第111話:『鉄デポ』ネームド大辞典
モデル兼インフルエンサーとして、僕と同年代の女子たちを中心に高い支持を得ている『幸風サクラ』さん。
見た目も服装も、いわゆる『ギャル』そのものの容姿をしているサクラさんだけれど、その正体は、かつて日本全国を走った青い車体の寝台客車列車『ブルートレイン』が何よりも大好きという大の鉄道オタク。
そんな幸風さんの本名は、モデルとして活躍している時の名前と同じ読み方、でも下の名前が漢字の『
「なかなかいい名前っすねー」
「可愛らしくて素敵だと思います……!」
皆で感想を述べたり褒めたりしている中で、彩華さんは幸風さんが本名のままで活動している旨を指摘した。一応下の名前をカタカナに変えているとはいえ、なかなか勇気ある判断をした、と。
「いやぁ、だってさー、あたしの名前があちこちで呼ばれたり凄いって言われたりチヤホヤされるのってめっちゃ気分いいじゃん?」
「な、なるほど……そういう考えもあるんですね……」
「サクラらしい判断ね。あ、もちろん褒めてるわよ」
プライバシーの問題、何か厄介な事態が起きた時の対応など、ネットの世界で本名を名乗るデメリットは多いけれど、幸風さんのような捉え方もあるのだろう、と僕は考えた。自分の名前で有名になるというのは、確かに良い気分になるのかもしれない。
すると、その思いは少し理解できる気がする、とナガレ君が賛同の意志を示した。流石に自分の名前をそのままニックネームに使う勇気は出なかったけれど、自分もある程度『本名』を使ったものを使っている、と。つまり、『飯田ナガレ』という名前は本名ではない、という事である。
「じゃあ、次はナガレ君だねー」
「よっしゃ!俺の本名はこれっす!」
そう言って、僕たちに見せてくれたスマートフォンの画面には『
「へぇ、なんかめっちゃ格好良い響きじゃん」
「ナガレ君もなかなか素敵な本名ね」
「あ、あの……もしかして、この名前の一部が、ナガレ君のニックネームの由来でしょうか……?」
トロッ子さんの問いに、ナガレ君は嬉しそうに正解のポーズを見せていた。
動画配信者としてデビューするにあたり、ナガレ君は様々な案を考えていた。いっそ本名からがらりと変えてしまうのも視野に入れたけれど、だからと言ってすぐに良い案が浮かぶわけもなく、しばらく悩んでしまった。そんな時、ふと頭に浮かんだのが、ナガレ君が大好きだというレトロな国鉄時代の電車『旧型国電』の中のエース格、流線形の車体が自慢の『
「それで思いついたんすよ。俺の名前にも『流』って文字があるんだから、『流電』をリスペクトしてこの漢字を使ってみようってね!」
「なるほど……だから『ナガレ』になったんだね」
「へへ、そうっすよー。今じゃみんなから『ナガレ君』って呼ばれるようになって、考えた甲斐があったって奴っすよ」
本名で呼ばれるのも確かに嬉しいけれど、悩みに悩んだ末に思い付いたアイデアが皆に受け入れられる嬉しさもまた格別だ、という言葉に、そういう考えもあるのか、と興味津々な様子を見せていた幸風さんの一方、同意の頷きを示していたのは美咲さん――皆の本名を共有したい、と提案してきた張本人だった。
「じゃあ、次はミサ姉さんかな?」
「りょうかーい。私の場合、普段アイドルとして別名義で活動しているから、逆に『鉄デポ』は本名で登録する事にしたんだ」
「つまり、『美咲』って言うのは本当の下の名前って事かしら?」
「そうそう。それで、私の苗字は……」
そう言いながら、ナガレ君に続いて美咲さんも自分自身のスマートフォンの画面を僕たちに見せてくれた。そこには、『
そして、『ムラサキ』という名前を聞いた途端、僕たち鉄道オタクは真っ先にある事を思い出していた。
「村崎……ム・ラ・サ・キ……貨車の重量記号……」
「そうじゃん!ミサ姉さん、苗字からして『貨車』って感じじゃん!」
幸風さんの言葉に、そう言われると鉄道オタクとしてありがたい、と美咲さんは嬉しそうな笑顔を見せていた。
貨物列車に欠かせない、様々な物資を輸送する事に長けた鉄道車両『貨車』。その各車両の重量を判断する際に用いるカタカナ記号と、美咲さんの苗字の読み方は偶然にも同じ『ム・ラ・サ・キ』。憧れの社長と並んで『貨物列車』が大好きになったのはきっとこの苗字のお陰もあるかもしれない、と美咲さんは語った。
「でも、それを抜きにしても『村崎』という苗字は風流があって素敵だと思います」
「そうよね。ミサ姉さん、この本名でアイドル活動しても良かったのじゃないかしら?」
彩華さんの指摘通り、実は美咲さんは本格的にアイドルとして活動を開始を開始する際、本名で活動する事も検討していたという。でも、社長と話し合った末、本名で活動するリスクに加えて少々照れ臭かったからという理由もあり、最終的に『
「まあ、その真実を社長に告白したら苦笑いされちゃったけどね」
「あらら、そうだったんすね……」
「社長さんはあまり鉄道には詳しくないんでしたっけ……」
「そうなんだよー。さっきも言ったけれど、『伝説のアイドル』でも鉄道には明るくないみたい。でも弱点は誰にだってあるし、魅力でもあるよねー♪」
そんな感じで、アイドルになるきっかけを作ってくれた所属事務所の社長さんへの『好き』の気持ちを再び述べつつ、美咲さんはトロッ子さんに話題を振った。
次は、完全に本名と異なる名前を『鉄デポ』に登録しているトロッ子さんの本名を知る番だった。
「あ、あの……わ、私は……こういう名前です……改めて、よろしくお願いします……」
そう言ってトロッ子さんが見せた画面には、『
「いい名前じゃんトロッ子!」
「美しくもあり、可愛くもあり、って感じだねー。私は好きだよ」
「ぼ、僕も素敵だと思います……!」
声に出して読みたい、などと僕を含めた皆が褒め称えるのを見て、トロッ子さんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらも、しっかりと笑顔を見せてくれた。
今まで自分の親以外に本名の事を褒められる機会が無く、こうやって皆から評価されるのは本当に初めてだ、と語りながら。こんな素敵な名前を誰も好きにならないなんて、トロッ子を見る目が無い連中ばっかりだ、と少々厳しい内容の幸風さんの言葉に、僕は自然に同意の頷きを見せた。
やがて、順番は彩華さんに回ってきた。
スマートフォンを操作し、皆に送信した連絡先には、『
幸い、初対面時に彩華さんの『梅鉢』という別名義の苗字を認識した幸風さんも含め、誰もその事に気づかず、違和感を持つ様子はなかった。
「なんだか風流って感じですね……」
「あれだね、育ちの良さを感じるって言うか、何というか、かな?」
「分かる分かる!彩華の雰囲気にぴったりの苗字だよねー」
そう褒めてくれると非常に嬉しい、と語る彩華さんの『嬉しさ』の意味を、僕は完全ではないけれど把握していた。『梅鉢』というのは、彩華さんの母さんが綺堂家に嫁ぐ前に名乗っていた苗字。これを褒めてもらう事は、同時に彩華さんの母さんの事を高く評価してくれることに繋がるのだ。
彩華さんがそれだけ大切に思っているのだから、彩華さんの母さんはきっと素敵で凛々しい人に違いない。いつか機会があったら是非会ってみたいものだ、と僕は心の中で感じた。
こうして、僕はここにいる5人の本名を把握する事となった。
幸風さんは『幸風桜』さん。
ナガレ君は『飯田流ノ介』君。
美咲さんは『村崎美咲』さん。
トロッ子さんは『雨宮京香』さん。
そして、彩華さんは『綺堂』――いや、今は『梅鉢彩華』さん。
そして、いよいよ最後の一人であるこの僕、『
「ふふ、いつ見ても素敵で格好良い名前ね……♪」
「そ、そう言われると照れるけれど嬉しいな……」
「まあ確かに良い名前だと思うっすよ。ジョバンニ君の逞しさや優しさを示してる感じっすね」
「こういう名前を付けてくれたジョバンニ君のお父さんやお母さんも、素敵な人なんだろうね」
「あ、ありがとうございます……」
先程の彩華さんの反応と同じように、僕も名付け親の両親が褒められるとどこか自分以上に嬉しい気分になった。
トロッ子さんも語っていたけれど、僕もあまり『自分の名前を褒められる』という経験はなかった。でも、こうやって皆に評価されるというのは決して悪い事でははなく、むしろ家族全体が褒められるような気がしてとても良い気分になれた。そして、本名で活動する幸風さん、本名を由来とした名前を使うナガレ君の考えに触れる事で、自分の名前に自信を持つという捉え方を知ることが出来た。
改めて、僕は『名前』の大切さを認識できたのかもしれない。
「なるほど……ジョバンニさんの『ジョバンニ』というのは、『譲司』というお名前をモチーフにしたニックネームなんですね」
一方、そのように指摘したトロッ子さんの言葉を聞いた幸風さんは、どこか鼻高々な表情を見せながら自慢げに語りだした。
元々この名前を考えたのは自分。初対面の時に『譲司』という名前を聞いた時にピンと来たのが『
「そのような由来があったんですね……」
「あたしってネーミングセンスあるでしょー♪」
「全く……でも、本当はあの有名な鉄道小説の主人公から名付けたんでしょう、サクラ?」
そう指摘した彩華さんに、僕も同意の言葉を重ねた。
この『ジョバンニ』というあだ名を頂戴してからというもの、この名前を持つ主人公が大親友と共に不思議な鉄道の旅に出る小説の話題を、僕は彩華さんと何度も共有していた。そしてその度に、互いの関係性を小説の主人公とその親友に重ね合わせ、ふたりのようになりたい、でも今の状態では無理だ、それでも構わない、など様々な事を語り合ってきたのだ。
そして、確かに本人は『常磐線』だと言い張っているけれど、実際のところはこの小説の主人公が真の由来なのだろう、と僕たちは確信しきっていた。本人が語った由来は、本当のことを言うとキザに見えてしまうのを防ぐための照れ隠しか何かだろう、という推測を交えながら。
ところが、僕たちに返ってきたのは、予想外の対応だった。
「え、小説?何それ?」
それは、あの有名な、日本を代表する鉄道小説の存在を全く知らないと言わんばかりの、幸風さんのきょとんとした表情だった……。
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