第106話:ネガティブな心たち

 会員制クローズドSNS『鉄デポ』で僕が出会い、交友を深めた鉄道オタクの1人、アニメキャラクターのような可愛い声が特徴的な、落ち着いた雰囲気でいつも優しく、そして同時に芯の強さが特徴的な女の人――それが、僕が抱いていた『トロッ子』さんの印象だった。

 僕たちのような若い層に人気を誇るバーチャルTuberの『来道シグナ』の大親友として、トロッ子さんは動画投稿を始めたばかりの頃から多方面で支え、顔出しが苦手だという『中の人』に代わって様々な現場で活動し続けていた。特に僕や彩華さんがいじめを受け、その被害があまりにも酷いという事態になった時には、他の『鉄デポ』の皆と共にその対策を練るため積極的に動き、大変な状況下でも僕たちを励まし、応援してくれた。

 僕にとって、トロッ子さんは頼もしい人、尊敬すべき人、そして可愛い声の持ち主の人というイメージが強かった。


 でも、そのトロッ子さんが抱いていた自分への思いは、全く異なる、とてもネガティブなものだった。


「た、確かに私は……顔が見えないネットの世界だと色々な事が言えます……言えるんです……。で、でも……やっぱり、リアルだと私は今のように怖がりで臆病で、しかもブスでブサイクなんです……」


 あの時、僕=ジョバンニ君に対して、トロッ子さんは何度も自信を持って欲しい、絶対にあきらめないで欲しい、と穏やかな口調の中に熱さをにじませながら何度も応援してくれていた。でも、そういう肝心の自分は、今の今までずっと自分の容姿に自信が持てないままだった、とトロッ子さんは打ち明けた。でも、それを物理的に直そうと整形をしようにもお金が無いし、そもそも失敗した時の事を考えると非常に怖い。結局どうする事も出来ず、ずるずると自身のトラウマを引きずってしまった、と語ったのである。


「……そうだったんだ……」

「でもさー、それでもトロッ子、あたしたちと一緒にオフ会やってみたい、って言ってくれたよね?」

「俺たち、とっても嬉しかったっすよ。トロッ子さんも一緒にオフ会出来るって聞いて」

「は、はい……そ、それは……その……ジョバンニさんや彩華さんのお陰なんです……」


「え、ぼ、僕……ですか!?」

「わ、私も何もしてないわよ……?」


 彩華さんと一緒に、僕はトロッ子さんの発言に驚きの顔を見せた。当然だろう、僕たちには全くそんな凄い事をやった自覚が無かったからである。でも、トロッ子さんの可愛らしい声による説明を聞いて、僕たちはある程度納得する事が出来た。


「そ、その……おふたりは……『鉄道オタク』だからいじめられるという酷い状況でも……絶対に『鉄道』が好きという心を捨てませんでした……。最後まであきらめずに奮戦して……スポンサーの人まで巻き込んで……最終的にはいじめに打ち勝つことが出来ました……。本当に凄いです……私には、絶対に出来ない事だって思ったんです……」

「そ、そんな、ぼ、僕たちはただ、自分たちで出来る事を……」


「は、はい……だ、だから私も……私自身で出来る事をやろう、って思ったんです……」

 

 外に出て誰かと交流する事を恐れ、籠ってばかりいる今の状況を変えたい。いや、この機会を逃せば、もう変える事は出来ないかもしれない。そう考えたトロッ子さんは、敢えて顔を隠すようなアイテムを付けず、自分自身の『リアル』な姿のままで、今回のオフ会に参加する事にしたのである。

 でも、その勇気を振り絞った気合は、オフ会当日になるとどんどん薄れてしまった。こんな顔で行っても平気だろうか、この服装で大丈夫なのか、そもそも本当に自分自身は受け入れられるのか――そんなネガティブな気持ちが、どんどん大きくなってしまったのだ。


「そ、それと……そ、その、皆さんを嫌っている訳では決してないのですが……ナガレさんもサクラさんも美咲姉さんも、それに彩華さんもジョバンニさんも、みんな私よりもとっても格好良くて綺麗で素敵に見えてしまって……」


 その結果、ますます自分自身がみすぼらしく冴えないように感じてしまい、その気持ちが溜まりに溜まった結果、とうとうオフ会の初っ端で爆発してしまった――そう言ったトロッ子さんは、再び頭を下げて僕たちに謝った。気持ちを害してしまったのなら、本当に申し訳ない、と。


 しばらくの間、図書館の前にある広場に集う僕たち『鉄道オタク』の集団は、沈黙に包まれていた。その中で、僕は改めてトロッ子さんが勇気をもって伝えてくれた、『場違いではないか』という言葉の真相を考え直していた。

 トロッ子さんは、自分の容姿に対してどうしても自信が持てない、素敵だと言われてもそれを認める事が難しいほどのコンプレックスを抱えていた。でも、僕たちが皆のお陰でいじめを乗り越える事が出来た事を知り、そのコンプレックスを脱ぎ捨てたい、という思いでこの『鉄デポ』の面々の集いに参加する決意を固めた。ところが、いざ実際に参加すると、皆があまりにも性格も外見も格好良かったり素敵だったりしたのを目の当たりにしたせいでコンプレックスがぶり返してきてしまい、途轍もない劣等感に苛まれ、自分はいない方が良いのではないか、と考えるまでに至ってしまった――。


(トロッ子さん……やっぱり、僕と同じ事を考えていたのかも……)


 ――改めて僕は、自身の劣等感とトロッ子さんのコンプレックスの中に類似点を見つけていた。

 僕も、ナガレ君と比べれば背も低いし顔つきも良くないし、声も全然格好良くないし、何よりここに至るまで自分の冴えなさばかりに意識が向いてしまい、ずっと不安に怯えてばかりいた。だからこそ、僕はついナガレ君や幸風さん、美咲さん、そして彩華さんたち盛り上がる面々を見ながら勝手に『壁』を作ってしまい、話に加わる事に及び腰になってしまったのである。


 やはり、ここは僕が一言告げた方が良いのではないだろうか、でも――ここでもまた、僕は言葉を詰まらせてしまった。僕のような人が『説得』なんかしても良いのだろうか、と思ってしまったからである。

 でも、いい加減ここで声を出さないと、トロッ子さんは立ち直れないかもしれない。そう考え、何とか勇気を振り絞ろうとした、直前だった。

 僕より先にトロッ子さんに語りかけたのは――。


「……そっか、トロッ子、とっても怖かったんだね……。あたしと一緒……かもしれないかな」

「……えっ……?」


 ――意外な言葉を投げかけた、モデルやインフルエンサーとして華々しい活躍をしているはずの、幸風サクラさんだった。


「えっ……で、でもサクラさん、そんな様子は全く感じませんでしたが……」

「そうよ。『カシオペア』モチーフの服装、とっても似合ってるじゃない。怖がることなんて何も……」

「トロッ子も彩華もそう思うだろうけどさー、正直あの駅前広場につくまで、あたしめっちゃ緊張してたんだよ。メイクはこれで良いか、コーデはばっちりか、ムダ毛は大丈夫か、考えるだけでもう泥沼になっちゃってさ……」


 自分の趣味である『鉄道』を大っぴらに語り合えることが出来る最高の友達とリアルで会って楽しめる、という企画を思いついた身なのに、いざ実行に移すと、モデルとして撮影に挑んだりインフルエンサーとしてSNSにメッセージを投稿したりする時よりも、遥かに緊張してしまっていた、と幸風さんは告白した。

 そもそも、この『カシオペア』モチーフの服装自体、半日以上かけて考え、悩み、今朝になってようやく決める事が出来た衣装だ、と打ち明けたのである。

 

 恐らく、それを聞いた時の僕の表情は、トロッ子さんと同じ驚きを示すものだっただろう。気さくで明るい鉄オタギャルの幸風さんが、そこまで真剣かつ深刻に悩んでいたなんて、全く思いもしなかったからである。

 でも、同じように悩み続けていたのは、幸風さんばかりではなかった。動画配信者として人気を博すナガレ君もまた、今日に至るまでとても緊張していた、というのだ。


「それ言ったら、俺だってこの服にこの髪型、すげー悩んだし、緊張したんすよ。動画を投稿する時みたいに心臓バックバク!皆が似合うって言ってくれたおかげで、ようやく緊張が解けたっすよ。本当に感謝っす」

「ど、動画を制作する時も……緊張されるんですね……」

「そうなんすよー。あまりにヤバすぎて、いっそ動画投稿を止めちゃいたい、そしたらどんなに楽だろう、なんてつい考えちまうこともあるっす」

「そ、そうなんですね……」


 そして、芸名を使ってアイドルとして活動する美咲さんも、この機会だから打ち明けてしまおう、と語った。


「実はさ、時々私が嫌いっていう人たちから色々言われる事があるんだよねー。『ブス』とか『ブサイク』とかね」


「えっ……!?」

「何それ、マジ!?」

「マジだよ。ジョバンニ君や彩華ちゃんが受けたような感じの陰口も言われているなんて話も小耳に挟んだことがあるねー」


「え、そんな……み、美咲さん、素敵で綺麗で凛々しいのに……」

「そんなふざけた連中もいるんすね!ぶっ飛ばしてやりたいっす!」


「まあまあ、私もナガレ君のような思いはあるし、事務所の社長がそういう誹謗中傷に立ち向かう勇気をくれるんだ。でも、やっぱり時々そんな言葉を真に受けて悩んじゃうことはあるね。私ってやっぱりダメダメなのかな、こんな場所にいて本当に良いのかな、って」


「美咲さんも……そんな事を……」


 そういう時に限って、コンサートやテレビ出演と言った本番直前だったりする、と美咲さんは言葉を続けた。緊張するし怖いし不安が渦巻く時間だから、ネガティブな感情が増すのかもしれない、と。皆が憧れるアイドルだからそんな感情を表に出すわけにはいかないし、そういう時は社長からのアドバイス通り『鉄道』のように好きな事を考えまくってポジティブな気分や表情へと切り替えるそうだ。

 でも、多分アイドルにならなかったら、皆の応援を受けなかったら、ネガティブな感情を受け流す事が出来ず、圧し潰されていたかもしれない――凛々しくて格好良い美咲さんの、意外過ぎる心境だった。


「あ、でもこれはあくまで私のやり方だから、トロッ子ちゃんたちが出来るかどうかは……」


「い、いえ……で、でも……皆さん……そ、その……」


 皆に出会うまで今までにない緊張に包まれていた幸風さん、毎回動画を投稿する際にネガティブな感情がつい浮かんでしまうというナガレ君、そして他人から受けた悪口を時は真に受けてしまい落ち込んでしまう美咲さん。

 どんなに格好良くて素敵でも、みんな心の中では『緊張』や『不安』、そして『劣等感』に苛まれている――トロッ子さんと共に、僕は今まで触れるという発想すらなかった皆の一面を知ることが出来た。


「私だけじゃない……み、みんな……悩んで、苦しんでいたんですね……」


「まあね。正直、あたしも緊張しない度胸が欲しいぐらいだよ。本番になるとどうにでもなれ、って感じで楽になるけれど、そこに至るまでのあの時間は本当にキツいんだよね……」

「私も、もっと格好良くて素敵になりたいって言うのは、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも感じているかなー。今だって、トロッ子ちゃんの肌がとっても羨ましく思うよ」

「そうっすね。トロッ子さんだけじゃないっす。俺も、周りの動画が滅茶苦茶傑作だと、俺は駄目だ、って落ち込む事があるっすからね」

「そんな事無いと思うけれど……」

「彩華さんの言葉は嬉しいっす。でも、形は違うっすけれど、俺も『劣等感』はあるかもしれないっす。それに……」


 トロッ子さんが憧れている、勇気の象徴たる『ジョバンニ君』も、案外そうかもしれない――そう告げたナガレ君の行動は、まるで僕に対して、今こそ思いをしっかりと声に出すべきだ、と背中を押しているようだった。

 何度も何度も尻込みし続けていたけれど、今こそはっきりとトロッ子さんを『説得』し、僕の心を皆に伝える事が出来る、またとない機会だ。


「ジョバンニさんも……ですか……?」


 そして、覚悟を決めた僕は、眼鏡越しに見えるトロッ子さんの綺麗な瞳、柔らかい頬、そして不安そうな表情を視界に入れながら、ゆっくりと語り始めた……。


「あの……ぼ、僕は……いつも冴えなくて情けなくて、鉄道オタクの陰キャです……」

「えっ……!?」

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