第150話:一世一代の大説得・後編

 綺堂彩華さんと同じ学校へ行けば、慣れない場所でもすぐに馴染むし、様々な庶民の心を知る事が出来るし、もしいじめが起きたとしても教頭先生が守ってくれる。

 これらの様々な利点が間違いなく、確実に実現するという保証はあるのか。

 綺堂家の当主である綺堂玲緒奈さんから発せられた質問に、僕ははっきりと答えた。その確証はない、と。


 当然ながら、それを聞いた途端、隣に座る彩華さんは少々唖然としたような顔を見せ、机を挟んで目の前に座る玲緒奈さんは呆れたようなため息をつきながら僕に指摘した。自身の娘である彩華さんの『特別な友達』でありながら、はっきりとそのような事を述べるとは馬鹿正直にも程がある。確証が無いのに、今までつらつらと利点とやらを並べ続けていたのか――その指摘は、全て正しかった。僕が少しでも嘘をつけばそれをあっさりとばらしかねないような威圧感が、玲緒奈さんから満ち溢れていたからだ。

 でも、だからこそ僕は、失望のような表情を向けられてもなお言葉を続けた。本当の思いを伝え続けるために。


「……でも、失礼かもしれませんが、この机に並べられたパンフレットに記された学校だって、そこに行って彩華さんが本当に幸福な学園生活を過ごせるか、という確証は無いと思います」

「ほう……?」


 彩華の幸福を願い、しっかりと整備された『未来方面のレール』を整備しようとする自身の計画が信用できないというのか――冷静な口調ながらも心を突き刺すような返答をした玲緒奈さんだけれど、僕は決して玲緒奈さんの気持ちや思いやりを受け入れられない、という訳ではなかった。先が述べた通り、大切な人が苦しむ姿は、僕だって絶対に見たくない。それに、もし『未来行きのレール』を誰かに完璧に整備してもらえると聞いたら、そちらに引き寄せられてしまうかもしれないのだから。

 それでも、僕はその『レール』とは少し違う経路を彩華さんと共に進む未来を、諦めたくはなかった。例え、少々苦しい道のりになったとしても。


「……僕の父さんも母さんは、今までずっと僕の未来のために様々な手助けをしてくれました。正直、『いじめ』を受けている事を告げてから、父さんや母さんも巻き込んで辛い思いや必死の行動をさせてしまったのは申し訳なく思っています。悪いのはいじめる側とは言え、両親を巻き込んだのは僕でしたから」

「そうか……」

「でも、父さんや母さんはどれだけ手助けをしても、最後は必ず僕に選択肢を委ねてくれました。今回、教頭先生の学校へ行きたい、と判断した時も、両親は同じ考えを抱きながらも、最終的な決断を僕に任せたんです。自分たちが色々考えても、結局はこの僕、『和達譲司』の人生に関わる事だから、って」

「……ほう……」


 確かに、誰かに『未来のレール』を敷いてもらうのは楽だし、とても嬉しいことかもしれない。例えが乱暴かもしれないけれど、目標に到達するまで苦手なゲームを他人がプレイして、自分が果たせなかったゴールや高得点に到達してもらう様子を見るのは、意外と面白いのと似たようなものかもしれない――先日のオフ会で、鉄道運転シミュレーションゲームに挑戦できず仲間たちの様子を後ろから眺め続ける結果となった思い出も交えながら、僕は語り続けた。


「……僕たちの代わりに様々なものに挑戦し、成功する模様を見せてくれる人は、大勢いるかもしれません。でも、今回は違います。未来方面のレールを走る『人生という名の列車』の運転台に立てるのは、その運転方法を知る本人、たった1人です」

「……」

「確かに、僕たちの意見を聞く事も、より良い『運転』をするのに必要かもしれません。でも、僕も玲緒奈さんも確証がないままつらつらと意見を述べ続けている。だからこそ、最終的な判断は、人生という名の『列車』の運転士である彩華さんの考えに託した方が良いと思っています……」


 譲司君と同じ学校に行きたい、譲司君と同じ場所で幸せに暮らしたい。それが彩華さんの願いだ、というのは、きっと玲緒奈さんも何度も聞いたはずだろう――僕の言葉を、玲緒奈さんはじっと真剣な表情で聞き続けていた。

 そして、『彩華さんの考えを尊重して欲しい』という気持ちを伝えた僕は、同時に自分自身の決意、そして同じ学校へ行く事による第4の利点を述べた。もし彩華さんが誤った経路に進入しようとした時には、僕が『安全装置』となって、全力で止めてみせる、と。


「……随分思い切った事を述べたな。だが、その点はある程度信頼している。なにせ君は、彩華にとっての『特別な友達』だからな」

「……ありがとうございます」


 でも、続けて玲緒奈さんの口から飛び出したのは、僕の言葉に対する批判だった。もしその『安全装置』が誤作動を起こしたら――つまり、彩華さんを止めようとした僕の考えそのものが誤っていたらどうするのか、と。


「君の言葉が全て正しい、という訳ではないだろう?私の考えが『間違えている』ようにな」


 若干皮肉めいた言い回しをしてきた玲緒奈さんだけど、僕は決して玲緒奈さんの考えが完全に誤りだとは思っていない事をはっきりと述べた。正直な所、僕は玲緒奈さんの考えが正しいか、それとも間違えているかという事は重要視していない。それ以上に、この僕と彩華さんの気持ちを理解してもらうためこうやって説得を試みている旨を、僕は改めて伝えたのである。

 そのうえで、自分自身の考えが間違えていた事を思い知らされた過去を、僕は玲緒奈さんに打ち明けた。


「……彩華さんに出会うまで、僕はずっとひとりぼっちでした。友達もおらず、たった1人で『鉄道』だけにしがみ付いて過ごしていました。そして、それは彩華さんと仲良くなって以降も変わりませんでした。僕は『鉄道』の事しか知らない、情けなくて冴えなくて駄目でヘタレな鉄道オタクだって、ずっと思い込んでいたんです。だからこそ、僕は彩華さんにも、両親にも、ずっといじめの事を打ち明けられませんでした。もしそのような事をすれば、周りを巻き込んでしまい、更に惨めになってしまう、って」


 でも、それらの考えが間違いである事を、彩華さんははっきりと語ってくれた。『いじめ』という名の重い『貨物』をたった1人で牽引して、碓氷峠や板谷峠、瀬野八、梅田峠のような急勾配を越える事が出来るのか、と。

 『特別な友達』なのだから、もっと自分たちを頼って欲しい。自分たちはいつだって味方、どんな時でも支えになる――彩華さんの言葉で、あの時の僕はどれほど救われただろうか。


「……多分、その時の言葉がきっかけだったと思います。僕は、色々な物事に自分から挑戦できるようになりました。勿論、今でもつい自己嫌悪を起こしてしまったり、失敗してしまったりする事はあります。でも、彩華さんが僕の『人生のレール』を修繕してくれたお陰で、例え緊張しても落ち込んでも、それでも前へ進める自信と勇気を得る事が出来たんです。それに、『友達』の大切さも」

「……ほう」

「確かに、玲緒奈さんの言う通り、全てが完全に正しいなんて事は無いと思います。でも、もし間違えた道に進みかけた時は、僕と彩華さん、互いにそれらを修正し、指摘し合えば良いと思うんです。そのためにも、僕は彩華さんと同じ学校へ転入するのが最善の道ではないか、と僕は信じています。僕たちはこれからも、彩華さんと一緒に『協調運転』をしたいんです」

「……協調運転……?」


 何だそれは、と尋ねているような言葉を口から漏らした玲緒奈さんの様子に、僕は少し慌てながら何とか解説をした。鉄道関連の用語で、連結した2つの列車同士でブレーキ系統や電気系統が繋がれ、一方の列車の運転士によって双方の列車の加減速などの操作が可能になっている運転方法だ、と。例として、昔の碓氷峠に存在した電気機関車と電車、現在の北海道や昔の九州に存在した電車と気動車の連結などが挙げられる、という点もつい早口になりながらも教える事が出来た。


「……なるほど……君と彩華の間の繋がり、という事か……」

「は、はい……」


 そして、僕は言葉を続けた。もしかしたら、彩華さんも僕も間違えてしまった時はどうすれば良いか、という心配もあるかもしれない、と玲緒奈さんから指摘される前に先手を打つ事を意識しながら。


「でも、その時には『教頭先生』という頼もしい味方がついてくれています。僕たちよりも人生経験が豊富で、多くの人たちの心や暮らしを知っている教頭先生なら、過ちを事前に止めてくれるはずだと信じています。それに……」


 僕たちには会員制クローズドSNS、『鉄デポ』という頼もしい仲間たちが集う空間がある。そこには様々な考え、様々な生き方、そして様々な活躍を見せ続ける仲間たちがいる。みんな、単に仲良くしてくれているだけではなく、おかしいと思った事はしっかり指摘してくれたり、悩んでいる時は共に真剣に考えてくれる。時にはつい注意されたり叱られたりしてしまう時もあるけれど、それは『鉄デポ』の仲間を大切に思っているからこそ。『鉄デポ』の皆がいれば、皆と一緒に考えれば、過ちも最小限に抑えられるはずだ――そう語ったうえで、僕は、彩華さんの父さんである玲緒奈さんに、感謝の気持ちを込めて頭を下げた。


「……彩華さんから聞きました。友達がいない事に悩んでいた彩華さんに『鉄デポ』の存在を教えたのは玲緒奈さん、彩華さんの父さんだって」

「……そうか……その事も彩華から聞いたのか……」

「はい……もし彩華さんが僕を誘わなければ、教頭先生を含めた素晴らしい仲間たちに出会う事はありませんでした。本筋からずれますが、彩華さんに『鉄デポ』を教えた事に対してお礼を言わせてください。本当にありがとうございます」

「うむ……」


 そして、僕は改めて、はっきりと、玲緒奈さんに思いを告げた。


「綺堂玲緒奈さん。どうか、僕と彩華さんを、もう一度だけ一緒に居させてください。同じ学校の制服を着て、同じの場所で、同じ体験を共有する機会を与えてください。ふたりで『鉄道』を『好き』でいられる時間を与えてください」

 

 全ての責任は、僕が背負います――その言葉に対し、玲緒奈さんは今までにない程厳しく、冷たい声を返した。


「……二言は無いな?」


 まるで首元に刀を突きつけられるような感覚を味わいながらも、僕は決して怯む事は無かった。

 僕と彩華さんは、世界一頑丈な連結器やジャンパ線、ブレーキ管で繋がれた『特別な友達』。その繋がりは、どれだけ鋭い刃物でも決して切れる事は無いからだ。


「……勿論、ありません」


 その言葉を僕が発した後、この大きな部屋の中をしばらく沈黙が包んだ。

 僕の横では、彩華さんがまるで祈るかのように両手を組み、父さんである玲緒奈さんへ向けて頭を下げ続けていた。僕のと彩華さん、ふたりの共通する思いを叶えて欲しい、と願うかのように。

 後ろでも、執事長である卯月さんがそっと目を閉じ、頭を下げていた。自分も思いは同じである事を示すかのようだった。


 そして、そんな僕たちの光景をじっと眺め続けていた玲緒奈さんは、突然ゆっくりと豪華な椅子から立ち上がり――。


「……和達譲司君」

「……は、はい……!」


 ――唐突に、僕の名前を呼んだのである。

 いきなりの事に、つい返事を噛んでしまった僕をじっと見た玲緒奈さんは、気にしないかのように言葉を続けた。


「……君と、更に話を続けたくなった。今から『私の部屋』へ来て欲しい」


 玲緒奈さんがそう言った瞬間、僕の隣からえっ、という驚きの声が漏れた。その方向を見た僕の瞳に映ったのは、明らかに驚愕したような彩華さんの顔だった。更に僕の後ろでも、卯月さんを始めとする執事さんたちが驚きの表情を露わにしていた。

 でも、そんな様相の面々を放置するかのように、玲緒奈さんは僕に椅子から立ち上がり自分についていくよう促した。僕に出来たのは、不安混じりの瞳で見つめる彩華さんや卯月さんに見送られつつ、その指示に従う事だけだった。

 

 何故全員揃って深刻そうな感情を露わにしたのか、まだこの時の僕は知らなかった。

 綺堂家当主・綺堂玲緒奈さんが、2度しか会ったことが無い客人を自身の部屋に招き入れるのは、天地がひっくり返るほどの異例の事態である、という理由を。

 そして、娘である彩華さんですら、父である玲緒奈さんの部屋に入った事は数えるほどしかない、という事実を……。

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