第146話:豪邸への道

「これが……綺堂家の入り口……」

「ええ、お嬢様や旦那様が待つ場所に通じる『出入口』の1つです」


 素敵でしょう、と冷静な口調ながらもどこか自慢げな雰囲気を見せながら語る卯月さんに、僕は大きく頷いた。

 一時停止した卯月さんの車の前にそびえ立っていたのは、どこまでも続くレンガ造りの壁の中に忽然と現れた、巨大な門だった。閉じられている扉は非常に大きく、元から背が小さめというのもあるけれど僕よりもはるかに大きかった。でも、その強固さや頑丈さよりも僕が気になったのは、その『門』の形状だった。トンネルのように切り開かれた出入口、その上に存在するのは家を思わせる三角屋根。僕は、このような形状の建物を以前にも写真で見た記憶があったのだ。そう、これはまるで――。


「……これって……赤レンガ車庫……?」

「ご名答です、和達さん」


 ――日本各地の鉄道の車庫に建てられたレトロな機関庫、俗にいう『赤レンガ車庫』にそっくりなのだ。

 屋敷を建造する際に、当時の鉄道車庫を模してこの車庫によく似た構造の門が設計された、と卯月さんはその理由を語ってくれた。当時の当主もまた、お嬢様こと綺堂彩華さんと同様に大の鉄道オタクだった、という事情も含めて。

 そういえば、今ほど鉄道趣味が一般的ではなかった時代、『鉄道オタク』というのは貴族や富豪など高貴な人たちが目立っていたと聞く。勿論、今の鉄道オタクにも会社の社長や大病院の院長など高い立場の人がいるけれど、そういった人たちが本気を出すとこういう形の建物まで作るのか、と僕は妙に感心した。

 一方、そんな僕の横で卯月さんはスマートフォンを取り出し、誰かに僕が到着した旨を報告した。すると、『赤レンガ車庫』を模して造られた門の扉が、僕たちを招き入れるかのようにゆっくりと開いた。


「さあ、中へ入りましょう」

「は、はい……!」


 卯月さんが運転する車は『車庫』の中と進み、まるで短いトンネルのような通路を潜り抜けた。まるで、僕を現実世界と隔絶した場所へと導くかのように。

 やがて、トンネルを抜けた先に広がっていたのは――。


「……!?」


 ――『車庫』どころではない、鉄道が『好き』という気持ちが溢れ続けている空間だった。

 

 中央にそびえ立つのは、西洋風の城というよりも、どこか東京駅を思い起こさせるような巨大な建物。

 その周囲に広がる、瑞々しい緑色に満ちた庭の周囲を取り囲むように設置された線路や、道路や歩道と交差する場所に設置された幾多もの踏切。

 そして、これらの建造物を守る獅子や狛犬のように、中庭に並んで設置された、炭水車たんすいしゃを連結した2両の巨大な幹線用テンダー式蒸気機関車。


「す……凄い……!」


 鉄道オタクが思い描くであろう、鉄道に囲まれた暮らしがそのまま形になったかのような光景を見て、つい思いが声に出てしまった僕を、卯月さんは表情にこそ出さなかったようだけれど温かいような目で見つめてくれた。

 

 やがて、車は中央の巨大な建物――彩華さんやその父さんが待っているはずの綺堂家の屋敷へと進んだ。その間、卯月さんは踏切に近づく度に何度も一時停止し、左右を確認して安全確認をする事を怠らなかった。ここは綺堂家が所有する私有地だし、そこまでこだわらなくても良いのではないか、と一瞬思ってしまった僕だけれど、すぐにそれが浅はかな考えである事に気が付いた。卯月さんは『執事長』という、彩華さんや当主の玲緒奈さん、執事さんや使用人の皆さんの手本とならなければならない存在。いかなる場合でも模範的な行動を心がけているのだ。それに、よく見ると道路と交差しているレールに錆は少なく、きれいに磨かれている。頻繁に整備されている証拠だ。

 良からぬことを考えてしまった僕に反省しつつ今後のために見習わないと、と意気込んだ僕は、気持ちを切り替えるべく卯月さんにこのような質問を投げかけた。今は何も走っていないけれど、この線路の上を本物の鉄道車両が走る事は実際にあるのか、と。


「ええ、時折走りますね。こちらの線路の幅は1067mmですので、それに適した車両を定期的に運行させて、線路の錆を落としています」

「なるほど……廃止前の梅田貨物線のような……」

「流石、よくご存じですね」

「ありがとうございます……って……」


 さらりと述べた卯月さんの言葉を聞いて、僕の脳裏にある言葉が浮かんだ。『綺堂コレクション』――僕を含めた鉄道オタクの庶民の間でまことしやかに囁かれている、鉄道に関する謎のコレクションである。

 日本各地の鉄道車両や様々な施設を収集し、どこかに保存している。その中には、名義上は解体されて存在しないとされている車両も密かに集められ、復元される日を待っている。ネットにより多くの情報があっという間に共有されるようになった今でも、その全容どころか本当にそのようなコレクションが存在するのかどうかすら明らかになっていない。

 ずっと昔の僕なら、そう言う話を聞いても本当なのだろうか、と眉に唾を付けそうな印象を受けていたけれど、彩華さんと出会ってから少しづつその印象は変わり始めた。特に、彩華さんがその『綺堂家』の一員である事を知ってから、僕の中でこのコレクションに関する信憑性は格段に増していた。


 そして、僕は勢いに乗る形で、ずっと心の中にあった疑問を卯月さんに投げかけた。

 もしかして、この踏切も線路も、あの2両の蒸気機関車も、錆取りのために走る列車とやらも、そしてあの赤レンガ造りの車庫のような門も、全て『綺堂コレクション』に該当するものなのか、と。


 でも、卯月さんの答えは、思ったよりも素っ気ないものだった。


「……それについては、ご想像にお任せします」


 若干何かを濁したような、何かを隠しているような雰囲気だったのが気になった僕だけれど、綺堂家の屋敷に視線を向けた時、卯月さんが何故そのような事を言ったのか、その意図が読めたような気がした。この僕、和達譲司が現状最も大事にしなければならないのは、『綺堂コレクション』に対しての興味を露呈する事ではなく、あの東京駅のような形をした巨大な屋敷で待っている、彩華さんの父さんこと綺堂家の当主・綺堂玲緒奈さんを説得する事。鉄道要素に夢中になるのも良いけれど、それを忘れてはならない、というのを教えてくれていたのかもしれない、と僕は感じた。

 もし説得に成功した後もずっと心の中に気になる思いが残っていたとしたら、そこで尋ねれば良いだけの話。今、出来る事を頑張ろう――そう決意を新たにしている間にも、車はあの『狛犬』のような2両の巨大テンダー蒸気機関車の間を通り過ぎ、威厳ある姿を見せる巨大な屋敷へと近づき続けた。


 そして、僕たちが乗った黒づくめの車はゆっくりと速度を落とし、目的地である屋敷の入口へと到着した。

 先に降りた卯月さんによって丁寧に開かれた扉からゆっくりと降りた僕の耳に入ってきたのは、優しくも頼もしい、何度聞いても素敵な響きの声だった。


「おはよう、譲司君!待っていたわ!」


 そこにいたのは、黒いスーツを着込んだ男の人や女の人に囲まれながら嬉しそうに手を振る、レース付きのお洒落なドレスに身を包んだ綺堂家の令嬢、綺堂彩華さんだった……。

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