第9章

第102話:鉄道オタク、駅前に集う

「流石休日……結構人通りが多いわね、譲司君……」

「そ、そうだね、彩華さん……」


 ずっと僕と彩華さんを苦しめ続けていた『いじめ』に関する問題が、怒涛の流れと共に劇的な解決へ導かれてから、数日が経過した。

 地獄のような時間をどこか遠い昔のように感じ始めていたある日、僕は彩華さんと一緒にビルが建ち並ぶ街の中を歩いていた。

 休日とあって街は沢山の人たちで賑わっており、その中をかき分けるように僕たちは目的地へ向かって進んでいた。

 

 ここ最近、家の中に籠りっぱなしで、出掛けるにしても近所を散歩するだけ、遠出する際は彩華さんの家に仕えている執事長の卯月さんの車に乗せてもらうという日々が続いていたせいもあり、僕は久しぶりに味わう混雑に緊張してしまっていた。

 人々でいっぱいの状態自体に慣れていないというのもあったけれど、それ以上に僕は、周りから視線を向けられているかもしれない、とつい感じ、不安を心の中に抱いてしまった。。

 すると、そんな僕の心をまるで読み取り、優しく宥めるかのように、隣を歩く彩華さんが声をかけてきた。


「譲司君、なかなか素敵な余所行きの服装じゃない」

「え、そ、そうかな……」

 

 ずっと悩んだけれど結局良い衣装が決まらず、以前彩華さんと一緒にスタイリストのコタローさんの所へ髪を切りに行った時と同じような、上半分は白の襟付きシャツ、下半分は青のジーンズという組み合わせになってしまった。でも、彩華さんはすっきりしていてとても似合っている、と僕の服を褒めてくれた。きっとみんなも東海道・山陽新幹線を連想して素敵だと言ってくれるはずだ、という励ましの言葉を付け加えながら。


「あ、ありがとう……で、でも、彩華さんの服装には敵わないよ……」

「あら、そうかしら?」

「う、うん……何というか……」


 どこか『海の色』を思い起こさせる組み合わせだ、と僕は彩華さんのファッションを評価した。

 今日の彩華さんのスタイルは、上半分は白っぽいベージュ色のシャツに青色のカーディガンを羽織り、下半分はゆったりした黒色のズボン。バランスよく濃淡が配置されているような格好だ。何かで見た事があるような色合いだけれど、どうしてもその由来が思い出せなかった僕は、何をモチーフにしたスタイルなのか尋ねた。そして返ってきたのは、流石は『気動車』が大好きな彩華さん、というべき回答だった。


「実はね、今日の服装は国鉄時代の末期、1980年代に試験的に塗られた気動車の色をモチーフにしてみたの」

「試験塗装って事だよね……?実際はどんな感じの色合いだったの?」

「上半分がクリーム色、下半分が濃いめの青色よ。それまでの気動車は『標準色』や『タラコ色』のような赤系統が多かったから、イメージをがらりと変えてみたのかもしれないわね」

「へぇ……」

「結局僅かな車両だけで終わっちゃったけれど、私は結構好きな色よ。ふふ、気になったら『キハ58 試験塗装』あたりの言葉をネットで検索か……」


 図書館の本でじっくり調べれば分かるかもしれない、と次に続く言葉を述べた僕に、彩華さんはその通りだ、と明るい笑顔を返してくれた。

 今までずっといじめの事ばかりに話題が集中していた事もあって、それと全く関係が無い鉄道の話題で盛り上がるのが久しぶりな気がした。でも、そのお陰で僕の緊張や不安が少しだけ解きほぐされたような気がした。やっぱり『好き』な事を語ると心が良い方向に動くものかもしれない。


 そんな感じで盛り上がりながら、横断歩道を越えた僕たちは、ようやく目的地の駅前広場に辿り着いた。

 僕と彩華さんが出掛ける時によく待ち合わせ場所にしていた場所は、普段と変わらない姿を見せてくれていた。でも、僕はそれでもやっぱり緊張する気持ちが完全には拭えないままだった。

 当然だろう、今日僕が一緒にお出掛けをするのは彩華さんだけではない。鉄道オタク向けの会員制クローズドSNS『鉄デポ』で知り合い、会話を交わし、気付けば親密な関係になった友達が、パソコン越しの『バーチャル』な場所ではなく、この『リアル』な現場に集合する事になっていたのだから。


「……み、みんなどこにいるのかな……」

「やっぱり集合時間の10分前に来たのは早すぎたかしら……?」

「う、うーん……」


 もしかしたらまだ皆は到着していないのかもしれないのかもしれない、と彩華さんと共に話し合っていた時だった。

 様々な人々の会話で賑わう駅前広場の中から、確実に聞き覚えがある快活な声が、僕たちの耳に届いたのは。


「おーい!ジョバンニくーん!彩華ー!」


 その方向を向いた僕たちの視界に入ってきたのは、髪を金色に染め、顔にもメイクをばっちり決めている、俗に『ギャル』と呼ばれる人たちそのものの見た目をしている『鉄道オタク』の1人、『幸風サクラ』さんだった。そして、その周りには、同じように僕たちへ向けて笑顔を見せてくる、どこか診え覚えがある人たちの姿があった。


「さ、幸風さん……!」

「わー、リアルジョバンニ君にリアル彩華だー!すげー久しぶり!」

「久しぶりって言っても、昨日メール貰ったばかりだけどね」

「まあそれはそれ!リアルな2人と出会うのは初対面以来だからさ!」


 そう言って嬉しそうにはしゃぐ幸風さんの服装は、全体を灰色や白などで統一しつつも、アクセサリーや服の模様に赤や黄色、青色のグラデーションを組み込むという色合いだった。そして上半身はしっかりと服を着こなしている一方、足に関しては太ももや膝、すねを露出しているような格好である事に、彩華さんは少し気にしている様子だった。なかなか大胆な格好じゃないか、という彩華さんに対し、幸風さんはモデルとしてこういう服装の写真を撮影する事も多いから慣れてる、と笑顔で返した。

 

「それに、今日の服装、『青色』が少ないのね。ブルートレインが好きなサクラにしては珍しいわ」

「へへーん、甘いね彩華!こういう色の臨時寝台特急が、上野と札幌を結んでたじゃん!」

「……ああ、『カシオペア』……ですね……!」


 僕の回答に、幸風さんは嬉しそうな笑顔と共に、正解のジェスチャーを見せてくれた。

 1999年に登場し、上野と札幌を結んでいた臨時寝台特急『カシオペア』。それまでの北海道行きブルートレインのように既存の車両を改造した列車ではなく、JRが独自に生産した文字通りのフラッグシップトレインで、銀色のステンレスボディに日が登ってから沈むまでを連想させるグラデーションの帯が配色されている。内装はとても豪華で、特に編成の先端にある展望室付きの個室は今もなお高い人気を誇っているという。勿論、豪華列車に欠かせない食堂車もばっちり連結されているのも特徴だ。

 北海道新幹線開通の影響もあり、2015年に上野と札幌を結ぶ運行を終了してしまったけれど、以降も関東・東北方面など各地のツアートレインとして活躍し、多くの人々の憧れの的になっている。

 平成の世に生まれた『動く伝説』とも言える列車のオーラを、幸風さんは見事に全身で表現しているのだ。

 

「なるほど……なかなか良いチョイスね、サクラ」

「と、とっても素敵だと思います……!」

「サンキュ、ふたりとも。いやー良かったー、彩華にもジョバンニ君にも気に入られて!」

「ふふ、でもサクラは銀色の『カシオペア』もブルー・・・トレインとして認めるタイプの鉄道オタクなのね」

「当然だよ、寝台特急の代表格だし!勿論、緑色の『トワイライトエクスプレス』も断然OKだよー」


 それならば、昭和後期から廃止までブルートレインと同じ客車を使っていた寝台急行『銀河』はどう捉えるのか、と彩華さんが尋ねると、『はまなす』や『ちくま』『だいせん』は座席車両を含む夜行急行だったからブルートレインとは別の列車だと考えていたけれど、全席寝台車だった『銀河』はなかなか難しい問題だ、と幸風さんは頭を悩ませていた。

 『鉄デポ』内で語り合う状況と同じような雰囲気で鉄道談義に花を咲かせる彩華さんと幸風さんの様子を眺めていた僕に、別の方から声をかける人たちがいた。


「あれ、じゃあもしかして、ジョバンニ君ってのはそこの男子っすか?」

「へぇ、君が噂の……」

「あ、はい……あ、あの、もしかして……ナガレ君に……美咲さん……ですか?」


「だいせいかーい!そうっす、リアルの世界だとこれが初めてっすね!」

「嬉しいなー、実際に君たちに出会えるなんて。あ、私が美咲でこっちがナガレ君だよー。改めてよろしくねー」


 その通り、ナガレっす、と賑やかに明るく挨拶をしたのは、動画配信者として人気を集めている『飯田ナガレ』君。僕よりも背が高くて足も長く、体つきも細身だけど引き締まった雰囲気を見せていて、何より顔が『イケメン』と言われるのも頷けるほど格好良い。そして、声もヘッドホンやイヤホン越しに聞くより明らかに爽やかで聞き心地が良いものだった。


 一方、その隣で穏やかな笑顔を見せてくれたのは『美咲』さん。整ったスタイルを披露する体つきに、誰もがつい振り向いてしまいそうな美貌、そして彩華さんや幸風さんに負けない、そよ風にたなびきそうな綺麗な髪を持つ美咲さんは、テレビやラジオ、ネットなど各方面で活躍するアイドルグループ『スーパーフレイト』のセンターとして活躍するのにふさわしい魅力に満ち溢れていた。勿論、ステージで歌って踊る時の姿と今の姿は違うけれど、それでも僕の目にはアイドルとして活躍する時にも負けない綺麗さが存分に映っていた。


 イケメン男子とアイドル女子、双方とも自身の美貌や声、そして性格を武器に、多くの人々から支持を集めている存在。

 そんなふたりが『鉄道オタク』――ナガレ君は『旧型国電』=レトロな国鉄時代の電車が、美咲さんは『貨物列車』が大好きだ、なんて、事情を知らなければ到底信じられないかもしれない。


「わーい、ジョバンニ君と出会って俺も嬉しいっす!今日は1日よろしくっす!」

「ど、どうも……よ、よろしく……」

「こちらこそ。ふふ、ジョバンニ君、髪型も服装もどっちも素敵だよ」

「え、あ、あ、ありがとうございます……」


 そんなふたりに嬉しがられたり褒められたりしている僕だったけれど、心の中に生まれた緊張は未だに無くならなかった。それどころか、不安も含めたネガティブな気持ちが増幅してしまっているように感じてしまった。

 当然だろう、幸風さんも彩華さんも含め、この場に集まった仲間はみんな魅力的で素晴らしい人たちばかり。それに引き換え、僕は背も低いし服装も正直イマイチだし、髪型も苦戦してしまったし、何より冴えないし情けない所はずっと変わっていないままだ。本当に僕は皆と一緒に『オフ会』をする資格があるのだろうか――そんな思いまで芽生えかけた、その時だった。


「あ、そうだ!トロッ子さーん!」

「え、あ、わ、私ですか……?」

「そうだよー、リアルジョバンニ君やリアル彩華ちゃんが来たんだから、トロッ子さんも挨拶した方が良いよー」

「わ、分かりました……そ、そ、そうですよね……」


 そう言われて、僕や彩華さんの方へゆっくりと歩いてきたのは、ナガレ君や美咲さんの後ろで、先程からずっと恥ずかしそうな雰囲気を見せていた1人の女の人だった。

 その姿を見た僕の第一印象は、『眼鏡の中に映る瞳がとても綺麗』、というものだった。少々偉そうな批評だけれど、何か『好き』な事に一所懸命挑んでいるような、そんな雰囲気を見せているようだった。そして、その声もまた、最初に聞いた時と同じように、良い意味で声優さんが演じる可愛い系の美少女アニメキャラクターのような、聞きやすく可愛らしいものだった。


「あ、あの、じょ、ジョバンニさんに彩華さん……り、リアルでは……は、初めまして……わ、私が……『トロッ子』です……」


 でも、その口調は、『鉄デポ』の時に聞いた落ち着いた雰囲気とは異なる、緊張の心が露わになっているようなものだった。

 これが、軽便鉄道=ミニサイズの鉄道が何よりも大好きだという『トロッ子』さんと、僕や彩華さんとの、リアルな世界における初めての対面だった……。

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