第143話:気動車万事塞翁が馬
「なるほど……あの鉄道のキハ1形の事ね」
「う、うん……流石彩華さん、よく知ってるね」
とある関東の大手私鉄が運営コストの削減を見込んで導入しながらも、エンジンの故障、パワー不足、更には戦争などの影響で見事に大失敗に終わり、主役として活躍した期間が僅かに終わってしまった、8両の気動車。
こういったジャンルに非常に明るい彩華さんは、僕の拙い解説を聞いただけですぐにその気動車が何なのか思い当たったようだった。
そして、その車両の顛末を第二次世界大戦前の気動車を集めた本で読んでしまった僕が複雑な気持ちになってしまった事も、彩華さんは笑うことなくスマートフォン越しに耳を傾けてくれた。安易に未来を決めるのも駄目だけれど、慎重に慎重を重ねて未来を決定しても、あの気動車=『キハ1形』のように大失敗してしまう場合もある。ますます転入先の学校を正式に決定してよいのかどうかという不安が増大してしまったという旨を、彩華さんは真剣に聞いてくれたのだ。
「……まあ、確かに『安物買いの銭失い』と批判されても仕方なかったわね。デザインは素敵だしコンセプトも悪くなかったけれど、戦争を抜きにしても肝心の性能が悪かったとなると……ね」
「うん……」
ところが、彩華さんはどこか明るい声で述べた。確かにここまでなら『完全なる失敗談』かもしれない。でも、その後これらの8両の気動車が辿った生涯を知っても、そう断言できるのか、と。
どういう事なのか、と尋ねた僕に、彩華さんは嬉しそうに、まるで僕に歴史を教える『先生』のように、主役の座を退く羽目になった気動車の運命について語り始めた。
まず、これらの気動車のうち、2両は早期に大手私鉄から東京の別の私鉄に売られてしまったけれど、その後すぐに茨城県にかつて存在したとある非電化私鉄へ売却された。そこには他にも様々な気動車が活躍しており、2両の気動車はそれらに混ざって主役として使用された。その過程でエンジンをそれまでのガソリンエンジンからディーゼルエンジンへ改造されたり、1両について流線形の前面が改造されてのっぺりしたティッシュ箱のような車体になったり、色々な変化はあったけれど、1970年代に廃車されるまで活躍が続いたという。
「舞台が変わっても、気動車として活躍したんだね」
「そうね。この2両は最後まで気動車として走り続けたメンバーよ」
「え、という事は、残りの6両は……?」
「ふふ、その6両はね、『電車』に生まれ変わったのよ」
「えっ……気動車が、電車になった?」
彩華さん曰く、大手私鉄に残った6両は、当時その私鉄の傘下にあった神奈川県の私鉄へ譲渡され、燃料不足が深刻化する中で木炭を燃料にしながら何とか第二次世界大戦中の厳しい情勢下を走り続けた、という。そして戦争が終わった後、これらの気動車はエンジンを外された上で、電化が完了したこの私鉄の電車と連結して使用されるようになった。運転台があるけれどモーターが無い、鉄道用語でいう『
更に、これらの車両は車体の改造も実施され、どこかレトロフューチャーな流線形から中央に扉がある普通の電車でよく見かけるような前面形状に改造された。すなわち、電車の一員として今後も重宝される事が約束された、という訳だ。
その後、残念ながら1両は事故で廃車されてしまったけれど、残りの5両は引き続き活躍し、新型電車が登場した事による置き換え後も日本各地の地方鉄道や工場へ売却された。
「え、工場?」
「工場へ向かう通勤客を乗せる専用鉄道の事よ」
「あぁ、なるほど……」
その中で、茨城県の日立市にかつて存在した電鉄路線へ譲渡された2両は、日本各地から集まった様々な電車たちと共に長きにわたって活躍を続け、最終的に引退したのはなんと平成初期となった。
主役の座を早期に降ろされ、自力で走行する事すら出来なくなってしまったけれど、最終的にはそのような悲劇的な運命など気にしないかのように見事長寿を全うしたのである。
「へぇ……そんな事が……」
「ふふ、面白い話でしょう。たかが『鉄の塊』にも、数奇な運命が待っているのよね」
「そうだよね……」
これだから鉄道趣味はやめられない、という彩華さんの言葉に、僕は少しだけ同意の笑い声を返した。
そして、彩華さんは1つのことわざを口にした。『人間万事塞翁が馬』、このキハ1形の生涯が教えてくれる教訓だ、と。
「確かに、譲司君が思う通り、未来に対して慎重になる気持ち、凄い分かるわ。私だって、将来が絶対に不安にならない、なんて事は無いもの」
「そ、そうなんだ……」
「でも、このキハ1形のように、最初こそ大失敗したけれど、結果的に多くの鉄道の運営、多くの人たちの移動に貢献した鉄道車両だってある。未来がどうなるのかなんて、誰にも予想は出来ないわ」
だからこそ、『楽しい未来』を前提に物事を決めてしまうのも悪くないんじゃないか――彩華さんは、電話越しに力強く語ってくれた。
「明るく幸せな未来を過ごしたい、そう考える気持ちは誰にでもある。それは決して悪い事や恥ずかしい事じゃと思うの」
「彩華さん……」
「もしそれにケチをつけるような人がいたら、屁理屈でも何でも理由を考えてボコボコに反論すれば良いじゃない。私、そういう事を考えるの得意だから」
ちょっと意地悪そうな言葉の裏にある真意を、僕はある程度察する事が出来た。
僕の選択に対して『ケチをつける人』――彩華さんの父さん、綺堂家当主である綺堂玲緒奈さんがどれほど反論してこようが、頑張って自分の意志を伝え続けてみればよいのではないか。『説得する』という意志を堂々と示したのだから、ガツンと一発ぶちかましてみたらいいのではないか。そして、そのために自分の『好き』を貫けそうな選択肢を選んでも、悪くないのではないか。
やっぱり、彩華さんの持つ心の強さにはまだまだ敵わない、と僕は感じた。幾ら格好良い所を見せようと頑張っても、追いつけないところがある。いや、むしろ僕は、無理に彩華さんを追い越そうと勝手にもがき苦しんでいたのかもしれない。
「……彩華さん、やっぱり凄いよ」
「そう?」
「あの時、格好良い言葉を口にしたつもりだったけれど、まだまだ情けない所が抜けないな、僕って……」
「あら、私はそうやって自分の気持ちをいつでも正直に言える所が『格好良い』と思っているけれど?」
「えっ……!」
そして、彩華さんは改めて語った。譲司君=この僕の意志を、どこまでも尊重する、と。
その言葉で、僕の中で何かの決心が固まった。
確かに、今までずっと僕の中でくすぶっていた考えは『安易』で『安直』な思いに基づいたものに捉えられるかもしれない。でも、思い返してみればそれはずっと思い描き、妄想し、必死に様々な案に目を通した末に至った考えだ。決してその場しのぎで思いついたものではなく、徹底した考えの上に思い至ったものではないか。それに、もし自分の考えを批判されても、反論材料は幾らでもある。何より、困った時に頼ることが出来る味方が僕には沢山いるじゃないか。
何を言われようが、僕の心の中でどれだけ不安が湧き上がろうが、絶対にその考えで失敗したり後悔したりなんて事はない、と信じたい。いや、絶対にあり得るはずは無い。だって、彩華さんが僕の事を、ずっと信じ続けてくれるから。
「……ありがとう……彩華さん!」
「……どういたしまして、譲司君」
その後、彩華さんと挨拶を交わして通話を切った後、僕は改めて引きっぱなしだった先程の気動車こと『キハ1形』のページに目を向けた。すると、ずっと見えていなかった文面がそこには書かれていた事に気が付いた。いや、正確にはしっかりと記載されていたのに、僕はその内容――彩華さんが語った、主役を降ろされた後の流転、そして予想外の長寿となった、数奇だけどしっかりと最後まで輝き続けていた生涯から、ずっと目を反らしていたのかもしれない。
(『希望』を怖がる必要なんて、全く無いんだよね……!)
ベッドにうつ伏せになりながら、僕はもう少しだけこの気動車に関する内容を読み進める事にした。
心の中に、『教頭先生が待つ学校』行きの未来を示す方向幕を掲げながら……。
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