第105話:劣等感の塊

「え、『場違い』……!?」

「え、いや、何言ってるんすか!?そんな事全然思ってないっすよ!」

「私もそうだよー。トロッ子ちゃんがいないと寂しいよー」

「そうよ。むしろ、いてくれないと困るわね」


 自分が『鉄デポ』の面々と共に存在する事が『場違い』ではないだろうか、そもそもこの場にいて本当に良いのだろうか――ずっと緊張や不安に包まれていたトロッ子さんの口から出された言葉は、『鉄デポ』の皆に衝撃を与えたようだった。幸風さんもナガレ君も美咲さんも、そして彩華さんも、声を揃えてそんな事は絶対にない、とその言葉を否定し、励まそうとした。

 でも、僕はどういう訳か、『そんな事はない』という言葉を口に出せなかった。もしかしたら、トロッ子さんの言葉に、その時の僕は僅かながら同調していたのかもしれない。背も低いし髪型も上手くセットできなかったし、服も中々良い組み合わせが選びきれなかったし、そもそも根本から冴えないし情けないこの僕が、皆と一緒に街を歩いて本当に大丈夫だったのか――僕もまた、似たような事を考えてしまっていたのだ。


「何があったの、トロッ子?もしかして、誰かに酷い事言われたとか……!?」

「い、いえ……そ、そのような事はないです……最近は全然ないです……で、でもその……」


 一方、心配するような幸風さんの心遣いに感謝しながらもその推測を否定したトロッ子さんは、改めて自身の発言の意図を説明し始めた。


「あ、あの……何というか……み、皆さん、とっても素敵で格好良いですよね……」


「え、マジ!?そう見える!」

「それは素直に嬉しいなー。ありがとう」


「ど、どういたしまして……って、そ、その、サクラさんも美咲さんも彩華さんも、素敵で綺麗で、スタイルも良くて、それに凛々しくて羨ましいです……それに、ナガレさんも……多くの方から人気があるイケメン男子さんですよね……」


「ま、まあそうっすねー。それは嘘偽りないっす」


 そして、トロッ子さんは、僕の事もこう褒めてくれた。いじめに立ち向かう勇気に溢れていて、とても素敵で格好良い、と。

 確かに彩華さんは何度もこのように僕を称賛していたけれど、トロッ子さんから面と向かってはっきりそう言われると、とても失礼だけれど嬉しさと同時に照れや困惑の感情も湧いてきてしまった。僕はそこまで凄くないし何の人気もないごく普通の鉄道オタクの男子なのに、そこまで褒めて貰って本当に良いのだろうか――そんな事を考えた時、トロッ子さんの口から出たのは、僕たちにとって信じられない言葉だった。

 

 皆は格好良くて綺麗で凛々しい。まさに理想的な人たちばかりで、とても羨ましい。

 それに引き換え、自分はド近眼で分厚い眼鏡が外せないし、鼻の形も不格好だし、口だって広い。顔つきも膨れていて、全体がどこから見てもダサいバランスだし、そもそも小顔と程遠い大きさだ。加えて体のスタイルだって全然細くないし、モデル体型には程遠い。はっきり言って、自分はどこからどう見ても――。


「『ブス』で『ブサイク』で『格好悪い』ですよね……」


 ――素敵な『鉄デポ』の皆と一緒に過ごしているうち、そんな情けない有様の自分がこの場にいる事が申し訳なく思えてしまった。それが、あの言葉の理由だ。


 そう言い終え、悲しそうに項垂うなだれるトロッ子さんは、まるで自分の体や心を『残酷な言葉』でめった刺しにしたような様相だった。

  

 ようやく僕は、トロッ子さんがずっと緊張や不安、そして怯えのような感情に包まれ続けていた理由に触れる事が出来た。トロッ子さんは、今の今までずっと、『リアル』の自分に対して自信が持てず、途轍もない劣等感を抱いていたのだ。

 そんなトロッ子さんに声をかけようとした僕だけれど、その直前、この苦しみはもしかしたら非常に深刻であるかもしれない、安易に声をかけてよいのか、という迷いが生じた。

 自分の事を卑下する思いでがんじがらめになっている人の心を癒すにはどんな言葉をかけるべきなのか、考えても良い答えは思い浮かばなかった。一体どうすれば良いのだろうか――そう悩んだ僕は、今回も結局言葉が出せないままだった。


「あ、あの……そ、その、ご、ごめんなさい……。た、楽しい『オフ会』だったのに、私が変な事を言ったせいで……」


 さっきの事は忘れてください、と告げるトロッ子さんの口調は、ますます悲しそうな、寂しそうなものになってしまっていた。その口から発せられたのは、今にも涙が溢れそうな声のように聞こえた。


 ところが、どこまでも自分を『ブス』だ、『ブサイク』だ、この場に居てはいけない人間だ、などと追い詰め続けるトロッ子さんに対して返ってきた反応は、少々予想外のようなものだった。


「……い、いや、その、トロッ子さん……1つだけ言っても良いっすか?」

「え……な、ナガレ……さん……?」


「トロッ子さん、全然ブサイクじゃないっすよね?」


「……えっ……!?えっ、で、でも私……皆さんと比べても……」


 トロッ子さんの発言を良い方向へと全否定する言葉を述べたのは、ナガレ君だけではなかった。

 モデル兼インフルエンサーの幸風さんは、トロッ子さんの柔らかそうな頬を評価した。触るとぷにぷにして気持ちよさそうだし、何より肌が綺麗だ、と。

 それに続いて、アイドルの美咲さんも同じく肌の綺麗さやその潤いを褒めた。アイドルをやっている身として羨ましいくらいの素晴らしさだ、と。

 そして、彩華さんが称えたのは、僕が最初に抱いた第一印象と同じ、トロッ子さんの『瞳』だった。


「レンズを介して見えるトロッ子の瞳、とっても綺麗よ。私は好きだわ。勿論、その眼鏡もね」


 最近は細い眼鏡よりもこういったレンズが広い眼鏡が流行していると聞く。だから全然眼鏡もダサくないし、むしろ結構似合っている――そう言いながら、彩華さんはトロッ子さんの顔をじっと見つめ、ぷにぷにして柔らかそうな頬を赤く染めさせた。

 突然の事にどう反応すれば分からない、といった様子のトロッ子さんは、直後にナガレ君が口にした言葉を聞いて驚きの表情を見せた。

 もしかしたら、トロッ子さんはこの場所に来るまでずっと、周りからどう見られているか、格好悪いと笑われやしないか、不細工だと嘲られたりしないだろうか、と心配していたのかもしれない――。


「なんかこう、言いづらいんすけど……正直、俺、トロッ子さんが美人とか何とか、今の今まで全然気にしてなかったっす……」

「……え、えっ……!?」


 ――だからこそ、それが文字通り『杞憂』だった事に対して、つい唖然とした声が出てしまったのだろう。


「なんつーか、俺たちって、いつも『鉄道』の事しか考えてないっすよね……。だから、服が鉄道っぽいとか、図書館で鉄道の本が読めるとか、みんなで鉄道の話で盛り上がれるとか、そういう事ばかりしか頭が無くて……」


 自分が楽しい思いをしている裏でここまで深刻に悩み続けていたのを全然察する事が出来なかった、友達として本当に申し訳ない――そう言って、ナガレ君は頭を下げて謝った。


「い、いえ、あ、頭を上げてください……せ、折角の楽しいムードを壊してしまったのは私ですし……」

「いや、俺が鉄道バカだったせいで友達が悩んでいる事に全然気づかなくて……」

「そ、それなら私もいつも鉄道の事しか考えていなかったのに……きょ、今日に限って……」


 互いに謝罪を譲らなかったナガレ君とトロッ子さんは、謝り続けても事態は解決しないという美咲さんの説得や、2人とも落ち着いた方が良い、という幸風さんの言葉で、ようやく収まった。でも、図書館を前にして立ち往生する僕たちの中には、トロッ子さんが指摘した通り、先程までの楽しいムードとは違う、どこか不安定な雰囲気が漂ってしまっていた。

 このままでは、折角の『オフ会』が複雑な気分で終わってしまいそうだ。やっぱり僕が何か宥める言葉を口に出した方が良いのだろうか、でも一体何を言えば――そんな事を考えていた時だった。


「ねえ、トロッ子……今から私が尋ねる内容は、とっても失礼かもしれない。だから、全部言わなくても大丈夫よ」

「え、あ、はい……」

「でも、これだけは信じて欲しいの。私たちはずっとトロッ子の味方だって事をね」

「……わ、私の……味方……」


 そう尋ねた彩華さんの声色は、決して怒りに任せたり冷酷に尋問したりするものではなかった。むしろ、トロッ子さんの冷たく硬直した心を解きほぐすような優しさと凛々しさに満ちているように感じた。それはまさに、あの時――いじめの事をずっと打ち明けられないままだった僕を優しく説得し、緊張と絶望に陥った心を救い出してくれた時と同じような状況を思い起こさせるものだった。

 そして、改めて彩華さんは尋ねた。どうして自分が『ブス』で『ブサイク』で『格好悪い』なんて思ってしまったのか、と。


「そ、その……少し時間を取るかも……しれないですが……」


「俺は全然OKっすよ」

「私もだよー」

「勿論あたしも全然大丈夫だよ!」

「あ、ぼ、僕もです……!」


「……教えてくれるかしら?」

「は、はい……」

 

 そしてトロッ子さんは、ここに至るまで胸の内に秘めていた心境を、僕たちに語り始めた……。

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