第81話:おびき寄せ作戦
「わぁ、随分久しぶりだね~!どうだい、元気にしてた?」
学校の図書室に到着した僕たちを待っていたのは、嬉しそうな笑顔を見せる図書室のおばちゃんだった。
学校のどこにも逃げ場が無かったあの頃、鉄道の本がぎっしり詰まっている図書室と、そこを守り続ける図書室のおばちゃんがいたお陰で、僕は何とか登校し、学校での地獄の日々を過ごすことが出来た。そんな恩が深いおばちゃんは、久しぶりに会った僕を見て、嬉しそうな笑顔を見せながら、気遣う言葉を次々にかけてくれた。体は大丈夫か、三食ちゃんと口にしているか、心の方も心配だ、などなど。
「だ、大丈夫です……ちゃんと朝ご飯も食べていますし、鉄道の本やホームページもしっかり読めて楽しんでいますから……」
「そうかそうか、趣味を楽しめているって事は、心が『いじめ』にまだ負けてない、って証拠だね」
安心した顔を見せてくれたおばちゃんに、梅鉢さんは改めて今日の事についての協力を感謝する旨を伝え、頭を下げた。
先日梅鉢さんが説明した通り、今回の作戦には、僕や梅鉢さんの味方になり、『本』を通して僕たちのいじめの一端に触れる事が多かったおばちゃんも協力してくれる事になっているのだ。
破られた本の弁償をのらりくらりと交わした挙句スポンサーに押し付けたり、息子の暴挙を放置していたり、挙句の果てに自分の学校で起きたいじめの責任を放棄する。そんな『理事長』には、自分もスポンサーを通してガツンと言ってやろうじゃないか、とおばちゃんは頼もしい言葉を述べてくれた。
「ま、スポンサーの人が来るまでのんびりここで待っていな」
「はい……!それにしても……スポンサーってどんな人なんですかね……」
「さあねぇ……物分かりがいい人だという事を祈るばかりだよ」
「そうですね……」
そう、頼もしさを存分に溢れさせるおばちゃんだけど、実は僕と同じように、肝心の『スポンサー』がどういう人なのか、未だに把握しきれていなかった。文字通り、ぶっつけ本番で対峙するという事になってしまうのだ。
でも、少なくとも本を大切にしてくれている人なのは確かだ、というのは僕やおばちゃんにとって共通の認識だった。理事長に押し付けられる形とは言え、破損した本をしっかりと修復してくれたし、そもそもこの図書室に多数収蔵されている鉄道の本は、全てスポンサーから提供されたものなのだ。
「確か、鉄道を通して未知の分野に触れて欲しい、という名目だったっけかな……鉄道の本を寄付してくれた理由は」
結局誰にも読まれず図書室の隅に置かれた挙句、ボロボロにされるなどの被害に遭ってしまったけれど、僕や梅鉢さんのような本を大切にする人たちに出会えたのは、本にとってせめてもの救いかもしれない、とおばちゃんは語った。
それを聞いた梅鉢さんは、どこか嬉しそうな表情を見せていた。
そんな会話をしているうち、その『スポンサー』の人が学校に到着する時間が少しづつ近づいてきた。
図書館の奥に座った僕へ、向かい合わせの場所を確保した梅鉢さんが、ある事を述べた。作戦実行の直前だけれど、先程の僕と同様に、自分ももう1つだけ『指令』を追加したい、と。
それは、僕にとって少々意外な指令――いや、1つのお願いだった。
この作戦が無事に成功したら、会員制SNSの『鉄デポ』の中だけではなく、この図書室を始めとしたリアルな世界でも、下の名前の『彩華』と呼んで欲しい、と。
「……あっ……ご、ごめん……前から言っていたのに……」
「いいのよ、譲司君。前も言ったけれど、この『梅鉢』って言う苗字も素敵だし気に入っていたから、自然に呼び方が変わる日を待っていたのよ」
「な、なるほど……」
「でも、そろそろ『彩華』って呼んでもらった方が良いかもしれないわね。
「えっ……!?」
どういう事なのかと尋ねても、梅鉢さんは答えを教えてはくれず、成功する時までのお預けだという言葉を残すだけだった。
その事が気になっていると、腕時計は出発の時間が近い事を示し始めた。
早速スポンサーの元へ行こう、とおばちゃんを誘って動き出したのは、梅鉢さんだった。
当然、おばちゃんには1つの疑問が浮かんだようだった。何故、『いじめ』を受け続けた肝心の存在であるこの僕が向かわないのか、と。
それには、僕が思いつき、梅鉢さんに何とか了承してもらったある作戦が大きく関わっていた。
「……おばちゃん、僕はこの場に残って『餌』になります」
「……へ?どういう事だい?」
それについて、詳しい事は梅鉢さんが僕に代わって説明してくれた。
先程、僕たちは学校でいじめの首謀格である稲川君の取り巻きの1人に姿を見られてしまった。恐らく、あの取り巻きと共に稲川君も学校へ登校し、僕たちへの復讐を狙っている。そして、彼らはきっとこの図書室を狙い、僕へ襲い掛かって来るだろう。確かに非常に危険かつ緊急を要する事態かもしれないけれど、逆に取ればこれは大きなチャンス、相手を誘い込む絶好の機会なのだ。
「あいつらをおびき寄せて、暴走させます。そして、その一部始終を記録します。それを、『いじめ』の証拠として使うのです」
「ちょ、ちょっと待ちな!まさか、図書室の中で暴れさせる気じゃ……」
「それはありません。私たちを見送った後で図書室の鍵を閉めて、箒などでしっかり補強もしておきます。とにかく、相手を外で大暴れさせます。そして、いざと言う時のために……」
そう言って梅鉢さんが鞄から取り出したのは、催涙スプレーだった。中へ侵入した時は、これを相手に発射して身を守る。それでも無理なら、椅子や机を使って何とかする――梅鉢さんの用意周到ぶりに、おばちゃんも少々唖然としているようだった。
「ま、あぁ……確かにそれなら大丈夫だろうけれど……そういう事態が無いように願いたい……というか、だったら私も一緒に残った方が……!」
「あ、あの……おばちゃんも、梅鉢さんと一緒に行ってください……」
「えぇ……ほんとに大丈夫かい?」
おばちゃんの心配が収まらないのは無理ないだろう。実際、過去に稲川君たちは図書室へ乗り込み、逃げ出した僕を探すために大暴れしかけた過去があったからだ。あの時はおばちゃんが一喝してくれたお陰で何とかなったけれど、今回はそうはいかないだろう、という事をおばちゃんはしっかり予測していた。
そして、作戦に賛同してくれたとは言え、梅鉢さんも不安の感情が収まらない様子だった。
「譲司君……やっぱり、私もおばちゃんと同じ気分は少し残っているわ……」
「う、うん……でも、稲川君はきっとおばちゃんや梅鉢さんがいると、図書室に向かわないと思うんだ……きっと取り巻きの誰かが、僕たちの動向を遠くから観察していると思う……」
「た、確かに、その可能性は高そうね……」
「だから、相手を『油断』させて暴言を吐いてもらうために、僕が釣り堀の『餌』になって残る……おばちゃん、そういう感じです……」
「は、はぁ……」
それに、僕まで出掛けてしまってはこの図書室のたくさんの本を守る人が1人もいなくなってしまう。
この機会に、今まで長い間僕と言う存在を守ってくれた『図書室』への恩返しをしたい。どんなことがあっても、図書室に収蔵されている沢山の本は守ってみせる――僕は改めて、自分自身の決意をおばちゃんや梅鉢さんに表明した。
「……おばちゃん、本気の譲司君は、一度決心すると簡単には折れてくれません。私は既にそれを経験しましたから分かります」
「……なるほどねぇ……」
「それに、おばちゃんが付いてくれた方が、きっと『スポンサー』への説得の成功率が上がると思いますよ」
「そうか……」
やがて、おばちゃんは頷きながら語った。そういう無茶が出来るのも、青春と言うやつの特権なのかもしれない。自分も若い頃は、こういう感じで大人を振り回していたのかもしれない、と。
時間も押し迫っている事だから仕方ない、と言う理由もあったけれど、僕たちは何とかおばちゃんを説得させることに成功した。
「さ、決まったら早く行こう!スポンサーがもうすぐ来ちまうよ!」
「はい!譲司君、ICレコーダーの準備をしっかりね!」
「う、うん!了解!」
そして、梅鉢さんは図書室のおばちゃんと共に、学校に到着しているであろう『スポンサー』の元へと向かった。
慌ただしく駆けだす2人を見送った後、僕も急いで扉の鍵を閉め、つっかえ棒のように箒を設置して防御を固め、そして傍に僕の父さんや梅鉢さんが用意してくれたICレコーダーを複数セットした。特に梅鉢さんのICレコーダーは最新版なので、ボタンを操作すれば扉の外に聞こえる騒音もばっちり録音できる優れものだという。
「……よし……」
準備を終えた僕が、図書室の端、ちょうど扉にある窓から見て死角にあり、外から見えない位置で待機した。
一応鉄道の本を読んでリラックスして待とうとしたけれど、やはり緊張は襲い掛かって来るもの。言い出しっぺなのにこれで大丈夫なのだろうか、と自分が少し情けなくなってしまった、その時だった。扉の方から、ガタガタと音が聞こえたのは。
梅鉢さんやおばちゃんが帰って来るには早すぎる、というのは流石の僕もはっきりと理解していた。つまり、この音の正体は――!
「……おい、なんか鍵かかってるぞ」
「クソ、マジかよ……!」
――思った通りだった。稲川君や取り巻きが、見事に僕という『餌』に引っ掛かり、図書室へ引き寄せられたのだ……。
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