第157話:『鉄デポ』誕生物語

 以前まで通っていた学校で起きた不祥事を綺堂家当主の綺堂玲緒奈さんが糾弾し、支援の打ち切りを表明した日、それらに纏わる様々な案件を済ませた後に僕はそれまで知らなかった彩華さんの身の上話を聞く機会があった。その中で、彩華さんは長い間『友達』とはっきり呼べる間柄の存在に巡り会えず、趣味である鉄道の事を話してもあまりにも内容が濃すぎて誰もついてこれず、孤独感を抱えていた事を告白してくれた。

 ただ、本当に誰とも鉄道について語れる機会が無く、ひとりぼっちで自分自身の『好き』という感情を楽しむしかなかった僕とは違い、彩華さんは親戚の人たちと趣味を共有していた他、大の鉄道オタクである玲緒奈さんも娘である彩華さんの趣味に理解を示し続けていたという。


 でも、親戚の人たちがいない間、ずっと屋敷に籠って鉄道趣味に勤しむ彩華さんの姿を見て、玲緒奈さんは不安を抱いた。多くの人々の動きを司る事になるであろう綺堂家の娘が、今のままで良いのだろうか。このままでは、彩華さんは『綺堂家』という小さな殻の中に閉じこもってしまうのではないだろうか、と。


 そんな折、玲緒奈さんが中心人物だったという鉄道オタクのコミュニティの中で、ある話が飛び出した。こうやって身内だけでワイワイ盛り上がっているのも楽しいけれど、昨今は『SNS』という便利なものが普及している。これを活かして、『鉄道が好き』という思いを持つ人たちが話せる場所があったらもっと楽しそうだ――最初にそのような提案をしたのが、あの教頭先生こと相田哲道さんだった、と玲緒奈さんは振り返った。


「教頭先生、そんな事を言っていたんですね……」

「まあ、相田の奴は昔ちょっとあったらしくて、それがきっかけで色々な仲間たちとワイワイ話すのが大好きな社交的な性格になったって聞いたな。私たちのコミュニティにもあっという間に馴染んでるし、あいつはコネを作るのが滅茶苦茶うまいんだよ」

「な、なるほど……」


 確かに、僕たちよりも年上なのにそれを忘れてしまうほど社交的に接し、新参者である僕が『鉄デポ』に馴染めるよう後押しをしてくれた。そんな教頭先生が、皆と楽しく話せるネット上の場所を求めたのも、頷ける話だった。

 とはいえ、単にそう言う場所を作っただけで、皆で賑やかに話せる理想の場所が完成するとは限らない。教頭先生の発言をきっかけに、玲緒奈さんを交えた話し合いを何度か交わした末、『隠れ家』というコンセプト――職業も立場も年齢も関係なく、皆が心置きなく楽しく交流できる秘密の鉄道車庫、という大まかな形が出来上がった。そして、その過程で玲緒奈さんは、ずっと考えていた事を教頭先生を含めた仲間たちに打ち明けた。将来的に自分の娘もそのメンバーに招待して、『友達』という存在がどれほど楽しく、嬉しく、そして有意義なものなのか、是非教えてあげたい、と。勿論、教頭先生を始めとした皆から、その提案は快く受け入れられたという。


「まあ、あまりコミュニティを私物化し過ぎないよう釘は刺されちゃったけどなぁ」

「楽しむにもバランスが大事、というわけですね……」

「そうそう、そういう感じ」


 そして、様々な下準備を経て、まずそれまで通り、玲緒奈さんを中心としたコミュニティ、つまり身内だけで楽しむ鉄道オタクの隠れ家として『鉄デポ』が設立された。これで、いちいち電話やメールを介さなくても積極的な交流が出来るようになり、コミュニティ内の盛り上がりがより活発になったという。

 そして、玲緒奈さんは先程述べた『コミュニティの私物化』――せっかく丁寧に作った隠れ家を自分自身の威厳で支配してしまう、という事態を避けるため、そして将来加わるであろう彩華さんを始めとする新メンバーが『綺堂家の当主』のせいでビビってしまう、という事態を防ぐため、身分も隠した完全なる匿名で参加する事に決めた。その際、名前を決めなければならず、悩んだ末にこれなら誰も委縮しないだろう、という事で考えたのが『鉄道おじさん』という名前だった、という。そのアイデアが見事に成功したのは、『将来加わるであろう新メンバー』の1人となった僕が、『鉄道おじさん』と写真や動画、様々な知識を使って楽しく交流できた事で、既に証明済みだった。


「ついでに、他のメンバーにも一応約束しておいたのさ。私の正体は、開設時のメンバー以外には絶対に内緒にして欲しい、ってな。お陰様で、みんな私の願いを受け入れてくれてありがたい限りだよ」


 きっとそれは玲緒奈さんの人徳もあったかもしれない、と僕が素直に称えると、綺堂家の当主として人徳があるのは当然だ、と自慢しつつ、玲緒奈さんはとろけるような笑顔を見せていた。


 こうして無事に開設された『鉄デポ』で、SNSの運営に関する様々なノウハウを皆で共有し合い、メリットやデメリットもしっかりと認識してルールを整えた後、玲緒奈さんや教頭先生を始めとした初期メンバーは、『鉄デポ』という名の鉄道車庫の容量を広げ、より多くのメンバーを募る事にした。ただし、『隠れ家』というコンセプトを守るべく、大々的に宣伝するのではなく各地のSNSに『最近噂になっている謎の鉄道SNS』という名目でアピールしたり、敢えてネットを使わずリアルの友達に口コミで伝えたり、様々な形でこっそり存在を広めたという。


 当然、拡散当初は全然人が集まらず、玲緒奈さんもやり方を間違えたか、と少しだけ不安になったみたいだけれど、幸いそれはすぐに杞憂に終わり、噂が広まっていくうちに興味を持った鉄道オタクな人たちが次々に登録を申請するようになったという。その中で、特に早い時期から加わったのは、あのカリスマスタイリストのコタローさんだった、と玲緒奈さんは教えてくれた。

 

「で、その後に続々とメンバーが加わっていったわけさ。サクラちゃんもナガレ君も美咲ちゃんもトロッ子ちゃんも、どこからか噂を聞きつけて『鉄デポ』のメンバーになってくれたんだ。私としては、若い面々が加わってくれるのはとても頼もしかったなぁ。『鉄デポ』が様々な世代に受け入れられ始めているって実感してさ」

「そうだったんですね……」


 そして、様々なメンバーが揃い、皆の間に交友関係が築かれ始めた頃合いを見計らい、いよいよ玲緒奈さんは『鉄デポ』の最大の目的を果たすため、大切な娘である綺堂彩華さんを、沢山の仲間が待つ『鉄デポ』に招待した。

 最初の頃は慣れない環境に彩華さんは若干の戸惑いを見せ、交流もどこか堅苦しいものだったけれど、少しづつ時間が経つにつれて会話も良い意味で砕けるようになってきて、年齢も立場も違う仲間たちと心置きなく語り合えるようになってきた。勿論、文字チャットのみで参加している『鉄道おじさん』とも様々な鉄道の話題で盛り上がれるようになっていった――玲緒奈さんが語ってくれた、『鉄デポ』メンバーになった頃の彩華さんの話を聞いて、僕は自分自身の状況を重ねていた。


「彩華さんも、当初はそうだったんですね……」

「まあ、初っ端から賑やかで騒がしいのは君たちの教頭になるかもしれないあの男ぐらいだよ」

「ま、まあ確かに……そうかもしれませんね……」


 若干教頭先生の事に触れつつ、玲緒奈さんは言葉を続けた。『鉄デポ』の中で、彩華さんはとても楽しそうに様々なメンバーと交流し、『鉄道が好き』という思いを分け合っていた様子は、親としてとても嬉しかった、と。

 だからこそ、そこから更に沸き上がった娘の思いに気づくことが出来なかった、と反省の念を交えながら。


「本人から既に聞いたかもしれないが、彩華の中にはより友達を求める思いが強まっていた。リアルな世界で友達が欲しい、いつでも会える友達が欲しい、とな……」


 それに加えて、綺堂家の令嬢として自立心が強かった彩華さんは、自分の力で友達を作るのを欲していた。玲緒奈さんから教えられ、与えられるがまま楽しんでいた『鉄デポ』に頼らない形で友達を見つけたかった。今振り返ると、彩華さんはあのような『クソみたいな学校』を選んでしまう程、『特別な友達』を求めるためにわらにも縋る思いだったのかもしれない、と玲緒奈さんは思い返すように語った。


「……今振り返ると、ダメな父親だよ、私は。執事長に指摘されてようやく娘の真意を理解できた訳だからなぁ……全く、『妻』にばれたらひっぱたかれそうだよ……」

「……僕は、そんな事はないと思います」

「そうかい、ジョバンニ君?」

「あの学校に行って友達を作りたい、という彩華さんや卯月さんという説得に折れたのって、彩華さんの抱く願いを叶えたかったからですよね?」

「……まあ……そうだなぁ」


 先程も言ったけれど、きっと彩華さんは自身の父である玲緒奈さんを『誠実』で『頼もしい』存在だ、と信じているはず。きっと彩華さんも、結果はどうであれ自分の願いを叶えてくれた玲緒奈さんに感謝をしているだろう。どれだけ厳しい態度を見せていても、その裏にある優しさを、凛々しく聡明な彩華さんは分かっているかもしれない――相変わらずどれも推論に過ぎなかったけれど、僕は何とか自分の目から見た『綺堂彩華』さんという存在に対する印象を、玲緒奈さんへの評価という側面から伝えた。


「……そうか……そうだといいなぁ……」


 そして、玲緒奈さんは僕に『鉄道おじさん』として、彩華さんの父として、優しい笑みを見せながらこう言った。ありがとう、ジョバンニ君、と。

 僕は一瞬、その表情に、彩華さんからの感謝の姿――長い黒髪をたなびかせ、『ありがとう、譲司君』という言葉と共に見せる、屈託のない笑顔を重ね合わせた。

 普段こそ厳格な父親と自立心が強く逞しい娘、という間柄だけれど、やはり玲緒奈さんと彩華さんは親子。ふたりとも厳しさの中に誠実さを忘れない関係なのかもしれない、と僕は思った。


「玲緒奈さんも彩華さんも、笑顔が素敵なんですね……」

「いやぁ、ジョバンニ君は褒め上手だねぇ。そう言われるとますます照れちゃうなぁ♪」


 そして、そのまま勢いで、ぼくはついこのような事を口走ってしまった。

 きっと、彩華さんの母さん=玲緒奈さんの奥さんも、同じように笑顔が優しく、心が強い人だったのかもしれない。まだ会話を交わした事はないけれど、機会があれば是非お会いしたい、と。


 それを聞いた時、玲緒奈さんは一瞬だけ複雑そうな表情を見せ、やがてそれをどこか悲しげで寂しげなものへと変えていった。


「……そうだなぁ、確かに私の妻は、素敵な笑顔に強い心の持ち主だった・・・ねぇ……」

「……えっ……?」

「すまないねぇ、ジョバンニ君。私の妻に会う事はもう出来ないんだ。君が彩華と出会うよりもずっと前に『片道切符』を使ってしまって、手の届かない場所へ行ってしまったからね」


 その言葉が何を意味しているのか、僕は心の中の衝撃と共に把握する事が出来た。

 今まで、彩華さんも玲緒奈さんもずっと語る事が無かった、彩華さんの母さんにして玲緒奈さんの奥さんにあたる方は、既にこの世にいない、という事を……。

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