第73話:3つの思い
「父さん、母さん……」
僕が学校で受け続けた数々いじめを撮影した動画が、何者かによってSNSに掲載され、鉄道オタクを煽り続ける文面と共に世界中に拡散した――あまりにも酷い事態が起きてしまった事を、急いで父さんや母さんに伝えようとリビングへ向かった僕だったけれど、待っていたのは母さんの抱擁と、父さんの大きく温かな掌の感触だった。
「譲司……本当に辛かったんだろうな……きつかったんだろうな……!」
「譲司が無事で、私たちは本当に嬉しいわ……!」
父さんや母さんが僕の事を労い、同情し、この場にいる事を心から喜んでくれている――そんな状況から、僕は自分の口から詳細を説明しなくても、既に父さんや母さんが事態を把握済みであった事を察知した。僕が『鉄デポ』でこの悪夢のような光景に衝撃を受け、皆から慰められたり励まされたりして何とか気力を取り戻していた間に、父さんや母さんも同じような気分を味わっていたようであった。
「父さん……母さん……知ってたの、あの事……?」
「ああ……と言う事は、譲司も聞いていたんだな……」
「文通……じゃなくてボイスチャットのお友達から聞いたの?」
「う、うん……みんな……僕を励ましてくれた……」
それは良かった、よい友達に巡り会えたようだ、と『鉄デポ』の皆を褒めつつ、父さんや母さんは僕が尋ねたかった疑問――どうして既に事態を知っていたのかを教えてくれた。僕が部屋に籠って『鉄デポ』に集中していた同じ時間、リビングに設置してあった固定電話に、父さんたちと馴染み深い人から一通の連絡が届いた。それは、『いじめに関する動画がネットで凄い勢いで拡散されている』『そのいじめが起きた学校は、もしかして貴方たちの息子さんが通っている学校と同じではないか』という内容だったという。
「それで、急いでパソコンで確認してみたんだよ……そしたら、なあ……」
「ええ……『絶句』って、ああいう時に使うのね……」
「そ、そうだったんだ……」
そして、改めて父さんや母さんは、この場で聞くのは酷かもしれないが、と前置きをしながら、あの動画に映っていた人物の確認をした。あの動画の中で、『鉄道』が大好きだからと虐められていたのは、間違いなく自分たちの息子、『和達譲司』なのか。そして、虐めて続けているのは、あの学校の理事長の御曹司、ボンボン息子で間違いないか。
「……う、うん……」
「……そうか……」
そして、しばらくの沈黙の後、父さんは語った。もし僕がそれを望んでいるのなら、司法に訴えるという手もある、と。つまり、稲川君を始めとした僕をいじめた面々を訴え、裁判所で判断を下してもらう、という事だ。
「え、う、訴える……」
一瞬びっくりした僕だけれど、確かに『鉄デポ』の皆は、あのいじめ動画に関して各方面から押し寄せてきたコメントの中に『警察に訴えるべき』『これは訴訟ものだ』『どう見ても警察にぶち込まれるべき犯罪だろ』というものが多数あった、と僕に報告してくれた。実際、こういったいじめを学校で解決するのではなく、直接警察へ訴えるのが最良の手段だとする意見を、僕はネットで何度か見た事があった。
ただ、いざそれが自分自身に起きてしまうと具体的に何をすればよいか分からず、僕は明確な答えが出せない状況に陥ってしまった。
「う、う……ど、どうしよう……」
「……まあ、父さんたちも正直今から色々と被害届の出し方など、色々調べてみる必要があるからな。譲司には悪いが、すぐに出すのは難しいんだ」
「そうよね……さっき電話貰った時にその事も尋ねればよかったわね……」
「確かに、詳しそうだったからな」
しかも、相手は学校そのものを所有している富豪の御曹司。今までいじめを放置していたのを見る限り、碌な反応はしてこないのが目に見えているし、『自分たちがいじめという行為に走ったのは貴方たちの教育が悪いから』などの難癖を付け、逆訴訟など様々な嫌がらせをしてくる可能性だって考えられる程だ。最悪、脅しと言う形で無茶苦茶な示談を承諾させられる、なんて事も――。
「ああ……あんな連中が俺たちの譲司をこんな目に!」
「絶対に……絶対に許せないわ!でも……本当、どうすればいいのかしら……弁護士ってどう頼めば……!?」
「お金もどれくらいかかるのか……時間も要るだろうし……くそっ……俺たちの無知が情けない……!」
――元から『法律』のような難しい文書を覚えたり調べたりするのが苦手だった、と語る父さんや母さんもまた、今回の事態に困惑しているのが目に見えていた。今までそういったものと無縁だと僕も含めて思っていた家族が、突然『弁護士』『法律』『示談金』など、日常生活と離れたような要素に触れなければならない状況になり始めていたのだから、当然かもしれない。
「……父さん……母さん……」
いつも優しく頼もしい父さんや母さんが、僕のせいで悩み苦しむ姿なんて見たくない――そんな事を思っているうち、自然に僕の口から、『ごめんなさい』という言葉が漏れてしまった。僕が悪いわけではないのは分かっていた。でも、結局『自分が悪い事をした』と口に出さないと、皆の悩みは解決できない、という考えに陥ってしまったのだ。
でも、そんな僕の行動がずれているという事実を、父さんや母さんは優しい声で指摘してくれた。
「譲司、悪くない人が謝る必要なんてない、って教わらなかったか?」
「う、うん……で、でも……」
「それに、謝らなければいけないのは、譲司の『将来』の事だけ集中して、『今』の事に目を配り切れなかった私たちの方かもしれないわね……」
「そ、そんな……!ぼ、僕……僕は……!」
そして、正直に僕は思いを口にした。本当は、父さんや母さんにも謝ってほしくないし、苦しんでほしくない、と。
僕のために頑張ってくれている人たちが苦しんだり悲しんだりしているのは、本当にキツいし辛いし、胸が痛いような感覚でいっぱいになる。だからこそ、僕が謝ればすべてが解決する、と考えてしまった。本当に、何をやってるんだろうって気分だ――僕は叫ぶように、父さんや母さんも何も悪くない、という旨を伝えようとした。
「……譲司……」
「う、う……」
「……譲司は、優しいのね」
「……母さん……」
「でもな、譲司。父さんたちが言うのもアレだけどな、たまにはビシっと、はっきり、厳しい態度を見せてもいいんだぞ」
「……えっ……厳しく……」
特に強烈に印象に残った言葉を繰り返し発した僕に、父さんは言葉を続けた。今、『譲司』――この僕は、あの学校やあの生徒、そしてあの『いじめ』に対して、どのような感情を抱いているのか、と。
その答えを頭の中で導き出すのはとても簡単だった。でも、それを形として示すまでに、若干の時間が必要となった。父さんと母さん――僕の事を、ある側面では僕以上に知っているかもしれない人たちの前ではっきりと言うのに、どういう訳か緊張が心を覆ってしまったのだ。でも、今ここで言わないと、絶対僕は僕自身に後悔してしまうだろう、という思いが、心を後押しした。そして、僕は正直に、はっきりと述べた。
「……悔しい、っていう気分もある……それが一番強い……」
でも、それ以上にもう1つ、『鉄デポ』の皆にも、梅鉢さんにも、まだ打ち明けていない気持ちがあった。打ち明けてはいけない、本当の思いがあった。この言葉を言えば、絶対に僕は『いじめ』対策のために奮闘してくれている皆から批判を浴びてしまうし、下手すれば嫌われてしまうかもしれない。それでも――。
「……でも……僕……本当の事を言うと……早く終わって欲しい……って思っている……」
――この地獄のような時間が早く終わって、梅鉢さんや『鉄デポ』の皆と、何の支障も問題もなく、和気あいあいと過ごせる時間が、早く訪れて欲しい。
勿論、皆からの同情や慰めの言葉が決して嫌という訳ではないし、心配してくれる心は痛い程理解できる。でも、僕は『和達譲司』という1人の存在として、平和に過ごしたい。
「……今の状況だと……まだ無理だと思うけれど……」
何とか言葉を絞り出して、心の中に溜まっていた本心を、ようやく僕は打ち明けることが出来た。
父さんや母さんが、どんな顔をしているのだろうか、という心配は杞憂に終わった。全てを納得してくれたような、優しい笑みを見せてくれたからだ。
「そうね……譲司、よく言ってくれたわ」
「分かった。父さんたちも尽力してみるよ」
「あ、ありがとう……そ、それと……」
そして、同時に僕は、今までずっと父さんや母さんに伝えきれていなかった案件を、この場でしっかりと口に出す事にした。
父さんや母さんにとっては既に決定事項になっていたようだけれど、改めて僕の口から言う必要があるように感じたからだ。
「僕……あの学校……辞めるよ」
その言葉をずっと待っていた、と言うのが、父さんや母さんからの返事だった。これで、正々堂々、自分たちの大切な存在の尊厳をとことん貶し続けたあの学校を相手に面と向かって立ち向かう事が出来る、という意気込みも加えて。
そんな父さんや母さんに、何か手伝う事は無いか、と僕は尋ねた。でも、それに関しては父さんや母さんから拒否の反応が返ってきてしまった。
「気持ちは分かるが、譲司、既にその顔が世界中に知られてしまってるんだぞ?」
「そ、そうか……そうだよね……」
「ここは私たちに任せなさい。それに、ネットのお友達も、きっと譲司のために頑張ってくれていると思うわ」
父さんや母さんの意見ももっともだった。今の状況で迂闊に動けば、どのような事態になるか分からない、という意見も、一応は納得できた。
でも、僕には、『鉄デポ』の皆や梅鉢さんに加えて、まだ父さんや母さんたちにもはっきりと打ち明け切れていない、3つ目の気持ちが心の中に眠っていた。
虐められているのが僕自身なのに、どうして僕は他の人にばかり頼りっきりなのだろうか。
僕自身が解決に向かわなければ、事態は進展しないはずだろうに。僕は、ここで立ち止まったまま、何もしないままだろうか。
この長い長い暗闇のような時間を終わらせるためにも、『和達譲司』自身が動かなければいけない――心の中で、そんな思いがさらに増している事を、僕はひしひしと感じていた……。
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