第87話:彼女の名は彩華
「……さて……」
僕が豪華な椅子に腰を下ろした後、スポンサーの人たちはじっと理事長やその奥さんである貴婦人、そして絨毯の上に座らされている稲川君たちや立たされっぱなしの元・担任の様子を眺めた。
この学校で起きていた『いじめ』に対して言い逃れが出来ない証拠が提示された挙句、それに対して稲川君が食って掛かったせいで、言い逃れをする事が非常に困難になってしまった。それを示すかのように、先程まで威勢よく僕やスポンサーの人たちに反論を繰り返していた理事長や貴婦人は口をぱくぱくさせながら、全身を震え上がらせていた。
そんな様子を見つめながら、スポンサーの人は凄みのある低音で尋ねた。こういう時、言うべき事があるのではないか、という言葉は、まるで理事長たちを諭すかのようだった。
「……そ、その……」
「『その』、何だ?」
何度か言葉を詰まらせた後、ようやく理事長は隣に座っていた貴婦人と共にゆっくりと立ち上がり、頭を深く下げた。この少年に対する一連の『いじめ』の一件をずっと見過ごし続けていた事を謝罪したい、と述べながら。
でも、それを受けたスポンサーの人の態度は、どこか冷たさを感じるものがあった。その理由は、直後に本人の口から語られた。
「……その言葉を、私に言ってどうする気だ?」
「え、そ、その……」
「何故、君たちは『いじめ』を受け続けていた本人に対して謝らないのか?」
その言葉を聞いた当事者たる僕は、確かにその通りだ、と何故か冷静に納得してしまった。その横では、梅鉢さんもまた深く頷いていた。
そして、しばらくの沈黙を経て、スポンサーの人や卯月さんたちがじっと監視する中、理事長や貴婦人はゆっくりと僕の方向を向き、そして頭を下げて謝った。
「……すまなかった」
「……ごめんなさいざます」
その響きに、謝罪の思いがほとんど含まれていない事は、僕でもはっきりとわかった。そもそも、体を動かしている間も、頭を下げている時も、理事長と貴婦人は明らかに嫌そうな雰囲気を醸し出し続けていた。そして、本来謝るべきかもしれないいじめの『首謀格』たる稲川君の方は、相変わらず正座させられたままこちらを睨みつけ、絶対に謝るものか、悪いのはお前だ、と言わんばかりの様相を見せつけていた。
こういう時、どう反応すれば良いのだろうか。肯定すれば相手の『誠意が無い謝罪』を受け入れてしまった事になってしまうし、批判すれば相手がムキになって反論し、先程のような何とも言えない悪あがきがまたも始まってしまうかもしれない。結局、僕は何も言えず、黙って理事長や稲川君たちを見つめるほかなかった。
そして、頭を上げた理事長と貴婦人は、スポンサーの人の方を向いて、必死の形相でこう訴えた。
自分たちはちゃんと言われた通りあの『本人』に対して謝罪を行った。貴方が指摘した『いじめ』問題は、これで全て解決したはずだ。これでしっかり自分たちやこの学校、そして大切な息子たちの事を許し、生徒の『好き』を守る学び舎だともう一度認めてくれるだろうか、と。
それに合わせて、取り巻きたちや元・担任もその言葉に賛同するよう頷いた。まるでスポンサーの人によって自分たちの立場が無くなってしまう事を恐れているかのように。
ところが、スポンサーの人の口から出たのは、恐らく理事長にとって意外であろう言葉だった。
「……この学校で起きた『いじめ』、これだけだと本当に思っているのか?」
「……へ?」
何を言っているか訳が分からないかのように、理事長は貴婦人と顔を合わせ、きょとんとした表情を見せていたからだ。
その様子を見たスポンサーの人は、呆れるような溜め息をつきながらもう一度、今度はより詳細に解説した。この学校で起きた、特定の生徒に対する『いじめ』や『嫌がらせ』は、この僕以外にも起きてしまっていた、と。
(……あぁ、そういう事か……)
その言葉に、僕は納得した。
僕が学校へ行かなくなった後、稲川君や取り巻きたちがいじめや嫌がらせの新たな矛先として――。
「……分からないのなら、『証拠』を聞かせよう。良いか?」
「……はい」
――隣に座っている、梅鉢彩華さんその人を選んだのだ。
スポンサーの人の指示に応じるかのように、梅鉢さんは制服のポケットの中に入れていたものをゆっくりと取り出し、近くにやって来たスーツ姿のお姉さんこと卯月さんに渡した。それは、僕が使用したものと同じタイプのICレコーダーだった。
そして、卯月さんはボタンを操作し、機械の中に収録されていた音声を、理事長室の中に流し始めた。
『うわ、梅鉢さん、勝手にあたしたちの「おもてなし」をぶっ壊してる~』
『やっぱり梅鉢さんって、鉄屑オタクに興味あったんだね』
『梅鉢さん、見た目だけ綺麗でも中身はキモいよね~』
『ほんとほんと、鉄道が大好きだなんて常識的に考えて〇かれてるよね~』
「なっ……!?な、な、な……!!」
収録されている声を聞いた途端、ずっと混乱と恐怖に包まれていた理事長の顔が、更に驚愕の色に包まれているように見えた。その声も、批判や妨害と言った悪あがきをする余裕すら感じられない状況を露わにしているようだった。隣にいる貴婦人もまた、おろおろとした姿を見せていた。
「……これが、隣の少年、和達譲司君の教室へ入った時に収録した音声です」
この時、『少年』=この僕の机の上には、花瓶とその中に入れられた一輪の花が、机の上に置かれていた。まるでその少年の命が絶たれたかのように。加えて、机の上には少年を揶揄するような言葉がびっしりと落書きされていた――梅鉢さんは座ったまま、皆に向かってこの時の状況を伝えた。
それを聞いていた僕は、梅鉢さんがその状況を皆にも伝えてくれた事があったのを思い返していた。まだ心が十分に立ち直っておらず、ただその凄惨な状況に恐れ慄き、結果として梅鉢さんをもいじめに巻き込んでしまった事を謝罪するしかなかった、という苦い思い出と共に。
でも、あの時に僕を励ましてくれた言葉通り、梅鉢さんは『趣味だけで人を蔑むような面々』に負けるような人ではなかった。当時の状況を克明に伝えるその姿は、スポンサーの人に負けないほどの威厳が溢れているように感じた。
「そ、そんな……う、嘘だと……」
「あ、あわわわ……し、信じられない……ざます……」
「いいえ、すべて真実です。この学校で、私は幾度となく陰口を言われ続けました。キモい、ウザい、○ね、悪口のレパートリーは一通り耳にしました。そして……」
梅鉢さんの合図に応じるように、卯月さんは再度ICレコーダーを操作し、新たな音声を再生した。
そこから流れたのは、梅鉢さんを脅し、同時にこの僕、和達譲司を貶すような様々な声だった。
『和達譲司ってヤバい奴だよ?有名な陰キャで気色悪い男子だって』
『そうそう、近づいただけでゲロ吐くよ~』
『それにあれでしょ、この世で最も汚らわしい趣味、「鉄道オタク」!』
『そうそう、オタクの中でも最底辺のキモさナンバーワンの趣味♪』
そして、それらに対して呆れ交じりに返答をした梅鉢さんの言葉に続いて収録されていたのは――。
『ふっ……梅鉢彩華。君のような「美少女」は、この俺と付き合うのにふさわしい。だから、この俺と恋人になる権利を、君に与えようではないか』
――気障ったらしい、と言う表現が似合うような、稲川君の口説き文句だった。
それを聞いて、僕はこれが何の場面なのか理解した。
梅鉢さんが学校の授業へ行かず、図書室へ直接訪れてそこで自主勉強をする、そして最終的にこの学校を『捨てる』という意志を固めるきっかけとなった、稲川君や取り巻きたちによる『嘘告白』――わざと告白まがいの嫌がらせをして、『絶対零度の美少女』として浮いた存在であった梅鉢さんと、鉄道オタクである僕を、同時に苦しめるという策略の場面だ、と言う事を。
でも、それらは結果として見事大失敗に終わった事を、僕は梅鉢さん本人の口からしっかりと聞いていた。数多くの鉄道知識の前に手も足も出ず、挙句の果てに梅鉢さん本人から舐められたような言葉を投げかけられた稲川君たちは、誹謗中傷を投げかけるしかない状況に追い込まれたのだ。
あの時は梅鉢さんの言葉でしか状況を把握する事が出来なかったけれど、実際はこのような状況だったのか、といつの間にか冷静に録音を聞いていた、その時だった。
梅鉢さんが状況を詳しく説明しようとした声を遮るかのように椅子から立ち上がった理事長が、傍で正座させられていた息子の稲川君やその友人たる取り巻きたちを向いて、思いっきり怒鳴りつけたのである。
「……こ……この……この大馬鹿者めが!!」
その事態に驚いたのは僕だけではなかった。稲川君も取り巻きも、ずっと自分たちの味方をして何とか庇い続けていたはずの理事長から突然怒られた事に対し、唖然とした表情を見せていた。
「な、な、なんだよ……なんで怒るんだよ……?」
「当たり前だろう!お前たち全員、何を考えているんだ!?」
「何を考えているのかって……そりゃ決まってるだろ!犯罪者になる事間違いなしの『鉄道オタク』を俺たちで矯正しようとしていたんだよ!何が悪いんだよ、あぁん!?」
あくまでも自分は悪くない、と言う立場を崩さない稲川君は、父である理事長の急変に全く納得いかない様子を見せ、逆に怒鳴り返していた。
だけど、それを聞いた理事長は更に顔を真っ赤にして、『息子』を思いっきり𠮟りつけた。
「お前は……お前は何という事をしてくれたんだ!!よりによって……よりによって!!『あの方』に手を出そうとしていたとは!!」
「はぁ!?どういう事だよ!?」
「そもそも、このような事態を起こしていた事、一切聞いていなかったぞ!何故説明しなかったんだ!!」
「クソキ〇〇〇の『でんちゃっちゃ』相手だぞ!?いちいち説明する必要あるか!?」
稲川君は相変わらずの対応だったけれど、理事長の言葉の内容は、明らかに異様なものだった。いじめの内容以前に、『梅鉢彩華』という人物に手を出し、自分のものにしようとしていた事自体を猛烈に恐れ、批判し続けていたのだ。確かに梅鉢さんは気品もあるし、格好良いし、黒髪も顔立ちも綺麗だし、何よりいつも凛々しくて素敵な人だ。でも、そこまで持ち上げる必要はあるのだろうか――そんな少々呑気な疑問を僕が心の中に抱いた直後、理事長ははっきりと述べた。
『このお方』は、お前なんかと比べれば月とスッポン。手を出して許されるような相手ではない、と。
「……な、何言ってるんだよ……?」
そして、理事長は大声で、まるでこの部屋の中にいる全ての人の耳をつんざくかのように、語った。
「……この方は……この方は!!我が学校のスポンサー、『
その言葉の意味を理解するために、僕は若干の時間を費やした。
僕の隣に座っているのは、『梅鉢彩華』と名乗っている1人の女子生徒、そして僕の『特別な友達』。
更にその隣に座っている威厳ある男性は、この学校の『スポンサー』として多額の支援を行っている人。
そのスポンサーの人は、『綺堂グループ』と言う、鉄道知識だらけの僕でも名前を知っている大規模なグループを所有する大富豪『綺堂家』の一員。
梅鉢さんもまた、この『綺堂家』の一員で、その令嬢。
そして、その名は――。
(……え……え……ええええええええええええええ?!?!??!?!)
――口から今にも溢れそうな驚きの声を、僕は息が詰まりそうになりながらも何とか堪えた。
でも、一度起きた心の中の大混乱は、そう簡単に収まりそうになかった。
当然だろう、あらゆる概念、あらゆる要素がひっくり返るような事態が、目の前で起きてしまったのだから。
混乱と困惑の感情が収まらない僕の隣で、『梅鉢彩華』さん――いや、『綺堂彩華』さんは、静かに皆の状況を眺めていた……。
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