第70話:憤怒の行く先は

『……良かった……みんな、集まっていたのね……!』

「こ……コタローさん……どうして……」


 何とか言葉を紡いで、僕は驚きの思いをコタローさんに伝えることが出来た。

 今日は多忙なので来ることが難しい、と事前に連絡が入っていたコタローさんが、息切れをしている様子で皆に語り掛けてきたのだ。その理由は、すぐに分かった。例の動画――僕のいじめの光景を録画し、撮影し、SNSにアップロードしたものが、コタローさんの目に入るほどにまで拡散していたのだ。


『やっぱり……そこまで広がっていたんすね……』

『そうなのよ……今、「表」のチャットルームも大変な事になったって大騒ぎよ』

『「表」という事は……プライベートルームの外、普段皆が話している場所、という事ですか?』

『ええ、トロッ子ちゃんの言う通りだわ』 


 特に、あの温和で優しいはずの『鉄道おじさん』が凄まじい勢いで怒りを露にして、皆が抑えるのに必死になっている、とコタローさんは語った。

 ナガレ君や幸風さん、そして梅鉢さんが急いでそれを確認し、事態の深刻さを確認して愕然としたような声を上げていたけれど、今の僕には到底そこを覗く勇気も願望も、そして気力も残されていなかった。


『SNSの内容も見させてもらったわ……確認したいんだけど……やっぱり……』

『ええ、コタローさんの予想通りです』

『そうなの……』 

 

 詳細を言わずとも、互いに何を伝えたいのか、コタローさんも梅鉢さんも理解しているようだった。

 

『ジョバンニ君……大変な目に遭ってしまったわね……なんて声をかければよいか……』

「……あ……ありが……と……だい……」


 ありがとうございます、でも大丈夫です――そう言いたいのに上手く声が出ない。僕は『大丈夫』だと信じ切っているのに、体が言う事を聞かない。

 その事実を認識する度、僕の中の惨めな思いはより強くなっていった。『動画拡散』と言う最悪の形のいじめを受けてしまい、それに抗うことが出来ない現実を突きつけられるかのようだった。


『コタローさん……俺たち……悔しいっす!!凄い悔しいっすよ!!』

『私も……私も悔しい……こんな事態になっちゃうなんて……』

 

『……そうね……私も、凄い嫌な気分。大声で叫びたいぐらいには苛立っているわ』


『やっぱり……でも、私たち、どうする事も出来ないのでしょうか……』


 世界中に動画が拡散してしまい、『鉄道オタク』が『犯罪者予備軍』である、という歪んだ認識が定着してしまうのではないか、というトロッ子さんの言葉に返ってきたのは、きょとんとした声色のコタローさんの返事だった。


『……あら、そうかしら?』

『え、い、いや……だって……!』


 その悲観的な意見に補足を入れるかのように、幸風さんが自分の見たSNSの光景をはっきりと語った。鉄道オタクを煽り、馬鹿にし、挙句の果てに名指しこそしていないけれど明らかに僕に対する暴言まで書き記されていたあのメッセージに、賛同の声が幾つもリプライされるのを見てしまった、と。

 素晴らしい、よくやった、鉄道オタクがいじめられてスカッとした、鉄道オタクは〇〇者だからいじめられても仕方ない、これが社会的弱者の鉄道オタクの運命だ、日本がまた1つ平和になった――見るに堪えない、言葉にも言いづらい誹謗中傷の数々は、確かに僕の目にも映ってしまっていた。こんなに『いじめ』を擁護する言葉が飛び交っている状況、自分たちのやって来たいじめへの対抗策は全て無駄に終わってしまったに違いない、と幸風さんは悲痛な思いを露わにした。


『……そう思ってしまう気持ち、とても分かるわ』

『コタローさん……』

『酷いものを見てしまうと、嫌でも更に酷い光景が目に入ってしまう。そして苛立ちと落胆というネガティブな思いが強くなってそれに飲み込まれ、ますます酷い情景に足を踏み入れる。無限に続く、厄介なループね……』


『……何が言いたいんすか……?』


 少しだけ苛立ちを含んだような疑問を投げかけたナガレ君に、コタローさんははっきりと述べた。


 みんな揃って、諦めるのが早すぎる、と。


『……えっ……?』

 

 確かに、ああいう煽りや誹謗中傷に賛同する意見はどうしても。それは、人間が様々な感情、様々個性を持つ限り、どうしても起こりうるものかもしれない、と前提のような事を述べた上で、コタローさんは話を続けた。でも、自分が見えた『景色』は、皆とは全く違っていた、と。

 その言葉は、僕を含めた皆を安心させるような、どこか優しい響きだった。


『どういう事……?』

『もし皆の心にまだ「悔しい」っていう思い、いじめに負けない気持ちがあるのなら、もう一度だけ、あのSNSの様子を見る事をお勧めするわ』


 その言葉を聞いて、どこか半信半疑の様子で、梅鉢さんやナガレ君たちはもう一度、例のSNSへアクセスしたようだった。でも、僕はどうしても手も指も動かず、そのまま皆の声で事態を判断する事にした。

 当然、僕の心には怖さの方が多かった。あんな事を好き勝手に書かれた以上、間違いなく『鉄道オタク』の僕自身へのバッシングはあるかもしれない、という無茶苦茶な理屈に基づく嫌な予感まで頭に浮かんでしまった。一体どうすれば良いのか。父さんや母さんにどう説明すればいいのだろうか――そんな事を考えていた時だった。


『……え、えっ!?!?え!?!?』


 最初に驚きの声を上げたのは、梅鉢さんだった。

 

『……これ、全部じょう……ジョバンニ君を応援する声よ!』

『本当っす!「頑張れ」とか「負けるな」とか「かわいそう」とか……こっちには「応援してます」って……!』

『凄い……!検索しているんですけど、ジョバンニ君を励ます声がどんどん増えて追いつかないです……!』


 『鉄道オタクは嫌いだけど今回だけは別だ』『いつもは加害者だけど今回はどう見ても鉄道オタク側が被害者だ』と言う鉄道オタクに批判的な人による同情の意見、『今すぐ訴えて!絶対に勝てる!』と訴訟を促す声、『俺たちがついているぞ!』と述べる、聞いた事が無い学校の鉄道研究会のアカウント――梅鉢さん、ナガレ君、幸風さん、美咲さん、そしてトロッ子さんは、次々に僕の耳に聞こえるように、SNSの『現状』を伝え続けてくれた。


「……ほ……本当に……」


 本当に、皆が応援してくれているのか。本当に、冴えなくて惨めで情けない『鉄道オタク』である僕を、見知らぬ人たちが励まし、背中を押してくれているのか。完全に信じたいのに、僕の心の中にはまだ疑念のようなものが引っ掛かっているようだった。それを払いのけるためには自分の目で確認するのが一番の手段かもしれないけれど、それでも僕の手は動かなかった。

 

 その一方で、ネットの皆の意識は僕に対する応援と共に、『いじめ』という行為自体を糾弾する方向にも向いていた。


『コタローさんの言う通りだ……いじめに賛同する声、全然見当たらなくなったよ』

『その代わり、あのクソ動画を糾弾するメッセージが四方八方から送信されている格好っすね、これは……』

『凄い事になってるじゃんこれ……「酷すぎる」だの「犯罪者なのはお前らだろ」とか「逮捕されちまえ」とか……あ、なんか「通報した」ってのも書かれてる!』

『わわ……今回のいじめの一件、トレンドワードにまでなっていますよ……!』


 トロッ子さんの驚きの言葉からも、あの動画が世間に与えた影響の大きさが思い知らされた。でも、それは僕を責め続けるものではなく、『鉄道オタク』を煽り続けている動画の投稿者へ、皆の怒りの矛先が向く格好になっているようだった。

 まるで、SNS全体が『いじめ反対』を訴え続けているように、僕は感じた。


 そして、さらに事態は大変な方向へ動き出しているのに、梅鉢さんは気づいた。

 

『ま、待って……これって、どういう事?』

『え、何?どうしたの、彩華?』

『そ、その……「学校を特定した」って書かれているんだけど……これってつまり……』


『文字通りの意味ね』

『コタローさん……!』


 一切のモザイクもなく投稿されたあの動画には、稲川君や僕たちの姿がはっきりと映されていた。つまり、それは学校の制服――『生徒が着る学校の看板』ともいうべき要素も、世界へ向けて露わになってしまう、という事だった。そうなれば、僕たちの学校の事を知っている人たちの目に留まるのは、あっという間。そして、その『情報』もまた、瞬時に世界に拡散されてしまう、という訳だ。

 

『俺たちは迂闊に調べない方が良いっすね……』

『一応あたしはジョバンニ君や彩華から聞いて知ってるけどさ……こういう形で認識するのもアレだよね』

『確かにそうですね……』


 ともかく、あの動画によって、僕のいじめ問題が急展開を迎えた、という事だけは、はっきりと認識できた。

 

「……こ……コタローさん……みんな……」


 そして、若干強すぎるけれどその動きが間違いなく『追い風』になっている事を皆のお陰で知ることが出来た僕は、少しづつ心を声に出す事が出来るようになっていた。

 そんな僕に、コタローさんが尋ねてきた。


『ジョバンニ君、今回の一件、私の見解を聞いてくれるかしら?』

「……は、はい……だ、だいじょうぶです……」


 そして、場が一瞬静かになった後、コタローさんははっきりと述べた。

 敢えて『勝敗』をつけるとすれば、今回の動画騒動の勝者は、圧倒的に『ジョバンニ君』=この僕自身だ、と……。

 

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