第135話:彩華気動車興奮史

「……さて、色々と将来の事を真面目に話しちゃったけれど……!」


 教頭先生が提案した、先生自身が勤務する学校への転入という突然の選択肢について、つい思いっきり語り合ってしまった僕と彩華さんだけれど、指摘通りそもそも僕が彩華さんをこの部屋に招いたのはそういった『真面目な話』を繰り広げる事が目的ではなく、この右を見ても左を見ても鉄道関連の書籍、グッズ、模型で埋め尽くされている部屋でのんびりとしたひと時を過ごしてもらうためだった。

 そして、彩華さんはずっと腰かけていた僕のベッドからゆっくりと立ち上がり、近くにある本棚の方向へと向かった。これらの本をじっくり読んでも大丈夫か、という彩華さんの頼みの答えは、勿論全然平気、というものだった。


「流石譲司君、色々な本を持っているのね」


 書籍や雑誌の背表紙に記されたタイトルを音読しつつ、嬉しそうに語る彩華さんの様子に、僕は少しだけ頬が火照る感触を覚えながらも、今までずっとお小遣いやお年玉を使って買い集めたものだ、と何とか説明する事が出来た。確か小学生の頃から、父さんや母さん、親戚の人たちから貰ったお金を貯めたり、欲しい本やグッズを見つけて購入し続け、気付けばこれだけの『コレクション』になった、という訳である。それに、父さんが出張の時に雑誌を購入してくれたり、『サンタクロース』が鉄道模型を用意してくれたりといったイレギュラーな事も利用したのも、彩華さんに教える事にした。


「へぇ、それでこんなに賑やかになったのね」

「全然整理整頓もしていないし、鉄道模型も走らせていないけれど……」

「でも、こうやって飾るという楽しみもあると思うわ」

「それもそうか……ありがとう、彩華さん……」


 どういたしまして、と言いつつ、彩華さんが本棚をじっと眺め続けていると、突然興奮したような大声を上げた。

 何事か、と椅子から立ち上がった僕の前で、彩華さんはまさに『あわわ』という声が出そうな雰囲気で、興奮と緊張が入り混じった表情を見せながらある分厚い本を指さしていた。


「じょ、譲司君……こ、これ……!ど、ど、どこで手に入れたの!?」


 数年前にとある古本屋で見つけ、貯まったお小遣いを利用して一気に購入した、少し古めの鉄道の本の2冊セットだ、と説明すると、彩華さんは更に興奮が増した事を存分に伝えた。まさかこの本の現物を見かけるとは思わなかった、と。

 格好良くて凛々しい彩華さんがここまで変貌するのも、ある意味では当然だった。何せこれらの本に記されているのは、綺堂彩華さんが好きでやまない『気動車』――エンジンや蒸気機関を使って電気が無い場所でも走ることが出来る、乗客や貨物を乗せる事が出来る鉄道車両のうち、日本における第二次世界大戦前の車両という、非常にマニアックだけど日本の鉄道史を辿る上で非常に重要な資料なのだから。

 この本は日本でも有名な鉄道研究家の方が制作したもので、ガソリンを燃料にしたガソリンカー、自動車のように複雑な動作が必要な機械式気動車、バスのように一方しか運転台が無い単端式気動車たんたんしききどうしゃなど、当時の様々な気動車が余す事無く記されている。しかも凄いのは、解説する内容がそういった車両だけに留まらず、そういった気動車が導入された背景、使用した私鉄の詳細、製造メーカーの歴史など、多方面から調べ上げ、その結果を分かりやすくまとめている点だ。まさに第二次世界大戦前の気動車に関する資料の決定版と呼んでも過言ではないだろう。


「……す、凄いわ……これ、確かずっと昔に絶版になっているのよね……!」

「た、確かそうだったかな……」

「そうなのよ!しかもあの街の図書館にも在庫が無い本よ、これは!それを譲司君が持っているなんて……!」


 当然ながら、この貴重な2冊セットの分厚い本を、気動車大好きな彩華さんはずっと読みたがっていた。しかしどこを探しても手に入らず、ネットの書店を漁っても見つからなかった。しまいには、彩華さんの父さん、つまり綺堂家の当主に『娘』という立場を存分に活かしておねだりをする事を考えるまでに至った、と彩華さんは語った。富豪として生まれたのだから金銭感覚はしっかり身につけておくべきだ、というスタンスという彩華さんの父さんにそういった行為が通用する訳ない事を知りながらも、彩華さんはそこまで考え詰めていたのである。


「それがここにあるなんて夢のようだわ……ね、ねえ、早速読んで良いかしら!?」

「勿論大丈夫だよ」

「し、指紋ついちゃうけれど大丈夫かしら!?」

「そ、そこまで気を遣わなくても平気だよ……」


 そして、彩華さんはゆっくりと本棚から目的の本を取り出し、ベッドに腰かけながら早速読み始めた。その手の動きは、僕よりも遥かに丁寧で繊細なものだったけれど、それとは対照的に彩華さんの顔は嬉しさのあまりとろけそうな笑顔になっていた。


「えへへ~……やっぱり単端式気動車は可愛いわね~……井笠鉄道のこの車両なんて特に……」

「広島県と岡山県に跨っていた軽便鉄道けいべんてつどうだね。確かこれが、九州以外の西日本で初の単端式気動車なんだっけ」

「流石、よく読んでいるわね。自動車との競争に勝つために導入したのよね」

「昔から自動車は鉄道のライバルだったんだよね……」


 軽便鉄道に詳しいトロッ子さんならもっと詳細に教えてくれるかも、などと話を交えつつ、僕は件の気動車の本を楽しそうに読み進める彩華さんを、椅子の背にもたれかかりながらじっと眺めていた。『好き』に包まれた彩華さんの姿は、凛々しさと言うよりも可愛さや素敵さの方を強く感じる事が出来た。

 以前会った、『鉄デポ』仲間であり動画配信者の飯田ナガレ君に熱狂的なファンの女子たちのような鉄道に興味が無い人も、好きなアイドルや好きな自動車の本を見てこうやって興奮しているのかもしれない。そんな事を考えながら、ページをめくる度に嬉しそうな声をあげる彩華さんを眺めているうち、僕はふとある考えが浮かんだ。


「ね、ねえ、彩華さん……」

「どうしたの、譲司君?」

「良かったら、その本を彩華さんに譲ろうか?」

「えっ……!?」


 驚く彩華さんに、そう口にした理由を語った。折角購入したのに、何度も読み続けたせいか最近はほとんど本棚から取り出す機会が無く、鉄道で言えば車庫に留置された状態が続いてしまっている状態。それならば、彩華さんの元に『譲渡』した方が、本もきっと幸せかもしれない、と考えたのだ。

 ところが、しばらく考えた後、彩華さんは僕の提案を優しい笑顔を見せながら断った。確かに手元にはこの2冊セットの気動車の本はないけれど、わざわざ無償譲渡してもらう必要はない、と。


「これは譲司君が自分のお金で購入した大切な本でしょう?それを好意とは言え、タダで分捕るような事はしたくないわ。私は、自分の力でこの本を手に入れたいの」

「そうか……ごめんね……」

「ううん、気にしないで。それに、この本が和達家の譲司君の部屋にあるというのが分かったという事は、譲司君の家をまた訪れる理由が出来たというものよ」

「あ、そうか……!」


 そういう所も瞬時にしっかり考えた上で発言する辺り、流石大富豪・綺堂家の令嬢だけある。彩華さんはやっぱり凄い、と僕は改めて感じた。

 そして、そんな彩華さんは僕を手招きして、あまり読んでいないのなら今から一緒にじっくり見ればよい、と誘ってきた。勿論それを断る理由は全くなく、僕は彩華さんの隣に座って、一緒に気動車の本を読む事となった。


「これが、日本で初めて『気動車』を導入した鉄道、好間軌道よしまきどうね」

「へぇ、名前は知っていたけれど、福島県の鉄道なんだね……これが、今の日本のディーゼルカーの元祖……」

「そうなるわね。しかもほら、この鉄道に導入された気動車は日本のメーカーが製造したものなのよ」

「わ、本当だ……ずっと外国メーカーだとばかり思っていたよ」

「まあ、流石にエンジンは外国製だったみたいだけどね」


 何度も読み直したはずの本だけれど、彩華さんと一緒になって熟読すると、どこか新しい発見があるように感じた。やはり彩華さんの気動車の知識が、この本に新たな価値観を生み出しているのかもしれない。


 そんな感じで賑やかに会話を交わしながら読み進めた僕たちは、ようやく分厚い2冊セットのうち上巻を読み終える事が出来た。そして、下巻に手を伸ばそうとした時、ふと視線に机の上の時計が入った。そのデジタル表示は、部屋の中でかなりの時間を過ごしていた事を僕たちにしっかりと教えてくれていた。


「あ、もうこんな時間……」

「本当ね……ふふ、譲司君と一緒にいると、時間が過ぎるのを忘れちゃうわね」

「そ、そうだね、彩華さん……」


 そして、改めて彩華さんは僕の部屋を『和達譲司コレクション』、鉄道資料の宝物だ、と改めて褒めてくれた。それほどでもないし、バリエーションなら彩華さんの方が間違いなく上だろう、と謙遜する僕に対して、彩華さんはそれでもここには自分の部屋にない資料が多数存在する事を強調してくれた。

 

「この気動車の本ばかりに夢中になっていたけれど、この昭和時代の鉄道雑誌!これも私が持っていない号よ!譲司君、なかなかやるじゃない」

「ありがとう……」


 素直に僕の部屋にある資料を喜んでくれる彩華さんを見て、僕も嬉しい気分になった一方、同時に例え大富豪といえども手に入らないものは確実に存在する、という貴重な気付きを得る事が出来た。

 彩華さんも僕も、互いに手に入らない、手に入れたくても手段が限られている何かを持つ者同士。そういった凸と凹を組み合わせることが出来るからこそ、僕たちは『特別な友達』なのかもしれない。


 そんな事を考えていた時、扉の向こうから教頭先生が僕たちを呼ぶ声が聞こえた。父さんや母さんを交えた『大人の話し合い』が終わった証だ。


「どうする、彩華さん?」

「色々名残惜しいけれど、リビングに戻りましょう」

「そうしようか……」


 そして、例の気動車の本を丁寧に本棚へと戻した彩華さんと共に、僕は鉄道資料がぎっしり詰まった自室を後にする事にした……。

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