第11章
第142話:とある気動車の皮算用
綺堂家の令嬢たる綺堂彩華さんを家へ招き、一緒にご飯を食べたり鉄道の本を読んだり、野球観戦で盛り上がったり、様々な楽しい出来事を繰り広げてから数日が経過した。
あの日、僕は彩華さんを前に、はっきりと決心を語った。彩華さんと同じ学校へ転入するため、大切な『娘』の進路を迷い続けている彩華さんの父さん=綺堂家の当主である綺堂玲緒奈さんを、何とか説得してみせる、と。
確かに、その意気込みは今もしっかりと僕の心に刻み込まれており、決して衰えたり尻込みしたりする事は無かった。大切な友達のために頑張ってみる、という決意は、僕自身が予想していたものよりも大きかった。
だけど、それ以前の問題を僕は抱えていた。そもそも、彩華さんと一緒に転入したい学校をどこにするかという肝心な事を、未だに決め兼ねていたのである。
あの日、僕たち和達家にやって来たのは彩華さんだけではなかった。かつて僕が『入学先』の候補として考えていた学校の教頭先生が一緒に訪れ、僕たちに様々な資料を提供したり、父さんや母さんを相手に様々な情報を交換し合ってくれたのだ。
そこで貰った資料は、父さんや母さんが指摘した通り、教頭先生によって重要な箇所がマーカーで塗られていたり、付箋が貼られていたり、非常に読みやすい構図になっていた。加えて、パンフレットには書かれていない様々なメリットやデメリット――授業の雰囲気、ネットでの評判、先生の指導方法、将来の進路、そして『鉄道』好きが通いやすいかどうか、まで、教頭先生自身が作ってくれたプリントにしっかり記載されていたのである。教頭という多忙な日々の中で、それらをしっかり纏めてくれた事に感謝しつつ、僕は父さんや母さんと一緒にじっくりと話し合った。
でも、どれだけ選択肢を与えられても、僕にとって一番引き寄せられるもの、一番光輝いて見えるものは、やはり教頭先生が『教頭』として勤務している学校であった。
教頭先生と言う『鉄デポ』でいつもお世話になっている人がいる安心感があるのは勿論、教頭先生と言う地位の高い『鉄道オタク』がいる事による、鉄道オタクだからという理由でのいじめが起きないだろう、という信頼感もあった。なにより、校長先生や教師陣まで僕や彩華さんの事を考え、いつでも転入できるよう2人分の生徒枠を設けてくれた、という話は、とても大きかった。
この学校に入れば、今度こそ僕は彩華さんと一緒に楽しく輝かしい時間を一緒に過ごせるかもしれない――その希望は、とても大きかった。
ところが、それだけ好条件がそろっているが故に、僕は逆に尻込みしてしまっていた。自分の将来だけではなく彩華さんの将来、下手すれば綺堂家の未来すら決めてしまうような重大な案件を、単に『楽しそうだから』『面白そうだから』という理由で決めてよいのだろうか。そんなに簡単に決めてしまって、後で後悔なんてしないだろうか。そう考えると、もっと慎重にならなければ、とつい考えてしまうのだ。
でも、そう決意していざ様々な資料をもう一度眺めていると、ますます教頭先生の学校の好条件ぶりが際立って見えてしまい、ますます憧れが増してしまう。それを恐れてますます尻込みしてしまう、という悪循環が、僕の心の中で起きてしまったのである。
そして、今までなら、そう言った時に鉄道オタクが集う会員制クローズドSNSである『鉄デポ』を頼りにしていた僕だけれど、今回ばかりは皆に頼り過ぎてはいけないかもしれない、と勝手に制限を設けてしまっていた。
彩華さんにあれだけ強い所を見せる事が出来たのだから、それを維持し続けないと格好悪い――そんなちっぽけなプライドも要因だったのかもしれない。
「はぁ……」
でも、このままダラダラと留まってばかりはいられない。いい加減人生の『次の駅』へ向かうダイヤ案を作成しなければ、僕と彩華さんが乗車する列車は動くことが出来ない。どうすれば良いのか――そんな事を考えているうち、僕の目に留まったのは、自室の本棚の中にある分厚い本だった。先日彩華さんが訪れた際に、あの彩華さんの自室の本棚にも無い本だと大興奮で読みふけっていた、第二次世界大戦前に製造された気動車をほぼ網羅している、気動車専門の鉄道研究家の人が執筆した力作である。
僕自身も最近全然読んでいなかったので、内容の大半を忘れてしまっていた。気を紛らわすために少し読んでみようか、と思い、僕は本を手に取って何の気なしにページを開いた。
そこに記されていたのは、誰もが知る関東の大手私鉄――開業以来全ての路線に架線が張られている鉄道事業者が導入した、第二次世界大戦前の私鉄を代表する気動車についての内容だった。
架線や蓄電池など、何らかの形で電気を供給しなければ動けない『電車』の一方、気動車は電気が無くてもガソリンやディーゼル燃料などを注ぎ込めば、エンジンを稼働させて走り出すことが出来る。つまり、電気を消耗する事無く列車を走らせることが出来る、という訳である。
全ての路線が電化されているはずの大手私鉄がわざわざ気動車を導入したのは、そこにあった。当時注目を集めていた『気動車』を使えば、架線に流れる電気代を始めとした様々なコストが削減できるのではないか、と。
勿論、安易に気動車導入を決定した訳ではなく、新たな電車を増備した場合と様々なコストを照らし合わせ、会議に会議を重ねた上での決定だった。
所謂『レトロ』な電車とは少し趣が違う、どこか古くて新しい、ヨーロピアンスタイルな流線形のデザインを採用した車体。通勤客をメインターゲットとした車内レイアウト。当時の鉄道省=後の国鉄やJRの気動車と合わせたエンジン。そして、スムーズな加減速を狙った変速機。
様々な面で工夫や気合が見られる構造を採用したこの車両は、一挙8両が導入された。今の視点から見ると少ないようだけれど、これでも第二次世界大戦前に作られた私鉄向け気動車では第2位の量産数だったという。
ところが、鳴り物入りで登場したはずの8両の気動車を待っていたのは、様々な問題だった。
折角加減速を意識した設計を施したのに、当時の電車よりも性能が悪く、一部の駅を通過しないと電車と同じダイヤが組めない。パワー不足が起因となり、坂道で速度が遅くなる。更にはエンジンも頻繁に故障してしまう――コストを削減したツケのようなものが、一気に押し寄せてしまったのである。
しかも、登場した時代も悪かった。日本と中国の間で勃発した戦争、『日中戦争』の影響によって燃料の購入が困難となった結果、電気代を抑えるという利点が完全に失われてしまったのだ。
その結果、この気動車が関東の大手私鉄で主力として活躍出来た期間は、ほんの僅かに終わってしまった――気動車の本に記されていたのは、大手私鉄の『失敗談』だった。
「……」
気分転換のつもりで読んだはずなのに、結果として僕は更に複雑な気分に陥ってしまった。
確かに、安易な気分で決めるのは碌でもない結果を生みやすい、というのはよく言われる事だし、僕もそれを心がけようとしている。でも、一方でしっかり様々な会議を重ね、気合を入れた設計を施した気動車を導入しても、現実を前に確固たる信念が崩れてしまう事だってある。結局、どちらも正しくあり、どちらも間違えであるのだ。
一体、僕の『正解』はどこにあるのだろうか――そんな事を考えながらベッドの上に寝転がった時、スマートフォンに着信が入った。この音は、彩華さんからのものだ。
「もしもし……」
『あ、譲司君、こんばんは。夜分遅くなっちゃったけれど、大丈夫かしら?』
「う、うん、大丈夫だよ……」
そして、彩華さんは僕に尋ねた。催促している訳ではないけれど、転入先の絞り込みは今のところどうなっているのか、と。
それを聞いた瞬間、僕は心が反応するよりも先に口が動いてしまった。ごめんなさい、という言葉が出てしまった。いつも通りの情けない僕が露呈してしまった形だ。
しばらくの間、僕と彩華さんの間に沈黙が流れた。若干気まずい雰囲気も漂い始めた時、スマートフォンから彩華さんの声が聞こえてきた。こちらこそ、いきなり気にしている事を尋ねてしまって申し訳ない、と。
「……ううん、こちらが決めていなかったから……」
「……譲司君、私も協力してもいいかしら」
「えっ……」
そんな必要はない、『説得する』と決めた以上、僕が頑張らないと――そう口に出すよりも前に、彩華さんは自身の思いを僕に伝えた。
「譲司君が困っているなら私は幾らでも力になりたいし、悩んでいるのならどんなことでも相談に乗りたいの。私たち、『特別な友達』だもの」
「……!」
それに、今回の出来事は譲司君=僕ばかりではなく、彩華さん自身にも関わっている重大な案件。全てを押し付ける訳にはいかないし、出来る限りこちらも一緒に考えたい――彩華さんの言葉に、僕はどこか胸のつかえがとれたような思いがした。あれからずっと、僕だけで考えないと、と意気込んでいたけれど、新たな学校へ向かうのは僕だけではない。『彩華さんと一緒に行く』ためには、彩華さん自身の意見も聞かなければならないのではないか。彩華さんと思いを交わしたうえで決めるのが、最良の考えかもしれない――大切な事に気づいた僕は、覚悟を決めて彩華さんに今までの事を打ち明けた。
「……実は……決めているんだけど……はっきりと決められないんだ……」
「……えっ……?」
教頭先生の学校への憧れが日増しに増えている事。でも、それが安易な考えではないか、という恐れも同時に膨れ上がっている事。
そして、あの『大手私鉄』のように、どう足掻いても失敗してしまうのではないか、という不安な気持ちを……。
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