第153話:ふたつの顔、ひとつの思い

「ごちそうさまでした……」


 あまりにも信じられない、でも信じざるを得ない『事実』を目の当たりにした後、僕は改めて玲緒奈さんが用意してくれた烏龍茶を一気に飲み干した。先程までの説得、その後の緊張などですっかり喉が渇いていたのか、あっという間にガラスのコップは空になってしまった。

 そんな僕に、ペットボトル入りのものより少し高級な烏龍茶の味はどうだったか、玲緒奈さんは笑顔で尋ねてきた。素直に美味だったという感想を述べると、その笑顔に更に嬉しそうな感情が加わった。つい先程まで、冷静沈着な表情のまま、僕の説得に様々な反論を繰り出し続けていた綺堂家の当主と同一人物だとはとても思えない、親しみやすさに満ちた姿だった。

 そして、玲緒奈さんは僕の椅子の近くに置かれていたスイッチのようなものを操作した。それから数十秒ほど経った後、僕の後ろから甲高い蒸気機関車の汽笛のようなものが聞こえてきた。玲緒奈さんの自室の半分以上の面積を占める巨大な鉄道模型レイアウトの中に敷かれたレールの上に、国鉄の大型テンダー蒸気機関車を模した鉄道模型の編成が到着したのだ。しかも、単なる鉄道模型ではなく、蒸気機関車の後ろには、一回り大きな荷台のようなものが備わった貨車が連結されていた。


「さ、ジョバンニ君、その荷台にコップを入れたまえ」

「え、いいんですか?」

「いいんだよー。そのための『臨時列車』なんだからさ!」


 えっへん、と口に出す様子は、綺堂家の当主と言うよりも1人の愉快な『おじさん』のようだった。

 ともかく、その指示に従い、先程烏龍茶を飲み干したガラスのコップを貨車の荷台に入れると、玲緒奈さんは再度ボタンを押した。すると、蒸気機関車が牽引する模型列車が走りだし、レイアウトをぐるりと一周した後、そのまま部屋の外へと走り去っていったのである。目的地は、台所の雑用を担当する使用人が待つこの屋敷のキッチンだ、と玲緒奈さんは自慢げに語った。


「彩華からも聞いただろう?我が綺堂家が誇る、この屋内鉄道模型ネットワーク!自動運転機能を備えて、この屋敷の隅々まで様々な物品を届ける、鉄道趣味と実益を兼ね備えた輸送システムって訳だ。勿論、衝突などの事故防止の安全対策もばっちりなんだぞ!」


 この模型鉄道網は以前の当主から既に存在していたけれど、自分はそれに最新鋭の安全システムや自動運転システムを組み込み、更に実用性を向上させた、と語りつつ、羨ましいだろう、と玲緒奈さんは僕に楽しそうに語り掛けてきた。勿論、僕が大いに頷いたのは言うまでもない。

 ただ、それでもやはり僕は若干妙な心地を抱え込み続けていた。当然だろう、経済を片手だけで動かしかねない程の財力を誇る綺堂グループの頂点、大富豪である綺堂家を率いる、冷静沈着で威厳に満ち、時に非情な判断も辞さないと言われている、あの綺堂玲緒奈さんが――。


「……それにしても……本当に……綺堂玲緒奈さんが……『鉄道おじさん』だなんて、まだ慣れないです……」


 ――娘である彩華さんを含んだ『鉄デポ』の面々に愉快でためになる話を提供してくれる、明るく優しくちょっとおじさん臭いムードメーカーな『鉄道おじさん』と同一人物だという驚愕の事実を知ってしまったのだから。

 全然気づけなかっただろう、我らながら見事な『変装』だったな、と勝ち誇った顔を見せる玲緒奈さんだけれど、確かに僕は本人から明かされるまで全くその事実に気づけなかった。玲緒奈さんと鉄道おじさんとのギャップが余りにも違い過ぎる、というのもあるし、何より『鉄デポ』内でずっと声を明かさず文字チャットでのみ僕たちと会話を続けていたからだ。鉄道おじさん以外にもそういった形でチャットに参加していた人が何人かいた事も、より正体に気づけない要因になっていたのかもしれない。

 そして、僕は鉄道おじさんとして活動していた玲緒奈さんについて、気になる事が幾つか浮かび上がってきた。


「あ、あの……」

「ん、どうしたのかな?今ならタダでディープな質問でも受け入れちゃうぞ?」

「あ、ありがとうございます……」


 一体どこで、僕が『ジョバンニ』である事に気が付いたのか、と僕は尋ねた。彩華さんは決して僕が『鉄デポ』で別の名前で活動している事を明言しなかったというけれど、それならどうやって彩華さんの『特別な友達』である僕が『ジョバンニ』だと見抜いたのだろうか。

 その答えは、予想以上に単純なものだった。『鉄道おじさん』として、リアルとネット、双方の場所で彩華さんと交流していたからこそ、玲緒奈さんはすぐに僕が『鉄デポ』に登録した事に気づいたのである。


「リアルの世界で友達が出来た事を、彩華は私にしっかり報告してくれた。そして『鉄デポ』でも、彩華は『私』、つまり『鉄道おじさん』に嬉しそうにその旨を語ってくれた。こういう訳さ」

「な、なるほど……。でも、彩華さんは、『鉄道おじさん』が自分の父さんだなんて全然気づいていなかったですね……」

「機密情報の保持の面で色々と気を付けて欲しい所だが、それを言ったら完全に隠していた私にも責任があるからなぁ。まあ、彩華が気づいていなかったという事は、それだけ私の演技力は抜群だったという事だな!」

「ま、まあ……そうかもしれないですね……」


 自慢げに語る玲緒奈さんに、僕は苦い感情を何とか抑えて愛想笑いのような顔を見せる羽目になってしまった。


「まあともかく、さっきも言ったが、私は『鉄道おじさん』として君をずっと見守り続けていた。色々と大変だったと思うけど、ジョバンニ君、君は素晴らしい鉄道オタクだよ。『鉄道おじさん』のお墨付きだぞ?どうだ、凄いだろう」

「す、凄いです……あ、ありがとうございます……」


 素直でよろしい、と僕の対応を褒めた玲緒奈さん=鉄道おじさんだけれど、直後にその表情が少しだけ『綺堂玲緒奈』さんが持つ冷静かつ冷酷なものに戻った。そして、その顔を維持しながらでこう述べたのだ。1つだけ、誤解しないで欲しい事がある、と。


「もしかしたら、ジョバンニ君は私が『鉄道おじさん』だから、鉄道オタクだから、という理由であの凄惨ないじめや地獄のような学校から救ってくれた、と思っていないかな?」

「……!?」


 そんな事は無いと何とか自制しようとしていたけれど、心の中ににそのような疑いのような、甘い考えが浮かんでしまったのは紛れもない事実。それを突かれてしまった僕は、慌てて玲緒奈さんに正直に謝った。

 でも、玲緒奈さんはそう思われてしまうのも仕方がない、これから話す事も言い訳に聞こえてしまうかもしれない、と苦笑いしながらも、丁寧にそれらの事情について説明してくれた。


「私は『鉄道おじさん』として活動するにあたって、綺堂家の当主と『鉄デポ』、2つの顔をしっかり使い分ける事をルールとして設けた。もし『鉄道おじさん』として、鉄道オタクに関する嫌な話題を見て、『コンチキショウ!こいつめ!絶対に許さん!』っていう気分になっても、それを絶対に綺堂家の当主として持ち出さない、という感じだね。勿論、当主として非常に苛立つ事があったとしても『鉄道おじさん』として文字に打ち込まない、ってな訳だ」

「な、なるほど……」


 元来綺堂家は鉄道趣味と密接に関わっているからこそ、様々なマナーやルールをしっかり守るよう教えられてきた。自分自身で作ったこのルールも、周りに迷惑をかけないためのようなものだ――そう語る玲緒奈さんの言葉を、僕は見苦しい言い訳とは決して思わなかった。『綺堂家の当主』という凄まじい立場である事を完全に隠して接してくれたからこそ、『鉄道おじさん』は愉快で頼もしい僕たちの仲間、年の離れた友達として認識する事が出来たからだ。

 確かに『鉄デポ』には身分を明かしたうえで参加している人も大勢いるけれど、もし玲緒奈さんがそのような事をしてしまえば、最悪の場合参加者の全員が威厳ある存在の前に委縮してしまい、明るく楽しく語らう場としての『鉄デポ』の役割が崩壊してしまうかもしれない、と僕は感じた。


 そして、同時に僕は、2つの顔を使い分けているという説明を聞いて、玲緒奈さんも娘である彩華さんの事を思い出していた。彩華さんも、玲緒奈さんからの指示があったとはいえ、『綺堂彩華』という令嬢としての身分を隠し『梅鉢彩華』として過ごしていた。

 もしかしたら、綺堂家の人たちはそういった使い分けが得意なのかもしれない、と何となく僕は思った。


「……つまり、玲緒奈さんは、2つの顔を使い分けなければならないというルールを、自分に課したんですね」

「そうなんだよ。ジョバンニ君は物分かりが良いねぇ。おじさん嬉しくて泣いちゃうよ」

 

 完全に『鉄道おじさん』の口調で語る玲緒奈さんの様子に、僕は改めて親しみやすさを感じた。

 でも、直後に玲緒奈さんは、悲しそうな表情を見せた。確かにそのような厳格なルールを決めたからこそ、『ジョバンニ君』や彩華さん=玲緒奈さんの娘、そして『鉄デポ』の皆と心から仲良くできたのは事実だけれど、その結果、ある非情な選択をしなければならなかった、と述べながら。


「……この場で謝っておこう。和達譲司君・・・・・、君をいじめから救い出すのに、『綺堂玲緒奈』として私はあまりにも時間をかけすぎてしまった。本当に申し訳ない」


 それは、2つの顔を持つからこそ、動くことが出来なかった、という玲緒奈さんの懺悔ざんげだった……。

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