第8章
第80話:決戦の朝
「譲司、本当に大丈夫か……?」
「母さんたちが付いていかなくても平気かしら……?」
「だ、大丈夫だよ……そこまで心配しなくても……」
その日、太陽が昇って少し経ち、大半の学校では朝礼が始まったであろう時間。僕の家の玄関は少し賑やかな事になっていた。
おそらく最後になるであろう学校の『制服』に身を包み、母さんが用意してくれた新しい鞄を持ち、そしてボロボロになった以前の鞄を『証拠』としてしっかりと袋に入れた僕を、父さんや母さんがずっと心配そうな表情で見つめていたから。
とはいえ、仕方ないかもしれない。僕は、『特別な友達』である梅鉢さんと共に、あの学校へ自分たちのいじめを糾弾しに向かうのだから。
「前も言ったけど、俺たちが反対する立場なのはあくまで変わらないからな」
「そうよ、譲司の身がまず第一なんだからね」
「ありがとう、父さんも母さんも……」
母さんに加え、この日に備えて父さんも有給休暇を利用し、家で待機してくれることになった。何か起きた時すぐに対処できるようにするためらしい。
そんな父さんが、ちゃんと忘れ物が無いかもう一度確認するようにアドバイスをした。いじめの証拠も、鞄も制服も、ハンカチも、そして『スマートフォン』もばっちりと用意していた事を僕はしっかり目に焼き付けた。梅鉢さんからの情報では既に学校ではスマホの持ち込みは全面禁止されたようだけれど、今日学校を辞めるのだから関係ない、ばれなきゃ大丈夫だ、という父さんや母さんのアドバイスを受けて、鞄の中へ入れておくことにした。
そして、靴を履いた僕に、父さんはあるものを渡してくれた。それは、細長い形をした、液晶やボタンが付いた機械だった。僕は初めて『ICレコーダー』というものを目にする機会を得たのだ。
「これは……」
「いやぁ、以前色々あって手に入れたんだけどな、使い道が全然見当たらずに放置してあったのさ。まさか、こういう形で有効活用されるとはな……」
もし相手が暴力を振るってきたり誹謗中傷を投げかけてきたら、迷わずこのICレコーダーにその模様を録音していじめの証拠に使ってしまえ――それが、父さんからのプレゼントの意図だった。
感謝の言葉をかけた僕に、母さんは最後の連絡をした。全てが終わったら、ちゃんとこちらに連絡をするように、と。
「……分かった、ありがとう」
「……じゃあ、行ってこい、譲司!」
「絶対に気を付けるのよ」
父さんや母さんの頼もしくも優しい言葉を背に、僕は扉を開き、学校へ向かうための第一歩を踏みしめた。
目的地は、この家の近くにある公園。動画と言う形で世界中に拡散された『床に散りばめられた弁当を食べさせられる』といういじめを受けた日、僕は梅鉢さんがお世話になっているというお姉さんにこの公園まで送迎してもらった。安全のため、今回も同じようにお姉さんの車のお世話になる事になったのだ。
少し歩き、辿り着いた先には、既にお姉さんが運転する車が停まっていた。勿論、後ろの席には梅鉢さんが僕を笑顔で待っていてくれた。
「あ、譲司君、おはよう!」
「あ、梅鉢さん!ごめん、遅くなっちゃったかも……」
「いいのよ、集合時間より早く到着したのは私たちの方だから」
そして、僕は運転席でハンドルを握るお姉さんにも朝の挨拶や感謝の言葉を贈った。勿論僕にとっての『特別な友達』は梅鉢さんだけれど、鉄道の事しか頭にないであろう僕の視点から見ても、梅鉢さんがお世話になっているこのお姉さんは大人の魅力に満ちた美人のように思えた。
「お気になさらないでください。私もお二人と同じように、出来る限りの事をしているだけですから」
「は、はい……」
「さあ、乗ってください。出発しますよ」
お姉さんに促された僕は、梅鉢さんの隣に座り、シートベルトをしっかりと締めた。
学校へ向かう道中、僕は梅鉢さんと共に、学校へ到着して以降の流れをもう一度確認した。
まず、この車は学校の正門ではなく目立たない裏門へ到着する。そこからまず図書室へ向かい、そこで『スポンサー』の人が訪れるまで待機する。梅鉢さんの話が確かなら、既におばちゃんにも連絡は届いており、快く図書室を休憩室として貸してくれたらしい。
次に、時間になったら僕と梅鉢さんは『スポンサー』の人のもとへ向かい、自分たちをこの学校で起きているいじめの証拠として使ってもらうよう直訴する。そして、説得が済み次第、僕たちは『スポンサー』の人と共に糾弾の現場へ向かう――短く纏めれば、このような流れである。
僕の父さんや母さんを説得した時に、梅鉢さんが助言してくれた様々な『言葉』がもしすべて本当ならば、この作戦でほぼ上手くいくはずである。でも、正直僕の心の中には本当に成功するのか、若干の不安があった。本当に疑いたくはないけれど、少々都合が良すぎであろう話が幾つか混ざっていたからだ。もしそれらが本当に『嘘』だとしたら、どうなってしまうのだろうか。『スポンサー』の人は、僕たちの言葉を納得してくれるだろうか。果たして、うまくいくだろうか――。
「……大丈夫、譲司君?」
「……う、ううん、大丈夫だよ」
――それらの不安は、心の端に寄せておくことにした。ここにきて不安や心配を増やしても仕方ない、と考えたからだ。
「そうよね、大丈夫よね……絶対に、今日ですべてを終わらせましょう」
「うん……!」
そんな中、ふと梅鉢さんは何かを思い出し、脚の上に置いていた鞄から何かを取り出した。それは平べったい形に大きな画面を備えた、スマホより一回り小さめの機械だった。
そう、僕はその日、2度もICレコーダーを手に取る事になったのだ。
「え、譲司君、お父様から貰っていたの!?」
「う、うん……いざと言う時のためだって言われて……」
「ごめんなさい、被ってしまうなんて……」
謝罪する梅鉢さんを、心配は要らない、と僕は励ました。『転ばぬ先の杖』ということわざがあるように、いざと言う時の備えは幾つあっても大丈夫。それに、スマホに搭載されているであろう録音機能も含めて、音声記録はたくさん残しておいた方が、後々役に立つかもしれないからだ。
「……それもそうね。それに、さっきのICレコーダーは文字起こし機能もある最新版よ」
「そうなんだ……ありがとう、梅鉢さん……」
「どういたしまして。これくらい、お安い御用よ」
「お二人とも、準備は万端のようですね」
「あ、お姉さん……」
「用意周到、良い心がけです」
冷静ながらもどこか優しさが込められたようなお姉さんの声に、僕の心の不安や緊張が幾分和らいだような気がした。
そんなやり取りをしているうち、お姉さんが運転する車は目的地である学校の裏門に到着した。健闘を祈る、というお姉さんの頼もしい応援の声に背中を押されながらゆっくりと車を降りていると、梅鉢さんが何やらお姉さんとやり取りをしているのが僕の目に留まった。
一体何を話しているのか、一瞬だけ気になってしまった僕の気持ちは何かの行動に出てしまったようで、すぐに梅鉢さんが状況を説明してくれた。後で
「じゃ、図書室へ向かいましょう」
「うん……!」
そして、そのまま待機場所である図書室へ直行しようとしていた時だった。偶然見上げた学校の渡り廊下に、僕にとって見慣れた、でもなるべくなら会いたくなかった存在の姿が目に入ってしまったのは。
ついじっとそちらを見つめていたせいで相手も僕たちに気づいてしまったようで、慌ててその場を離れ、僕がかつて通っていた教室の方へと駆けていった。
そんなに学校の上の階をを見つめて何があったのか、と尋ねた梅鉢さんに、僕はしっかりと目に焼き付けた光景を説明した。
僕に対する苛烈ないじめの首謀格である稲川君の取り巻きの1人が、2つの校舎を繋ぐ渡り廊下で、僕たちの姿をはっきりと目撃していた、と。
「なんですって……!?でも、確かに見られる可能性は高かったわよね……それなら……」
何かを考えようとした梅鉢さんだけど、直後それを否定するように首を振った。そして、急いで図書室へ行こう、と僕を急かした。
確かに今の状況、すぐに図書室へ向かうのが賢明かもしれないけれど、僕にはそれ以上に、梅鉢さんへ連絡したい事があった。
「梅鉢さん……1つだけ、尋ねていいかな」
「どうしたの、譲司君?」
「……今、梅鉢さんが否定した『考え』、当ててもいい……?」
「……!?」
僕が述べた言葉は、見事に正解だった。それは、梅鉢さんが否定するのも納得できる、危険かもしれない内容だった。
でも、見方を変えればそれは、僕たちにとって、『いじめ』に対して反撃が出来る絶好のチャンスになる。そして、皆から貰ったICレコーダーも、きっと役に立つはずだ。
そして、意を決した僕は、図書室へ向かう階段で、梅鉢さんに進言した……。
「今回の作戦……少しだけ変更する許可を、僕に与えて欲しいんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます