第128話:特別な友達か、大事な先輩か

 この僕、和達譲司の父さんや母さんは、同じ大学に通っていた頃色々とお世話になった、もしくは両親曰く『色々とお世話もした』という共通の先輩がいた。当時は教育学部に在籍しており、無事教員免許を獲得して卒業する事ができた。

 面と向かって会う機会は減ってしまったけれど、今もその先輩とは時々電話で語り合う事があるという。

 そして、その先輩は綺麗で美しい人と結婚した既婚者で、しかもこの僕と同じ、根っからの『鉄道オタク』である――ここまでが、それまで僕が把握していた、父さんや母さんの『先輩』に関する情報だった。


 でも、その先輩が、とある学校で実際に教師として勤務している人だというのは、今回が初耳だった。

 そして、そこから父さんや母さんが語った情報もまた、僕が初めて聞く内容となった。


 以前、僕のいじめに関する動画がネットで拡散した際、父さんや母さんも僕とは別のルートでその事実を知り、憤りを露わにしてくれた。

 実は、その時に家の固定電話にいじめに関する動画の事、それはもしかして和達家の息子が通っている学校でないか、という情報を真っ先に教えたのは、あの先輩だったという。

 そして、その旨を先輩に連絡する際、父さんや母さんは迷った末に敢えてこの僕――『和達家の息子』がいじめに遭っている事、それに関して学校を辞めようと考えている事、そして次の進路についてずっと悩んでいる事を、『先輩』=教師と言う学校の最前線で働いている人に相談する決意をしたのだという。

 結果として事後報告になってしまい申し訳ない、と謝った父さんや母さんだけど、僕はその気持ちが分かる気がした。あの時は文字通り切羽詰まった状況、僕の存在が世界中に知れ渡ってしまうという予想外の事態。父さんや母さんが『先輩』という事情を理解してくれそうな人を頼るのも無理はない、と僕は考えた。僕だって、教頭先生を始めとする『鉄デポ』の皆の助けが無ければ、あの異常事態を耐える事は出来なかったはずだから。


「それで、どうなったの?」

「ああ、その後も俺と母さんは何度か先輩に相談に乗ってもらったんだ。フリースクールや通信制、色々な選択肢の良しあしをね」

「確か、先輩本人から私たちに電話がかかってきたこともあったわね……」

「ああ、もしかして……」


 確かに、父さんや母さんが一旦リビングを離れ、各自の部屋で何かしらの電話に応じている姿を、僕は何度か目にしていた。もしかしたら、その相手こそが父さんや母さんの『先輩』だったのかもしれない、と僕は納得した。

 そして先日、その『先輩』からこんな連絡が届いた。是非家を訪れ、和達家の息子であるこの僕、和達譲司本人を含めた話し合いがしたい、と。具体的な内容は生憎言わなかったようだけれど、新たな学校の選択、そして今後の進路にも関わる事になる大きな問題だというのだ。その家を訪れる日時が、よりによって彩華さんが是非僕の家を訪れるのにうってつけの日時だと選んだ休日だったのである。


 彩華さんと家で過ごす時間、『先輩』から進路の相談を受ける時間――どちらとも、僕にとってはとても大きな出来事になるのは間違いない。

 

 ただ、当然というか何というか、父さんや母さんは出来れば『先輩』との予定を優先して欲しい、と僕に告げてきた。

 勿論、僕もそれは大いに理解できた。僕の次の学校や僕の未来に関する重要な内容を相談するとなれば、そう簡単に予定を変えてもらう訳にもいかないだろう、と。しかも、相手は学校で教師を務めている人。忙しい中、予定を組んでやって来てくれるのに違いないからだ。


 でも、僕の本心は違った。できれば、本当に可能ならば、彩華さんと一緒に過ごす時間を選択したい。それが、僕の正直な思いだった。

 そして僕の心に、『鉄デポ』で聞いたコタローさんや鉄道おじさんの言葉が浮かんできた。自分の意に反する事態が起きる事は誰だってある。でも、そういう時に強情を張るのもたまには良い。がむしゃらに食らいつき、自分の要望を貫き通すのも時には大事。それが、『青春』の特権なのだから――。


「……あ、あの……父さん……母さん……!」


 ――そして、僕は、敢えて『ワガママな駄目息子』になる決意をした。


「ぼ、僕は……彩華さんをその日に家に誘いたい……できれば、『先輩』に予定を変えて欲しいんだ……」


 思った通り、父さんと母さんは僕に複雑な表情を見せてきた。その気持ちは分かるが、先輩は学校での忙しい日々の中で時間を割いてくれた。こちらの事情でいきなり駄目だと伝えれば、相手に迷惑がかかるのではないか、と。

 でも、その気持ちが分かるが故の心の痛みを抑えながら、僕は諦めずに父さんと母さんに語った。 


「確かにそうだけど……でも、それは彩華さんだって同じだよ……。彩華さんは、綺堂家の令嬢として忙しい日々を過ごしているはず。その中で、僕のために貴重な時間を空けてくれたんだ。たった1人、僕のために……。そ、それに……もしかしたら、この時を逃したら、家を訪れる機会がないかもしれない……」

「譲司……」


 何とか思いを語り終えた僕に対して言葉に詰まる様子の母さんの一方、父さんは若干厳しい表情を見せながら、僕に尋ねた。敢えて意地悪な事を尋ねたい、という前置きを加えながら。


「今の譲司が選ぶ選択肢は2つある。目の前にすぐ見える一過性の『欲望』と、まだよく見えないけれど未来へ続くのが確実な『希望』だ」


 譲司はどちらを選ぶのか――そう尋ねた父さんの言葉には、両親という立場としてどうしても『先輩』の方を選んで欲しい、という願いが込められているのがよく分かった。確かに父さんの言う通り、その質問は意地悪な内容だったかもしれない。

 それでも、僕はしばらく悩んだ末に、はっきりと正直な思いを告げた。例えそのように考えを誘導するような言葉を述べられても、僕の『ワガママ』な願いは叶わない、という事を。


「本当は、『欲望』も『希望』もどっちも手に入れたい。僕としてはどっちも大事だと思うから……。で、でも、無理なんだよね……」

「そうなんだよ、譲司……」

「……ごめん、だからこそ僕は、目の前にある分かりやすい一過性の『欲望』を優先したいんだ」


 そんな僕の言葉が響いた後、リビングの中は長い沈黙に包まれてしまった。

 先輩との予定を優先したい父さんと母さん、彩華さんとの予定を優先したい僕。どちらも、断ってしまうと相手に迷惑が掛かってしまい、下手すれば二度と家に訪れなくなってしまう可能性すらある。

 二者択一、どちらを選ぶのが最善の方法なのだろうか、和達家の中で答えがまとまらず、平行線を辿ってしまっていた、その時だった。突然、固定電話に着信が入ったのは。

 突然の出来事に心臓が飛び出るほど驚いた僕の一方、母さんは驚きつつも動じずにその電話に応じた。そして、すぐその相手を聞いて、驚きの言葉を口にした。


「え……せ、先輩……ですか!?」

「!!」


 そう、夜分遅くに僕たちに連絡をしたのは、難航する家族会議の渦中の人であった、父さんと母さんの大学時代の『先輩』本人だったのである。

 そして、それに気づいた瞬間、僕はつい大声を出して母さんに頼んでしまった。計画を変える事が出来るかどうか、先輩に尋ねて欲しい、と。


「譲司、無茶言うんじゃない」

「ご、ごめん……」


 流石にやり過ぎた僕の行為はすぐ父さんに咎められてしまったけれど、直後母さんはゆっくりと頷き、電話の向こうにいるはずの『先輩』へ向けてこう言った。


「先輩……言いづらいのですが……その、予定を変える事って……」

「……!?」


 そして、そのまま母さんは僕から聞いた話を先輩に伝えた。息子にとってとても大事な人が、同じ日に家にお邪魔する事になった。その人もまた、絶対に予定を変える事が出来ない状況になっている。息子の一世一代、二度とない大舞台を優先させてもらう事は出来るだろうか、と。


「……母さん……」


 先程までずっと僕の意見に対して複雑な心境を露わにしていた母さんが、一転して堂々と『先輩』に僕の予定を優先して欲しい、と伝えてくれた。突然の事態に、嬉しがるよりも先に唖然としてしまった僕の肩を、父さんは優しく叩き、母さんがそう言うなら仕方ないな、と苦笑いしながら僕の考えを認めてくれた。


「そうだよな……母さんの言う通り、友達が初めて家に訪れるなんて、一世一代の大舞台だ」

「父さん……」

「ただ、言っておくが、ガールフレンドと遊ぶ事を選択したのは失敗だった、なんてことは絶対に言うなよ。父さんや母さんだけじゃない、友達への裏切りにもなるからな」

「う、うん……分かった……。あ、ありがとう……父さんも母さんも……」


 今回は仕方ないか、と言う父さんと、固定電話の子機を握りつつ笑顔を見せる母さん。改めて僕は、欲望まみれの『ワガママ』を押し通させてくれたふたりへの感謝と尊敬の念を強くした。

 ところが、その直後だった。


「……え?……あ、はい……え、いいんですか、今……!?あ、はい……」


 困惑したような口調に変わった母さんの様子を少し心配した時、子機から一旦手を離した母さんが予想外の言葉を述べた。『先輩』が、是非この僕――和達譲司と語り合いたい、と言ってきたのである。


「え、ぼ、僕……!?」


 確かに、僕の父さんや母さんの相談に真摯しんしに応じてくれたという先輩が悪い人であるはずがない、という事は理解していた。でも、まさかこの場でいきなり話す事になるなんて思わなかった僕は、その不安が全身に現れてしまっていた。

 そんな僕を見た父さんは、優しく励ましてくれた。先輩は全然怖い人じゃないし、むしろ面白い人。そんなに恐れず、思う事を話せばよい、と。

 その言葉に後押しされた僕は、母さんから子機を受け取り、両親が長年お世話になった『先輩』との初めての会話に臨む決意を固めた。


「も、もしもし……」

『もしもし……お、通じたね。君が、和達さん家の息子さんかな?』

「あ、はい、そ、そうです……わ、和達譲司です……は、はじめ……」


『「はじめまして」、か。なるほど……そう言いたいんだねぇ。ふふ、でも本当に、私と君は「はじめまして」の関係かな?』

「えっ……?」


 明らかに何かを隠しているかのような『先輩』の言葉。何故そのような口ぶりなのか、僕は最初その理由が全く理解できなかった。何度か困惑の声を出しているうち、『先輩』は幾つかのヒントを与えてくれた。


『君の声を聞いた時、私はすぐ君が誰だか気付いたよ。よく知っている声だってね』

「え、ぼ、僕の……声……ですか?」

『そう、和達譲司君、君の声さ。私はその声をよく知っているよ』

「そ、そ、そうなんですか……?」

『当然だよ!「鉄道」の話をしたり、人生相談を受けたり、君が辛いいじめを受けている時に何度も一緒に話をしたり。君とは色々と交流してきたからねぇ』

「鉄道……人生相談……いじめ……え……ええっ……!?」


『……気づいたかな?』


 そして、悪戯げにそう述べた声を聞いた瞬間、僕は電話の向こうにいる『先輩』が誰なのか、ようやく思い当たった。

 年長者なのにお調子者でマイペース、でも何だかんだでいざと言う時は頼りになる、そんな人の声を、僕は今まで何度も聞き、そしてその声に何度も救われてきたのだ。


「あ、あの……ま……まさか……貴方は……!?!?」


 夜という時間帯もあり大声を出す事を何とか我慢しながらも、驚きを隠せない僕へ向けて、『先輩』、いや――。


『夜分遅く悪いねぇ!和達譲司君、いや、「ジョバンニ」君!』


 ――『教頭先生』は、改めて僕に挨拶をしたのだった……。

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