第152話:もうひとつの名前

「和達譲司君、私は君の事を、以前からよく知っているよ」


 『リアル』の世界で再会できたというのに、怖がらせてしまって申し訳ない――鉄道に満ちた自室の中で謝罪をした、綺堂家当主である綺堂玲緒奈さんは、『リアル』という言葉が妙に心に引っ掛かって不思議な気持ちが止まらない僕を尻目に、優しい低音で語り始めた。それは、『以前から知っている』という言葉通り、僕と何度も交流していなければ、僕の内面を知っていなければ、決して言えないはずの内容だった。


「最初に出会った頃の君は、どこか他人と言葉を交わす事、他人と触れる事に対して遠慮気味だった。自分が言う事で相手を傷つけないか、自分の存在そのものが失礼じゃないか、とまるで怖がっているように感じたね。でも、忌々しい出来事を彩華や仲間たちと共に乗り越えた君は、明らかに様変わりした。例え私のようなヤバげ・・・な存在であろうと、しっかり自分の意見を伝えようとする勇気と度胸、それに確固たる自信がある。今の君なら、どんな相手が敵意を持ってこようとも、それらを受け流す『強さ』を持っている、と私は信じているよ」


 もしかしたら、『彩華さんのお陰だ』と君は謙遜するかもしれない。でも、私は和達譲司という存在が自分から変わろうとする強い意志を持ち、それを実現させたからこそ、こうやって綺堂家の当主たる自身と面と向かって話す機会を得る事が出来た、と思う。もっと威張っても良いし、少しぐらい自意識過剰になっても良い。君は立派な逸材なのだから、もっと胸を張ってみなさい――玲緒奈さんの言葉は、僕を褒め称えてくれている内容で間違いなかった。


 勿論、僕はしっかりありがとうございます、というお礼を言うことが出来た。当然だろう、先程まですっかり怯えて情けない様相を見せつけてしまった僕を、ここまで高く評価してくれたのだから。

 でも、同時に僕の心の中は、『?』という思いでいっぱいになった。

 

「あ、あの……失礼かもしれませんが……その……尋ねたい事が……」

「ん、何かな?」

「……ど、どうして、僕の事を、そこまで詳しく知っているんですか?僕、玲緒奈さん……彩華さんの父さんと会ったのは、これが2回目だと思うのですが……」


 若干の不安を抱きつつ、心に溢れ出た感情を言葉にした僕に返ってきたのは――。



「……2回目か……ふふふ、果たして本当にそうかな?ジョバンニ君・・・・・・

「……!?!?!?!?」


 ――今までにないほど優し気で、そして楽しそうな、玲緒奈さんの声だった。


 もし、この場で机の上にある烏龍茶を飲んでいたとしたら、今頃机は噴き出してしまったお茶でびしょぬれになってしまっていた事だろう。それ程までに、僕は玲緒奈さんの返答に驚きを隠せなかった。

 『ジョバンニ』というのは、会員制クローズドSNSである『鉄デポ』でこの僕、和達譲司が名乗らせて貰っている名前であり、元を辿れば友達の1人である幸風サクラさんが名付けてくれた初めてのニックネーム。どういう訳か、綺堂家当主である綺堂玲緒奈さんがその名前をしっかりと把握し、しかもそれが僕である事まで見抜いていたのだ。


「な、なんで、そ、その名前を……!?」


 この事態に理解が追い付かない僕は、真っ先に頭に浮かんだ思いをすぐさま口に出してしまった。もしかして、玲緒奈さんから『鉄デポ』の事を教えてもらった過去を持つ彩華さんが、僕が『ジョバンニ』という名前で活動している事を伝えたのか、という仮説を。

 でも、それはすぐに玲緒奈さん本人によって否定された。首を横に振りながら、どこか誇らしげにこう語ったのである。


「そう考えるのも無理はないが、ご存じの通りうちの娘はしっかり者でね、和達譲司君という存在が『鉄デポ』にいる、という事は一言も語っていなかった。少なくとも、私が君を『ジョバンニ君』だと知ったのは娘経由じゃないぞ」


 信じてくれるかね、と語る玲緒奈さんの言葉に、僕は何度も頷いた。彩華さんがむやみに人の秘密を明かしたり噂話を広めたりするような人ではない事は、『特別な友達』である僕自身がしっかりと認識していた事なのだから。疑ってしまって申し訳ない、と僕は心の中で彩華さんに謝罪したのだけれど、だとすればどうして玲緒奈さんが僕の『鉄デポ』の事、ひいては僕自身のこれまでの経緯をばっちり把握しているのか、その謎がますます分からなくなってしまった。


「う、うーん……」

「どうかな、名探偵ジョバンニ君。この謎が解けるかな?」


 そう語る玲緒奈さんからは、説得を試みる僕と意見を言い合っていた時の威厳や怖さはほとんど無くなっていた。例えて言えば『気の良いおじさん』のような雰囲気に置き換わっていったのである。

 そんな様子に妙な親近感を抱きつつも、しばらく頭を悩ませ続けた僕は、何とか自分なりの答えを導き出すことが出来た。

 もしかして、綺堂家当主である綺堂玲緒奈さんもまた、あの『鉄デポ』のメンバーなのだろうか――そう尋ねた僕に、正解を示す『OK』印を作りながら、玲緒奈さんは笑顔を見せた。


 当然驚いた僕だけれど、その答えに納得は出来た。実際、あの会員制SNSである『鉄デポ』には古今東西、様々な鉄道オタクが集まっている。モデルに動画配信者、アイドル、VTuberの友達、カリスマスタイリスト、学校の教頭先生、そして大富豪の令嬢。地位も年齢も住んでいる場所も違う様々な人たちが、賑やかに語り合ったり互いに相談を受けたりするネット上の憩いの場に、玲緒奈さんのようなとんでもない大物が加わっていてもおかしくはないだろう。

 ただ、それでもなお、僕には大きな謎が残されていた。


「あ、あれ……『鉄デポ』のメンバーだとしても……僕が『ジョバンニ』だって気づくまでの過程が……」


 つい考えが独り言のように口に出てしまった僕だけれど、幾ら悩んでも分からなかった。

 普段語り合っている面々以外にも『鉄デポ』のメンバーは沢山いるし、これまで僕は様々な人と交流する機会を得てきた。一体、玲緒奈さんはその中の誰なのだろうか。どうして、リアルの僕が『ジョバンニ』である事に気づいたのだろうか。分からないまま頭を抱えてしまった僕を見て、玲緒奈さんは、少々難しかったかもしれない、と優しげな低音ボイスで語った。


「す、すいません……」

「大したことじゃない、気にしないでくれ。ま、そろそろ正解を教えても良い頃合いかな」


 そう言うと、玲緒奈さんはゆっくりと立ち上がり、入り口から向かって左側、たくさんの鉄道に関する書籍や資料が並べられている場所へ足を進めた。続けて、その中から1冊の分厚いアルバムのようなものを取り出し、僕の方へ持ってきた。そして、ページをゆっくりと開いた玲緒奈さんは、僕に1枚の写真を見せたのである。


「……和達譲司君、いや、ジョバンニ君。この写真に、見覚えはないかな?」


 そう言われ、じっと写真を見つめた僕は、しばらくの間悩んだ。何かが思い浮かびそうな、そのような雰囲気が、その『写真』から感じられた。

 やがて、その瞬間は唐突に訪れた。まるで、心の中でバラバラになっていた『点』――玲緒奈さんが与えたり、僕自身が既に把握したりしていた幾つものヒントが、1つの『線路』で結ばれたような感覚だった。でも、その時の僕は、正直言って信じがたい気分だった。


「……そ、そ、そんな……そんな事……!?!?」

「ふふふ、ようやくジョバンニ君、気付いてくれたようだね」

「き、気付きましたけど……で、でも……本当に……本当なんですか……!?」

「君に『隠し事』はしたとしても、私が『嘘』をつくメリットはどこにあるのかねぇ?」

「そ、そ、そんな……で、でも、こ、この写真は間違いなく……」


 0系新幹線――どれだけ馬鹿にされようが、後ろ指をさされようが、多くの人々の不屈の努力と根性、そして未来を夢見る心によって開通し、世界の鉄道の常識を塗り替えた大発明『東海道新幹線』の初代形式が、ばっちり綺麗に写されていた綺麗な写真。玲緒奈さんとの説得に赴く前日、どんな目に遭っても絶対に諦める事無く思いを伝えるという勇気を改めて教えてくれた、あの写真。それが、デジタルデータではなく本物の写真・・・・・として、しっかりとアルバムの中に残されていたのである。


「その通り、ジョバンニ君は覚えているかな?この私が、君にこの写真をプレゼントした事を、な」


 その言葉通り、僕はずっと前に『鉄デポ』でこの写真のデジタルデータを貰った。その人は気前よく、若い鉄道オタクへのサービスと言わんばかりに、僕たちに様々な写真や話を提供してくれた。そして、その人は『鉄デポ』のメンバーの中で最古参の1人で、あの教頭先生やコタローさんたち『大人』の鉄道オタク勢とも仲が良かった。その人はやたら絵文字を駆使したり親父ギャグを積極的に述べたり、妙におじさん臭い所を見せながらも、人生の先輩として、僕たちと明るく気さくに接してくれた。


 その人が、目の前にいる綺堂玲緒奈さんであるという確固たる証拠は、既に幾つも提示されていた。何より、本人は明らかにそれを認めるような発言をここまで何度も繰り返していた。

 でも、ぼくはどうしても、どうしてもそれが受け入れられなかった。心の中で、信じられない思いが残っていたからかもしれない。だからこそ、僕は率直に尋ねたのである。


「……ほ……本当に……本当に、玲緒奈さん……彩華さんの父さん……綺堂家で一番偉い当主の貴方が……『鉄道おじさん』なんですか!?!?」


「ふふふ……その通り!!この私こそ、『鉄デポ』のミステリートレイン、声も姿も全てが謎に満ちた不思議な存在、『鉄道おじさん』の正体なのだよ!だーはっはっはっは!!」


 勝ち誇ったその表情。妙に高いテンションで放つ高笑い。そして、自分で自分の事を謎で不思議な存在だと断言してしまう『おじさん』臭さ。

 それを見た僕は、ようやく現実を受け入れる覚悟を決める事が出来た。決して嫌な事ではなかったが、この事態を飲み込むのに時間を費やしてしまったのである。

 目の前で腰に手を当てて高笑いしているのは、綺堂玲緒奈さんにして、あの『鉄道おじさん』だ、という事実を……。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る