、でもそんな建前の後、本音もどさくさ紛れに言っていたなぁ。自分の綺麗で美しい写真、今の撮り鉄が言う『激Vげきブイ』な写真を世界中に見せびらかして高評価を貰いまくりたい、って」

「え、そんな事を言っていたんですか……」

「まあ、多分冗談交じりだったけどねぇ。でも、一葉さんがどんな時でも前向きで明るい人だったのは分かっただろう?」

「はい……」


 そして、僕は改めてあの0系新幹線の写真に思いを馳せた。確かに、あの写真は『激V』な逸品と呼んでも過言ではないほど、構図も光の入り方も綺麗なものだった。そして、同時に一葉さんが言った通り、僕はこの写真から世界に誇る大発明・新幹線の初代形式である0系の魅力を存分に感じ、そして綺堂家の当主へ真っ向から立ち向かう勇気を貰うことが出来た。

 もしかしたら玲緒奈さんの説得に赴く際、彩華さんや卯月さんだけではなく、『綺堂一葉』さんも見えない場所で応援してくれたのかもしれない――そんな思いを見透かしていたように、玲緒奈さんはしみじみと語った。もし一葉さんと僕が出会う機会があるとすれば、間違いなく僕は一葉さんのお気に入りになっていたかもしれない。それこそ娘である彩華さんが嫉妬の炎を燃やすほどに、と。


「流石に、彩華さんに迷惑をかけたくはないですが……でも、確かに会ってみたくなりました。会った時には、0系新幹線の写真のお礼を是非言いたいです」

「そうか……でもなぁ、一葉さんは案外その辺にいるかもしれないぞぉ?」

「え、え……!?」


 少々僕を脅かすような言葉と共に、玲緒奈さんは一葉さんの1つ、そしてあまりにも大きすぎる心残りを教えてくれた。自分が『片道切符』を使ってこの世から旅立って以降の新型車両や新路線を撮影したり乗ったり出来ないのが、本当に残念極まりない、と。つまり、一葉さんは下手すれば永遠に果たせることが無いかもしれない心残りを抱いてしまった、という訳だ。


「あの一葉さんの事だ。片道切符で乗った『列車』を途中下車してこの世に舞い戻って、気ままに撮り鉄や乗り鉄を楽しんでいそうだと私はたまに考えてしまうねぇ」

「……確かに、あり得そうですね」


 強くて頼もしくて凛々しくてアグレッシブで、そして家族や鉄道への愛に満ちた存在、綺堂一葉さん。確かに、あの彩華さんの母さんだけある、と僕は改めて納得する事が出来た。

 そして、最愛の人の思い出を存分に語れたことに満足した事を示す嬉しげな表情を見せた玲緒奈さんに、僕も素敵な話を聞かせて貰ったお礼を込めた笑顔を返した……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る