第68話:そして、彼らは

『そういえば、ちょっと気になったんだけどさ……』


 いじめに苦しんでいる人たちへメッセージを贈る『第二作戦』の成果を互いに報告し合っている中、明日以降メッセージを送信する事が決まっていたモデルでインフルエンサーの幸風さんは、梅鉢さんへ向けてある質問をした。自分たちがこうやって奮闘している一方、この行動を起こす元凶となったあの連中――僕をいじめ続けていたあの学校のクラスの現状は、一体どうなっているのか、と。


『あっ……そういえば、ずっと報告していなかったわね……』

「た、確かに……」


 一応、僕は毎日のように梅鉢さんから連絡を貰い、こっそり覗いてみた時の様子をその都度教えてもらっていたけれど、『鉄デポ』の皆には、悪い意味でクラスの『ガキ大将』、もしくは『お山の大将』的な存在である稲川君が苛立ち、クラスの皆を罵倒し続けてからの様子をまだ伝えていなかった。

 そこで、梅鉢さんは僕と共に、知っている限りの情報を披露する事にした。


 まず、クラスの方は一応『あの日』から時が経つ中で、表面上の落ち着きは取り戻したようだった。梅鉢さんが休憩中に何度かクラスを覗いた時も、基本的にみんな静かに過ごしており、一見すると平和な姿を保っている風貌であった。だけど、梅鉢さんはその教室を漂う『空気』が、明らかに以前と異なっているのを察知していた。


『なんというか、静かすぎるのよね。話しているのは一部の生徒だけで、大半は何も喋らないまま過ごしている。喋ってもひそひそ話ぐらいだし……』

「うめ……彩華さんの言葉を聞いた限りですけど、なんだかいじめられていた僕と同じような状況かもしれない、って思いました……」


 僕も、あの教室へ必死に通っていた頃は、休憩時間は誰とも喋らず、誰とも目を合わせず、ただ時間が過ぎるのを静かに待つことしかできなかった。恐らく、教室に通っているクラスの面々も、僕と同じような恐怖や不安に苛まれているのだろう、と感じていた。

 そして、このような事態を引き起こしているのは、僕の時と全く同じ存在。稲川君と、その取り巻きたちだった。


『基本的に喋っているのは「アレ・・」とその取り巻きたちと言う感じだったわ。でも、取り巻きも「アレ」に怯えているように優しく接していたり、明らかに怖がっているような連中も見たわね……』


 そんな『アレ』こと稲川君は、ずっと何かに苛立っているような素振りを見せ、口を開くたびに様々な文句や誹謗中傷の言葉ばかりを述べ続けていた。『鉄道オタク』は屑の集まり、『鉄オタ』を信頼する連中も同類、『鉄オタ』なんて世界中から綺麗さっぱり消えればよい、『鉄オタ』は〇〇者だから施設に送れば良い――相変わらずそんな事ばかり言っていた、と梅鉢さんは語っていた。

 そして、時に学校に残されていた僕の机や椅子を蹴飛ばし、苛立ちを発散させていたのも梅鉢さんは目撃していた。そのせいで、ずっと僕が利用していた机や椅子はひびが入り、使用不能に近い状態になっていたという。


 そんな稲川君の言動に対して、取り巻きの生徒たちは毎回同調の態度を見せ続けた。でも、それは今までの『仲良く』意見に従う光景とは異なり、稲川君の怒りに触れないよう必死におだてているように感じたという。覗き見していたのがばれなかったのも、取り巻きたちがいつも苛立つ稲川君の相手に懸命だった事も大きかっただろう、と梅鉢さんは振り返った。


『なるほどね……つまりその「アレ」が怒りの矛先をジョバンニ君からクラス全体へ変えた、って格好かもしれないね』

『サクラの言う通りかもしれないわ。でも、「アレ」は力も強いし、何より権力もある。だから、どれだけ誹謗中傷されようが従わなければならない……』


 まさに地獄のような環境だ、と梅鉢さんは感想を述べた。ただし、その口調はどこか嬉しそうな、ざまあみろと言いたげな様相だった。


『まあ、それでも「アレ」の怒りに触れて滅茶苦茶怒鳴られている奴はいたわね。ジュースを買ってこい、という命令に従わずに机に伏していたみたい。オタク系の男子だったけど、本当に嫌そうに教室を出て行ったのを見たわ』

『何か酷い事を言われた、って感じ?』

『そうね。とてもここじゃ言えない差別用語を並べていたわね。ジョバンニ君が受けたように……』


『……もしかして、その人も「来道シグナ」のファンだったりするのでしょうか?』

『そこまでは分からなかったわ。でも、きっとあの男子も、以前は自分と同じ状況だったジョバンニ君を嘲り笑っていた1人だったに違いないわね』


 まさに因果応報ですね、とトロッ子さんは言った。僕にはその言葉が、『来道シグナ』さんが抱いた感想のようにも聞こえた。


 そして、女子ですら稲川君や取り巻きたちの怒りの対象となっていたようで、最早『飯田ナガレ』君や『幸風サクラ』さんたち憧れの存在――『鉄道オタク』と言う存在を好意的に認めた面々の話題を学校で口に出す事は不可能な雰囲気になっていたという。少しでも喋れば、あっという間に取り巻きの女子の怒りを買ってしまうからだ。


 僕をいじめる事で成り立っていたであろ『クラス全体が仲良し』という仮面は、剝がされてどこにも存在しない。今や、あのクラスは『稲川君』という暴君が支配する、地獄のような空間になってしまった――梅鉢さんと僕が抱いた感想に、皆も同意してくれた。


『というか、先生は?ここまで酷い事になってるのに、対応してないの?』

『……ええ、ミサ姉さんの質問通りの状況ね。「アレ」が理事長の息子と言うのもあるかもしれないけれど、クラスの担任も含めて誰も注意せず、完全に放置しているみたいよ』

『そうかー……完全に末期症状だね』

『ジョバンニ君も彩華さんも、学校から逃げる選択肢を選んで正解でしたね』

「そ、そうかもしれません……」


 絶対にそうだって、と僕の背中を押してくれた幸風さんは、同時にあの学校に残る生徒たち、特に未だに稲川君にイエスマンとして従い続ける『取り巻き』たちに呆れ果てるような言葉を口にした。どうして沈みゆく船、脱線間違いなしのオンボロ列車に乗り続けているのか、と。

 それに対して1つの推測を立てたのは、アイドルとして多くの人々と接し続けている美咲さんだった。


『なんというか、あの「暴君」に従わないと自分たちのクラスの立場が無い、って判断したんじゃないかなー』

『……え、「暴君」から逃げるとか、そういう事考えないの?』

『あのクラスの中でしか居場所が無い。そう考えたんじゃないのかなー』


 色々な世界がある、未来へのルートを切り替えても良い、って自分以外にも色々な人がアドバイスしているのに、そんな言葉に耳を貸さないのだろうか、と話を聞いていたトロッ子さんは少し残念そうに語った。とはいえ聞く気が無いのなら、無理に押し付けない方が良いかもしれない、と付け加えながら。


『ま、でもこれで良かったんじゃない?主犯格の「アレ」や取り巻きたち以外はみんなジョバンニ君と同じ気持ちを味わってるんだから』


 これで少しはあいつらも反省するだろう、むしろ反省しなきゃおかしい、と言い放った幸風さんに、トロッ子さん、そして梅鉢さんは同調した。僕も、声には出さなかったけれど内心少しだけそう思った。

 だけど、美咲さんの反応は、どこか慎重かつ心配げなものだった。


『……うーん……正直に言っちゃうと、少し、本当に少しだけだよ?不安があるんだよね……』

「えっ……?」


 どういう事なのか、まさかまたいじめの矛先が梅鉢さんの方向へ向けられてしまうのか、と不安になった僕へ、美咲さんは語った。アイドルをやっていると、様々な人たちの感情や動向に目を向けなければならない事がある、だから何となく予想が出来る、と前置きをしながら。


『なんというか、こういう風に精神が追い詰められている時って、人間はとんでもない事をやらかすんだよね。何とか安定した状況を作りたい、自分が平和に暮らせる元の状態に戻したい、って……』

『ちょ、ちょっと待って、ミサ姉さん……』

『不安になる事言わないでよ、頼むからさ……』


『本当にごめん。でも、ジョバンニ君がいた教室の状況を聞いてると、私のアイドルとしての第六感が危険を告げてくるんだよ……』


 確かに、梅鉢さんや幸風さんが指摘した通り、この状況でそのような事を言われてしまうと、僕の不安もますます増大してしまう。でも、きっと一番不安なのは、自分が抱いた『嫌な予感』を打ち消すことが出来ない美咲さん自身かもしれない、と僕は感じた。苛烈ないじめに遭い続けた経験から僕なりに考えた上で。


『それで、具体的にどのような事が考えられますか……?』


 僕が尋ねようとした質問は、先にトロッ子さんが口に出してくれた。

 そして、その内容を美咲さんが答えようとした、その時だった。




『みんな!!よ、良かった、みんないるっすね!!』


 突然、大声で会話に割り込んできたのは、遅れて参加する旨を事前に連絡していた、動画配信者の飯田ナガレ君だった。

 でも、その声は明らかに普段の明るく愉快で、少しお調子者な雰囲気を感じるものとは異なっていた。


『こ、このURLを見て欲しいっす!!ヤバい事が起きたんすよ!!』


 その必死さや言葉の強さは、自分たちにとって大変な事態が発生した旨を認識させるのに十分すぎる効果があった。

 慌てて僕たちは、ナガレ君が用意したURL――僕が鉄道情報を確認するために一応登録しているSNSへアクセスした。


 初期状態のアイコンが表示されている、暗号のような名前のアカウント。そこに投稿されていたメッセージには、1件の動画が添付されていた。

 恐る恐る再生すると、そこに映されていたのは、1人の『男子学生』が、大勢の『学生』に取り囲まれ、恐怖で身が縮こまっている光景だった。

 その『男子学生』の目の前には、大量の残飯のような何かが床に散りばめられていた。その中身は、見る限り豪華そうなものだった。

 やがて、周りを囲む『学生』の1人が、こんなことを口にした。これが、『鉄道オタク』専用の心を込めた一品、『鉄オタライス』だ、と。

 当然、『男子学生』は食べようとせず、弱々しい言葉で抵抗しようとした。

 でも、周りの『学生』たちはそれを許さず、更に暴言を並べた挙句、残飯の上に画鋲のようなものを散りばめていた。


 やがて、教室は『食べろ』『食べろ』という大合唱に包まれていき――。


『……何……何よこれ……!!』


 ――梅鉢さんの絶叫で、僕は意識をあの『動画』から現実世界へ何とか戻すことが出来た。

 でも、僕は全身から血の気が引くような、ぞっとするような、見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分に包まれていた。


『……ま、まさか……』

『……うわ……』

『こ、これって……』


 皆の唖然とした声が、どこか遠く聞こえた。

 もしかしたら、その時の僕は、ショックのあまり、僅かながら意識が遠のきかけていたのかもしれない。

 当然だろう、SNSに投稿されたあの『動画』に映されていた学生の1人、皆から残飯を食べさせられようとしていた男子学生は――。


『……じょう……ジョバンニ君……よね……これ……?』


 ――見紛う事無くこの僕、『ジョバンニ』こと和達譲司その人だったのだから……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る