第138話:作ろう!具だくさんカレー

 綺堂家の令嬢、綺堂彩華さんを僕たち和達家に招いた理由は幾つかあった。彩華さんを僕の部屋に誘って仲良く特別な時間を過ごすという事、途中まで加わっていた教頭先生を交えて僕たちの将来に関わる重大な相談を行う事など。

 でも、大事な内容がまだ残されていた。様々な要因や妨害に遭い、なかなか実現が叶わなかった、『和達家の料理を彩華さんに堪能してもらう』、という一大イベントである。

 それを実行するため、洗面台でしっかり手を洗い終えた僕は、母さんの指示に従って準備を始めた。


 今日のメニューは、シンプルなサラダにレトルトのコーンスープ、そしてメインとなるカレーライス。具材は定番のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、牛肉に加えて、美味しそうな剥き海老やシーフードミックスもたくさん入れて、食べ応えある内容に仕上がる予定であった。

 僕はその最初の工程である、皮むき器を用いて野菜の皮を剥いたり、包丁で野菜や肉を切る内容を担当する事になった。

 玉ねぎは剥きすぎない事、ジャガイモの芽は毒があるので周囲を含めてしっかり取り除く事、など様々な指示を与えてくれた母さんは、僕に1枚のキシリトール入りガムを渡してくれた。


「母さん、これは……?」

「ガムを噛むと玉ねぎを切る時に涙が出ないのよ」


 いつも玉ねぎを切っている時に苦戦してばかりだった僕に、母さんは素晴らしいアドバイスをしてくれたのだ。

 新しい知識を授かった僕がへぇ、という声を上げた時、台所の入り口からも同時に同じような声が聞こえてきた。リビングで寛いでいるはずの彩華さんが、僕たちの様子を見に来たのである。

 そして、何か手伝いましょうか、と丁寧な口調で尋ねた彩華さんだったけれど、母さんは笑顔で断った。お客さんを働かせるわけにはいかない、と。


「でも、私がこのままゴロゴロしているのはなんだか申し訳ないというか……」

「全くだ、父さんにも何か手伝わせてくれよ」

 

 そんな彩華さんの後ろから、今度は父さんもやって来た。僕たちが準備をしている様子を見て、彩華さんと同様いてもたってもいられなくなった、と父さんは何故か若干頬を赤くしながら解説していた。

 でも、食べ終わった後の皿洗いという事前に決めた大事な仕事があるのでそちらに尽力して欲しい、と父さんに忠告しつつ、母さんは言葉を続けた。


「それに、4人も台所に集まったらぎゅうぎゅう詰めで動けなくなっちゃうわよ。気持ちはありがたいけれど、集まり過ぎるのも大変なのよね」

「あ、ああ……確かに」

「なるほど……それは失礼しました」


 そう言って丁寧に頭を下げた彩華さんの様子に、僕もつい頭を下げ返してしまった。

 そして、そのまま彩華さんは僕の父さんを『譲司君のお父様』と呼び、一緒に美味しい料理が出来るのを楽しみにしていよう、と誘った。ところが、父さんはどこかしどろもどろな口調でこんな事を言いだした。


「りょ、了解したけれど……なんかこう、ほら、君は譲司のガールフレンドなんだろう?その父と一緒にリビングでのんびり過ごすのは……こう……」


 父さんの頬が赤くなっていた理由、そして彩華さんと共に台所に押し掛けた理由を、僕は何となく察する事が出来た。

 一方、そんな緊張しっぱなしの父さんに対し、彩華さんは笑顔で堂々と答えた。自分は全然大丈夫だし、『譲司君のお父様』のような年代の男性と一緒にいるのも普段の生活で慣れている、と。

 言われてみれば、確かに彩華さんの家=綺堂家は多数の使用人の方や執事さんを雇っているという。その中に、僕の父さんのような年代のベテランな男性の方がいてもおかしくない話だ。

 結局、そのまま父さんは彩華さんの勢いに押されるように、リビングへ戻る事となった。そして、そんな姿を見て、母さんは若干苦笑いしながら僕に語った。


「父さんったら、あれほど譲司にガールフレンドができた、なんてからかっておきながら、実際に一緒になると……ねぇ」

「父さん、ああいう一面があるんだね……」

「ふふ、見た目に似合わず、可愛いところがあるでしょ?」

「こらー!聞こえてるぞー!」


 父さんが突っ込む声を耳に入れつつ、遅ればせながら僕たちは本格的に野菜の皮むきおよび切断作業を始めた。

 前の学校――あの『理事長』が牛耳っていた地獄のような学校へ二度と通わない、という選択肢を自分の意志で決めて以降、僕は今までよりも積極的に父さんや母さんの料理作りを手伝うようになっていた。その甲斐あってか、彩華さんが料理を待っているという緊張感をものともせず、順調に作業を進める事が出来た。


(確か、包丁を使う時は、安全のため具材を押さえる側の指を丸めて『子猫の手』に……)


 ジャガイモの芽を取り除く工程も含めて皮むきを終えた僕は、以前母さんから教えて貰ったアドバイスを思い出しながら、野菜や肉を安全に切り続けた。

 事前に母さんから渡されたガムをしっかり噛み、たっぷりと唾液が放出されたお陰からか、玉ねぎを切っている時も以前と異なり目から涙が出る事は無かった。


 そして、最後に牛肉もしっかり切り終えた僕は、母さんからよく頑張った、と笑顔で褒められた。


「さ、後は母さんに任せて、彩華ちゃんとゆっくりしていらっしゃい」

「ありがとう、母さん」


 ここから先、肉や海老、野菜、シーフードミックスなどを焼いて煮て、カレールーに加えて隠し味の板チョコを少しだけ入れる過程は、教頭先生やその奥さんにも負けない料理の腕前を持つ母さんの出番だ。

 後の作業を託した僕がリビングに戻ると、ノートパソコンを操作していた父さんや1冊の本を読んでいた彩華さんから労いの言葉をかけられた。


「ありがとう……あれ、彩華さん、その本は……」

「ああ、これ?さっき譲司君の部屋から持ってきたの。まだまだ続きを読みたかったのよ」

「なるほど……」

 

 彩華さんの傍にあったのは、つい先程まで僕の部屋で興奮しながら読んでいた、第二次世界大戦前の日本の気動車について網羅されている書籍。そのうち、まだ読み終わっていない下巻を、僕の家にいる間に一気に読んでおきたい、と持ち出してきた、という訳である。

 一緒に読もう、と彩華さんが僕を誘い出すと、それを見た父さんが、2人はとても仲が良いな、と語りつつ、苦笑いしながらこんな言葉を続けた。 

 

「でも、俺は譲司や彩華ちゃんのような鉄道オタクじゃないし、会話に全然ついていけないぜ……」


 ちょっと情けない奴だ、と自虐した父さんに対し、彩華さんはそんな事は無い、という意志を示すかのように首を振った。


「鉄道が苦手と述べられましたが、それでも譲司君の鉄道が『好き』という思いをずっと尊重してくださったんですよね?きっと、譲司君が鉄道に関する情熱を捨てる事無く今に至っているのは、ご両親の思いも大きかったと考えています。『特別な友達』として、お礼を述べたいくらいです」

「いやいや、よせやい、照れるじゃないか!」


 そう言いながら顔を真っ赤にしつつ嬉しそうな笑顔を見せた父さんだけど、それでもしっかり自信を持って自身の立場や意志を語ってくれた。親として、大切な息子の事はずっと信じてあげたい、と。

 勿論、それに対して僕が改めて感謝の言葉を述べたのは言うまでもないだろう。


 そんなやり取りを経て、例の本を彩華さんと共に読んでいた時、母さんが僕を呼ぶ声が聞こえた。いよいよ、僕や母さんが力を合わせて作ったカレーライスが完成したようだ。

 皿や器に分けられたカレーライスやサラダ、レトルトのスープを運び始めた僕は、父さんや彩華さんがとある会話をするのを耳に挟んだ。和達家では3人家族で分担しながら様々な料理の工程をこなすのが日課になっているけれど、豪邸に暮らす綺堂家の人たちはやはり執事や使用人の方々が全てをこなしているのか、と父さんが尋ねたのだ。


「はい、基本的には執事や使用人の仕事ですから。でも、私も時々父からの指示で配膳や皿洗いなどを手伝う事があります」

「へぇ、それはまた意外だな……」

「そうでしょうか?父は『人の心を知るには実際にその人がどのような職務をこなしているのか体験するのが一番だ』と語っていましたが」

「あぁ、そうか……なるほど、流石綺堂家の当主さんだけあるな……」


 感心する父さんと同じ思いを抱きつつ、僕は各種の料理を食卓へと並べた。

 少し大きめに切り分けた食材がどっさり入っているカレーライスからは美味しそうな香りが漂い続け、僕の腹も早くそれを入れたい旨を音で訴え始めていた。


 こうして、いよいよ待ちに待った時――和達家自慢の料理を、大富豪である綺堂家の令嬢にたっぷり食べてもらう時間が近づいてきた。


「うわぁ……凄い……!」


 彩華さんが目を輝かせている様子を見る限り、見栄えに関しては完璧だったようである。

 そして、母さんの掛け声と共に――。


「それじゃ、いただきます!」

「「「いただきます!」」」

 

 ――ビッグイベントの幕が開いた……。

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