第112話:ジョバンニの真相
『ジョバンニ』という少年が、たった1人の友人である『カムパネルラ』と共に不思議な列車に乗り込み、夜空に輝く銀河を駆ける旅に出かける。
旅の中で、2人は様々な出会いや別れ、奇妙な伝承、不思議な光景を味わい、その中で様々な形で心が揺れ動かされていく。
やがて、旅の終わりが見えてきた時、『カムパネルラ』は忽然と姿を消す。
目覚めた『ジョバンニ』は自分自身が列車の中ではなく、出発地点にずっと眠っていた事に気が付き、そして共に旅をしていたはずの『カムパネルラ』が迎えた、あまりにも衝撃で残酷な運命を知る事となる――。
「本当に……本当に知らないの、サクラ?」
――日本を代表する作家が執筆した、神秘的で雄大で、そして心を締め付けるような切なさに満ちた小説。
作者の身近にあったという『鉄道』を題材にしたこの作品は、『鉄道』というジャンルを飛び越え、文学史に名を刻むものとして、今もなお多くの人々に親しまれ続けている。
勿論、僕も彩華さんもこの作品に触れ、その作品が持つ魅力を存分に味わう事が出来ていた。
だからきっと、この僕、和達譲司にとって初めてのニックネームとなった『ジョバンニ』の名付け親である幸風さんも、この著名な作品を認識した上でこの名前を考えてくれたのだとばかり思い込んでいた。
ところが、それを確認した僕たちに返ってきたのは、きょとんとした表情の幸風さんの反応だった。もう一度、見間違いではないかと再確認した彩華さんの問いにも、そんな作品は見た事が無い、という返事が戻ってきたのである。
「ほ、本当に!?だ、だってあの本よ、あの作品よ!?本当に知らないの!?」
「待って待って、題名言ってくれないと全然分かんないし……」
「ほらあれよ、岩手県の有名な作家が執筆した……」
そして、彩華さんがその有名な鉄道作品の題名を述べると、幸風さんは納得したように手を打ち、それなら読んだ事があるかもしれない、と口にした。
でも、幸風さんが夜が更けるのも忘れてたっぷりと熟読したという作品は『銀河鉄道』という題名こそ共通していたけれど、その後に続くのは『3桁の数字』だった。勿論、そちらの方も有名だし、日本を代表する鉄道作品なのは間違いない。でも、それは小説ではなく『漫画』で、しかも今回述べている作品とは何ら関係なく独自に描かれたストーリーだ、と彩華さんは突っ込むように幸風さんに指摘した。
「え、ちょっと待って、ガチで分かんなくなってきた……。あたしが読んでたのは漫画で、彩華が言っているのは小説……もしかして、彩華の小説ってあたしの漫画のノベライズとかそういう感じ?」
「あ、あの……彩華さんが述べている小説は昭和初期、1930年代の作品なんです……」
「え、マジ!?じゃあ全然関係ないじゃん!!」
トロッ子さんの助言を聞いた幸風さんは、本気で驚くような表情を見せた。
それを見たナガレ君も、この小説は非常に有名なもので、その幸風さんが大好きな漫画を始め、ソーシャルゲーム、アニメ、文学、演劇など様々な分野に影響を与えている、と説明した。『夜空を駆ける蒸気機関車牽引の客車列車』というイメージも、もしかしたらこの小説から生まれたものかもしれない、という自説も含めながら。
それを聞いて感心する幸風さんに、『ジョバンニ』というニックネームを貰った僕も解説に加わる事にした。
「あと、2023年まで釜石線を走っていた蒸気機関車列車のモチーフもこの小説なんです……。それに、釜石線自体の別名も確か……」
「え、あれってそうだったんだ!あたし、てっきり車窓から見える『銀河』がめっちゃ綺麗だからそういう名前なんだって思ってたよ……うーん、違ってたか……」
そんなに全国規模で有名な作品なのに、今の今までずっと知らないまま過ごしていた事に対して、幸風さんはどこか複雑な、気難しそうな表情を浮かべていた。『銀河鉄道』という概念は知っていながらも、様々なすれ違いの結果あの作品に触れないままだった自分に対して苛立っていたのか、それとも開き直っていたのか、見た目からはよく分からない状態だった。
一方、幸風さん以上に頭を抱えている様子だったのは彩華さんだった。正直、僕は幸風さんに『ジョバンニ』というニックネームを授かった事が純粋に嬉しかったし、それが本当に『
「ほ……本当にあだ名の由来は『常磐線』……あの小説とは全然関係ない……。じゃあ深読みしていた私って何だったのよ……『ジョバンニ』に対するカムパネルラになれない、って悩み続けていた私って一体……」
「い、彩華さん落ち着いて……」
「そ、そうっすよ、サクラさんも……」
色々と妙な状況に陥ってしまった僕たちを鎮めてくれたのは、ずっと僕たちのやり取りを静かに聞いていた美咲さんだった。
「……確かに、あの小説はとっても有名だね。私も小さい頃に買ってもらって、何度も読んだっけ」
「ミサ姉さんもそうだったのね……」
「でもさー、『世間で有名』だからって、世界中全ての人、全ての鉄道オタクがその小説を読んでいたり知っていたりなんて事はあり得ないんじゃないかな?」
ジョバンニ君も彩華ちゃんも、『世間で有名』な所属事務所の社長、『伝説のアイドル』の事を先程まで把握していなかったように――そう指摘された彩華さんは、同時にはっとした表情を浮かべた。恐らく僕も、同時に同じような顔つきになっていたに違いない。
世間で常識中の常識だった『伝説のアイドル』を僕たちが知らなかった事を、美咲さんは咎めたり怒ったり馬鹿にしたりせず、むしろ楽しそうにその『伝説のアイドル』について語り尽くしてくれた。そのお陰で、僕たちは美咲さんの『憧れの人』に対して興味を持つことが出来たのと同時に、知らない事自体は決して罪ではない、という事を教えてもらった。今、まさに僕たちはその美咲さんと同じポジション――自分たちの中で常識であったことを知らない人と接する側にいるのだ。
「確かにそうね……私や譲司君の常識が、サクラの中の常識とは限らない……」
「僕の中の常識だって、美咲さんたちと同じとは言い切れないですからね……」
「そうだねー。でも、互いの常識が違う事で驚いたり悩んだりする気持ちは私も分かるよー。まあ、ふたりが無知を笑う人じゃない、って言うのはよく知っているけどね」
「そ、そうです……!」
「流石にそんな事はしないわ……!で、でも……私も驚いてしまって……」
優しくも敢えて釘を刺すような言葉を述べた美咲さんに、慌ててそんな悪い事はしない、と弁解した僕や彩華さんの様子を見ていた幸風さんは、何かを考えるように頷いた後、こう述べた。別に自分は彩華さんの言葉に対して苛立ったり落ち込んだりはしていないし、『ジョバンニ』という僕のあだ名は今も気に入っている、と。
「でも、まさかそう言う小説があったなんてね……しかもめっちゃ有名だとか……鉄道の世界ってやっぱり広いな、って感じたんだ」
「なるほど……そうっすよねー。俺だって、鉄道モチーフの漫画とかアニメとか、まだ触れてないの多いですし」
「私もゲームは全然分からないわ……」
でも、知らない事があるからこそ、それを知った時の喜びは大きいのかもしれない。そのために、自分たちは知識を蓄え、新しい情報に飛びつき、『鉄道』というコンテンツを次々に心の中で更新し続けている――この事態を纏めるように述べた美咲さんの言葉に、僕たちは同意の頷きを示した。美咲さんが『ミサ姉さん』『美咲姉さん』と呼ばれて慕われている理由を、改めて僕は認識する事が出来た。
「それに、知らない事を知る楽しみを得るために、私たちは今から『図書館』へ行くんですよね」
「そうですよね、トロッ子さんの言葉通り……」
「図書館……あ、ああ……それだ!!」
トロッ子さんと僕のやり取りを聞いた幸風さんが突然大声を出したのを聞いて驚いたのは彩華さんだった。当然だろう、突然自分の方を指さして、興奮したような表情を向けてきたのだから。
「彩華!折角図書館行くんだからさ、あたしその本絶対借りたい!彩華がお勧めするんだから絶対面白いと思う!だから後で場所教えて!絶対教えて!」
「わ、分かったわ、了解……そうね、有名だって口を酸っぱくしていったのは私の責任だし……」
絶対見つけてじっくり読んでやる、と意気込む幸風さんを見て、ナガレ君がこう言った。どうやら、この僕=『ジョバンニ君』や彩華さんが、オフ会の最初の目的地として『図書館』を指名したのは大正解だったようだ、と。色々あって皆の心の悩みを解き、レストランで互いの本名を共有し合い、そして『ジョバンニ君』の名前に秘められた事情を明らかにする――。
「なんか、色々な事柄が見事に絡み合っているようで、面白いって思ったんすよ!」
「確かに……なんだか上手く緩急接続されているというか……」
「レストランでこうやって話をしなかったら、あたし絶対例の小説の事知らなかったし……」
――そんなやり取りをしていた僕たちへ向けて、美咲さんはそろそろそのレストランを後にした方が良いだろう、と促した。
気づけば食べ終わってから僕たちは本名の交換、小説の紹介など話が盛り上がってしまい、予想以上に長居してしまっていた。テーブルの傍にやって来た店員さんへ向けて慌ててその旨を謝った僕たちだけど、店員さんは気にしないで欲しい、にこやかに話が進んだで何より、と優しい口調で返してくれた。
そして、僕たちは各自の荷物を手に持ったり背負ったりしながら、席を後にレジへと向かった。
今回、オフ会の食費については割り勘ではなく各自で支払う旨を僕たちは事前に決めており、たっぷり食べた分の現金や電子マネーをそれぞれ支払う事となった。
がっつり系の食事を注文した事もあって少々出費が嵩んでしまったけれど、その美味しさと満足できる量に加えて、皆と楽しく心から語り合う時間を楽しめた分の金額である、と考えれば、ほとんど気にする事ではなかった。
「じゃ、そろそろ行きましょうか、『図書館』へ!」
「おー!」
「よーし、図書館への道のりは長い!みんな俺についてくるっすよー!」
「まあついていくと言っても、レストランの目の前だけどね」
「少し歩いただけで『長い道のり』が終わりますね……」
でも近い事は良い事だ、と笑顔で語るナガレ君を始め、このオフ会に参加している皆のテンションが少しづつ高くなっているような気がした。そして、僕もまた、心の中に高揚感のようなものを感じていた。
普段と同じ佇まいを見せる図書館だけど、6人で訪れると何か特別な事が待っているかもしれない。どんな本や素晴らしい時間に巡り会えるだろうか――そんな事を考えながら、僕もまた、皆と共に笑顔を見せた……。
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