第97話:一仕事終えた食卓で

 大きめのサイズに切られた人参やジャガイモ、程良く溶けたタマネギ、たっぷりと加えられている肉、そして絶妙な味を引き出す隠し味のチョコレート。素朴だけど何物にも代えがたいほど美味しい、というのが、母さんが作ってくれるカレーライスを食べる時にいつも思い浮かべる感想だった。しかも、今回は父さんが購入した様々なキノコもたっぷり加わり、程良い歯ごたえを楽しむことが出来る。

 そして、たっぷりとレタスやラディッシュ、細切りの人参、そしてミニトマトが入っているサラダも、コトコトじっくり煮込んだポタージュも、食べる勢いが一向に止まらない要因になっていた。


「……ふう……美味しい……!」


 今日のために父さんや母さんが気合を入れて作ってくれた夕ご飯を、僕はあっという間に半分近く夢中で食べまくっていた。

 その事に気づき、ちょっぴり気恥ずかしくなった僕の様子を見て、父さんも母さんも嬉しそうな微笑みを見せていた。


「ふふ、譲司が美味しそうに食べているのを見て、母さんは安心したわ」

「どうだ譲司、綺堂家の人たちが作った弁当にも負けない味だろう?」

「う、うん……!」


 自信満々の父さんの言葉に大いに納得しつつ箸を進めていた時、母さんがふとある事を述べた。

 あの時僕が説得した時に言った内容は、結局すべて真実だったようだ、と。


 僕があの学校のスポンサーの人に直訴して、彩華さんと共に自分を証拠として使ってもらう、と勇み足で父さんや母さんを説得しようとした時、彩華さんは僕に幾つかの助言を伝えてくれた。これらを述べれば、両親もきっと納得せざるを得なくなるだろう、と言う理由を加えながら。

 それを聞いた僕は、きっと彩華さんは僕のために『嘘』を考えてくれたのだ、と思い込んでしまっていた。幾ら何でも大袈裟すぎる内容でも、僕の『特別な友達』が述べたと分かれば、父さんや母さんも信じるだろう――そんな自信で裏打ちされた、一世一代の大芝居のようなものだ、と考えていたのだ。


 でも、今振り返ると、その時彩華さんが伝えてくれた『説得材料』というのは、母さんが述べた通り、疑いようもなく全て真実だった。


 『彩華さんやおばちゃんが、僕に協力してくれる』――これはまさにその通り、図書室のおばちゃんが僕たちの頼もしい味方になってくれえた。

 『彩華さんは、学校のスポンサーと繋がりがある』――あの時は正直半信半疑だったけれど、今振り返ると実に当然の事だった。学校のスポンサーだった綺堂玲緒奈さんは、彩華さんの父さんなのだから。

 『彩華さんは、既に僕たちが学校へ向かう事をスポンサーに連絡している』――こちらも、考えてみればその通りの展開だった。彩華さんが事前に教えていたからこそ、彩華さんの父さんである玲緒奈さんは僕の事をすんなりと受け入れ、理事長への糾弾に参加させたに違いない。


「譲司には悪いけれど、私たちは今日まで半信半疑だったの……だから、連絡が届くまでとっても心配だったのよ。そうでしょ、父さん?」

「まあな……譲司のために無理して嘘をついたんじゃないか、なんて『友達』の方も勝手に心配していたけれど、全然そんな事は無かった、って事だな」


 何せ、『友達』は全然嘘なんてついていないし、全て本当の事を伝えただけ。むしろ、疑った自分たちの方が失礼だったかもしれない――父さんの言葉に、僕は同意の頷きを返した。今度彩華さんに連絡する時に、この事は絶対に謝らなければならない、と考えながら。

 そして、一瞬の沈黙が流れた後、若干暗くなってしまった雰囲気を変えるかのように、父さんが今回の一件についての感想を述べた。


「それにしても、あの学校のスポンサーが有名な『綺堂グループ』の宗家だとは全然思わなかったな……父さんびっくりしたよ」

「ぼ、僕も全然知らなくて……とっても驚いたよ……」


 会社の取引先にも綺堂グループの関係企業が複数存在するらしく、これから顔を合わせるとなんだかこそばゆい気分になりそうだ、と父さんは語った。その言葉にどこか自慢げな雰囲気が混ざっていたのは、きっと僕がその『綺堂グループ』を所有する大富豪・綺堂家の令嬢と大親友になった、という事実を受けての事だろう。


「あ、でも勿論、譲司の友達が凄い人だって事は会社や親戚とかには絶対内緒にしておくからな。大騒ぎになったらこっちが大変だからなぁ、母さん」

「そうね。それに、電話をくれた執事長の人とも約束したし。ふふ、父さんも母さんも口は固い方だから安心して」

「う、うん……」


 きっとそうしてくれた方が、彩華さんも気兼ねなく僕の『特別な友達』で居続ける事が出来るかもしれない。父さんや母さんの優しさや気配りに、改めて僕は感謝の言葉を送った。

 すると、父さんがふと、ある事を聞くのを忘れていた、と述べ、僕に質問をしてきた。その『特別な友達』の父=学校のスポンサー=綺堂玲緒奈さんは、一体どのような人だったのか、と。

 テレビや雑誌、新聞などで何度かその威厳溢れる、いっちゃ悪いけれど怖くて厳しそうな見た目は知っていたけれど、中身はどのような感じなのか、知りたがってきたのだ。


 生憎、僕も彩華さんの父さんこと綺堂玲緒奈さんとは理事長への糾弾の際に少し会話しただけだし、内面は彩華さんが語ってくれた話でしか伺い知ることが出来なかった。ただ、その中で僕はあの彩華さんの父さんがどういう人なのかを僅かながら知れたかもしれない――そう考えた僕は、何とか父さんや母さんに説明を行った。


「えっと……た、確かに怒ると凄い怖いし、一睨みでみんなとっても怯えていた……。で、でも……彩華さんが言ってたんだけど、『友達』や『好き』という心をとても大切に思っていて、ネットの友達も現実の友達に優劣はない、って彩華さんを諭した事もあったみたい……。き、きっと……普段は厳しいけれど、中身は優しさもあるんじゃないか、って……僕は考えてる……。とにかく、凄い人だっていうのは確かだよ……」


 勿論僕の推測が正しい証拠は無いし、実際に会ってみないと分からないけれど、と慌てて釈明した僕の言葉を聞いた父さんや母さんは、確かにその通りかもしれない、と何故か大きく頷いた。

 どういう事なのか、と気になった僕に、父さんや母さんは驚くべき事を口にした。

 実は、あの時図書室のおばちゃんや執事長の卯月さんから、明日、もし用事が空いていたら、是非父さんや母さんに学校に来て欲しい、と頼まれていたのである。


「え、そ、そうなの……!?」

「ええ。スポンサー……つまり、その綺堂家の一番偉い人と一緒に、私たちは今後についての話し合いをする事になったのよ」

「念のため有給休暇を明日も取っていて良かったよ。何となく、俺たち『大人』側の会議も必要になるような予感はしていたからな」


 今回の糾弾の結果、急に決まった案件で申し訳ない、とおばちゃんや卯月さんは電話越しに平謝りだったようだけれど、父さんや母さんはこう述べて、学校へ向かう意志を伝えた。『息子』たちがこんなに頑張っているのに、大人が何もせず見守るだけというのはもどかしい。自分たちも『親』として、学校の姿勢に頑として立ち向かいたい、と。


「それに、たまには父さんも格好良い姿を見せたいと思ったからな!ガツンと綺堂家の偉い人に立ち向かってみせるよ」

「もう父さん、譲司は来なくても大丈夫、って言ってたじゃない」

「そうか……へへ、すっかり忘れてた……」

「あ、そうなの?」


 母さんが指摘した通り、明日の話し合いについては僕や彩華さんは加わらず、『大人』の立場の人たちだけで進める事になったという。だからこそ、父さんや母さんは、相手側の『親』――彩華さんの父さんこと綺堂玲緒奈さんがどのような人か、つい気になってしまった、という訳だ。

 冗談を言って場を和ませる父さんや母さんだけど、きっと内心は物凄い緊張しているんだろうな、と僕は考えていた。この僕だって鼓動が速くなるのを全身で感じるほどだったのだから、明日は色々と大変かもしれない、と心の中で密かに応援した。


 そんな感じで、今日の出来事や明日の予定をたっぷりと話し合っていた僕は、つい箸が止まっていた事に気が付いた。慌ててカレーライスの続きを食べ始めた僕に、母さんは優しい言葉をかけてくれた。無事に一仕事を終えた身、明日はお昼までぐっすり寝ても大丈夫だ、と。


「譲司も肩の荷が降りたでしょう?ぐっすり眠って、疲れを癒しなさい。それに、今日作ったカレーの残りがまだまだいっぱいあるから、それを朝ご飯兼お昼ご飯にして食べればいいわ」

「なるほど……それもそうだね……ありがとう、母さん」


「はは、何ならそのまま父さんや母さんがいない間にその『友達』を誘ってお家デートを楽しんでもいいんだぞ?」

「!?!?」


 唐突に飛び出した父さんの言葉に、危うく僕は驚きのあまりむせかけてしまった。

 慌ててお茶を飲む僕の目の前で、軽口を言う癖は相変わらずな父さんが母さんに思いっきり注意されていた。そんな事を突然申し込まれても相手が困惑するだけだし、そもそも『友達』もヘトヘトに疲れているはず。無理やりデートに誘うのは好感度が下がってしまうだけだ、という母さんの真剣な言葉に、父さんはたじたじになっていた。


「悪かったって、譲司に母さん……」

「もう……まあ、父さんに悪気はないのは分かっているけれどね」

「その事を分かってもらえればありがたい!」

「昔から相変わらずお調子者ね……ふふ……」


 でも、最終的にはいつも揃って笑顔になる。そんな父さんと母さんの仲の良さが、自然に僕の『友達』、分け隔てなく様々な事を語り合える存在への憧れを作ったのかもしれない――カレーライスの最後の一匙を口に含みながら、僕はそんな事を思った。


「父さん、母さん、明日は頑張ってね……ぐっすり寝ているかもしれないけれど、僕も応援しているから……」

「おうよ、譲司!頑張ってくるからな」

「後は母さんたちに任せなさい」


 そして、長いようであっという間だった夕食の時間は――。


「「「ごちそうさまでした!」」」


 ――僕たち和達家の挨拶で幕を閉じた……。

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