第148話:一世一代の大説得・前編

「疲れただろう、座りたまえ」

「あ、はい……ありがとうございます……」


 よく響く低音に促されながら僕がゆっくりと座った位置は、声の主――大富豪・綺堂家の当主である綺堂玲緒奈さんの目の前だった。

 横にその娘である彩華さんが座り、後ろには執事長の卯月さんや使用人、執事の皆さんが姿勢を正して立ってくれているけれど、僕の心の中から一気に溢れ始めた緊張感、ここで失敗したら後は無いという不安混じりの思いはなかなか抑えられなかった。豪華そうな装飾が施されたふかふかな椅子も、玲緒奈さんの後ろに並ぶ、ヘッドマークや行先表示のサインボード、様々な貴重な写真といった鉄道関連のコレクションも、たっぷりと五感で味わう余裕はなかった。しかし、それも当然だろう。僕はこれから、経済を片手で動かしかけない程の財力を持つ玲緒奈さん相手に、一世一代の『勝負』を挑む事になるのだから。


 しばらくの間、テーブルを挟んで互いの顔をじっと見つめあった後、先に声を発したのは彩華さんの父さんこと玲緒奈さんだった。


「……和達譲司君、だね。娘がいつもお世話になっているよ」

「……こ、こちらこそ……彩華さんにはいつも助けられています……ありがとうございます」

「それは良かった……それで、我が綺堂家の『鉄道』にまつわる様々な光景、どうだったかね?」

「えっ……そ、その……」


 挨拶もそこそこに、いきなり本題と関係ない話題を振られて一瞬拍子抜けしてしまった僕だけれど、何とか気持ちを立て直して、素直に感想を述べる事が出来た。

 丁寧に整備された線路や踏切、屋敷を守るように並ぶ蒸気機関車、そして屋敷の中を網の目のように走り様々な物品を配達する鉄道模型。彩華さんを含めた綺堂家の皆さんが、心の底から『鉄道』という要素を大切にしており、様々な形で『好き』という感情を溢れさせているようで、鉄道オタクの端くれとしてとても素敵な光景だった――鼓動が速くなるのを感じながらも、僕はしっかりと言葉を並べた。


「まるで、夢が現実になったような素晴らしさでした……」

「そうか、それは何よりだ」

「はい……」


 そこから、玲緒奈さんは話を続けた。そんな『鉄道屋敷』を僕は訪れた目的は、既に彩華さんや執事長の卯月さんによって把握している、と。


「単に綺堂家が誇る鉄道のコレクションを堪能しに来た訳ではないのだろう?」

「……はい、その通りです」

 

 そして、改めて僕は尋ねられた。何故、綺堂家の当主たる自分自身に会いに来たのかを。

 唾を飲み込み、決意を固めた僕は、はっきりとその理由を口にした。


「彩華さんを、僕と同じ学校へ転入させてください」

「……それは、あの『教頭』がいる学校か?」

「はい、以前彩華さんの父さん……玲緒奈さんのもとを訪れたと聞く、あの教頭先生の学校です」


 これで、僕の退路は完全に断たれた。後は、成功するか、失敗するか、2つの未来があるのみだ。

 そう覚悟した僕の心は、早速試練に立たされた。そう思うのも無理はない、君は彩華にとってかけがけのない『特別な友達』だからな、と一旦は僕の思いに同感する言葉を述べた玲緒奈さんだけれど、すぐにそれに関してこちらも述べたい事がある、と僕の発言に対してどこか不服そうな言葉を述べてきたのである。その理由を説明するかのように、玲緒奈さんは近くにいた男性の執事さんに、資料を用意するよう命じた。そして、執事さんはすぐさま近くの棚から何枚もの紙の資料を用意し、机の上に並べ始めた。僕の隣でそれを見た彩華さんの顔は、明らかに嫌悪の感情に満ち溢れていた。


「和達譲司君、恐らく君はしっかりと考えた上で、例の教頭の学校へ彩華と共に通いたいという選択肢を選んだのだろう。だが、生憎こちらも同じように、しっかりと考えた上で『学校』を選ぼうと考えているところでな」


 ここに並べたのは、候補として挙げられている学校の資料だ。手に取って読んでみると良い――その言葉に従い、何枚かの手に取った僕は驚いた。それらは、僕のような『庶民』では決して通えなさそうな、所謂『セレブ』向けの学校に関するパンフレットだったのである。

 どうしてそれらの名前を知っているのかと言うと、僕も転入希望先を決定する前に冗談交じりでこれらの学校を調べていたからである。勿論中には女子校もあったけれど、そういった性別上の問題を抜きにしても、高度な内容のカリキュラム、全国規模で実績を残す部活動、綺麗な制服に豪華そうな校舎、そして何より僕たち庶民ではなかなか厳しいほどの高額な入学料など、どう考えても僕が転入することなど夢のまた夢な場所だった。つまり、これらの『候補』に彩華さんが転入してしまうと、一庶民である僕との繋がりが大きく断たれてしまう可能性がある、という訳だ。

 

 僕が一通り資料に目を通し、焦りに似た感情が顔に表れ始めたのを見計らったかのように、玲緒奈さんは語り始めた。


「入学先を決めたあの時、彩華は自らの未来に対する『大きな過ち』を犯してしまった。勿論、和達譲司君という素晴らしい逸材、一生ものの『特別な友達』に出会えたという例外があったのは認めるが、それ以外は全て彩華の心身を絶え間なく蝕む要素しかなかった。敢えて言葉を選ばなければ、『害悪』だな」


 そんな中で娘が苦しむ光景は、親として二度と見たくない。だからこそ、一通り考え、悩んだ末に結論を出した。今度は玲緒奈さんの娘である彩華さんの意志に左右される事無く、自身の権限のみで未来を決定する。今後後悔する事が無いように――玲緒奈さんは、そう語った。


「えっ……」

「そして、私はこれらの学校を含めた候補から、彩華にふさわしい学校はどこか、間もなく結論を出すところだ」


 彩華さんの考えは無視するのか、とつい言葉を荒げてしまった僕に、彩華さんの父さんである玲緒奈さんは冷静な口調を崩さず反論した。人生経験が足りない『娘』の意志が入ってしまったからこそ、あのような凄惨ないじめに遭ってしまったのではないか、と。それを聞いて、あの地獄のような日々を思い出してしまい、つい黙り込んでしまった僕へ追撃するかのように、玲緒奈さんは言葉を続けた。


「済まないが、これは決定事項だ。彩華にふさわしい『人生のレール』は、私が敷く。苦しい峠道や辛い急曲線を避けた、安泰で幸福なルートを経由する形でな。わざわざ遠いところから来てもらったところ残念だが、どうやら君と話す事は無さそうだ。そうだ、折角だから、我が屋敷に散らばる鉄道コレクションでも存分に楽しんでいってくれたまえ。これが、私の大切な娘と『特別な友達』になってくれたせめてものお礼……」

「待って、お父様!!」


 会話の主導権を握り、この僕、『和達譲司』の説得を受け付けるつもりはない、という強固な意志を示そうとした玲緒奈さんに対し、立ち上がって言葉を荒げたのは、僕の隣で無言で我慢し続けたであろう彩華さんだった。


「さっきから聞いていれば、私だけではなく譲司君の意見も無視するなんて!私はどうなっても構わないけれど、譲司君を馬鹿にするのは幾ら父でも許せないわ!お父様、それでも貴方は綺堂グループの当主なの!?皆の意見に耳を傾ける理想の上司と言う姿は偽りなの!?」


 例え自分の父であっても、『特別な友達』を罵倒されるのは絶対に許せない――そんな頼もしさをはっきりと示した彩華さんに続き、その後ろに立っていた卯月さんも、お言葉ですが、という前置きを加えながら、真っ向から玲緒奈さんを批判した。和達さん=この僕はずっとここまで様々な人と交流し、自分の未来をじっくりと考え、その上で大きな覚悟を持ってこの場所へと赴いた。にもかかわらず、既に決まった事だ、という素っ気ない態度で追い返すのは、折角訪れた客人に対してあまりにも無礼なのではないか、と。

 そういえば、卯月さんは綺堂家に辿り着く前、こんな事を言っていた。綺堂家に仕える執事長として、良い解釈が出来なかったり綺堂家自体に悪影響が及びかねない事態に及んだ時は、例え目上の『旦那様』や『お嬢様』であろうが、はっきりと反論するのが自分の仕事だ、と。まさにその実例を、僕は目撃しているような気がした。


 彩華さんだけではなく卯月さんもはっきりと味方に付いてくれた事に、一瞬嬉しさを感じた僕だけれど、その思いは玲緒奈さんによってあっという間に崩された。玲緒奈さんは厳しい表情で『横槍』を挟み込んできた彩華さんと卯月さんを睨みつけ、まるで叱りつけるような低音でこう語りだしたのである。


「……彩華、お前はいつになったら懲りるのだ?また『安易な感情』に流されて、碌でもない事態を繰り返すつもりなのか?」

「で、でも、お父様!少しは譲司君の意見を聞いても……」

「その『和達譲司君』の選択肢には、お前の意志も加わっているのだろう?譲司君と一緒の学校に行きたい、とな」

「……そ、それは……で、でも譲司君と一緒なら……」

「辛く厳しい環境でも、『特別な友達』が一緒だから一緒に乗り越えられました。加えて、頼もしくて強い仲間もいっぱいできました。そのお陰で、逆境を乗り越える事が出来ました。めでたしめでたし、はい、おしまい。そんな都合の良い物語・・・・・・・が、もう一度起きるとでも思っているのか?」

「……」


 自分の意志を尊重させた結果学校選びに失敗した、という実例を嫌というほど突き付けられてしまった彩華さんは、言い返せない悔しさで目を潤ませながら黙り込んでしまった。

 続けて、玲緒奈さんは執事長である卯月さんにも、このような厳しい言葉を向けた。


「そもそも、学校の選択を誤り、途中で転入させるという事態を招いたのは、執事長である君の責任も大きい。その事は知っているな?」

「はい、承知の通りです……」

「彩華の味方をして、私に助言をした自分自身にも落ち度がある、と述べ、自らの給料を返納した……」

「はい、旦那様。はっきりと覚えています……」


 その発言を翻すつもりなのか。自分自身に『娘』を不幸を招く選択を導いた責任の一端はお前にもある事を忘れたのか――そう言われた卯月さんは、申し訳ありません、と述べるしか選択肢が無かった。

 そして、とどめと言わんばかりに玲緒奈さんは言った。自分は今、『和達譲司君』という存在と話している。口を挟むな、と。それはまるで、この僕、和達譲司への『援護』を全て封じ、孤立無援の戦いを強いているような状況だった。

 それでも、椅子にもう一度座った彩華さんは僕に視線を向け、無言でゆっくりと頷いた。私の分まで頑張って欲しい、相手がどれほど強くても絶対に諦めないで欲しい、そんな気持ちが込められているようなものだった。更に、後ろに視線を向けた僕に、卯月さんも同じような頷きを見せてくれた。


「……どうした、和達譲司君?その椅子の座り心地が気に入ったか?なら、もう少しゆっくりしていっても……」


「……帰りません」

「……ほう?」


「……僕は、帰りません。綺堂玲緒奈さん、貴方を説得するために、彩華さんと同じ学校へ行くという『のぞみ』を叶えるために、僕はここにやって来たのですから」


「……私を説得か……」


 面白い事を言う――呟くように述べた玲緒奈さんの声は、『和達譲司』という存在に宣戦布告をするようにも、挑発するようにも聞こえた。でも、どういう訳か、不思議と楽しそうな雰囲気も感じた……。

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