第110話:機密情報暴露事案

 図書館の隣にあるレストランで、待ちに待った美味しい昼ご飯をたっぷり、存分に、隅から隅まで味わい尽くした僕たちは――。


「「「「「「ごちそうさまでした!」」」」」」


 ――あっという間に目の前に並べられた皿の上を空っぽにしてしまった。

 お昼過ぎまで何も食べていなかった事に加えて、皆で心の内を明かし、互いの悩みを共有し合う体験をして一安心したというのも重なり、思いっきり空腹になっていた僕たちは、無我夢中に各自が注文したメニューを口にし続けていたのである。勿論、僕も佐賀県名物という料理・シシリアンライスを存分に堪能する事が出来た。


「いやー、食べた食べたー!」

「美味かったっすねー!カツカレーのカツの歯応えもなかなか良かったっす!」

「美味しくて箸やスプーンがどんどん進んじゃうねー」

「オムライスも……卵の味わいがとても素晴らしかったです……!」


 初めてここのレストランの料理を味わったナガレ君、美咲さん、トロッ子さんが嬉しそうな表情を見せる一方、僕と同様にこの場所を何度も訪れ、その素晴らしさを知っていた彩華さんや幸風さんは、どこか自慢げな表情で3人に微笑んでいた。きっと、この場所に好印象を抱いてもらった事が嬉しかったのかもしれない。


「いやー、でも図書館の隣にこんな場所があったなんて知らなかったすねー」

「多分『図書館』の方が有名だから、このレストランの美味しさに気づかなかったのかもしれないね。私たちみたいに」

「隠れた穴場……いえ、私たちにとってはもう隠れていませんね」


「そうだよねー。ま、あたしたちはとっくの昔に知っていたけどねー」

「サクラったら、まるで鼻高々ね……」

「そういう彩華だってとっても嬉しそうな顔をしてるじゃん。ジョバンニ君だって、ほら」


 幸風さんから指摘された通り、僕もまた気付かないうちに、皆がこの場所を知ってくれた嬉しさを露わにしていたようだった。

 そして、食後の水をゆっくりと飲んでいた時だった。


「私たちは以前この場所を訪れていたからね。譲司君・・・と一緒に、ね?」

「うん、そうだよね……」


 あまりにも自然に、さらりとでた発言に、最初僕も彩華さんも全く違和感を抱かなかった。当然だろう、僕と彩華さんはあの日――スポンサーの人と協力していじめを糾弾する事に成功した日を境に、互いを下の名前で呼び合うようになり、それが当たり前のようになっていたのだから。

 でも、僕たちが参加していたのは、『鉄デポ』というネット環境で知り合った鉄道オタクの皆が集まり、和気あいあいと楽しく過ごす『オフ会』。下の名前でそのまま登録していた彩華さんの一方、僕は色々と考えた結果、本名を隠してニックネームで参加していたのだ。でも、たった今、彩華さんは――。


「……ん?譲司君・・・……っすか?」

「……えっ……あっ……ああ!な、なんてことを……!」


 ――皆の前で、僕の『本当の名前』をばらしてしまったのだ。


 ナガレ君の指摘を受け、自分がやってしまった事に気づいた彩華さんは、途端に頭を抱え、なんて事をしてしまったのだろう、という愕然とした表情を浮かべてしまった。そして、慌てたように僕に謝り始めた。ずっと気を付けていたのに、つい油断して普段のノリで本名を晒してしまった。しかもよりによってリアル世界で、許可も得ないまま皆に明かしてしまった。自分は大変な事をやらかしてしまった、と。


「お、落ち着いて彩華さん……ぼ、僕は大丈夫だよ……」

「そ、そう……?で、でも『名前』って個人情報でしょう?それを明かしてしまうなんて……」

「べ、別に僕は気にしていないよ……ここにいる『友達』になら、知られても平気だって思っているから……」


 隣で狼狽する彩華さんを落ち着かせようとする僕の言葉を受け、ナガレ君もトロッ子さんも同意の言葉を示した。知ったとしても自分たち以外の『鉄デポ』の皆を含めた外部には明かさないし、ずっと内緒にするから心配ない、と。


「でも、ジョバンニ君って譲司じょうじって言う名前だったんすね!」

「格好良い名前だと思います」

「み、皆さんありがとうございます……」


 名前をそうやって褒められるのはあまり経験したことが無かった僕は、頬が真っ赤に火照るのを感じながら感謝の言葉を送った。

 ただ、一方で彩華さんはまだ先程の自分のうっかりを悔やんでいる様子だった。皆には内緒だけど、本当は経済を左右するほどの実力を持っているという大富豪の令嬢。きっと、こういった『守秘義務』についてしっかりとした考えを有していたに違いない。だからこそ、それを自ら破ってしまった事を悔やんでいるのだろう、と僕は推測した。


「まあまあ彩華、ジョバンニ君本人が大丈夫って言ってるんだからいいじゃん」

「でも……今まで頑張ってきたのに……」

「『オフ会』って言うのはそういうハプニング上等なんだよ。リアルの友達と出会ってテンションが高くなるもんだからね。まあ流石にヤバい事態はいけないけどさー、今回は大したことないと思うよ?」

「う、うーうん……」


 幸風さんの慰めを受けても、彩華さんはどうしても微妙な顔が崩せない様子だった。

 すると、それを見た美咲さんが手を叩き、ある事を思いついた、と言いたげな表情を皆に向けた。そして、こんな提案をしたのである。彩華ちゃんだけを『悪者』にしない、良い方法がある、と。


「自分だけが悪いって悩んじゃうんだったら、みんな『悪者』になっちゃうって言うのはどうかな?」

「えっ……何すかそれ!?」

「ど、どういう事でしょうか……?」


 発言の意図が気になった僕たちの食いつきを笑顔で見つめた美咲さんは、具体的な提案を僕たちに教えてくれた。

 今までの交流の中で親密になったこの6人。折角だからこの機会に、皆の『本名』を明かしたうえで連絡先を交換しないか、と。

 驚く僕たちに、美咲さんはこの考えを思いついた理由を教えてくれた。


「『鉄デポ』以外の連絡先を交換し合ってもっと親睦を深めたい、って言うのもあるよ。でも、それ以上に、例えば『鉄デポ』で話しづらい事、個人的に相談したい事もこれから出てくるかもしれない。そんな時に各自の連絡先を知っていれば、相談に乗りやすくなるんじゃないか、って思ったんだ」

「なるほど……言われてみれば、そういう案件は出てきそうっすね」

「『鉄デポ』にプライベートルームはあるけどさ、それよりも各自の連絡の方がプライバシー的に有利だよねー」


 とは言え、全員が本名を明かしたい訳じゃないかもしれない、というのは勿論考慮していた、と美咲さんは言葉を続けた。

 そもそも、美咲さん自身、本名を隠したうえで『葉山和夢はやまなごむ』という芸名を使い、アイドルグループ『スーパーフレイト』のセンターとして活躍している状況。本当の名前を明かしたくない事情がある旨は、しっかり把握しているようだった。


「だから、あくまで提案という形で皆に私の考えを知って欲しかったって感じかな。言っておいてアレだけれど、無理に本名を明かしたり連絡先を交換したりはしなくても大丈夫だよ」


 幸風さんも触れた通り、『鉄デポ』のプライベートルームを使うという手もあるし、と美咲さんが言葉を続けた時だった。自分の方へ注目して欲しいという意志を示すかのように、トロッ子さんが、少し大きめの声を上げたのだ。僕を含めた皆の注目を一斉に集めてしまったトロッ子さんは少しだけ恥ずかしそうな表情を見せてしまったけれど、すぐに気を取り直し、改めて自分の考えを述べた。


「あ、あの……私、美咲姉さんの提案、乗ろうと思います……」

「えっ……!?トロッ子、完全に本名と関係ないニックネームじゃん。本名バレして大丈夫?」

「そうっすよ。怖くはないんすか?」

「え、ええ……今までは怖かったのですが、考えてみましたら、今の私は彩華さんの『共犯者』、ジョバンニさんの本名を知ってしまった身です」


 ジョバンニさん=この僕の下の名前を偶然とはいえ知ってしまったのに、自分の名前を教えないというのは不公平かもしれない。それに美咲さんの言う通り、本名を互いに教え合う事で、より自分たちの親密度が増すかもしれない――トロッ子さんは、可愛らしくも聞き取りやすい声を使って自分の考えを丁寧に説明してくれた。


 やがて、それを聞いた幸風さんやナガレ君も大きく頷き、自分たちも美咲さんの考えに賛同する、という意志を伝えた。

 そして、皆の様子を見ていた彩華さんもまた、覚悟を決めたような表情で名前を伝える意志を示そうとした。でもその直前、その動きは美咲さんによって止められた。


「ちょっと尋ねたいけれど、彩華ちゃん?責任を取って自分の名前を公開するんじゃなくて、仲良くなりたいから交換する、っていう考えかな?」

「両方ね。この事態の責任は取りたいけれど、私の名前を知ってもらった方が、これからの付き合いでの不都合が減るんじゃないか、って思ったのよ」

「……そっかー。分かった、彩華ちゃんも賛成って事だね、ありがとう」


 そして、美咲さんが安心したような表情を見せた時、彩華さんはこっそり僕の傍に顔を近づけ、皆に聞こえないよう耳打ちをした。

 悪いけれど、本当の・・・名前は今後も皆には隠すつもりでいきたい、と。

 彩華さんがそう決めるのは当然だった。彩華さんの苗字、『綺堂』というのは、鉄道オタクの間では『綺堂コレクション』という、各地の鉄道車両を収集してどこかに保存している、という謎に満ちたコレクションとして有名な名前。もしここで明かしてしまえば、それこそ『鉄デポ』の皆と彩華さんの関係が大きく変容してしまう可能性があるからだ。


「分かった、『梅鉢』さん……」

「……ふふ、ありがとう、譲司君」


 そして、久しぶりにこの『偽名』を口にした僕に、彩華さんは嬉しそうな小声を返してくれた。


「あれ、何話してるんすか、ふたりとも?」

「こらこらナガレ君、秘密に首を突っ込んじゃいけないよ」

「そうですよね……それに、おふたりは……」


「そうよ、トロッ子が言う通り、私たちは『特別な友達』だから、ね?」

「う、うん……そ、そうだね、彩華さん……」

「あーあ、人目もよらずイチャイチャしちゃってさー」

「羨ましいっすねー全くー」


 少しだけ皆にからかわれてしまったけれど、気を取り直した僕たちは、改めて図書館へ向かう前に皆の『本名』を披露し合う事にした。 

 彩華さんが『鉄デポ』以外のSNSに登録していなかった事や、皆が登録していないSNSのアカウントを交換しても困るかもしれない、という事情を踏まえ、同時に交換する連絡先はメールアドレスに決定した。

 幸い、レストランの中にお客さんは僕たち以外にはいないようだし、店員さんも席を外している様子。今の状態なら、少し『無礼講』になっても問題は無いかもしれない。 


「じゃ、誰からにするっすか?」

「じゃあ、あたしからいっちゃおうかなー」


 そして、まず僕たちは幸風さんの本名――幸風桜さちかぜ さくらと、その連絡先を知る事となった……。

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