第76話:彼女はそれを蛮勇と呼んだ

「も……もしもし……」

『…もしもし、譲司君!』

「う、梅鉢さん……」


 その日、僕は緊張した手でスマホを握り、梅鉢さんへ直接電話をかけた。

 普段は梅鉢さんの方から僕の方に電話をかける事が多かったけれど、今回は珍しく僕の方から梅鉢さんの方へ連絡をとった。その事をどこか愉快そうな声で指摘しつつ、梅鉢さんはすぐにその変わった行動を起こした原因を尋ねてきた。

 いつもなら、その頼もしさ溢れる声に促されてすらすらとその理由を声に出してしまう僕だけれど、今回は状況が異なっていた。真剣かつ重要な情報を語るため、こうやって梅鉢さんに声を伝えているのだから。


「あ、あの……梅鉢さん……今から少し時間を取れるかな……?」

『時間……いいわよ。長くなっても構わない。譲司君が満足するまで話してもらえたら嬉しいわ』

「ありがとう……」


 そして、僕は一旦スマホを体から離し、緊張をほぐすため何度か深呼吸を行った後、改めて梅鉢さんに、ある事を聞いてみた。


「梅鉢さん……美咲さんと一緒に話した時に、学校に『スポンサー』が来るって言ってたよね……?」

『ええ、そうよ。譲司君が「お姉さん」って言っているあの人から聞いたの』

「良かった……それで、梅鉢さんはそのタイミングに合わせて、学校を辞めるって……」

『まあ、どさくさに紛れるって感じになるけれど……それで、何かあったの?』


 その『スポンサー』による訪問は、何日後に行われるのか。


 この言葉が出た後の反応は、ある程度僕が予想していた通りだった。しばらく黙り込んだ後、梅鉢さんは今までのどこか明るく凛々しい口調から変わり、僅かながら事態に困惑しているような思いが感じられる声色になった。


『……譲司君……ごめんなさい、それは言えないわ。色々と事情があるの。だから、終わった後に……』


 やはり、僕の思った通りだった。

 あの時――美咲さんと一緒に梅鉢さんから学校の事情を聞いた時、『スポンサー』がいつ来て、梅鉢さんがいつ学校を捨てるか、具体的な日時が述べられていなかった。『鉄デポ』内で会話を繰り広げていた間はその流れに乗り続ける中で気付いていなかったけれど、後で振り返るとどこか奇妙な心地を覚えたのだ。

 

 いつもの僕なら、その理由が分かった事に感謝するところだ。でも、今の僕は違った。


「……梅鉢さん……僕にもその日付、教えてくれる?」

『えっ……さ、さっき言ったでしょ?色々と事情が……』

「うん、それは分かっている……分かっているけれど……お願い、教えて欲しいんだ」

『待って、分かってるのなら聞かないでしょう?どうしたの、譲司君?』


 心配と困惑が入り混じるような声が通話口から聞こえた。それが耳に入る度、どこか申し訳ない気持ちが心の中に生まれた。

 でも、それを堪えて、僕は梅鉢さんへ問いただした。何か事情があるのなら、他の人には明かさない。僕と梅鉢さんだけの秘密にする。例え『鉄デポ』の皆が相手でも、僕は絶対に守秘義務を守り続ける覚悟がある――何とか『日付』を明らかにしようと、必死に僕は訴え続けたのだ。


「お願い、梅鉢さん……!教えて欲しいんだ……!」


 そして、しばらくの沈黙を経た後、僕が聞いた梅鉢さんの声は、記憶から薄れかけていた、『絶対零度の美少女』――誰も近寄らせない、誰とも交流しないという、あの学校で一人ぼっちの状況をわざと作り出していた頃によく似ていた。


『……譲司君……まさか……』


 わざわざ自分から、あの『地獄』へ乗り込みたい、と言うのか。


「……梅鉢さん……やっぱり、分かっちゃうんだね……『特別な友達』だからかな……」


 こういう緊迫した事態なのに、何故か僕は梅鉢さんと以心伝心、自分の伝えたかった事が声に出さずとも梅鉢さんに伝わることへの安心感を覚えてしまっていた。すると次の瞬間、僕の耳に入ってきたのは、梅鉢さんの『怒り』が込められた声だった。


『何をのんきな事を言ってるのよ、譲司君!!あの学校へもう一度行く!?それが何を意味するか、分かっているの!?』


 あれだけ散々酷い目に遭い、肉体的にも精神的にも追いやられ、挙句そういう状態を生み出した張本人は未だに居座ったまま。そんな空間にわざわざ赴くなんて、自分なら絶対にあり得ない話。そんなの、考えられない――梅鉢さんは、声を荒げながら僕の考えへ猛烈に反対し続けた。


『というか、そもそも私言ったわよね!?ご両親に任せるべきだって!!あんな優しいご両親の頑張りを無碍にするつもりなの!?』

「う……梅鉢さん……!!」

『何、譲司君!!他にも言いたい事が……』


「……ごめん、もう父さんや母さんから、許可は得ているんだ」


 言葉を述べる前に『ごめん』と謝ったのは、2つの意味があった。梅鉢さんが反対する気持ちも分かるけどそれでも僕は学校へ行かなければならない、という思いと、そもそも『父さんや母さんから許可を得ている』という話自体が『嘘』である事の謝罪だ。

 本当は、梅鉢さんに嘘なんてつきたくなかった。『特別な友達』にそのような悪事を働くなんて最悪の行為である事は理解していた。それでも、僕は様々な説得案を悩んだ末、この方法しかない、と言う結論に辿り着いたのだ。梅鉢さんが僕の父さんや母さんを評価しているが故に、きっと僕の言葉を素直に信じてくれるに違いない、と。


 そして、事態は僕の思った通りになった――いや、『なってしまった』、と言った方が良いかもしれない。愕然とした梅鉢さんの声が、僕の耳に聞こえてしまったからだ。


『……そんな……本当に……許可を……』

「う、うん……」


 でも、梅鉢さんの厳しい口調、僕の真意を問い質す姿勢は変わらないままだった。

 もし自分と一緒に学校へ行くとして、一体何をする気なのか。わざわざ学校へ行ってどうするのか。


『……譲司君、ひょっとして、直接「あいつ」と勝負する気じゃないでしょうね!?タイマンとか!?そんなの絶対に……!』

「大丈夫!大丈夫だから!ぼ、僕でもそんな無謀な事は……!」

『じゃあどうする気なのよ!?学校へ行ってダラダラして、そのまま帰ってくるの!?』

「そ、それもないよ……!そ、その……梅鉢さん!!」


 ――一旦冷静になって僕の話を聞いて欲しい、と言わんばかりに、僕はつい声を張り上げてしまった。

 そして、今度は僕の方が、梅鉢さんに尋ねた。正直に知っている情報を教えて欲しい。知らなければ『知らない』と言っても良い。守秘義務がある情報ならば、僕は決して誰にもばらさない、など様々な前置きを述べた後、僕は本題を口にした。


 あの『スポンサー』が動く理由に、僕の『いじめ』の事は、含まれているのか、と。


『……それに関しての守秘義務はないわ。間違いなく、譲司君、あなたのいじめ動画の件も含まれているって伝える事も可能よ』

「……良かった……」

『良かった……?何が良かったの?理由を教えてくれる?』


 梅鉢さんを再度苛立たせてしまった事への罪悪感に耐えながら、僕は語った。

 梅鉢さんが語った生徒集会での発言や、ずっと前に起きた図書館の本が破損した件を推測するに、あの『理事長』は何が何でも自分の罪から逃げようとするタイプのように感じた。きっと今回も『スポンサー』が訪れても、様々な言い訳やゴマすりを駆使して自分は悪くない、自分は被害者だ、と言うに違いない。そしてそれは、理事長の息子――僕をずっといじめ続けていた稲川君も同様だろう。きっと『親』と手を組んで自分は悪くないと言い張り、『スポンサー』を困らせるはずだ。


「……だから、その『スポンサー』さんに……僕を……僕自身を、『動かぬ証拠』として使って欲しいんだ」

『……えっ……ど、どういう……え、何……まさか譲司君……!?』


 スポンサーに直接会って、自分をあの学校を糾弾する際の証拠として直接使ってくれと訴えるつもりなのか。

 その言葉に、僕ははっきりと肯定の意志を示した。学校の正門で待ち、スポンサーの人に直訴する予定だ、と。

 あの『動画』をスポンサーの人たちが確認しているという事は、僕の顔や身なりもしっかりと認識しているはず。だからきっと、事情を理解してくれるはずだ――これが、無い頭を無理やり捻り、心に生まれた思いを何とか整理した結果思いついた、僕の中の最善策だった。


『……譲司君……』


 それでも、梅鉢さんがとる立場は変わらなかった。


『ねえ……譲司君……やけになってない……本当に大丈夫……?』

「な、なってない……なってないよ……本気だよ、僕は……」


『そんな無茶な事、成功すると本当に思っているの?失敗したら……』

「そ、それを言ったら……梅鉢さんだって、どさくさに紛れて学校を捨てるなんて……!」


『わ、私は大丈夫よ!「あの人」も協力してくれるって言ったし!それに比べて譲司君はたった1人で挑むつもりだったんでしょう!?無茶に決まってる!』

「決まってないよ……!まだやってもないのに……!」


『やってもないから止めるのよ!失敗したら譲司君、暴力沙汰になってしまうわよ!?「あいつ」らの餌食になるのよ!?下手すれば命すら奪われかねない事にも……』

「分かってる……!それでも僕は……!」


『譲司君、それは「蛮勇」!!単なる無茶よ!!』


 梅鉢さんの必死の声は、文字通り心の叫びのようだった。それだけ、僕の事を慈しみ、大事にし続けてくれた証かもしれない。

 でも、今までの僕は、ずっとそんな声に甘え続けていた。ただいじめに怯え、多くの人たちに守られてばかりだった。確かにそれも『いじめ』を解決する1つの手段かもしれないけれど、僕はどうしても納得いかなかった。心の中に生まれた『悔しい』と言う感情を耐える事が出来なかったのだ。それに――。


「みんな……梅鉢さんも『鉄デポ』のみんなも頑張ってる……父さんも母さんも……図書室のおばちゃんだって……それなのに、僕だけ何もやってない……何も動いてない……!」

『……譲司君……』


「みんなあれだけ応援してくれているのに、僕だけ何も応えられていないじゃないか!僕が当事者なのに……!!世界の人たちにも顔が暴かれた、いじめられた側なのに……!!」


 ――僕も動きたい!僕だって、動ける事を証明したい!それはきっと、僕だからこそできる事だ!!


「……悪いけれど……もしこれでも反対するなら……僕は『勝手』に行動するよ……梅鉢さんに、迷惑をかけたくないから……」


 心の中で結実した『形』を全て語り終えた時、僕の目頭は熱くなり、鼻もどこか水分に満ちているように感じた。

   

 そして、しばらく経過し、ようやく僕の興奮が収まったのを見計らったかのように、梅鉢さんの声が聞こえ始めた。


「……譲司君……変わったわね」


 その口調は、どこまでも冷酷な『絶対零度の美少女』ではなく、僕が良く知る優しく凛々しい『梅鉢彩華』へと戻っていた……。

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