第95話:天下無敵の図書室のおばちゃん

 鉄道オタクはキモい、ダサい、犯罪者予備軍――理事長の息子を筆頭に、そんなイメージが横行していたこの学校。

 そこに通い続けなければならなかった僕や彩華さんにとって、たった1つだけ心が落ち着く場所になっていたのは、この図書室だった。

 どんなに苦しい事があっても、ここに行けば、いつも優しく頼もしく僕たちを見守ってくれるおばちゃんや、スポンサー=彩華さんの父さんがたくさん寄贈してくれた鉄道の本が待っている。自分たちの状況を変えることが出来ないままだった僕や彩華さんが何とか耐え続ける事が出来たのは、ひとえにこの図書室とおばちゃんのお陰だった。

 そして何より、僕と彩華さんが出会ったのも、この図書室で偶然同じ本を探していた時だった。


 『絶対零度の美少女』として振る舞い続けていた彩華さんと仲良くなれるのか、いやそんな訳はないだろう、と心の中で勝手に結論付けてしまっていた僕は、互いが生粋の『鉄道オタク』であるという事実を互いに認識し合い、文字通りの『特別な友達』になったのである。


 それ以降、図書室の本が破られたり、スポンサーである彩華さんのお父さんの自費によって修繕されたり、苛烈ないじめから逃げ込むようにこの場所に飛び込んだり、本当に色々な事があった。

 でも、もう少しでそんな日々ももう少しで終わりを迎えようとしていた。僕と彩華さんは、絶望の未来しか残されていない状況に陥ったこの学校を捨て、新天地を目指す事にしたのだ。


「……ふう……」

「はぁ……読み終えた……!」


 美味しい弁当をたっぷり食べ終えた後、僕は彩華さんと共に図書室の中で鉄道の本を心行くまで思いっきり読み漁る事にした。

 ブルートレインに旧型国電、貨物列車に軽便鉄道、そして海外の鉄道に気動車。ありとあらゆるジャンルが揃っているこの図書室の本は、何度読んでも飽きるという感情が湧かず、それどころか毎回新たな発見があった。

 外で生徒たちが授業を進めている事を示すチャイムも気にせず、僕と彩華さんはこの場所で過ごすであろう最後の時間を存分に楽しんだ。

 

 一方その間、綺堂家に仕える執事長である卯月さんは『旦那様』である綺堂さんの父さんが待つ理事長室へ戻り、理事長やその妻である貴婦人、そしてふたりの息子を始めとする僕のいじめに関与した生徒や教師たちとの対談に再び参加していた。

 僕たちが事実上遊んでいる間、お姉さんこと卯月さんにそのような重大な任務を課せてしまって申し訳ない気分はあったけれど、卯月さんの方が逆にそんな僕を気遣い、『優秀』な執事長たる自分自身でしかできない仕事だから心配は要らない、と頼もしい言葉を述べてくれた。


 そして、図書室のおばちゃんの方は――。


「ふふ……やっぱり本を読んでいる2人は、幸せそうだねぇ」


 ――カウンターの後ろにある椅子に座りながら、机の上に大量の本を重ねながら次々に読み漁りまくる僕たちの様子を眺め、にこやかな笑みを見せていた。

 

「やっぱり、本は好きかい?」

「はい、本には色々な知識や情報が詰まっていますし、何より僕たちを様々な場所へ連れて行ってくれます」

「私も、譲司君と同じ意見です。それに、私たちは『本』のお陰で、こうやって繋がることが出来ましたからね」

「ふふ、そうだったねぇ」


 おばちゃんが事前に父さんや母さんに連絡し、了承を得てくれたお陰で、僕と彩華さんは午後の時間をフルに活用してたっぷりと鉄道の世界をたっぷりと堪能する事が出来た。

 でも、そんな楽しい時間もそろそろ終わりを迎えようとしていた。いつの間にやら時計の針は、そろそろ帰宅した方が良い事を示す時間を指していたのだ。そして、やっぱり名残惜しい、という感情が互いに芽生え始めた時、理事長室での対談を終えた卯月さんが図書室へ戻ってきた。


「お嬢様、和達さん。そろそろ……」


 実は今朝、学校へ向かっている間、お姉さんこと卯月さんは、事が済んだ後に僕や彩華さんを家へ送り届けてくれる、という約束をしてくれた。その時はまだ卯月さんや彩華さんの正体を知らなかったので何の気なしに受け取っていたけれど、今はそれらの約束の意味が理解できた。卯月さんは『執事長』としての任務の一環で、僕を自宅まで送り届けてくれる、というのだ。


「……分かったわ……でも、もう少し待ってくれるかしら?」

「すいません、卯月さん……ほ、本の片付けを済ませないと……」

「了解しました」


 手伝いましょうか、と丁寧に尋ねてくれた卯月さんの誘いを、僕と彩華さんは敢えて断った。ずっと僕たちを助け、支えてくれたこれらの本にもう少し触れていたいし、綺麗に整理整頓する事で少しでも本に恩返しをしたい、と考えたからだ。大切に読んで貰うだけでも十分恩は返している、おばちゃんは励ましてくれたけれど、やっぱりまだ出来る事はあるはずだ、と僕と彩華さんは揃って同じ事を思っていたのも大きかった。


 そして、机に重ねていたたくさんの鉄道の本は全て本棚に収まり、図書室は僕や彩華さんが来る前と同じ状況に戻った。

 その光景を見ていると、名残惜しさから生まれた気持ちが心の中に溢れていった。


「……やっぱり、ちょっと寂しいわね」

「うん……そうだね……図書室もそうだけど……その……」


「おや、私の事かい?」

「あ、はい……その、おばちゃんとも会えなくなるのは……」

「私も……今まで色々迷惑かけてきて、すいませんでした……」


「謝る事なんて全然ないさ。ふたりとも、何か困ったり寂しかったりしたら、前に渡した名刺に書いた電話番号にいつでも連絡するんだよ。私は、ずっとふたりの味方だからね」

「おばちゃん……おばちゃん……!」


 直後、彩華さんは思いっきりおばちゃんの体を抱きしめた。そのまま述べ続けた感謝の言葉の中には、寂しさによる嗚咽が混ざっているような気がした。当然だろう、彩華さんにとって、僕と並んでおばちゃんはこの学校でずっと応援してくれた、頼もしい存在だったのだから。

 そんな彩華さんの頭を、おばちゃんは優しく撫でていた。その様子はまるで、おばちゃんが彩華さんの『母さん』になっているようだった。


 その光景を見てついもらい泣きしそうになった僕だけど、ふと大変な事実を思い出してしまった。

 僕と彩華さんは新天地を求めてこの学校を離れる事になるけれど、おばちゃんはこれから『集団退職』――多数の問題を引き起こし続けた結果、今にも崩れ落ちそうな状況に陥っているこの学校に愛想を尽かした複数の先生と共に、行動を起こさないといけないのだ。

 空気を読まずについその事を本人に直接尋ねてしまい、慌てて謝る羽目になった僕だけど、おばちゃんは心配いらない、と普段の頼もしい様子を崩す事無く言葉を返してくれた。


「ふたりの頑張りを見て、私も勇気を貰ったよ。ここから先は、私たち『先生』が頑張る番。遠い場所で応援してくれれば、それだけでも嬉しいさ」

「おばちゃん……あ、でも、お父様……というより『綺堂家』はもうこの学校で起きる事案に基本的に関わらないって宣言してしまったから……」

「そ、そうか……おばちゃんたちの運動には綺堂家の支援が受けられないかもしれない……」


 つい心配になった僕や彩華さんだけど、おばちゃんは堂々とこう言ってくれた。


「私を誰だと思っているんだい?大富豪・綺堂家のお嬢様とその『友達』をずーっと支え続けてきた、『天下無敵』の図書室のおばちゃんさ!」

「……ふふ、そうでしたね、おばちゃん!」


 冗談交じりの言葉に含まれた確固たる自信を確認する事が出来た僕と彩華さんからは、自然に笑いがこぼれてきた。彩華さんの瞳から流れ続けていた涙も、既に収まっているようだった。


 そして、卯月さんもおばちゃんにある言葉をかけてくれた。綺堂家としての直接的な支援は、先程も述べた通り非常に難しい。でも、ずっと守り続けた『図書室の本』を、おばちゃんに代わって今後守り続ける事ならば可能である、と。


「本当かい!?」

「はい。旦那様が寄贈した鉄道関連の書籍以外についても、回収可能なものは出来るだけ回収できるでしょう」


 断言して大丈夫なのか、という問いにも、これは『旦那様』=彩華さんの父さんの意向なので心配ない、と卯月さんは冷静に、でも自信に満ちた声で返した。それを聞いたおばちゃんもまた、ほっと胸をなでおろしたような雰囲気を見せた。


「ありがとう……これで私も心置きなく、この学校での最後の頑張りを見せる事が出来るよ」

「こちらこそ、おばちゃんに協力する事が出来て光栄です」


 互いに頭を下げて感謝の気持ちを伝えあったおばちゃんと卯月さんは、僕たちの方を向いてこう告げた。

 二人とも、そろそろ家へ帰る時間だ、と。


「……そうですね……分かりました」

「何度も言うようですけれど……おばちゃん、今まで本当にありがとうございました」


 僕と彩華さんは、エールを送る意味合いも込めて、おばちゃんと固い握手を交わした。

 おばちゃんの手は図書室の担当として過ごし続けてきた日々の長さを示すようにたくさんのしわで覆われていたけれど、とても温かく優しい感触だった。

 僕たちにはもう図書室への心残りは無かった。この場所で過ごした特別で素敵な思い出を、しっかりと心の中へ刻み込む事が出来たのだから。 


「おばちゃん、ご武運を」

「そっちこそ頑張りな、執事長さん」

 

 挨拶を済ませた『執事長』こと卯月さんに案内されながら、僕と彩華さんは扉へと向かった。

 そして、僕たちは図書室のおばちゃん、そして『図書室』へ向けて、声を合わせて最後の挨拶を告げた……。

 

「「……失礼しました!」」 

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