第145話:時には味方、時には相手

「譲司、迎えが来たわよ。早くしなさい」

「う、うん……!」


 その日の朝、自室で最後の準備や確認をしていた僕は、母さんから急かされるような声をかけられてしまった。

 入念に確認し過ぎるのも考え物だったかもしれない、とちょっぴり反省しつつ、僕は自室の扉を開け、軽めの荷物が入ったリュックサックを背負いながら急いで玄関へと向かった。

 

 服装については気にしないで欲しい、ラフな格好でも大丈夫だ、と連絡は受けていたものの、今から訪れるのは様々な偉い人たちが頻繁に訪れるであろう大富豪の豪邸。粗相のないように、と考えた結果、父さんや母さんのアドバイスを受けた僕は白いワイシャツや黒色のズボンという比較的礼服っぽい感じの服を選ぶことにした。流石に今日ばかりは鉄道モチーフというこだわりを捨てないといけない、と考えながら。

 そう、僕はこれから、大富豪・綺堂家に赴き、その当主である綺堂玲緒奈さんに、娘である綺堂彩華さんの進路について直接意見を伝えるのだ。


「母さん、父さんによろしくね」

「……分かったわ」


 平日という事もあり、父さんは既に会社に行っているので、僕の見送りは母さんだけだった。


「譲司、本当に大丈夫……?」

 

 心配そうに尋ねる母さんの顔をじっと見つめつつ、僕は、ずっと父さんや母さんが応援してくれたのだから大丈夫だ、彩華さんと一緒の学校へ通える未来を掴んでみせる、と伝えた。

 今まで何度も口に出し続けたこの言葉が本当に叶うのかどうか、その確証はまだ僕の中には存在しなかった。当然だろう、ここからの未来の事は誰にも分からないのだから。でも、そんな『分からない』という緊張感が、逆に僕の姿勢を正し、真剣な思いを維持させてくれる事に貢献してくれているように感じた。

 そして、玄関先で待つスーツ姿の執事長こと卯月さんは、丁寧に頭を下げながら、心配が拭えなさそうな母さんに言葉をかけた。


「和達譲司さんの心身の安全は、この私、大谷卯月が責任をもってお守り致します」

「……ありがとう。私の息子を、よろしくお願いします」


 それでは行きましょう、という声に促されるかのように、僕は母さんに手を振り、家の近くの駐車場に停めていた卯月さんの車へと向かった。

 今まで何度か卯月さんの車にはお世話になったけれど、今回はそれまでのような僕の家にもありそうなタイプの自家用車やマイクロバスにも流用できそうな大型車ではなく、いかにも『富豪』と言った風貌の、黒づくめの豪華な車が僕たちを待っていた。そして、前方にはどこか0系新幹線を思い起こさせるようなエンブレムが備わっていた。


 やがて、助手席に乗った僕と共にシートベルトをしっかり締めたのを確認した卯月さんは、車をゆっくりと発進させた。


「……卯月さん……」


 過ぎゆく景色に目線を向けつつ、無言の時間を過ごし続けていた僕は、ふと心の中に湧き始めた疑問を解消するべく、安全運転を遂行中の卯月さんに尋ねた。綺堂家に仕える身分である執事長の大谷卯月さんとしては、今回の一件――僕と一緒の学校に転入したい、という彩華さんの思いと、それに対する綺堂家当主にして彩華さんの父さんである綺堂玲緒奈さんの悩みについて、どのように感じているのか、と。


「……それは、『綺堂家の執事長』としての意見を聞きたいのですか?それとも『大谷卯月』個人の意見を聞きたいのですか?」


 質問を返された僕は、双方の意見を聞きたい、と敢えて欲を張る事にした。

 しばらくの間考えるような声をあげた卯月さんは、赤信号で車が停まったのにタイミングを合わせるかのように、述べられる範囲で自身の正直な思いを述べてくれた。


 まず、『綺堂家の執事長』としては、当然ながら雇い主である当主の玲緒奈さんの意見に従うのがまず最優先だ、と語った。例えそれがお嬢様=彩華さんの意見に反するものだとしても、玲緒奈さんの意見ならばある程度は仕方ない、と受け取りたい、と言葉を続けながら。


「ただ、閾値いきちを超えた場合は例外です」

「閾値……限界を超えた時……」

「ええ。綺堂家を支える執事長の立場として、どうしても良い解釈が出来なかったとき、納得できなかったときなどは、例え当主である綺堂玲緒奈様とはいえ、しっかりと意見を語るつもりです」


 その言葉を聞いて、僕は例の学校――あの理事長が率いる、鉄道オタクへの憎悪が渦巻く学校へ彩華さんが入学するきっかけの1つが卯月さんの助言だったという事を思い出した。きっとあの時、卯月さんの中でどうしても玲緒奈さんが彩華さんの考えに猛烈に反対する状況を受け入れる事が出来ず、当主と対立する立場になってもなお彩華さんの味方になってくれたのかもしれない。結果的には玲緒奈さんの懸案が当たってしまった格好になってしまったけれど、同時に彩華さんはこの僕、和達譲司と出会うことが出来た。もしかしたら卯月さんは、その僅かな希望――『友達』に出会えるかもしれない、という未来に賭けた上で、彩華さんを応援したのかもしれない、と僕は思った。

 

 一方、『大谷卯月』さんという個人ではどのように捉えているか、という事については、残念ながら卯月さんは言葉を濁してしまった。ご想像にお任せします、という曖昧な回答と共に。


 でも、その理由は納得できるものだった。

 あの学校へ入学するまでの一件も含め、僕は彩華さんから卯月さんがとても信頼が置ける人だという事を何度も聞いている。そんな僕に対して、卯月さんがここではっきりと自分の立場を示してしまったらどうなるだろうか。反対意見を言われてしまえば間違いなく僕はここで凹んでしまい、逆に賛成意見を語られると逆に舞い上がってしまい、卯月さんがいるなら大丈夫だろうという依存心を生み出してしまう。


「和達さんのためにはならない、そう判断したうえで、回答を避ける事にしました」


 申し訳ありません、と言う卯月さんに、僕は慌てて、こちらこそ変な質問をして申し訳ない、と謝った。

 

「卯月さんの立場がとても複雑なのを忘れていました……」

「和達さんが気にする必要はありません。どちらの味方にもなり、どちらの相手にもなる。それが、私が選んだ仕事です」


 それに、今のお嬢様=彩華さんの方が、きっと頼もしい『味方』になってくれるだろう、と卯月さんは語ってくれた。


「……確かにそうかもしれません。彩華さんは、僕の事をずっと応援してくれていますから……」

「綺堂家が誇る、素晴らしいお嬢様ですからね」

「でも、僕は卯月さんも彩華さんに負けないぐらい頼もしいと思いますよ。綺堂家の皆さんや執事の人、使用人の方々のために、日夜頑張っているんですから」

 

 そんな状況の中で僕の事も支えてくれたり、『鉄デポ』の皆を送迎してくれたり、いつも本当にありがとうございます――僕は、改めて卯月さんに日頃の感謝の言葉を述べる事が出来た。

 若干の間を置いた卯月さんの回答は、いつも通りの冷静沈着な口調だったけれど、心なしか普段よりどこか嬉しそうな、もしくは照れていそうな感じにも聞こえた。


「……こちらこそ、ありがとうございます。和達さんの言葉、執事長として冥利に尽きます」


 そんな会話をしているうち、車の窓の外に臨む景色から見慣れた街の光景は薄れ始め、代わりに木々が周りを覆い始めていた。鬱蒼とした雑草だらけの近所の森とは少し趣が違い、しっかりと整備されていて木漏れ日が差しており、森林浴をすると気持ちよさそうな雰囲気だ。その光景に夢中になった僕に気づいたかのように、卯月さんは注意を述べた。ここから先、綺堂家の屋敷やその周辺で撮影した写真や動画、収録した録音などを『綺堂家』や関係者以外の人々に公開するのは禁止だ、と。つまり、例えここから進む先にある光景を写真に記録したとしても、彩華さんや卯月さん、そして当主である玲緒奈さん以外の人には見せられない、という訳だ。

 プライバシーの観点を始め、しっかりとした理由があるはずだ、と感じた僕は、しっかりと了承の言葉と頷きを返した。そして、緊張を少しでもほぐすために、敢えてこういう冗談めいた質問も投げかけておいた。


「あの……心の中に焼き付けておく、というのは大丈夫でしょうか……?」

「それを外部に漏らさない限りは構いませんよ」

「あ、ありがとうございます……」


 卯月さんの丁寧な返答に少し恐縮していた時、突然車が速度を緩め、一時停止した。一体どうしたのだろうか、と前を見た僕の目に飛び込んだのは、道路を遮るようにそびえたつ『門』と、その横に広がるレンガ造りの壁だった。

 いよいよ謎のベールに包まれた屋敷の中に入る事に緊張し、生唾を飲み込んだ僕へ向けて、卯月さんは声をかけてきた……。


「和達さん、ここからの『綺堂家』の光景、心に焼き付けておいてくださいね」

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