第82話:全ては彼の震える掌の上

「おい、鉄道オタク!そこにいるのは分かってんだぞ!」

「クッソつまんない真似しやがって!早く扉を開けろ、クソが!」


 図書室の外から聞こえ続けるのは、僕を呼び続ける罵声の数々だった。この幾多もの乱暴な響きを実際に聞くのは、本当に久しぶりだった。

 罵声の主である稲川君――僕を『鉄道オタク』であると言う理由だけでいじめ続けたこの学校の理事長の息子と、彼の意見に賛同して僕を積極的に虐めていた取り巻きたちには、僕の姿は見えていないようだった。当然だろう、僕は今、あの扉の傍にICレコーダーを設置し、扉の鍵をしっかりと閉めた上で、そこにある窓からは見えない位置にある場所に座っているのだから。


「聞こえてんだろおい!何か言えよ犯罪者!」

「てめえの耳に鉄屑でも詰まってんのかよ、この〇〇者!」


 予想していた通り、学校に梅鉢さんとやって来た僕の姿を見た取り巻きの1人は、学校にやって来ていたらしい稲川君や他の仲間にその事を報告したようだった。そうでなければ、梅鉢さんが図書室のおばちゃんと共を去っていった隙を狙い、図書室に侵入しようとするはずはないからだ。そして、全く反省せず、世界中に動画で晒したような誹謗中傷を相変わらず述べ続けている、という悪い予想も的中してしまった。

 当然、それらの罵声を聞いていて良い気分はしなかったけれど、それでも僕は一言も喋らず、彼らの死角となる場所で耐え続けた。大好きな鉄道の本をじっくりと眺めながら、何とかそちらに意識を持ち込もうと頑張った。それもまた、僕が考えて梅鉢さんが承認した『作戦』の一環なのだから。


 やがて、扉の外から聞こえ続ける声は、僕に対する恨みの内容へと変わっていった。


「このクズ鉄オタ野郎、いい気になりやがって!なんでてめえが世界中から称賛されて、俺たちがいじめられなきゃならねんだよ!!」


 その稲川君の言葉を合図に、取り巻きたちは次々に扉の向こうから僕へ向けて様々な被害を訴え始めた。どれも、僕をいじめる動画がSNSに投稿され、世界中に流出したのがきっかけとなって起きた出来事だった。


 ネット内で個人や学校を特定された結果、あちこちからいたずらや嫌がらせの電話やメール、ダイレクトメッセージが延々と届くようになり、SNSのアカウントを削除したり電話番号を変更したりする羽目になった。

 学校へ行く途中に見知らぬ学生から笑われたり罵声を浴びせられたり、散々な目に遭った。

 知り合いの誰かにばれた事で家まで特定され、塀に誹謗中傷の落書きや張り紙が貼られる事態になった。

 あのいじめの動画を見た親戚からこっぴどく怒られ、顔を見せるなとまで言われた。


 あの動画が何のために投稿されたのか、一体誰が投稿したのか、それらの詳細は結局この時点でも分からずじまいだった。でも、稲川君や取り巻きはあの動画を見て自分たちに味方が沢山ついてくるはずだ、と信じきっていた、という事だけは理解する事が出来た。きっと、『鉄道オタク』がネット界隈で何かある度に批判の声を受け続けている様子を見て、自分たちこそが正義として崇められる、と思ったに違いない。

 でも、実際は真逆だった。ネットを見た人々の多くが味方をしたのは、『鉄道オタク』と言う理由でいじめられ続けた僕の方で、稲川君たちは皆から悪と見做され、大いに責められる事態になったのだ。


(……可哀想……)


 それらの被害報告を聞いて、確かに僕はそう感じた。でも、どういう訳か、そこから続く『助けたい』『救いたい』という思いは全く湧かなかった。僕をいじめ続けていた相手だからかもしれないけれど、このような心地は初めてだった。もしこれを言葉に表すとしたら、どのような言葉になるだろうか――そんな事を思いながらも、僕は何とか目の前にある鉄道の写真に集中しようとした。

 でも、稲川君たちの声はますます苛立ちを含む響きになり、僕の耳に嫌でも入り続けた。


「てめえは存在自体が犯罪者なんだよ!善良な俺たちを散々いじめやがって!」

「そうだそうだ、なんであんたみたいな屑鉄が世界中から味方されなきゃならないんだよ!」

「世界中のネット民の力を借りて俺たちをいじめるとか、卑怯にもほどがあるぞ!」

「いい加減開けろやおらぁ!!聞こえてんだろ、このクズガ〇〇!!」


 口にも言えない、文字にも書けないような差別用語まで持ち出しながら、稲川君たちは更に僕に対する罵倒の声を高め続けた。

 それでも僕は一声も出さずに我慢した。ここで動いてしまっては、全ての作戦が台無しになってしまうもしれないからだ。


 そんな中、取り巻きの1人が、稲川君たちにある提案をした。

 扉が鍵で厳重に閉じられているのなら、近くの空き教室から机や椅子を頂戴して扉のガラスを割り、そこから手を突っ込んで鍵を開け、突入すれば良いのではないか、と。


「……!」


 確かに梅鉢さんは、怒れる連中は何をしでかすか分からない、と言っていた。でも、そのような強引過ぎる手を思いつかれるというのは、完全に僕にとって不意を突かれた格好だった。

 そうなれば、今の僕には身を守る手段は限られているし、下手すれば扉の内側に設置したICレコーダーの存在もばれてしまうかもしれない。どうすれば良いのか、と僕が慌てる間にも、稲川君は良い考えだ、とその取り巻きを褒め、すぐに机でも椅子でも、ガラスを割れるものを用意するように指示を出した。


「おぅ、覚悟しろよ、このキ〇〇〇鉄道オタク」


 そして、稲川君は勝ち誇ったように扉を通して僕へと語りかけた。

 今まで散々な目に遭ったけれど、やはり『正義』は自分たちの方にあったようだ。今から図書室の中に入って、その身や心にたっぷりとこの世界の真理を叩きこんでやる。『鉄道オタク』と言う犯罪者は、この世から永遠に居なくなった方が良い、という常識をな――その言葉が逐次録音されているとも知らず、稲川君は僕を脅すような言葉を述べ続けた。


 そのような言葉を聞いてしまうと、やはり今までの学校での仕打ちが嫌な思い出として蘇ってしまい、無意識のうちに足が震えてしまうのが感じられた。それでも、僕は何とか耐え続けた。言い出しっぺの身として、この作戦を絶対に成功させてみせるという意地が、僕の心を奮い立たせてくれた。

 それに、近くには緊急時に備えた催涙スプレーもあるし、いざと言う時には今座っている椅子も目の前にある椅子も武器に使える。学生服の中には僕の父さんが用意してくれた方のICレコーダーをセットし、ポケットの中にはいつでも警察などに連絡できるようスマホを用意している。

 どんな事をされようとも、こちらの準備は万端だ。もう絶対に、僕は『いじめ』に負けたりしない。


「椅子持ってきたぜ!」

「こっちは机も用意したよ~!」


「よしよし……それじゃ、鉄道オタク君、そろそろお邪魔しようかなぁ~♪」


 そして、稲川君や取り巻きたちが一斉に声を合わせ、窓ガラスを今にも割ろうとした、その時だった。


「……な、なんだよおい……おい、離せ!」

「何するんだよ、ちょっと!」

「離してよ、もう!!」


 突然、扉の向こうから異様な声が響き始めた。その言葉から推測するに、強引に図書室へ侵入しようとした稲川君や取り巻きたちが、誰かに体か何かを掴まれ、動きを抑えられているようだった。


(えっ……?)


 一体何が起きたのか、もしかして図書室のおばちゃんが他の先生を引き連れて助けに来てくれたのか。様子が非常に気になったけれど、僕は梅鉢さんとの約束通り、その場から動かずじっと待機していた。しばらくの間、扉の向こうでは抵抗しようと稲川君たちが暴れていたようだけれど、最終的に身動きを封じた誰かによってどこかへ連れ去られていったようだった。


「くそっ!!離せ!!俺を誰だと思ってる!!俺はこの学校の理事長の息子だぞ!!」


 そう喚き散らす稲川君の声が小さくなっていき、やがて聞こえ無くなってから少し経った後だった。図書室の『鍵』を開ける音が聞こえたのは。

 一瞬、防衛のために催涙スプレーを手に取り、身構えてしまった僕だけれど、幸いその心配は無用だった。僕に恨みがある者たちが、ここまで丁寧に扉を開ける事なんてするはずは無かったからだ。


「譲司君!!」

「う、梅鉢さん……!!」


 そして、図書室に足を踏み入れた存在をしっかりと目で確認した直後、僕の体は梅鉢さんの肉体に包まれた。


「もう、譲司君!!ほんと無茶しちゃって!!心配したんだから!!」

「ご、ごめん、梅鉢さん……」


 その体から感じる温かさや優しさ、そして柔らかさを感じて全身が真っ赤になってしまった僕は、何とか梅鉢さんに先程までの無謀な作戦を謝罪した。梅鉢さんの言葉の内容こそ叱りつけるようなものだったけれど、その中の決して怒りの感情が含まれていなかった事は、その明るい口調からしっかり認識する事が出来た。


「どうなるかと思ったわ……!!何とか無事で済んだから良かったけれど……!!」

「本当にごめん……で、でも何とか録音は成功した……と思う……。それに、僕はここから一歩も動かなかったよ……」

「ほんと、譲司君……ハラハラさせちゃって……!」

「う、梅鉢さんのお陰で……梅鉢さんが心の支えになってくれて……僕は耐え抜けたんだ……ありがとう……!」

「全く……どういたしまして!」


 そして、梅鉢さんからの抱擁が終わった後、僕は傍にいたおばちゃんにもしっかりとお礼の言葉を述べた。先程稲川君たちを取り押さえ、図書室から遠ざけてくれたのは、きっと図書室のおばちゃんに味方をしてくれた先生たちだ、と思ったからである。

 ところが、きょとんとした顔のおばちゃんからの返事は、予想外のものだった。


「え……あ、あれって先生たちじゃなかったんですか……?」

「う、うん……なんか見慣れないお揃いの黒いスーツを着ていた男の人と女の人が何人か集まって、手際よく『あいつら』をどこかへ連れ去っていったんだよ」

「そ、それは誰なんですか……?」

「さ、さあ……こっちも何が何だか……」


 黒いスーツの男の人や女の人が、稲川君たちを連れ去った?一体、どういう事だろうか?

 僕の心にも疑問が浮かぶ中、おばちゃんは更に梅鉢さんに対して色々と尋ねていた。そもそも、『あれ』はいったいどういう事なのか、どうして『ああいう事』が出来たのか、と。

 

「……それについては、今話す事は出来ません。長くなりそうなので……」

「……そうかい?」

「今回の作戦が成功次第、後でじっくり説明します。それと譲司君、無事『スポンサー』の説得は成功したわ。あとは関係者が私たちを呼ぶのを待ちましょう」

「う、うん……」


 それに、今はちゃんと扉付近に設置していたICレコーダーに一連の『あいつら』の言動がしっかり記録されたかどうかを確認する方が大事だ――そう語る梅鉢さんは、明らかに何かを隠しているように感じた。

 一体、スポンサーを説得する際に何が起きたのか。もしかして、僕が今回学校へ向かうにあたって梅鉢さんが用意してくれた、『両親を説得させるための説得材料』と、何か関係があるのだろうか。


 色々と謎は多いけれど、梅鉢さんが述べた通り、今語ってもらうと長くなり、関係者の人が呼びに訪れるまでに終わらない可能性もある。ここは梅鉢さんの提案に従った方が賢明だろう――そう考えた僕は、録音されていた声に耳を傾ける事にした。『いじめ』を糾弾するための決定的な証拠をチェックするために……。

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