第89話:憐れみの言葉を君に

 度重なる学校の不祥事、それに対する理事長たちの怠惰な姿勢、そして『いじめ』の発覚や拡散という、4度目の不祥事にして最悪の事態。

 それらが重なった結果、最大のスポンサーである綺堂家がこの学校への寄付や支援を打ち切る事をはっきりと表明した。


 その結果、多数の人々によって窮屈になっている理事長室は、絶望的な雰囲気に包まれていた。

 これらの事実を生徒や保護者、残りの教師にもはっきりと伝えなければならず、それ以降の学校の運営も多額の寄付や支援なしに乗り越える必要が生じてしまった理事長やその奥さんである貴婦人。

 動画の拡散が原因で、自分たちの『いじめ』がすべての要因であるという事が学校中に知れ渡ってしまった、取り巻きたちや僕の元・担任。

 揃って、まるで未来を奪われたかのような愕然とした表情を見せ、中には大粒の涙を流している人もいた。理事長の隣で目から落ちる雫をハンカチで吹き続ける貴婦人もその1人だった。


 そして、それらの様子を、僕と梅鉢さん――ではなく、僕と『綺堂彩華』さんは、じっと豪華な椅子に座りながら見つめていた。

 ふたりだけで学校の隅に寄り添い、誰も来ない階段の踊り場で鉄道の事について語り合っていた頃と比べると、完全に立場が逆転していた。


「……さて、君たち」


 やがて、理事長たちへの勧告を終えたスポンサーの人=綺堂家の代表として今回の会議に赴いた彩華さんの父さんは、僕たちの方を向いてこう伝えた。

 ここから先、書類による了承といった様々な工程を経る必要があるけれど、それらは自分たちだけでも十分に進める事が出来る。僕と彩華さん、2人の役割は、これで終了した、と。


「2人とも、図書室に戻って……」


 ところが、そう言いかけた時、彩華さんの父さんは一旦言葉を中断し、何かを考える素振りを見せた。

 そして、何かを決意したかのように、僕の名前――『和達譲司』という、父さんや母さんによって付けられた大切な名前を、はっきりと呼んだのである。


「は、はいっ!!」

「……これが、あの面々と顔を合わせる最後の機会になるだろう。特に『理事長の息子』とはな。何か伝えたい事があったら、この機会に言っておきなさい」

「……えっ……?」


 そう言われた僕の眼下には、周りの黒服の男女から監視され、正座を続けるしかない状況だった取り巻きと、それらに囲まれ続けている理事長の息子、稲川君の姿があった。

 そういえば、今まで僕はずっと彼らから一方的に貶され笑われ、罵倒され続けるばかりで、僕の方から意見を言っても一切聞き入れられる事は無かった。僕のような『鉄道オタク』に反論をする権利はない、という態度を見せられてばかりだった。

 でも、今は違う。僕は今、力を失った稲川君や取り巻きたちに、文字通り『言いたい事を伝えられる』立場になっているのだ。


 でも、いざ何でも言いたい事を口にして良い、と許可されると、逆に思いつかなくなる、というのはよくある事。

 僕も何を伝えるのが最適解か、しばらく悩みこんでしまった。傍らでは、彩華さんも少々心配そうな視線で見つめていた。


 そして、稲川君や取り巻きたちを見つめた僕は、緊張を抑えるように手を胸に当てながら、皆にこう語った。


「……みんな、何だか……可哀想」


 しばらくの沈黙の後、呆然とする取り巻きたちに囲まれた稲川君は、意外な反応を見せた。我慢できなかったように、突然大笑いを始めたのだ。

 何か変な事でも言ったのだろうか、という思いできょとんとする僕に対し、稲川君ははっきりと自分の意志をぶつけてきた――。


「可哀想?可哀想だって?そりゃてめえの方だよ、鉄道オタク!物凄く偉いスポンサーやそのご令嬢を味方にしないと、てめえはこうやって俺とまともに話す事すら出来なかった!分かるか、その意味?所詮てめえは、虎の威を借る事でしか威張り散らせない狐だ!俺たちから『牙』を抜かないと勝てなかった社会の負け犬なんだよ!!」


 ――自分は一切悪くない、悪いのは『鉄道オタク』そのものだ、という、揺るぎない意志を。


「もういい加減にしろ!黙らんか!これ以上稲川家や学校の恥をさらすな!」

「そうざます……!お願いだから、もうやめて……!!」


「黙るのはそっちだ、親父にお袋!」


 そして、喚き散らす稲川君の怒りのターゲットは、僕だけに留まらず、両親にも向けられてしまった。

 

「ふたり揃って、いつまであの『鉄道オタク』とかいう犯罪者の味方をしやがるんだよ!?このクソが!!」


「く、クソ……!?」

「あ、ああ……」


 あまりの衝撃に開いた口が塞がらない理事長と、とうとう我慢できず倒れ込みかけ、近くにいた黒服の女の人に支えられる事態になった貴婦人の様子を見て、僕はこのふたりもなんだか哀れに感じてきた。

 確かに、彩華さんが言った通り、理事長も貴婦人も最後の悪あがきでスポンサーに反抗し、いじめを受けていた僕を悪者に仕立て上げようとするにまで至った。でも、敢えて視点を変えてみると、その行動の裏には、例え学校のスポンサーという偉い立場の人の前で無茶苦茶な暴論を並べようとも、大切な息子である稲川君を守ろうとした『親の愛情』が少しはあったのかもしれない、と僕は考えた。

 ただ、残念ながらそれらの思いは肝心の稲川君には全く伝わっていなかったようだった。親たちの懸命の努力が、子供の暴走によってあっという間に無駄になっていく悲惨な光景を、僕は目の当たりにしていた。


「結局親父もお袋もクズだ!権力があろうがなかろうが、『鉄道オタク』はキモくて臭くて気色悪い犯罪者なんだよ!だいたいこの前だって、撮り鉄が線路に立ち入って列車を止めたっていうニュースがあったじゃねえかよ!なんで目の前にいるそいつらの同類が皆から庇われて、俺たちが批判されなきゃならないんだよ!!なあ!!鉄道オタクに味方する奴がみんなキ〇〇〇なのは社会の常識なんだよ!!」


 そして、息を切らした稲川君は、僕が何も言わずにずっと見ている事に気づき、怒りの矛先を変えた。

 何か言えよ、この屑鉄。何か言いたい事があるならはっきり喋ろ。そうか、きっと図星だから黙ってるんだな、この〇〇者――両親や綺堂家の前であろうとお構いなしに自分の行いを正当化しようとする稲川君を見て、僕は自分の意見をもう一度、素直に述べる事にした。


「……稲川君、何というか……残念だね」

「……はぁ!?」


「稲川君、なんだか人生の全てを『鉄道』が大好きな人たちを馬鹿にする事だけにつぎ込んでいるみたい。1つの事に熱中してしまう気持ち、僕にも分かるよ。僕だって、稲川君と同じように『鉄道』へ一心に打ち込んで……」

「うっせえ!!黙れ!!てめえやそこのクソ令嬢のような『犯罪者』とこの俺たちを一緒にするな!!」


「ううん、一緒だよ。僕は『鉄道』が好きな事、稲川君は『鉄道オタクを潰す』事。でも稲川君の場合、その何かに打ち込める思いを別の事に使っていれば、こんな状況にはならなかったんじゃないかな」

「何だと、このクソが……」


 僕は、稲川君を諭すような声色を維持しながら言葉を続けた。


「誰かの『好き』を潰すという事だけしか、人生の使い道を見つけられなかったのが、僕にはとても残念に思うんだ」


 その意見に、彩華さんもゆっくりと納得したような頷きを見せてくれた。


 でも、幾ら語りかけても、嘲りに包まれた稲川君の心を変える事は、最早不可能だった。


「……へっ、何が『残念に思う』だよ。『電車』とかいう気色悪い趣味にのめり込むてめえらの方が残念だよ。お前らも十分認識してるんだろ?鉄道オタクはなぁ、これからも未来永劫変わりなく、世間一般から後ろ指を指されて白い目で見られ続ける運命なんだよ!撮り鉄、乗り鉄、音鉄!人類悪の『犯罪者』を次々に生み出す、最低最悪の趣味ってな!」


 お前らの今後を考えると可哀想で笑っちまうぜ、と煽り続ける稲川君の傍らには、黒服の人たちに介抱されている理事長や貴婦人の姿があった。

 それを見ているうち、僕は、稲川君の誹謗中傷がまるで耳を通り抜ける『音の塊』のように感じた。確かにそれらは僕や彩華さんを傷つけ、怒らせ、心を惑わそうとする行為なのは理解できたけれど、僕にとってそれらは『可哀想な誰か』が『人間の言葉』を使い、『悪口』のような文面を作っているようなものだった。

 何を言われようが、何をされようが、稲川君という存在を、僕は『人間の言葉を話す物体』のように捉え始めていたのだ。


「おい、聞いてんのかよ!鉄道オタク!!」


(……そうか……これが……『無関心』……)


 そんな状況に気づいたような声が聞こえる中、僕は自分の心の中でこの感情を理解する事が出来た。

 そうなると、無理に相手へ関心を寄せる必要はないだろう。そう考えた僕は、緊張しながらも、彩華さんの父さんに図書室へ戻って良いかどうか尋ねた。


「……言いたい事は全て言い終えたか?」

「はい。全て言えました。僕に時間を与えて頂き、本当にありがとうございます……」

「そうか……」


 そして、自分を無視するな、と懸命に喚く声を尻目に、彩華さんの父さんは低く響く声で呟いた。

 理事長たちは、取り返しのつかないほどに子育てを間違えてしまったな、と。

 その言葉に、僕も彩華さんも、自然に頷いていた。


「さあ、行きなさい。後は、私たちに任せたまえ」

「……分かりました。じゃあ、行こうか……」

「……うん、譲司君」


 そして、一方の手で彩華さんの滑らかで暖かな手を握った僕は、もう一方の手で理事長室の扉を開いた。


「ふっざけんな!!俺の話は終わってないぞ!!鉄道オタクの犯罪に巻き込まれた被害者の声に耳を傾けろよ!!この犯罪者!サ〇〇〇〇!!」


 それでもなお背中の方から聞こえる、喧しく騒がしいけれどどこか虚しく寂しげ、まるで構って欲しいような声を発する存在に対して、僕は最後のメッセージを贈る事にした。


「これから色々大変だろうけど、みんな、頑張ってね・・・・・


 不思議な事に、その言葉を口に出した時、僕は自然に口元が緩み、満面の笑顔を作っていた。

 隣の彩華さんもまた、僕に合わせるかのように可愛らしく素敵な笑顔を、理事長室にいる皆に見せていた。


「このクソがあああああ!!」


 直後、いじめの『首謀格』の生徒は怒りに満ちた声と共に立ち上がり、僕たちに掴みかかろうとする動きを見せた。でも、長時間正座の状態でいたせいか、すぐ足がもつれて転んでしまい、そのまま黒服の人たちに取り押さえられてしまった。最後の反抗も果たせなかったその様子を見て、僕の隣の彩華さんは吹き出すのを我慢しているようだった。


「畜生、離せ!!畜生畜生畜生!!!!」


 そして、扉を閉める直前、僕たちの耳に、こんな喚き声が聞こえた……。


「俺は……!!俺は!!また・・『鉄道オタク』どもに負けるのかよ!!ああああああああ!!!」

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