第79話:カムパネルラにはなれない

 金銭面を始め様々な形で支援している学校でいじめが起き、しかもその動画が世界中に拡散されている――そのような不祥事を受けて、学校の『スポンサー』がとうとう重い腰を上げ、直接学校へ赴く。

 それに合わせ、僕と梅鉢さんもいじめに対する動かぬ『生きた証拠』として、スポンサーの人たちに協力を申請する。

 どう見ても無謀だけれど、この機会を逃せば一生後悔するかもしれない。そんな思いを秘めながら決めた作戦の決行日は、いよいよ明日に迫っていた。


 父さんや母さんは、早めに寝て明日に疲れを持ち越さないよう気を遣ってくれたけれど、眠る前に僕は協力者である梅鉢さんに電話をかける事を決めた。

 でも、僕がスマホを操作しようとした時、逆に梅鉢さんの方から僕に電話がかかってきた。

 やはり、梅鉢さんの方も僕と同じように、作戦前夜に『特別な友達』の声を聞きたくなったようだった。


『……譲司君、いよいよ明日ね』

「そうだね……」

『……やっぱり、不安かしら……?』

「……そうだね、不安じゃない、なんて事は絶対にないよ……」


 確かに、僕にとって嫌な思い出の方が圧倒的に多い場所、僕を苦しめた存在が未だに居座る所へ向かう事に対して、恐怖や不安が無いと言えば、それは完全な嘘になる。それでも、僕は既に腹をくくっていた。僕の事を応援してくれている沢山の人たちのためにも、明日は絶対に成功させてやる、という意気込みもあった。


「それに、明日に備えた打ち合わせも、何度もやって来たからね……」

『打ち合わせと言うより、手順の確認みたいな感じだったけれどね……でも……』

「……大丈夫だと思う……ううん、大丈夫だよ……。梅鉢さんやみんなが付いているって思えば、怖くないから……」

『やっぱり譲司君、とても強くなったわね』


 なんだか母さんみたいな言葉だ、という僕の冗談を聞いた梅鉢さんは、少し恥ずかしそうな笑い声を返してくれた。

 不安と恐怖だけではなく、覚悟やある種の高揚感のような思いも、僕の心にしっかり存在していた。

 

 そんな中、梅鉢さんがある事を尋ねてきた。今回の一件とは直接関係はないけれど、この機会だからこそ言える話かもしれない、という言葉を添えて。


『譲司君は覚えているかしら?ずっと前、まだ私がいじめの惨状を知らない前に、譲司君が私の事を「カムパネルラ」って例えた事を』

「……ああ、そういえば、そんな事があったね……思い出したよ」


 そう、確かあれは、稲川君たち僕をいじめ続けていたクラスの面々によって破損させられた、図書室の鉄道の本が無事に戻って来た日。その中にあったとある絵本をきっかけに話が盛り上がり、やがて僕は梅鉢さんをその絵本の登場人物である『カムパネルラ』――いじめを受けている主人公の味方となり、銀河を駆ける不思議な鉄道旅行へ同行する事になる少年に例えたのである。


『図書室で出会ってから、私たちも色々な経験をしてきたわね……図書館を訪れたり、レストランでご飯を食べたり、家電量販店で鉄道模型に夢中になったり……』

「コタローさんのヘアサロンで髪を切ってもらった事もあったね……」

『今度行った時には、「タトラT3」の秘密、ちゃんと教えて欲しいわね』

「本当だね……」


 まるであの絵本の主人公である『ジョバンニ』のように、僕は梅鉢さん――カムパネルラと例えた『特別な友達』と共に、素敵な経験を幾つも体験してきた。それは、ひとりぼっちのままでは決して味わえない、素晴らしい時間だった。

 でも、梅鉢さんはそれらをしっかりと踏まえた上で、このような事を述べた。


 『カムパネルラ』にはなれない、と。


「えっ……!?」


 続けて語られた梅鉢さんの言葉で思い出したけれど、確かに僕はあの時、自分の例えを一旦否定しようとした。それは、カムパネルラが絵本の結末で、主人公をいじめていた存在を助けようとして自らの身を投げ出した事を思い出したためだった。でも、梅鉢さんは、まだまだ自分は僕の『特別な友達』で居続けたい、という思いで、その否定を取り消していた。


「そういえば、そうだったね……」

『あの時の私は、まだ譲司君の置かれた状況を知らなかった。だからあのような事を言えたのかもしれないわ』

「そ、そうかな……」

『ええ……今、私は譲司君のいじめに対して、「憎悪」の感情を覚えている。あの献身的な少年「カムパネルラ」のように、大切な人をいじめている誰かを自分の身を犠牲にしてでも助ける感情なんて一欠けらもない。絶対に、許すつもりは無いわ』


 そんな自分に、『カムパネルラ』に例えてもらえるだけの資格は無い。だから、悪いけれどこの場であの日の発言を取り消したい――そう語る声は、どこか寂しそうにも聞こえた。


「……梅鉢さん……」

『譲司君……もしかして、少し私に幻滅しちゃったかしら……?』


 梅鉢さんがそう語った瞬間、僕は反射的にその言葉を否定した。


「そんな事無いよ……!絶対にない……!梅鉢さんは梅鉢さん、カムパネルラはカムパネルラだから……!」

『譲司君……?』

「そ、その……それを言ったら、短絡的に梅鉢さんとカムパネルラを結び付けた、僕の方にも責任はあるわけだし……」

『待って待って、そこまで深刻に考えなくても……』


「う、うん……ただ、これだけは言わせて欲しいんだ……」


 確かに、梅鉢さん自身が『カムパネルラ』になれそうにないと言うのなら、僕はその思いを尊重したい。

 でも、例えそうだとしても、梅鉢彩華と言う人が『特別な友達』である事は未来永劫変わらない。

 明日の作戦が成功しようが失敗しようが、僕の中には梅鉢さんと言う存在が必ずついている。


「梅鉢さん……教頭先生も言っていたけれど、明日は出来る限りの事をしよう。互いに後悔を残さないように……!」


 しばらくの無言の時間を経て、梅鉢さんは僕をこう言って褒めてくれた。


『……譲司君、なかなか格好良い事言うじゃない』

「え、そ、そ、そうかな……」


 その瞬間、嬉しさや照れで僕の全身が真っ赤になったのは言うまでもないだろう。


『ありがとう、譲司君の言葉のお陰で、私もだいぶ不安や緊張が解きほぐされたわ』

「……やっぱり、梅鉢さんも緊張していたんだ……」

『当然よ。明日は今までの人生で一番長い日になりそうだもの』

 

 それもそうだ、と僕は梅鉢さんの例えに同調した。


 そんな風に話している間に、机の上に置かれていたデジタル時計は、そろそろ明日に備えて眠った方が身のためである事を教える数字を示していた。

 本当はもう少し話したかったけれど、続きは明日、『あの場所』へ行ってからたっぷりと語れば良い、と僕と梅鉢さんは互いに語り合い、今日はここで切り上げる事にした。


『おやすみなさい、譲司君……』

「お休み梅鉢さん、良い夢を」


 母さんが小さい頃にかけてくれた言葉をこっそり真似して、僕は梅鉢さんにお休みの挨拶をかけた。

 そして、スマホを横に置き、僕はゆっくりと布団の中に身を委ねた。


 電話をする前と比べて、どこか緊張が消え、代わりに柔らかく暖かい気持ちが心や体を包み込んでいるような気がした。きっと自分の部屋で就寝に向けた準備をしているであろう梅鉢さんも、同じような気分に違いない――そんな事を考えているうち、次第に僕の頭で思い浮かぶ様々考えは脈絡が無いものへと変わり始めていた。もう間もなく、ぐっすり眠る事になるだろう、というのを、薄れていく意識の中で僕は理解していた。


 きっと明日、僕の中で何かが変わる。


 期待と不安が心の中に入り乱れるのを感じたのが、僕にとってのその日最後の記憶となった……。

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