第92話:特別な友達を求めて

 彩華さんと一緒に美味しい弁当を作ってくれたり、僕たちを安全に家や学校に送り届けてくれたり、時には僕へ頼もしい助言をしてくれた、彩華さんがいつもお世話になっているというお姉さん。

 一体どんな人なのだろうか、どこに住んでいるのだろうか。様々な疑問を抱いていた僕に提示されたのは、少し意外な、でも納得がいく答えだった。


 お姉さんの本名は『大谷卯月おおたに うづき』さん。

 彩華さんを始めとする大富豪・綺堂家に仕え、優秀な使用人の皆さんを束ねる『執事長』と呼ばれる役職に就く、凄い人材なのだ。

 その実力は、いつもお世話になっていて頭が上がらないという彩華さんは勿論、綺堂家の現在の当主である彩華さんの父さん、綺堂玲緒奈さんも認めるほどだという。だからこそ、あの時――先程まで僕たちも参加していた、理事長夫妻や生徒などいじめの元凶を作った面々への糾弾の際にも、まるで秘書さんのように最前線で彩華さんの父さんの補佐を務めていたのだ。


 見た目は若そうなのになかなか凄い人のようだ、と感心するおばちゃんの言葉に、僕も同意の頷きを見せた。

 どおりでスーツ姿が非常に似合っていた訳だ、と。


 そんなお姉さんこと卯月さんが、あの理事長がいる『庶民』の学校に進学したいという良からぬ憧れや希望を抱いてしまった彩華さんの思いに味方をしてくれたのは、自分自身も正直意外だった、と当時を振り返りながら彩華さんは語った。


「綺堂家に仕える優秀な執事長だから、絶対反対すると思いました。下手すれば、父だけではなく卯月さんも敵に回すかもしれない、という危機感も抱いていました。だから、私の考えに賛同すると宣言した時は、父と一緒に驚いたんです」

「確かにそうだよね……綺堂家からかなり信頼を寄せているんだったら、この学校の有様も把握していそうだし」

「そ、それで……説得は大丈夫だったの……?」


 結果的には僕たちも承知の通り、彩華さんはあの学校への入学を果たす事になったけれど、そこに至るまではやはり大変だった。卯月さんが味方になってくれたとは言え、あの学校への不信感が当時から強かったという彩華さんの父さんは頑なにあそこへの進学を許さなかったのだ。

 当然だろう、不祥事を繰り返しては、その度に綺堂家が尻拭いをし続けていたあの学校を支援する意義は、生徒の『好き』という思いを守るため、というものしかなかったのだから。


 でも、そういった思いであの学校が潰れないように支援しているのだから、きっとその思いを知らずして受け取り、『好き』という思いを大切にしている生徒はいるはずだ。そして、そういう生徒が彩華さんの良き友になってくれるだろう。パンドラの箱のように、ネガティブな要素ばかりが詰まっていたとしても、一抹の希望は残されていると信じている――卯月さんは、そのような内容で、綺堂家の当主である彩華さんの父さんを説得し続けた。


「今思うと、卯月さんは譲司君のような人がきっといるはずだ、と予知していたのかもしれないわ……」

「ぼ、僕の事を……そういう風に……」


 そして、彩華さんもまた、懸命に父さんの説得を続けた。もっと色々な知見を広げて『綺堂家』を支える人材になりたい、『庶民』の心の様々な側面に触れて皆の事を理解できる存在になりたい、など様々な進学への理由を述べたけれど、やはり一番の理由は、『現実の世界で友達を作りたい』、というものだった。


 勿論、それについては彩華さんの父さんから厳しい指摘が入った。

 親戚の人たちとも鉄道についての話題で盛り上がる機会が沢山あったはずだし、会員制クローズドSNSの『鉄デポ』で知り合ったネットの仲間たちも大勢いるはず。でも、彩華さんの『友達を作りたい』という発言は、見方を変えればそう言った大切な人たちを蔑ろにしかねない、思慮に欠けた言葉だ、と。


「『友達に優劣をつけるつもりか?』という、あの時の父の言葉を、私は今も覚えています」

「『ネットで出会った友達も親戚も、等しく大切な友達のはずだ』って事だね。綺堂家のトップの人、中々良い事言うじゃないか」

「はい……でも、その時の私は、その言葉にどう返せばよいか、分かりませんでした……」


 多分、僕も同じような事を言われてしまった場合、何も言い返すことが出来ず、そこで諦めてしまっていただろう。


 そんな時、助け舟を出してくれたのが、卯月さんだった。

 どうしても言葉としてまとめる事が出来なかった彩華さんの本音を、卯月さんははっきりと述べてくれたのだ。

 お嬢様=彩華さんが欲していた『友達』というのは、誰からの助けも得ず、自分の力、自分の思いだけで見つけることが出来る、文字通りの『特別な友達』なのではないか、と。


 ここで、彩華さんはある事実を僕たちに教えてくれた。

 性別も年齢も身分も違う様々な鉄道オタクが集まり、日々鉄道について熱く語ったり日常的な話に花を咲かせるネット内の車両基地ともいえる『鉄デポ』の事を彩華さんに教えてくれたのは、他ならぬ彩華さんの父さんこと綺堂玲緒奈さん自身だったのだ。

 

「えっ……じゃ、じゃあ彩華さんが参加していたのは、彩華さんの父さんのお陰って事……!?」

「私が友達を欲していたのを父が察していたのか、実際のところは今もよく分からないわ。でも、サクラやナガレ君のような仲間に出会えたのは、間違いなく父のお陰なのは確かね」


 だからこそ、ネットで出会ったかけがえのない友達と思いを共有する事が出来ればそれで良いだろう、というのが彩華さんの父さんの考えだった。

 でも、卯月さんはその立場に反論した。確かにそういった形で友達を作るのは大切だけど、それは結果的に『父から与えられた』、自分の力だけで手に入れたのではない、労せず獲得したようなもの。話が合う親戚だって、『親戚』だから、という理由で気が合ったようなものと言われればそれまでだろう、と、敢えて厳しい視点で語ったのである。


「勿論、みんな大切な友達なのは間違いなかった。でも、私はもっと色々な知らない世界を見てみたい。私自身の力で新しい『人生の列車』の切符を買って、その列車の中に乗る様々な人々と交流してみたい。そして、その中にはきっと、私と気が合う『特別な友達』、私だけの力で出会える存在だっているはずだ……卯月さんが背中を押してくれたおかげで、私も心の中の気持ちを言葉にすることが出来たんです」


 その思いが、どのように彩華さんの父さんに伝わったのかは、流石の彩華さんでも分からなかった。


 でも、その強い意志が心を動かした、という事実だけは間違いなかった。

 説得の翌日、彩華さんの父さんは威厳ある厳しい雰囲気はそのままに、大きなため息をつきながらも、彩華さんが例の『学校』――理事長が率いるこの場所へ進学する事を許してくれたのである。

 ただ、その際に彩華さんの父さんはある条件を課した。彩華さんが綺堂家の令嬢であるという事実は、理事長夫妻をはじめとする学校幹部を除いたすべての生徒や先生には一切の機密事項とする事。そして、より機密を守るため、『綺堂』という苗字を使うのを禁じる事。

 何故そのような制限を求めたのか、その理由はあの糾弾の場で既に語られていた。『綺堂彩華』さんと言う存在が外部から利用されたり、周りから無駄に畏怖の念を受けたりする事を避け、ごく普通の生徒として生活が出来るように、というものだった。


「今振り返ると、父なりに私を心配した親心の表れだったのかもしれません……」

「……そうかもしれないかな……」


 それなら、あの耳慣れた『梅鉢』という苗字はどうやって手に入れたのか。その答えは、とても分かりやすいものだった。

 綺堂家の親戚――彩華さんが先程から触れていた『話が合う親戚』というのが、進学に際して苗字を貸す事に同意してくれた『梅鉢うめばち家』だったのである。

 

「元は仕事やプライベートなど様々な場面で支え合うパートナーという繋がりが強かったのですが、私の母が『梅鉢家』から『綺堂家』に嫁いだ事で、名実ともに綺堂家と大きな関わりを持つ親戚になったんです」

「なるほど……じゃあ『梅鉢』というのは、お母さんの旧姓って事かい?」

「はい、おばちゃんの言う通りです」

 

 その言葉を聞いて、僕はようやく彩華さんを『梅鉢さん』と呼んでいた頃に何度か聞いていた言葉の意味に納得した。特別な友達だからこそ『彩華』と下の名前で呼んで欲しい一方で、『梅鉢』という名前も大切だから、その苗字で呼ばれると嬉しい気持ちになる、と彩華さんは述べていたのだ。

 母さんの昔の苗字も大切にしたい気持ちは、とても納得できるものがあった。


 これが、『綺堂彩華』さんが『梅鉢彩華うめばち いろは』さんになった、大きな要因だった。


「で、でも、学校の酷い状況、梅鉢家の人たちも知っていたんじゃ……」

「どうだったのかしら……。でも、私が新たな苗字を必要としている、という事を知って真っ先に動いてくれたのは綺堂家の叔父様おじさま叔母様おばさまたちだったの。『梅鉢』の苗字が綺堂家の役に立てればこれほど嬉しい事はない、って言ってくれたのを覚えているわ」


 献身的な人たちだね、と素直な感想を語りつつも、おばちゃんは同時に梅鉢家の人たちも可哀想だ、と述べた。

 結果的に、あの学校での荒んだ日々の中で『梅鉢』という名前も汚される事態になってしまったのだから。


 それに、あの糾弾の場で彩華さんの父さんもはっきりと怒りを露にしていた。彩華さんが『梅鉢』という苗字を使うと断言した途端、理事長たちが一瞬だけ嫌な表情を見せていた事に。

 それなりに金持ちとは言え、梅鉢家の身分は綺堂家や理事長たちと比べて低い。でも、綺堂家との大きな繋がりがある苗字に対して、露骨にがっかりした感情を見せるのは、綺堂家のみならず梅鉢家の人たちに対しても失礼にあたる、侮辱そのものにしか考えられない行為だ。この学校の酷さを、僕は改めて彩華さんやおばちゃんとともに共有した。


「でも、結局そんな反応を見せていた事にも気づかず、私はこの学校に進学してしまった。その後は、譲司君もおばちゃんもご存じの通りです。『鉄道オタク』の友達が見つからないどころか、『鉄道が好き』という思い自体が貶され続けるような場所で、私は過ごさなければならなくなった……」


 しかも、様々な人を巻き込む形で自分の『我がまま』を通してしまった以上、学校を変えたいと言える訳がない。綺堂家だけではなく、苗字を貸してくれた梅鉢家の人々にも迷惑をかけてしまう事になる。

 その結果、彩華さんが選んだのは、学校に通う間、誰とも心を通わさず、誰も寄せ付けず、たったひとりで過ごし続ける存在――『絶対零度の美少女』で居続けるという道だった。それしか、彩華さんには残されていなかったのだ。


「……それで、この図書室がたったひとつの安らぎの場になった、って事だね」

「はい……何とかそういう日々に耐えている中で、私は出会うことが出来たんです……!」


 そう言った直後、彩華さんは思わぬ行動をとった。満面の笑顔と共に、僕に抱き着いてきたのだ。

 全く予想していなかった僕が慌てて顔を真っ赤にしているのを気にしないかのように、彩華さんはこう述べた。


「……本当にありがとう!譲司君は、私の救世主よ!」

「きゅ、救世主……!?そ、そんな、お、大袈裟な……ぼ、僕だってその……!」

「分かってるわ。譲司君からは何度もお礼を聞いたから。でも、私だって、存分に感謝を伝えたいの。私の人生の転轍機てんてつきを、もう一度明るい方向へ変えてくれたのは、譲司君だからね!」

「ど、ど、どういたしまして……」


 彩華さんの程よく柔らかで気持ち良い香りがする肉体をたっぷり味わう事態になった僕は、あっという間に全身から恥ずかしさや嬉しさが入り混じる感情が湧き上がり真っ赤になってしまった。

 そんな様子を見て、おばちゃんはにこやかな笑顔でこう語った。


「何度も間違いを経験しても、友達や支えてくれる人たちのお陰で希望を見出すことが出来る……ふたりとも、青春を楽しんでいるねぇ♪」

「せ、青春……!」

「そうですね。私は『特別な友達』と一緒に、たっぷり青春を楽しんでいますから。でしょ、譲司君?」


 抱き着いたままの彩華さんからの問いに、僕は緊張しながらも、しっかり同意の頷きを返すことが出来た。


 そして、2人で笑顔を見合った直後、図書館の中に僕たちの口から発する声と違う音が鳴り響いた。

 それを聞いた途端、彩華さんは僕の体から腕や体を離しながら恥ずかしそうな表情を見せた。

 でも、僕はすぐ、そこまで恥ずかしがることはない事を言葉や仕草で示すことが出来た。


 気付けばすっかり時刻はお昼過ぎ。あれだけ午前中にエネルギーを使いまくったのだから、僕も梅鉢さんも大きなお腹の音が鳴るのは当然の事だろうから……。

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