第139話:和達家カレーライスタイム

「……美味しい……とっても美味しいです!」


 僕と母さんが気合を込めて作った、和達家特製の、シーフードミックス入りの具だくさんカレー。僕や父さん、母さんの緊張の視線に囲まれる中で口にした彩華さんの感想は、その笑顔が示す通り最高級の好印象だった。

 それを見た途端、僕たち和達家は一斉にほっとした表情を作った。味が口に合わないか心配した、辛すぎなかったか不安だった、などの様々な懸念事項も、彩華さんは全然気にしていない様子で、僕は安堵の感情を覚えた。

 そして、流石に綺堂家のプロのシェフの腕前には敵わない、と謙遜する母さんに対して、彩華さんはこう言って励ました。


「確かに、私たち綺堂家に仕えるシェフの腕前は、譲司君が何度も味わった通り自慢に値する味です。でも、譲司君のお母様や譲司君が力を合わせて作ったこちらのカレーも、負けず劣らず素晴らしい味わいでしたよ」

「そっか……それは良かったわ……」

「特に、野菜や肉が比較的大きめに切られていて、歯応えに満ちていて素晴らしかったですよ、譲司シェフ♪」

「しぇ、シェフ……!」


 彩華さんのウィットに富んだ誉め言葉に照れる僕は、早速父さんに、我が家の自慢のシェフだ、と褒められ半分からかわれ半分の反応を貰ってしまった。

 ともかく、これほど美味いカレーならば、作った僕たちも口に入れるのが最良の選択肢だ。そんな訳で、僕たちも本格的に食事に手を付ける事にした。

 でも、順調にカレーやサラダ、コーンスープを手に取って食べている父さんや母さん、そして彩華さんの一方、僕の方はつい箸やスプーンを動かす手が止まり――。


「……あら、どうしたの譲司君?」

「……あ、ご、ごめん……!」


 ――つい彩華さんの食事の様子に集中してしまっていた。

 彩華さんがとても美味しそうに夕ご飯を食べ続けているからつい注目してしまった、と正直にその理由を明かすと、そちらの方に注目してばかりいないでちゃんと自分もカレーを食べるように、と僕は母さんに注意されてしまった。でも、その声色は咎めるというよりも、どこか楽しそうなものだった。


「う、うん……美味しい……!」

「当然よね、譲司君♪」

「う、うん……」


 そんな会話を繰り広げている中、父さんはこんな事を言った。彩華ちゃんと同じ食卓で一緒に食べるのはこれが初めてなのに、何故か今までも何度か同じ席で一緒に食べたような、そんな不思議な感じを覚える、と。確かに僕は今まで何度か彩華さんと一緒に綺堂家特製の素朴な味の弁当を仲良く食べ合った事があったけれど、父さんや母さんからそのような言葉が出るのは少し意外だった。

 それだけ彩華さんがあっという間に僕たち和達家に馴染んだ証拠なのだろうか、なんてことを考えていると、彩華さんも父さんの言葉に同感の頷きを送った。そして、口に頬張っていたカレーを喉に入れると、嬉しそうな表情で語り始めた。


「きっと、それだけ譲司君のご両親が私の事を受け入れてくれた証だと思います。突然お邪魔した身ですが、ここまで親身にさせてもらって……」

「そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。彩華ちゃんは譲司の『特別な友達』なんでしょう?」

「ありがとうございます……!」


 これからも機会があれば是非訪れたい、と語った彩華さんの言葉に、僕たち和達家が了承の頷きを見せたのは言うまでもないだろう。


「あの戦前の気動車の本もまだまだ読み足りないですし、何度も読んで内容をしっかり頭に叩き込みたいですからね」

「なるほど……良かったじゃないか、譲司。一緒に鉄道の本を読む友達に恵まれて」

「そ、そうだね……」


 それに、自分の父の説得に成功すれば、きっと一緒に転入先の学校を目指して勉強会も開けるかもしれない――そう彩華さんが述べた直後、この場に居た面々の視線が一斉に僕の方へ向けられたようなような気がした。とは言え、僕は怖気づくことなく、それらのまなざしをしっかり受け入れる事が出来た。教頭先生を含めた皆に述べた僕の思いは、決してその場しのぎの強がりではなく、確固たる決意のもとで生まれたものなのだから。


「さっきも言ったけれど……頑張ってみるよ、僕……!」

「まあ、あまり気負わない事も大事よ、譲司」

「そうだぞ、今から緊張しても仕方ないからな」

「う、うん……!」


 そんな感じで会話を進めているうち、気付けば僕たちの目の前にあるカレーライスの器は空っぽになっていた。まだまだ食べたりない気分の僕や父さんは早速台所へ赴いてご飯やカレーを再度器に盛りつけた一方、彩華さんや母さんは大きい具材や沢山のルーのお陰でお腹いっぱいになったようで、食卓を囲んでにこやかな表情を見せていた。

 そして、改めて2杯目のカレーを食べ始めた僕がふと視線を変えた時、今度は彩華さんがじっと僕の様子を見つめていた事に気が付いた。


「い、彩華さん……少し恥ずかしいんだけど……」

「そう?さっき譲司君はこうやって私をじっと見つめていたんじゃないの?」

「うっ……そ、それは……」


 その分のお返しだ、と悪戯げな笑みで彩華さんは語った。譲司君が美味しそうに料理を食べている様子を見ているだけでもこちらはとても幸せだ、と言葉を加えながら。

 一方、僕や父さんが食べてもなおカレーはまだまだ鍋の中にたくさん残っていた。これは明日の朝食や夕食の分までたっぷり食べる事が出来そうだ、と僕や父さん、母さんが話していると、彩華さんがそれに感心するような表情を見せながら、カレーが無駄にならずによかった、と感想を述べてきた。


「あれ、もしかして綺堂家だと残った食べ物は……」

「いえ、破棄する事はよほどの事が無い限りありません。ただ、使用人や執事の皆さんの中に食いしん坊な人たちが何人もいて、いつも空っぽになってしまうので……」

「なるほど、明日まで残らないって訳ね……」


 たくさんの使用人や執事を抱えているであろう綺堂家の食事の中身も少し気になったけれど、それ以上にたくさん料理を作ってもあっという間に無くなるという事情に、それはそれで結構凄いかも、と僕は率直な思いを抱いた。

 やがて、僕や父さんも2杯目のカレーのお陰ですっかりお腹いっぱいになった。本当はもう少し食べたかったけれど、流石にこれ以上は体に入りきれないし、明日のお楽しみもたっぷりとっておきたい、と考えた僕は、父さんや母さん、そして彩華さんと共に手を合わせ――。


「ごちそうさまでした!」


 ――食事を終える合図となる挨拶をした。


「ふふ、譲司君、良い食べっぷりだったわね」

「えへへ……ちょっと食べ過ぎたかな……」

「いいじゃない。美味しいご飯は箸もスプーンも進んじゃうものだから」

「そうだよな……っと、よし、ここからは……!」


 そう言って動き出したのは、皿洗いを託された父さんだった。

 それを見た僕は、食後の運動も兼ねて手伝おうと動き出したけれど、父さんは気持ちだけ受け取っておく、と断った。協力要請はありがたいけれど、これが自分の託された役割。それを全うしたい、と語りながら。

 その言葉を聞いて僕の脳裏に思いうかんだのは、先程僕の部屋で例の気動車の本をあげようとして、彩華さんに止められた時だった。あの時も僕は彩華さんのために親切心で動いたけれど、彩華さんはタダで貰うよりもしっかりと自分の力で手に入れたい、と敢えて断っていた。

 親切心で動くのは勿論人間として大事かもしれない。でも、時には敢えてそれを抑えて応援する方が良い場合もある。『親切』と『ありがた迷惑』の境目は難しいけれど、それを見極めるのも人間関係において重要かもしれない――そんな事を、彩華さんや父さんは優しく教えてくれたような気がした。


「……分かったよ、父さん」

「おう、綺麗好きとして昔から有名な父さんが、皿もちゃんと綺麗にしておくからな!」

「あら、そんな事言われていたかしら?」

「い、言われてたはずだよ……な!な!」


 そんな話は初耳だ、とからかうように尋ねる母さんに少したじたじになりながらも、皿や器を丁寧に洗い始めた父さんに作業を託しながら、僕はリビングで待つ彩華さんのところに向かった。

 すっかり太陽は西の空に沈んだけれど、楽しい時間はまだまだ続く。我が家で彩華さんと触れ合うこの瞬間を、もっと心に刻んでおきたい、と思いながら……。

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