第94話:ちょっと特別な弁当タイム

「美味しい……美味しいね、彩華さん……!」

「本当ね……うん、どれも最高……!」


 色々あったけれど、ようやく迎える事が出来た昼食の時間。特別に飲食が許可された僕と彩華さんは、綺堂家の女性執事長である卯月さんを始めとした、綺堂家を支える人たちが作ってくれたという美味しい弁当の味を思う存分堪能していた。

 大仕事を終えた僕たちを祝福するかのような豪華な赤飯は勿論、歯応えがたまらない唐揚げに海老フライ、優しい味わいの温野菜、彩りを添えるかまぼこなど、幾多もの料理がどんどん僕たちの腹を満たしていった。


 そういえば、僕がこうやって綺堂家や関係者の皆さんが作ってくれた弁当を食べるのはこれで2回目だ。

 以前は彩華さんが大富豪である綺堂家の一員である事や卯月さんの職業を知らないまま、その味を楽しんでいた。勿論その時の弁当――彩華さんもおにぎり作りなどで協力していた弁当は思い出深いものだったけれど、今回の弁当もまた、沢山の人たちの思いが詰まっているようでとても美味しかった。


「あ、譲司君、私の唐揚げ、1つ貰ってくれないかしら?」

「え、いいの……?」

「譲司君もたっぷり頑張ったから、私からのちょっとしたご褒美という感じよ」

「なるほど……ありがとう、彩華さん」


 そんな感じでやり取りをしているうち、あっという間に僕たちは綺堂家自慢の弁当の献立の大半を食べ尽くしていた。

 満足、という短い言葉でも言い表せるほど幸せな感情が僕の心に溢れていたけれど、1つだけ意外だと思う事があった。確かに『赤飯』のような豪華な料理も幾つかあったけれど、弁当の中身は僕の父さんや母さんが心を込めて作ってくれる素朴な内容によく似ていた。それに、よく見ればメニューの一部に、僕もよく食べている冷凍食品が混ざっている。

 大富豪だから弁当も隅から隅まで豪華絢爛なものを用意してくれるのではないかと思っていた、と正直に打ち明けつつ、決して綺堂家の人たちを馬鹿にしている訳ではない、と慌てて釈明した僕に、彩華さんは優しい声でこの献立を決めた理由を推測してくれた。


「あまり中身が豪華すぎると、逆に譲司君は驚いてしまうでしょう?それに知らない料理ばかりだと、もしかしたら譲司君の舌に合わないものが多く混ざっているかもしれない……」

「あ、そうか……そういう配慮が……」

「あくまで推測だけどね。でも、私は譲司君と一緒に食べるのなら、こういう『素朴』な料理の方が好みだわ。それに、あの冷凍食品も結構美味しかったし……」

「そうだよね……これ、僕が好きなものの1つなんだ」

「へえ、そうなの……ふふ、一緒にお弁当を持ち寄る機会が訪れた時のメニューが1つ決まったわね。卯月さんに頼んで、譲司君のおすそ分け用に多く入れて貰おうかしら」


 それは楽しみだ、と返しつつ、僕はもう1つ是非食べてみたいメニューがある、と語った。それは、以前食べた弁当に入っていた俵巻きのおにぎりのような、彩華さんが丹精込めて作る美味しい料理だ。

 それを聞いた途端、何故か彩華さんは少しだけ顔を真っ赤にしながら、慌てたような表情を見せた。


「わ、私の料理……?でも私が作っても、プロの料理人や卯月さんたちよりも美味しくないかもしれないわよ……?」

「そ、そんな事は無いと思うよ……。だって、以前食べた彩華さんのおにぎりの味、とても優しかったし……き、きっと、彩華さんだって料理人の皆さんや卯月さんに負けないくらい料理の腕があると思うんだ……」

「……ありがとう、譲司君。そう言われると、なんだか気合が入ってくるわね」


 そして、彩華さんはもしまた一緒に弁当を食べる機会が訪れた時は、是非この僕、和達譲司お手製の料理も是非食べたみたい、と同じような言葉を返した。

 とはいえ、僕もまだまだ料理作りは慣れておらず、父さんや母さんには全くもって敵わない。あまり期待しないでも大丈夫だ、と遠慮がちに告げた僕を、彩華さんは笑顔を見せながら励ましてくれた。きっとあの卯月さんが舌を巻くほど美味しいはずだ、と。


「そ、そこまで言われちゃうと緊張しちゃう……で、でもありがとう……」

「どういたしまして。いつか食べてみたいわね……和達家の美味しい食事♪」

「そ、その時は僕も頑張って父さんや母さんを手伝うよ……!」

「ふふ、応援しているわ」


 そんな感じで色々と話しているうち、あれだけたくさんの料理が詰まっていた弁当の中に残されていたのは、デザートのオレンジだけになっていた。

 少し名残惜しい気分を共有しつつ、僕たちは動きを合わせてオレンジの皮をむき、同時に口に入れた。

 ほどよい甘さと酸っぱさを笑顔で堪能したのち、僕たちは互いに手を合わせ――。


「「ごちそうさまでした!」」


 ――改めて、作ってくれた人たちや食材になった命への感謝の言葉を述べた。


 そして、一緒に弁当の容器を片付けつつ、食べかすを落としたりはしなかったけれど念のためハンカチで机を拭いていた時、図書室の扉が開き、おばちゃんと卯月さんが丁度良いタイミングで戻ってきた。僕の父さんや母さんへの連絡が無事済んだ、という連絡と共に。


「あ、ありがとうございます……!う、卯月さんたちが作ったお弁当、とっても美味しかったです……!」

「そう言って頂きますと、私もとても嬉しいです」


「それでおばちゃん、譲司君のご両親はなんておっしゃられていましたか……?」

「ああ、それかい?安心しな、ご両親は私たちの連絡を聞いてとっても安心していたよ」


 卯月さんも交えた連絡は無事上手く行ったようで、今回の無謀な作戦、そして学校への『糾弾』が成功した事が父さんや母さんにもしっかりと伝わっていた。そして、受話器の向こうから良かった、本当に良かった、と胸をなでおろすような声が何度も聞こえた、とおばちゃんは説明してくれた。

 そして、同時に父さんや母さんは息子である僕と同様に、1つの真実を知った。僕の『特別な友達』の正体が、大富豪・綺堂家の令嬢である綺堂彩華さんである、という事に。やはり最初は半信半疑だったようだけれど、卯月さんの丁寧な説明のお陰で次第に信じるようになっていったという。


「流石執事長さんだねぇ……私よりも説明がとても上手だよ」

「恐縮です。それに、和達さんのご両親が素敵な方だという事が、声からも良く伝わりました。息子さんの事を信頼し、心から大事に思ってくれているようですよ」

「そ、そうですか……こ、こちらこそありがとうございます……」


 卯月さんからも両親の事を褒められた僕は、まるで自分が褒められたように照れくさい気持ちに包まれた。


 その時、卯月さんはある大事な要件を伝える必要があるのを忘れていた、と告げた。それは、僕と彩華さんの将来に関係する内容だった。

 僕たちが去った後、『息子』の醜態のせいで倒れ込む羽目になった理事長やその奥さんである貴婦人の容体が回復したのを待った後、この学校のスポンサーである彩華さんの父さんこと綺堂玲緒奈さんは対談を再開した。そして、最初に議題として取り上げたのは、僕たちの『単位』――学校の授業内容やテストの結果によってもたらされる学習量についてだった。


 この学校を辞め、別の場所へ移動する事を考えていた僕や、それを応援してくれている父さんや母さんの中で、大きな心配事になっていたのは、別の学校でそのまま転入する際に必要な単位数を得ることが出来ないのではないか、というものだった。当然だろう、いじめが要因という学校側に非がある状況とは言え、僕は中途半端な時期で学校を去る事になってしまう。下手すれば、学校側の判断で、それまでの授業で頑張って手に入れた単位を全て抹消させられる事態だって考えられるのだ。


 でも、この状況を懸念していたのは、僕たちの家族だけではなかった。彩華さんの父さんも、その事態を憂慮していたようだった。だからこそ、僕たちが理事長室を去った後、真っ先にこの事を指摘したのだ。

 そして、話し合いの結果――。


「和達さんのご両親にも伝えましたが、お二人ともご安心ください。別の学校へ転入する事を条件に、今期の単位を全て履修したと見做す事を、理事長が認めてくれました」

「え……という事は……つまり……!?」


 ――新たな学校を探すにあたって、『単位』を心配する必要は無くなったのである。


「でも、大丈夫だったのかい?言っちゃ悪いけれど、理事長を脅したりとか……」

「その心配は要りません。詳細は機密事項ですが、旦那様と共に、私たちは事前にこの学校の『校則』を何度も熟読しました。それに記されていた内容を応用して、単位の履修を認めるよう促しただけです」

「な、なるほど……つまり、法の穴を突くような事をした、って訳だね……」


 卯月さんたち綺堂家の人々の有能ぶりを、改めて僕は実感した。

 そして、勿論僕や彩華さんは、卯月さんにしっかり頭を下げて感謝の思いを伝えた。これで、僕たちの未来に関して大きな『光』が見えてきたからである。


「もう一度言うけれど、本当に卯月さんには頭が上がらないわね……」

「いえ、お嬢様あっての私たちですので」

「ふふ……それにしても、これで私たちがこの『学校』に留まる理由は、完全になくなった、って事ね……」


 そう言った彩華さんの表情が寂しそうに見えた理由を、僕はすぐに気づくことが出来た。


 今日をもって、僕と彩華さんはこの学校を去る。何らかの事情が無い限り、もうこの場所へ訪れる事はないだろう。

 でも、それは同時に、学校の中でたった1つのオアシスだったこの場所――学校の図書室に行く機会も失ってしまう事になるのだ……。

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