第136話:リビングの中の未来

「失礼します」

「あぁ、そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ……」


 わざわざ扉をノックしたうえで丁寧な言葉づかいで入ってきた彩華さんを宥めながら、僕も一緒に自宅のリビングへと戻った。

 先程まで様々な会話が繰り広げられたであろう場所、リビングの机の上には、まだ何枚かのパンフレットや資料が散在していた。そして、それらを囲む父さんや母さんの顔は、どこかすっきりしたような、今までの緊張が少し解きほぐされていたような感じになっていた一方、教頭先生は何故か自信満々な表情を僕たちに見せていた。どうやら、何だかんだで教頭先生としては満足いく結果になったらしい。


「どう、彩華ちゃん。楽しめたかしら?」


 優しく尋ねる母さんに、彩華さんは感謝の言葉を述べつつ、お陰さまでとっても楽しかった、という旨を語ってくれた。彩華さんが探しても見つからなかった気動車の本を僕が持っているという事実が発覚した事であれほど興奮したのだから、本当に満ち足りた時間を過ごせたのだろう。


「いやぁ、ふたりでお楽しみ出来て何よりだよぉ!」

「俺たちの家なのに先輩が一番嬉しそうですね……」

「だって彩華ちゃんは『鉄デポ』の仲間、年の離れた友達のような存在だからねぇ!」


 『鉄デポ』で聞き慣れたお調子者めいた言葉を並べる教頭先生だったけれど、すぐに顔を真剣そうな『教頭』らしいものに変え、僕と彩華さんの方を向きながら告げた。自分が伝えたかった話について、僕の父さんや母さんはおおむね納得してくれた、と。

 僕たちが自室へ移動し、教頭先生の話や鉄道の本の話で盛り上がっているのと並行して、その教頭先生は父さんと母さんを交え、僕の転入先について様々な情報を共有し合った。特に父さんや母さんは、これまで僕たち和達家がフリースクールや通信制高校、私立高校など様々な選択肢を抱えている事、でもあまりにも選択肢が多すぎて選びきれない状態にある事などを詳細に語ったという。

 それを受け、教頭先生は『教頭』という立場故に知っている様々な情報、明かすことが出来る内容を余す事無く父さんや母さんに伝えた。手持ちの様々な資料を交え、僕の転入先の候補になっている様々な学校のメリットやデメリット、ネットの評判に対する実情などを連絡した。そして、その中の1つとして、教頭先生は自身が務めている学校の事についても、単に褒め称えるだけではなく、世間の風評や自身が捉えている様々なデメリットも交え、文字通り中立的な立場で教えていた。父さんと母さんがそう語るのだから、間違いないだろう。


「相田先輩は資料の一部をマーカーで強調したり、メモをしたり、重要な箇所がすぐ分かるようにしてくれたんだぞ」

「譲司も参考までに見てみなさい」

「う、うん……教頭先生、ありがとうございます……」

「いやぁ、礼なんて要らない……なんてキザな台詞も言いたいけれど、やっぱりお礼を言われると嬉しいねぇ♪」


 真面目な話の最中でも隙あらば冗談を言って場を適度に和ませようとしている教頭先生に少し苦笑いしつつも、僕は改めて父さんや母さんに尋ねた。そんな教頭先生の話を聞いてどう考えているのか、と。

 しばらくお互いの顔を見て悩む仕草を見せた後、両親は語った。


「確かに、先輩の話を聞いていると、父さんや母さんは先輩の学校を魅力的に感じた。それは間違いないな」

「ええ。でも、これは譲司の今後が懸かっているとても重要な案件よ。簡単にここでは決められないわ」

「……確かに、それもそうだね……」


 僕にとっても、教頭先生の提案はこれ程にも無い好条件だったけれど、だからと言ってここで候補として確定させるのは早すぎる、と考えていた。そんな和達家の総意を、教頭先生は納得したように首を縦に振って認めてくれた。教頭先生自身としては勿論自分たちの学校への転入を目指して勉強を重ね、テストに楽勝で合格して欲しいというのが本音である、と暴露しつつも、あくまで選ぶのは自分ではなく君たちだ、と語りながら。


「これらの資料をじっくり見て、ご両親とよく話して、後悔のない答えを出してほしいんだ。教頭としても、『鉄デポ』仲間としても、もう君たちが悲しみの涙を流す様子は見たくないからね」

「……分かりました」


 まるで『担任の先生』から丁寧に諭されるような感じを受けつつ、僕がはっきりとした声で返事をすると、教頭先生はよろしい、と言わんげな笑顔を見せた。

 そして、僕たちの案件に区切りがついた事を示すかのように一息ついた後、教頭先生はおもむろに彩華さんの方を向き、こう尋ねた。もしかしたら、何か自分に聞きたい事があるんじゃないか、と。 


「えっ……!」


 確かに、僕の部屋の中で彩華さんは教頭先生の発言に対して幾つかの疑問を抱いていた事を語っており、もし機会があれば尋ねたい、と僕に伝えていた。でも、まさか教頭先生側からそれを指摘されるとは思わず、僕と共に彩華さんは驚きの表情を見せていた。

 でも、本人がそう言っているのならば、この機会を逃さない手はない。彩華さんは、早速教頭先生に問い質し始めた。


「まず、確認したいのですが、教頭先生は奥様と共に私の父と仲睦まじい関係だった。これは確実な話ですよね」

「ああ、写真を見せた通り、君の『ご両親』には色々とお世話になったね。最初はまさか大富豪だとは思わなかったけれど、その事を知った時には既に気を置かなくても平気な間柄になっていた。『鉄デポ』での私や君たちの仲と同じように、年の離れた良き友達になっていた、って訳さ」


 そして、月日が経つ中で教頭先生は彩華さんの父さんこと綺堂玲緒奈さんと、身分も収入も関係なく夫婦ぐるみの付き合いになっていた。その過程で、教頭先生は『綺堂彩華』さんという玲緒奈さんの娘の事も聞いていたという。


「……そうだったんですね……父は、そのような事を今まで一度も教えてくれませんでした」

「まあそうだろうね。玲緒奈さんは公私の分別がしっかりしている……いや、し過ぎているぐらいだからねぇ。だからこそ、自分の交友関係に娘である彩華ちゃんを無理やり巻き込みたくなかったんじゃないかな」

「なるほど……」


 そのうえで、教頭先生は改めて彩華さんに謝った。隠したがっていたであろう『本当の名前』を、父親経由とは言え勝手に知ってしまい、申し訳ない、と。

 それを聞いた彩華さんは、じっと教頭先生を見ながら、あの父が敢えて明かしたのだから、何かしらの理由、そして教頭先生に対する信頼があっての事だろう、と述べた。


「それに、もう済んだ事ですからね。教頭先生なら、和達家の方々以外の人には明かさないと信じています。ま、そもそも教頭先生は情報漏洩なんてしたら廃車・解体される立場ですからね?」

「うっ、それを言われると……」


 鋭い指摘にたじろぐ教頭先生の様子を見ながら、彩華さんはもう1つ、どうしても尋ねたかった、そして僕も答えを知りたかった質問を口にした。

 教頭先生は僕や彩華さんの事情を『鉄デポ』の一員と言う立場も利用して把握していた。そのうえで、はっきりと自分たちの学校へ転入しないか、と勧めてきた。それらが意味する事は――。


「……教頭先生、もしかして、父にも既にこの『転入』の旨、告げたのですか?」

「……!!」


 ――話を静かに聞いていた父さんや母さんが驚きの表情を見せる一方、教頭先生は一瞬複雑そうな表情を見せつつも、彩華さんの問いへ丁寧な返答をした。


「流石、鋭いねぇ。察しの通り、彩華ちゃんの父である綺堂玲緒奈さんに、私の学校へ彩華ちゃんを転入させるのはどうか、って勧めたんだ。あれは確か……君たちが『オフ会』に出掛けた日だったねぇ」

「え!?あ、あの日にそんな事やってたんですか……!?」

「わ、私全然聞いてなかった……父から何も言わなかったです……」

「あらら、やっぱり玲緒奈さん、黙ってたんだねぇ」


 僕たちが街で『鉄デポ』の仲間と大はしゃぎしている間に、綺堂家では彩華さんの将来を決めるであろう大きな出来事が起きていた。それを知って再び驚きの表情を見せつつも、彩華さんは勇気をもってその結果を尋ねた。父は教頭先生の提案を聞いてどのような返事をしたのか、もしかして了承を得たのか、と。その口調は、どこか希望的な感情に満ち溢れているようだった。

 ところが、返ってきたのは、教頭先生のどこか寂し気な顔だった。


「……残念だけど、あまり良い結果は得られなかった」

「……えっ……じゃ、じゃあ父は……」

「いや、絶対反対っていう訳じゃないよ。ただ、あちらも決め兼ねているみたい。失礼な事を述べるけれど、譲司君と出会えたという特大の幸運があったとはいえ、一度学校選びで『大外れ』を引いちゃったからねぇ」

「ああ……そうですよね……」


 その言葉を聞いて、どこか悲しい気分になったのは彩華さんだけではなかった。教頭先生の学校を候補に選びながらも、彩華さんに出会えたとは言え結果的に『大外れ』の学校へ進学してしまった僕にも、その言葉は突き刺さるからだ。

 そして、父さんや母さんもまた、気まずい様子を見せていた。彩華さんを家に招く前まで、父さんや母さんは僕に対し、あくまで想像でしかないがという念を押したうえで、彩華さんの父さんこと綺堂玲緒奈さんが、学校選びに失敗した事を悔やみ、彩華さんの転入先を選ぶのに慎重になっているかもしれない、と伝えていたからである。まさにそれは、実際の玲緒奈さんと一致する考えだったのだ。


「ないとは信じたいけれど、『最悪の事態』、譲司君と彩華ちゃんが引き離される未来も……」

「そんな……そんな事、あり得ないです!」

「私もそう思っているし、絶対ないと信じたい。でもねぇ……」


 あと一押し、悩める大富豪を助ける力があればよいんだけれど。


 教頭先生がその言葉を述べた時、僕の心の中に、先日『鉄デポ』でコタローさんや鉄道おじさんから聞いた言葉がありありと心に浮かんだ。

 自分の思いを伝えるためなら、出来る事を最大限やり通して見せる。例え全てが無理だとしても、可能な限り食らいついて、自分の中で満足する回答を得るまで諦めない。何より、絶対に後悔はしたくない。


 それに、彩華さんは今までずっと僕のために奮闘し、様々な形で心の支えになってくれた。いじめ対策の時も、綺堂家全体を総動員して僕をどん底から助けてくれた。

 そんな彩華さんが悩んでいる状況、放置しておくことなんて絶対に出来ない。今度は僕が、彩華さんの未来や希望を叶えるために、動き出す番だ。


 そして、僕は彩華さんの方を向いて、はっきりと述べた。


「彩華さん……」

「……譲司君?」


 この僕、和達譲司が、彩華さんの父さんにして、大富豪・綺堂家当主である綺堂玲緒奈さんを、『説得』してみせる、と……。

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