第91話:彩華メモリーズ

 梅鉢――いや、綺堂彩華さん。巨大企業グループ『綺堂グループ』を所有する大富豪・綺堂家の令嬢。

 その趣味である『鉄道』に出会った時の記憶、どうやってその趣味にのめり込んでいったかについての記憶はない。物心ついた頃には既に周りにたくさんの『鉄道』に関する資料や要素があり、それらに触れていくうち、いつの間にか鉄道と言う存在が当たり前になったのかもしれない、と言うのは彩華さん本人の言葉だった。


 そんな彩華さんは、もっともっと『鉄道』の良さを皆で語り合いたい、たくさんの人とこの思いを共有したい、と自然に願うようになっていた。綺堂家のもとで仕事をこなす使用人の皆さんと語り合う事は多かったけれど、幼心に彩華さんはこの人たちの多くが自分よりも『鉄道』に対してそこまで詳しくなく、何とか自分のために話を合わせている事を察してしまった。

 そのため、彩華さんが鉄道について話せる友達、つまり『鉄友』を増やすために選んだ場所は、幼稚園や学校だった。


「あまり覚えていないけれど、小さい頃は今よりも『鉄道』についてもっともっと周りに語っていたのは間違いないわ。幼稚園でも、学校でも、機会を見つけては鉄道の事を話そうとした……」

「な、なんだか他人事とは思えない……」

「あら、譲司君も同じだったのね」


「それで、無事友達は作れたのかい?」


 思い出話を聞いていたおばちゃんの問いに、彩華さんは残念そうに首を横に振った。

 幼稚園でも学校でも、自分の努力はずっと空回りの連続だった、と。


「確かに、私が鉄道に興味を持っている事を知って、男の子が話に乗ってくれる事はありました。でも、その男の子はそこまで鉄道にのめり込んでいない『ライト』な鉄道オタク。対して、私はあの頃から色々な鉄道の話題に触れていた、鉄道一筋の『ディープ』なオタク。結局、男の子の方が私の方から離れていきました……」


 そんな事を繰り返しているうち、彩華さんはようやく自分を取り巻く状況に気が付いた。

 自分の周りにいる人々の多くは、自分のように『鉄道』へ対する熱烈な興味なんて持っていない、という事に。

 特に女子は、そういったものに対して興味を抱く事が少ない、という現実を、彩華さんは突き付けられたのである。


「今は男女問わず色々な鉄道オタクがいる事をしっかり認識できているけれど、あの頃の私の周りの世界はとても小さく狭かった。あの頃の私の行動範囲では、話が合う『友達』を見つける事は不可能だった……」

「彩華さん……」


 そして、当時の彩華さんはある1つの選択を下そうとした。『鉄道』と言う趣味を、捨てるという事を。


「えっ……そんな事が……!?」

「ええ。後にも先にも、本気で『鉄道』という趣味を辞めようと考えたのはあの時ぐらいね。この趣味が無ければ、友達が出来るかもしれないって考えたのよ」


 そして、この考えはある意味では正しかった。『鉄道』について語らなくなった事を境に、多くの男女が積極的に話しかけてくるようになったのだ。

 やっぱり、鉄道趣味と言うのは自分にとって大きな『邪魔者』だったのだ。これさえなければ、自分はもっともっとたくさんの友達に巡り会えることが出来る、自分は孤独ではなくなる――彩華さんは、そう結論付けようとした。

 『鉄道について本気で語り合える友達が欲しい』という元の願いが、『とにかく何でもいいから友達が欲しい』というものに置き換わっていた事には、その時全く気付いていなかった、と彩華さんは語った。


「友達が欲しいという思いで、無我夢中だったんだね……」

「はい。で、知っての通り、私は結局『鉄道』を捨てる事は出来ませんでした。父や使用人の皆が収集してくれた様々な鉄道のコレクションを見ていますと、『嬉しさ』や『楽しさ』という感情が湧き上がるのを我慢できなかったんです。それに、あれだけ大量のコレクションを、精神的にも現物的にも捨てるのは、到底不可能だった……」


 それだけ彩華さんにとって、『鉄道』と言う要素は欠かすことが出来ないものになっていたのだ。

 

 そしてもう1つ、当時の彩華さんは少しづつ、ある事実を感じ始めていた。

 確かに話しかけてくる人は多かったけれど、その言葉のほとんどは、まるで自分を持ち上げたり機嫌取りをしたり、『綺堂彩華』という存在に気を遣っているようなものだった。例え彩華さんが失敗をしても大袈裟おおげさに褒め称えたり、ほんの少し動いただけで異常な反応を示したり、まるで自分が『友達』どころか『腫れ物』のように扱われているような状況だった。

 そう、彩華さんと『友達』になりたい、と言う人たちのほとんどは、『綺堂家の令嬢』という箔を求めて集まってきているだけだった事に、気付いてしまったのだ。


「私は『鉄道』という要素を失うと、何も存在しない。そんな状態でも、『友達』を名乗る人たちは私に付きまとい、勝手に私の考えている内容を推論して持ち上げて……その事に気づいてしまった時には、もうその人たちを『友達』と呼べなくなったんです」

「なるほどね……お神輿みこしに担がれている感覚が、相当嫌だった、と」

「そうですね……多分、私が欲しかったのは、今の譲司君やおばちゃんのように、気兼ねなく語り合える存在だったのかもしれません」


 幸い、ずっとひとりぼっちだった僕と異なり、彩華さんは鉄道について語り合える間柄が完全にいなかった訳ではなかった。

 綺堂家の血を引く人たちの中には、彩華さんと同じぐらいに鉄道に関して詳しい人が少なからずおり、その中には気を遣う事なく思いっきり自分の趣味を露呈する事が出来る親戚も存在した。

 それに、『鉄デポ』――鉄道オタクが集まる会員制クローズドSNSを紹介された彩華さんは、自分の知らない世界にはより多くの『鉄道オタク』がいて、皆それぞれの形で鉄道と言う概念を愛でているという事を知れた。

 

 それでも、一度これらの場所を離れてしまうと、周りに広がるのは『鉄道』と言う趣味を理解しようとせず、自身を『綺堂家の令嬢』としてしか見ていない人ばかり、という事実は変わらなかった。


「……私は、親戚やSNSといった『内側の世界』だけではなく、『外側の世界』にも、趣味について語り合える友達が欲しかったのかもしれません……今考えると、相当我がままですよね……」

「そ、そんな事は無いと思うよ……。僕も、鉄道について熱く語り合える友達と、リアルな世界で巡り会えたらいいな、って思った事があったし……。それに、リアルの友達だからこそできる経験も多いだろうし……」

「そうだねぇ。親戚だとこそばゆい感覚もあるし、ネットでも明かせない事はいっぱいある。そんな足枷無しで、思う存分言いたい事を語り合える友達が欲しくなる気分、理解できるよ」


 性別も身分も関係なく、図書室の中で『好き』な事を語り合えるような『リアルの友達』と巡り合う事を求めるのは、決して悪い事じゃない――おばちゃんの優しくも芯の通った言葉に、彩華さんは感謝の思いを返した。


 ただ、結局当時の彩華さん自身の力ではその苦しい思いを露呈する事も、現実を塗り替える事も出来ず、ただ『鉄道が好き』という思いを理解しない多くの同級生と付き合う他なかった。


 そんな彩華さんにとって大きな転機となったのは、進学先を決め始めた時だった。

 『綺堂家の令嬢』という身分と言う事もあり、各地から様々な学校の関係者が毎日のように訪れ、自分の学校への入学を検討してくれないか、と頼み込んでいた中で、一際熱心に綺堂玲緒奈さん――綺堂家の当主にして、彩華さんの父さんである威厳ある人の元を訪れていたように感じた学校があった。

 それが、あの『理事長』が率いる学校――先程綺堂家から縁を切られたばかりの、この学校だったのだ。


「今まで、私は所謂『お嬢様』『お坊ちゃま』が集まるような場所に通い続けていた。そのクラスの中で、進学先となる学校が話題になる事も多かったけれど、この学校については一切名前が出る事が無かったわ」

「あぁ……分かる気がする……」

「金持ちとは縁がない『庶民』の学校だからねぇ……」


 でも、それが当時の彩華さんにとって、少しづつ魅力的なものに感じるようになった。

 今まで聞いた事が無い学校と言う事は、おばちゃんが指摘した通り『庶民』――金持ちの自分たちとは別の価値観に触れながら勉学を重ねた生徒たちが集まる場所に違いない。もしかしたら、そういう場所になら、『鉄道趣味』を本心から理解してくれるリアルの友達と巡り合えるかもしれない。彩華さんの中に、希望が溢れ出したのだ。


 そして、父さんに頼み込んだ彩華さんは、綺堂家を訪れた『理事長』から直々に話を聞く機会を得る事に成功した。


 確かに自分たちの学校は、所謂『庶民』が多く通っている学校だ。しかし、逆に言えば庶民の暮らしや想いを知る良い機会になり、将来において絶対に大きな礎になるはず。自分たちの学校に入学すれば素敵な思い出が出来るのは間違いないし、『綺堂家』を将来支える人材として一回りも二回りも成長が出来る。なにより、我が校は『好き』という思いを大切にしている場所。だから、きっとそれを活かした体験が出来るはずだ――。


「……今考えれば、出まかせが多分に含まれていたのかもしれません。綺堂家の令嬢が入学する事で学校に箔が生まれ、寄付金も多く集まり、なにより宣伝効果も抜群……理事長やその妻は、きっとそんな事を考えていたのかも……」

「ありえそうな話だねぇ……」

「でも、当時の私はそんな裏の事を考えている余裕がありませんでした。それらの甘い言葉に、あっという間に惹かれてしまったんです……」


 ――そんな魅力的な学校なら、間違いなく自分は素晴らしい経験が出来るはず。

 この場所なら、きっと本当の意味でのリアルな友達、すなわち『特別な友達』と出会えるに違いない。

 そう確信した彩華さんは、綺堂家の当主である彩華さんの父さんへ、この学校へ進学したい、と頼み込んだのである。


 でも、彩華さんの父さんから返ってきたのは、猛反対の意志だった。

 もっと現実を見て物事を判断しろ。上っ面だけの言葉だけを信じるな。自分の将来の事を簡単に決めるな。絶対に後悔するぞ。

 当時の彩華さんに投げかけられたのは、厳しい言葉の数々だったのだ。


「……今考えたら、父の言葉が正しかった事が嫌と言うほど分かります。当時の私が、それだけ愚かだった事も……」

「仕方ないよ。それだけ『友達』が欲しくて無我夢中だったんだからさ」


 でも、最終的に彩華さんはそんな猛反対する父さんの意見を押し切る形で、この学校へ入学する事になった。

 自分に噛みつくような存在すら一睨みで恐怖に震え上がらせるほどの威厳や恐ろしさに満ちた綺堂家の当主=彩華さんの父さんを、どうやって説得する事に成功したのか、と尋ねた僕に、彩華さんは『あの人』の手助けが無ければ絶対に無理だった、と返した……。


「あの人……?」

「ええ、『大谷卯月おおたに うづき』さん。譲司君も時々お世話になったあの『お姉さん』。そして、綺堂家の使用人を束ねる執事長よ」

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