第131話:ふたりの間に挟まる男

「ごめんなさい!本当にごめんなさい!私とした事が、とんでもない恥さらしを……!」


 家の近くの公園で、彩華さんは全身を真っ赤にしながらずっと目の前にいるスーツ姿の長身で眼鏡の男の人――僕や彩華さんがいつも『鉄デポ』でお世話になっている、とある学校に勤務する教頭先生に謝り続けていた。落ち着いて欲しい、と何とか宥めようとした僕だけど、彩華さんの謝罪は止まりそうになかった。

 仕方ないだろう、挨拶代わりに声をかけてきた教頭先生を、僕や彩華さんはその声も聞かずに不審者だと考え、徹底的に責め立ててしまったのだから。

 でも、『不審者』と間違えられた事には確かに苦笑いを見せながらも、教頭先生は彩華さんを落ち着かせるよう優しい声で語り、こちらこそ悪かった、と謝り返した。


「すまなかったねぇ、私も事前に君の父さんや母さんから和達家の場所を聞いておくべきだったよ……」

「あれ、言わなかったんですか……?」

「譲司君が生まれる前にここら辺へ引っ越してきたのは知っていたけれど、肝心の場所が知らないままだったんだよ」


 それならば、事前に『鉄デポ』で場所を尋ねてくれれば教える事が出来たのに、と語った僕だけれど、教頭先生は色々と複雑な状況に陥っていた。昨晩うっかりスマートフォンの充電をし忘れたせいで電源が切れてしまい、更に慌てて家を出たせいで充電器も忘れてしまったのだ。

 つまり、あの場所で教頭先生に残されていた選択肢は、出会った人に『和達家』の場所を尋ねるという行為しか無かった、という訳である。


「色々大変だったんですね……」

「まぁぶっちゃけほとんど私自身のせいなんだけどね。だから彩華ちゃん、気にしないでくれ」

「本当ですか……?」


 そして、教頭先生は逆に、先程の彩華さんや僕の行動を褒めてくれた。見知らぬ人に突然家を尋ねられてもしっかり警戒し、はっきりと教えなかったり厳しい態度で臨んだりした。一番良いのは防犯ブザーなどを鳴らしたり周りに助けを求めたりする行動だけれど、とっさには難しいかもしれない。そんな中でも決して油断せず怯えず『不審者』に対応した僕や彩華さんの防犯対策はばっちりのようだ、と。


「ど、どうも……」

「あ、ありがとうございます……」


 教師らしい教頭先生の言葉に、僕も彩華さんも若干唖然としながらも感謝の言葉を送った。そして、改めて和達家の場所まで案内して欲しい、という教頭先生の言葉に促されるかのように、僕は彩華さんと共に公園を後にする事となった。どこか、教頭先生のノリにじわじわと乗せられているような、そんな気もしてきた。 


 色々とトラブルはあったけれど、隣にいる彩華さん、後ろを歩く教頭先生を引き連れ、ようやく僕は自宅へと向かうのだった。


「いやぁ、それにしても、君たちの『デート』を邪魔しちゃったのは悪かったねぇ」

「で、で、デート……!?」


 その道中、突然教頭先生の口から飛び出した言葉を聞いて顔を真っ赤にする僕の一方、先程まで頭を下げっぱなしだった彩華さんは、打って変わって頬を膨らませ、まるで不貞腐れたような態度を見せていた。


「当然ですよ、教頭先生。折角私と譲司君で1日中楽しく過ごす予定だったのに……。そもそも一体なんで私たちの時間に割り込む必要があるんですか?」

「た、確かに……ぼ、僕も気になります……」


 教頭先生が一緒に訪れるという展開に不満を隠せない彩華さんの言葉は棘があったけれど、その内容については僕が感じていた疑問と同一だった。

 でも、そんな状況になってもなお、教頭先生は明確な回答を示す事は無かった。具体的な内容を知りたいという気持ちは分かるけれど、本当に『重大な内容』なので、道のど真ん中でいきなり明かすわけにはいかない、とという、その通りかもしれないと納得しそうな言葉は述べたけれど。


「それに、折角だから譲司君の父さんや母さんにもなるべくなら……いや、絶対に伝えた方が良いと考えた訳さ」

「そうなんですか……」

「いやぁ、私に譲司君、彩華ちゃん、それに君のご両親、全員の予定が会うなんて嬉しい奇跡もあるもんだねぇ!私の日頃の行いがとっても良かったからかなぁ?」

「私たちの楽しみを邪魔して何が『日頃の行いが良い』ですか……」

「そ、それは本当に悪かったってば……」

「まあまあ、2人とも……」


 僕との時間をずっと楽しみにしていたのに、教頭先生にそれを邪魔されたとずっと思いこんでいるのか、彩華さんは不満そうな雰囲気を隠せないままだった。このままでは折角家に入っても嫌なムードが漂い続けてしまう、と慌てた僕は何とか2人を宥め、話題を変えようと無い頭を振り絞った。


「あ、あの……!さ、さっきも言っていましたが、教頭先生って僕の父さんや母さんと同じ大学の先輩なんですよね……」

「そうだよ。私は君が生まれる前から、父さんや母さんの事をよく知っているとも」

「ど、どんな感じだったんですか……?」


 大学時代から父さんと母さんは仲が良かったと言うが、どのような感じだったのか、と聞いた僕に対し、教頭先生はどこか嬉しそうに様々な事を語り始めた。大学に入学して間もない頃、まだ右も左も分からない2人をオリエンテーリングで様々な場所を案内したのが出会いである事、それ以降様々な内容の相談に乗ったり、勉強を教えたり、時にはテストの予想問題を作成したり、色々とお世話をした事など、話は尽きないようだった。


「それに、あの頃から君の父さんや母さんはラブラブだったねぇ。本人たちは恥ずかしがっていたみたいだけどねー」

「そ、そうだったんですね……」

「ま、確かなのは私は2人に頼られる格好良く素敵な先輩だったって事だね!」

「本当ですかね?」

「ほ、本当だよ!」


 彩華さんの鋭い突っ込みに慌てる教頭先生だけど、僕も正直な話、若干本当なのか疑ってしまっていた。確かに父さんや母さんは色々と先輩に頼りにさせてもらった旨を何度か語っていたけれど、同時に先輩のマイペースぶりには色々と苦労した事を伺わせる発言も何度か口にしていた。

 良い人で頼りになる人なのは間違いないけれど、少しでも油断すると自身のペースに相手を巻き込ませてしまう。他の『鉄デポ』のメンバーとはまた違う性格の教頭先生に、僕はどこか言葉にしづらい、奇妙で複雑な感覚を抱いていた。

 

 そんな事を考えているうち、僕と彩華さん、そして教頭先生は、僕が暮らす『和達家』の一軒家へと辿り着いた。

 2階建ての家が佇む様子を、彩華さんは口を半開きにしながらじっと見つめていた。


「ここが……譲司君の家なのね……」

「へぇ、なかなか素敵な家だねぇ」

「あ、ありがとうございます……」


 そして、呼び鈴を押した僕が、無事彩華さんと教頭先生を連れてきたことを語ると、しばらくの間を置いてゆっくりと玄関の扉が開いた。


「あっ……!」


 その中から覗いた人影――僕の父さんや母さんを見た彩華さんから、どこか驚いたような、緊張したような声が聞こえた。

 ここからどうすれば良いか分からないかのように立ち止まってしまった彩華さんの横顔を見つめた時、僕の目の前を教頭先生が早足で横切り、そのまま賑やかな声で父さんや母さんに挨拶をしたのである。


「やあやあ久しぶりだねぇ!元気してた?いやぁ、2人とも全然変わらない感じで何よりだよぉ!」

「せ、先輩……どうも……」

「先輩も全然変わってないですね……色々な意味で……」


 いきなり押し掛けてテンション高く声をかける教頭先生の勢いに押された父さんや母さんは、そのまま教頭先生、そして彩華さんを家へと招き入れた。みんなで一緒に入ってのんびり寛ごう、と何故か僕たちを仕切り始めた教頭先生が先に家へ入ってしまう中、彩華さんは少々唖然とした様子でその光景を眺めていた。


「い、彩華さん……大丈夫……?」

「だ、大丈夫よ……だけど、リアルで会う教頭先生、色々と凄い性格ね……」

「ま、まあそうだよね……マイペースの塊と言うか何というか……」


 でも、悪い人でないのは確かなのよね、と彩華さんは念を押すように語った。そもそも、『鉄デポ』内で教頭先生が精神的な支柱となり様々な優しく頼もしい言葉で支えてくれなければ、僕や彩華さんが苛烈ないじめを乗り越える事は出来なかっただろう。『良い人』の中にも色々な人たちがいるものだ、ともう一度僕は彩華さんと共に考えを共有し合った。


 ともかく、ついに綺堂家の令嬢にして『特別な友達』である綺堂彩華さんが、ついにこの僕、和達譲司の家の中へ足を踏み入れる時が訪れた。


「そ、それじゃ……い、彩華さん……わ、我が家へようこそ……!」


 その事を意識し過ぎたせいで折角の決め台詞を噛んでしまった僕だけど、彩華さんはそのような些細な失敗など気にしていないようだった。


「……お招きいただき、ありがとうございます。和達譲司君!」


 丁寧な口調と共に、嬉しそうな笑みを見せてくれたからだ……。

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