第74話:アイドルの心得

 この僕、『和達譲司』が学校でいじめられている動画が、何者かによってSNSに投稿されてから数日が経過した。


 あれから、父さんや母さんは僕のいじめ対策のため、様々な方面の資料を漁っては議論を続けていた。僕の将来の事――どこの学校へ編入するか、どのような学校の種類がお勧めか、と言うばかりではなく、今回の動画投稿に関して訴える事は出来るのか、どのようにすれば訴訟が出来るのか、そしてそもそも、あの学校から最良の形で退学できる方法はないのか、など今まで調べた事も無かった難しい課題にも真っ向から挑み続けていた。

 その姿は頼もしかったけれど、同時に父さんや母さんが日を追うごとに疲れているように見えて、僕はやりきれない気持ちでいっぱいになった。しかも、それを心配する僕の声に、いつも父さんや母さんは大丈夫だ、心配するな、と自分たちの本心を隠すような言葉を述べていた。

 確かに今のような地獄のような時間が早く終わって欲しい、と願ってしまったのは僕だけれど、だからといって父さんや母さんに無理をさせてしまう事までは望んでいなかった。しかも、訴訟となるときっとお金も時間もたくさんかかるはず。精神的にも金銭的にも、虐められている側の方が苦労を強いられている状況は、僕にとって目を塞ぎたくなるような光景だった。


(……どうすれば……どうすればいいんだろう……)


 そして、ますます僕の中には、焦りのような感情が増えていた。


 一方、僕の動画が晒されたネットでの反応は、ますますこの僕――『鉄道オタク』だからと虐められていた男子学生を応援する方向へと傾いているようだった。

 僕の動画をアップし、鉄道オタクを煽るような言動を繰り返していたあのアカウントは、その後も『皆様お待たせしました!』などのコメントを残しながら、幾つもの動画を投稿し続けては、その度にたくさん押し寄せる批判へ向けて、『そんなに顔真っ赤にしてシュポポー!となる必要ないのにww』『こんなに犯罪者予備軍の鉄道オタクの肩を持つ人が世の中に多いなんて!』などという発言を残していた。

 そして、最終的にこのアカウントは、多くの人たちからの批判や通報を受けた結果、『凍結』――アカウント自体が完全に運営サイドによって停止させられるまでに至った、と言う。


 どうして僕がその経緯を知っているのかと言うと、僕がたまに訪れている、SNSに投稿された鉄道関連の情報が記されていた鉄道情報まとめサイトが克明に詳細を記しているのを見てしまったからであった。薄々覚悟はしていたけれど、最早『鉄道』と言う単語に関連するサイトのほとんどが、僕のいじめに言及する程になっていた。海外の鉄道オタクの人も、事態を注視している、という話が流れてきた事もあった。

 果ては、有名人――幸風さんやナガレ君、美咲さん、VTuberのシグナさんとはまた別に、既に鉄道オタクとして知名度が高い人たちまで、いじめに言及するようになった。その内容が若干誤解を招くような文章だったせいで、『鉄道オタクだから虐められる』と受け取ってしまった人たちによってその有名な鉄道オタクの方が批判に晒され、文字通り『炎上』する羽目になった、という二次災害のような事が起きているのも、各地のサイトがまとめていた。


 最早、事態は僕の手に負えないほどの規模になっていたのである。


 そんな中、不思議な事も起こっていた。

 僕の通っている――いや、間もなく『通っていた』と過去形になるはずの学校こそ多くの人によってあっという間に特定され、いじめの首謀格であった稲川君やその取り巻きたちも少しづつ個人情報が流出している、という噂も流れていた一方で、肝心のいじめられている男子学生、つまりこの僕の名前や住所、経歴などの個人情報が暴かれた、という話はどこにも流出していない様子だったのである。

 確かに、僕のおじさんやおばさんなど親戚の人たちから、事態を聞いて心配した、という電話はかかってきて、それに父さんや母さんが応対しているのは何度も見たけれど、それ以外はどこからもだれからも、迷惑電話や迷惑メールなどが送られてくる事はなかった。


 その理由として、思い当たる節は存在した。そもそも僕は、梅鉢さんと出会い『鉄デポ』で多くの仲間と出会うまで、ほとんど友達と言う友達は存在せず、いつも時間がある時はひとりで本を読み、鉄道の世界に浸っていた記憶がある。誰とも関わらず、誰にも知られる事なく過ごしていた――要は『ぼっち』だったことが、ある意味ではよい効果をもたらしているのではないか、という説だ。


 でも、僕の事を一切助けなかったクラスメイトが僕の個人情報を明かしていない、と言う点は、幾ら考えてもよく分からなかった。僕をいじめ続けたのなら、この勢いに乗って僕の名前などをばらしても良いはずなのに、なぜそのような事をしないのだろうか――。


(……はぁ……)


 ――結局、考えても答えなんて出るはずはなかった。当然だろう、もうこの『いじめ』事件は、僕が想像できる以上の状況にまで膨れ上がっているのだから。


 そんな、不安と焦り、やりきれない気持ちが募り続けた、午後の事だった。


『あ、こんにちは、ジョバンニ君』

「あ、美咲さん……」


 鉄道の本を読んでも落ち着かない、勉強してもどこか不安。そんな気を紛らわそうと『鉄デポ』のいじめ対策用プライベートルームへログインした僕を待っていたのは、丁度同じ時間にのんびりとしたオフ時間を過ごしていたという、アイドルの美咲さんだった。あの日――僕のいじめ動画が全世界へ拡散した時以来、久しぶりの対談となった。


『あれからどうかな?体や心は大丈夫?』


 優しく尋ねてくる美咲さんに、僕は思わず大丈夫だ、と返事をしてしまった。

 本当は色々と複雑な気持ちを抱えている、というのを言ってしまうと、僕のために頑張り続けている美咲さんもまた、父さんや母さんのように疲れ果てるまで心配してしまうかもしれない、と言う気持ちが、頭をよぎってしまったからである。嘘をついてごめんなさい、と内心謝りつつ、僕は何とか話を変えようとした。


「そ、そういえば美咲さん……せ、先日社長に呼ばれた件は……」

『ああ、あの件?心配してくれてありがとう。別に怒られたとかそういう事じゃなくて、私への色々なアドバイスだったよ』

「アドバイス……ですか……?」


 あの時、僕のいじめ動画が全世界に拡散してしまったのを見た美咲さんは、僕を含む他の『鉄デポ』の皆と共に事態に愕然とし、悪い方向ばかりに考えが傾いてしまった結果、危うくいじめ対策を断念しかける判断を下しかける状況に追い込まれてしまった。幸い、その時はコタローさんの助けもあって何とか最悪の決断、誤った考えから軌道修正する事が出来たけれど、まさに社長から得たアドバイスも、そのような感じだった、と美咲さんは述べた。


『社長も、今回の動画拡散の件、しっかりチェックしてたんだって。それで、もしかしたらショックを受けた私たちが、悔しさや憎しみのあまり暴走して無茶な事や誤った判断をするかもしれない、っていう事も予想していたんだ』

「そうだったんですか……」

『それでね、社長もコタローさんと同じ事を言ってくれたよ。友達を思うからこそ焦燥してしまう。それは、友達に限らず、大切な存在がいるほとんどの人に起きてしまう事だって』


 だから、この事で気を病む必要はない。もし思いっきり悩みたいのなら、事態を解決に導いた後の『反省』として行えば良い、と社長は美咲さんを慰めてくれた。

 そして、不謹慎だけど、という言葉と共に、社長はこんな事も述べていた。そういった『大切な人たちの事を思う』心を悪用する『オレオレ詐欺』に引っかかってしまう人の気持ちは、きっとこういう感じなのだろう、と。敢えてそのような言葉を口に出した理由として、『スーパーフレイト』の不動のセンターこと『葉山和夢』さんとして、近いうちにオレオレ詐欺撲滅運動に参加する事が決まっていたから、という旨を美咲さんは語ってくれた。


「そ、そうなんですか……お、おめでとうございます……」

『ありがとう。友達を思う心はとても大事。でも、時にそれが誤った道へ誘う要因になってしまう事がある。だからこそ、周りの人が、その人が誤った経路に進まないように助ける必要がある。私も、色々な事を学ばせてもらったよ』


 でも、それはあくまで今回の一件に対するまとめであり、まだ『いじめ対策』自体は終わっていない。少々作戦を練り直す必要が生じてきた――そういう美咲さんの言葉は、優しく穏やかながら、真剣さを秘めているように感じた。


『これも、社長からのアドバイス。相手があのような胸糞悪い出方をしてきた以上、こちらも最良の手を考えなければならない、ってね。勿論、ナガレ君たち参加者にも連絡はしておいたよ』

「な、なるほど……」


 美咲さんたちの方も今回の事件の影響を少なからず受けている事を、僕は嫌でも認識せざるを得なかった。

 そして、自然に僕の口から出たのは、美咲さんたちを気遣い、心配する言葉だった。そちらの方は大丈夫なのか、そんなに僕の事ばかりに気を取られ過ぎていて、他の仕事との兼ね合いでヘトヘトに疲れてはいないか、芸能事務所の社長まで巻き込んでしまって本当に平気なのか――そんな僕の言葉に返ってきたのは、美咲さんの自信に溢れた言葉だった。


『ジョバンニ君、私を誰だと思ってるのかな?』

「み、美咲……さん……?」

『そう、私は「スーパーフレイト」の不動のセンター。誰もが憧れるスーパーアイドル。そんな私に「不可能」なんて言葉は無いよ。それにね……?』


 皆の憧れであるアイドルたるもの、困っている人を見過ごすなんて事なんて出来ないはずだ。


 古今東西、どれだけスーパーやハイパーなアイドルでも敵わない『伝説のアイドル』としてあらゆる人々にその名を知らしめた過去を持つ、美咲さんが所属している芸能事務所の社長がずっと前に語ってくれた言葉だ、と美咲さんは教えてくれた。


「……美咲さん……」


 でも、僕は『ありがとうございます』という感謝の言葉を、伝えることが出来なかった。

 確かに、美咲さんの誰かを助けたい、誰かの心を守りたい、という気持ちが本物だというのはしっかり認識できた。だからこそ、美咲さんは『スーパーフレイト』の中心、『葉山和夢』さんとして絶大な人気を集めているのだ、という事実も。

 でも、それでもなお、僕の心の中には美咲さん、そして美咲さんが所属する芸能事務所の社長の言葉に相反する思いが強くなってしまう一方だった。このまま美咲さんたちの力にばかり頼って良いのだろうか。結果的に僕は、美咲さんたちと言う存在を『いじめ』という言葉に縛り続けているだけじゃないだろうか。

 本当に、僕が動かないといけない時が、近づいているのだろうか。


「あ、あの……」


 それでも、今はそんな気持ちを隠してでも、美咲さんに感謝の言葉を述べる必要がある事に気づいた僕は、何とか声を振り絞って、表面ばかりの言葉を述べようとした。

 まさに、その時だった。


『……あ、ジョバンニ君!ミサ姉さんもいるのね!』


 この時間帯に現れる事がないはずの来訪者が、『鉄デポ』に来訪したのは。


『えっ……彩華ちゃん……!?』

『梅鉢さん……!?』

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