第75話:崩壊への足音

 昼下がり、偶然暇を持て余していた美咲さんと『鉄デポ』の中で語り合っていた僕の耳に響いたのは、普段なら学校の図書室の中で自主勉強をしながら時間を潰しているはずの梅鉢さんの声だった。そして、その声は明らかに普段とは異なり、何か疲れているような苛立っているような、とにかくどこかネガティブな印象を受けた。


『ジョバンニ君……その、大丈夫?今日、何か変わったところとか……』

「う、うん……ずっと家の中で居続けたから……それよりも梅鉢さん……どうしたの?」

『彩華ちゃん、何かあったの?私たちに言える悩み事かな?』

『ジョバンニ君、ミサ姉さん……2人ともありがとう。実のところ、私はその「悩み事」を言う……いいえ、吐き散らすためにここに来たんだから』


 何故、敢えてそのように言い回しを変えたのか。その理由は、梅鉢さんの言葉が教えてくれた。


 もう、あの学校へ完全に愛想が尽きた。潰れても良いと思った、と。


「潰れても良い……」

『まあ、正直私もそう思っていたけど……何があったの?詳しく……あ、ジョバンニ君も平気?』

「あ、はい……お気遣いありがとうございます……僕も聞きます……」


 僕も、梅鉢さんと同様にあの学校――何もいじめ対策を取らず、ずっと僕を苦しめたばかりではなく、大切な家族や仲間の心にまで被害を及ぼした地獄のような場所を辞める覚悟は既に出来ている。どんな内容が待っていようとも構わない、と僕は考えていた。


『……ありがとう、2人とも。まず、例の動画の事なんだけど、当然学校にも届いていたみたい』


 先生や生徒の様子も明らかにおかしかったし、学校全体を何かの不安が包んでいたような、そのような雰囲気を感じた、と梅鉢さんは語った。ただし、僕たちのクラスはどうなっているかについては、あのような事態を招いた場所なんて見たくもない、という梅鉢さんの思いもあり、現状を把握する事は出来なかった。でも、きっと僕が梅鉢さんの立場なら同じ気分になるだろうと考えた僕は、ごめんなさい、と謝る梅鉢さんを宥めた。


「学校全体の雰囲気が分かっただけでも、僕は嬉しいよ……」

『ありがとう、じょう……ジョバンニ君。それで今日、その一件についての全校集会が開かれたのよ』

『……え、待って?あの動画が拡散してから数日は経ったよね?今になって集会を開いたって事?』

『その通りよ……あの広がりぶりからして、どう考えても遅すぎるわよね』


 開いたタイミングからして明らかにこの緊急事態から逃げようとしているのが見え見えだった、と語る梅鉢さんだったけれど、重要な要件を伝えるための全員参加が強制されていたようで、図書室のおばちゃんと共に仕方なく参加する事となった。事実上授業をボイコットしている梅鉢さんが全校集会に訪れる事で何かトラブルが起こらなかったか、と心配した僕だけど、おばちゃんが事前に用意してくれた一番後ろの席に座る事で、自分たちのクラスの面々や担任の教師にもばれないように参加出来た、と語った。


 でも、一安心した僕が聞いたのは、想像を絶する理事長――僕をいじめ続けていた稲川君の父親による、今回のいじめに関する談話だった。


『確かに、理事長は「このような事態が起きて私はとても悲しい」とは語ったわ。それは間違いない。でも、その「悲しみ」の対象は……』


 理事長の言葉は、こう続いた。

 由緒正しく、長い歴史を持つこの生徒第一・・・・の素敵な学校の平穏が乱される事が、私にとっては非常に残念なものだ。

 あのような動画が拡散されては、この学校の名誉、学び舎としての評判が下落する一方。実際に、私たちの元にはこの事態を聞いた悪質な電話やメールが絶え間なく押し寄せている。

 そして、あの動画によってプライバシーが傷つけられた大切な生徒たち・・・・・・・が、学校を休まなければならない事態に陥っている。

 私は、この学校が素晴らしい場所だと信じ続けていたのに、そんな私たちの努力を無碍にすることを好む生徒がいるようだ。

 よって、明日以降校則を変更し――。


『動画撮影が可能な「スマートフォン等携帯機器」の生徒による持ち込みを、全面禁止する。はっきりと、そう断言したわ』


『……え……これが概要?ジョバンニ君へのいじめの事、何も言わなかったの!?一言も!?』

『……ミサ姉さんの言う通りね。あの理事長が述べたのは、今回の動画で学校、そして自分の尊厳が傷つけられた事だけ。そしてその責任を、スマホに押し付けた。それが全てよ』

「……」


 ――冷静な口調でも梅鉢さんが苛立ちを隠せない理由が、僕にも大いに理解できた。この理事長が選んだ手段があまりにも酷すぎるのが、はっきりと伝わったからだ。

 そして、同時に梅鉢さんは、理事長が自分の『息子』――僕をいじめた張本人たちを庇っている事もひしひしと感じていた。理事長はわざと息子たちを休ませるよう指示し、ほとぼりが冷めるのを待っているようだ、という推測が浮かぶほどに。僕や梅鉢さんが学校へ自主的に行かない事を決めたのとは全く異なる、『悪事を起こした』という事実から逃げるための行動だ。


 僕は、心の中で何かがすっと冷めていくように感じた。


「……それで、学校の皆は、どう反応したの……?」

『当然、生徒たちはざわついたけれど、すぐに生徒指導に静かにされたわね。ま、あの生徒指導も理事長と仲良しこよしだって話だけど』

「確かに……そうだったかも……」

『何というか……「酷い」って単語しか言えないね、これは』


 そんな美咲さんの辛辣な突っ込みと全く同じ事を、図書室のおばちゃんも全校集会後に語っていた、と梅鉢さんは語った。今まで何度も理事長相手に『年の功』を武器に立ち向かい、定年間近な肉体や精神を駆使して図書室を守り続けてきたおばちゃんでも、今回でとうとう学校そのものに愛想が尽きた、と断言したのだ。もしこのまま我慢して定年まで働き続けていれば、自分たちも破滅してしまうだろう、と。


 そして、そのような事を考えていたのは図書室のおばちゃんばかりではなかった。


『あの後、図書室に保健室の先生や事務の先生が訪れたわ。私や図書室のおばちゃんと話がしたいって』


 今更あの子=この僕、和達譲司という生徒に謝っても、本当に遅いかもしれない。でも、本当に自分たちが情けなく教師失格の存在だったという事を、謝らずにはいられない。今まであのようないじめが起きていた事を知らないままで過ごし続けていて、本当に申し訳なかった――先生たちは、心から申し訳ないような顔をしながら、おばちゃんや梅鉢さんに語ったという。

 

『……まあ、確かに今更謝っても遅いよね。それまで何をやってたんだ、って怒られても文句は言えない……って、それを決めるのはジョバンニ君だけどね』

『確かにそうよね……もしジョバンニ君があの場にいたとしたら、どう返答するかしら?』

「え、えーと……ぼ、僕は……許す、許さないというより……」


 もし今回のいじめについて後悔しているのなら、こんな学校から逃げた方が良い、と言いたい。

 そんな僕の本音と同じアドバイスを、図書室のおばちゃんが先生たちに送っていた、と梅鉢さんは語ってくれた。そして、いじめに長らく気付かず、『彼』=この僕を傷つけるままにしてしまった自分たちもまた同じ立場、決して責める事は出来ない、と先生たちに告げたという。

 当然、僕も責めるつもりは一切ないし、味方をしてくれるだけでも本当に嬉しいけれど、おばちゃんの心の内を、少しだけ垣間見る事が出来たような気がした。


『……私の推測だけれど、この調子だときっとあの学校から教師たちの大量退職が起こるわ』

『まあ当然だね、当然』


 梅鉢さんの言葉に美咲さんが同調する中、僕はある疑問が浮かんだ。図書室のおばちゃんたち先生も立ち上がろうとしている中で、既に『学校を捨てる』と言う宣言を行っている梅鉢さん自身はどう行動するつもりなのだろうか。梅鉢さんも、何か策があるのだろうか。


 しばしの沈黙の後、語られたのは、驚くべき内容だった。

 あくまで梅鉢さんがお世話になっているあのお姉さんから伝えられた情報に過ぎないけれど、あのいじめ動画があまりに拡散された結果学校の『スポンサー』にまで届いてしまい、とうとう重い腰を上げるまでに至ったらしい、というのだ。


「じゃ、じゃあつまり……」

『ええ。恐らく、「スポンサー」は学校にとどめを刺すつもりね。それで、言い方は悪いけれど、そのどさくさに紛れて私もあの学校を辞める事を考えているわ』

『え、それ大丈夫なの?スポンサーが動くとなると、学校が相当荒れちゃうと思うけど……』

『だからこそ、そのタイミングを狙うのよ。いちいち変な事を言われずに、辞める事が出来るんじゃないか、って考えているわ』


 相当リスキーだけれど、辞める意志を示すきっかけとして有効といえばそうかもしれない、と梅鉢さんに語った美咲さんだけど、直後に気になった事を口にした。梅鉢さんはそれでよいとしても、もう1人――いじめを受け続けていた『ジョバンニ君』はどすうるのか、と。


『そ、そうね……ジョバンニ君……』


 そして、僕は先日両親にはっきりと伝えたのと同じ言葉を、もう一度梅鉢さんや美咲さんの前で語った。

 僕も、あの学校にはもう付き合いきれない。だからこそ、僕も梅鉢さんと同じように、学校を辞める、と。


『……そう……良かった……本当に良かった……!』

『よく言ったね、ジョバンニ君。本当のことを言うと、私たちもその言葉、ずっと待っていたよ』

「あ、ありがとう……ございます……」


 でも、そうやって僕の事を褒めてくれた梅鉢さんも美咲さんも、続けてこのような言葉を口にした。今までよく頑張った、後は自分たちに任せてくれ、と。


「えっ……で、でも……」


『ジョバンニ君、大丈夫。私たちに任せてよ。こっちには、アイドルだって動画配信者だって、インフルエンサーやVTuber、それに、「伝説のアイドル」な社長だっているんだから!』

「美咲さん……」


『それに、ご両親もジョバンニ君のために頑張っているんでしょう?皆を応援するというのも、大切な役割だと私は思っているわ』

「う……彩華さん……」


 ジョバンニ君の事は、この私が引き受けた。

 梅鉢さんの声は、確かに頼もしかった。それを聞いた僕の口からは、自然に『ありがとう』という感謝の言葉が漏れた。


 でもその時、僕は本当の心を隠していた。

 心の中で溢れ続けていた『思い』が、僕を『いじめ』と言う現場から遠ざけようとしているような2人の言葉がきっかけになり、1つの形に結実しようとしていた事を。

 その『形』が何を意味しているのか、その答えを僕は知っていた。でも、敢えてこの時はその『形』を口に出す事はしなかった。もう少し頭の中で考え、整理し、自分の中で明確な言葉にしないと、きっと伝わらないかもだろう、と感じたからだ。


(……梅鉢さん……)


 僕も、僕だって、いや、僕だからこそ――今にも表に出そうな心の中の思いを、僕は一旦押し留めた……。

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