第57話:昼下がりの電話
「じゃあ、行ってきます……」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
母さんに見送られながら、今日も僕は家を後にした。
人気スタイリストとして名高い一方、海外の鉄道の知識に長けた『海外鉄』でもあるコタローさんの手で格好良く散髪してもらってから数日が経過した。
少々失礼な言い方になってしまうけれど、ただ髪を切られ、綺麗に洗われ、ワックスを塗ってもらっただけで、僕の気持ちは今までよりも更に前向きな方向へと変わり始めていた。コタローさんによる丁寧な『リニューアル工事』や助言を受けた事で、自分自身に対して僅かながら自信を持ち始めていたからだ。
勿論、梅鉢さんや『鉄デポ』の頼もしい仲間たちとの交流も支えになっているのは言うまでもない。
そのおかげで、ずっと家に引きこもりがちだった僕には、外へ出て家の周りを散歩するだけの勇気や余裕が生まれていた。
とはいえ、午後に家を出ると、僕をいじめ続け、僕を『死んだ』も同然に扱っていたあのクラスの面々と出くわす可能性もある。なので、僕は午前中のうちに散歩を済ませる事にした。母さんや父さんも、そちらの方が早起きにもつながるし健康に良いだろう、と賛成してくれた。
そして、家を出る前にはあの時コタローさんから貰ったガイドブックを参考に、ワックスやドライヤーで髪型を僕なりに整えるのも日課になっていた。
人通りが少ない住宅地で注目を集める事なんてないし、そもそも僕の外見では飯田ナガレ君のようなイケメン男子、幸風サクラさんのような雑誌を飾るモデルさん、美咲さんのような高い支持を集めるアイドル、そして梅鉢さんのような美人さんには全然敵わない。
だけど、コタローさんからのプレゼントの効果で少しは僕も格好良くなっているのかもしれない――そんな事を考えていると、自然に背筋が伸びるような気がした。
単なる自己満足なのは分かっているけれど、それでもやっぱり誰かから褒められ、勇気づけられるのは日々のポジティブな原動力になるのかもしれない。
(それにしても……)
そんな事を考えながら公園のそばを通りかかった時、僕はふと、梅鉢さんの事を思い出していた。
僕が学校へ行かなくなって以降、たった1人で学校へ通い続ける事になった『特別な友達』の事を。
(梅鉢さん本人は『大丈夫』『心配ない』っていつも言ってくれるけれど……)
友達の言葉を疑う、なんていう事は絶対にしたくないけれど、梅鉢さんが報告した学校、特に僕のクラスでの現状を思い出してしまうとつい心配になってしまった。
クラスや学校のいじめの矛先が、少しづつ『梅鉢彩華』さんと言う人物へ向けられ始めている事が、本人の口から明かされたのだから。
しかも、僕のいじめの中心にいた、学校の理事長の息子である稲川君が、今度は梅鉢さんに牙を向ける可能性がある、という話を聞けば猶更だった。
(どうだろう、やっぱり心配だって素直に聞いた方が良いのかな……でも、梅鉢さんにまた迷惑がかかりそうだし……)
悩みながら進んでいるうち、いつの間にか僕の目の前には我が家の扉が現れていた。今日の散歩が終わりを迎える合図だ。
「……まあ、まだいいかな……」
次に連絡出来る機会が訪れるまでに、梅鉢さんへかける言葉を考えておこう。そう僕は結論づけた。
ところが、その『機会』は予想よりも早く訪れた。
帰りに立ち寄ったコンビニで買ったおにぎりを食べ、少し部屋で寛いだ後、参考書を開いて自習をしようとした時、手元のスマホに通知が入った。
そして、表示を見て僕は驚いた。よりによってその宛先は、梅鉢さんその人だったのだ。
(えっ……な、なんで……?)
驚きつつも通話ボタンを押した僕の耳に響いたのは――。
『良かった、通じた!あぁ、やっぱり譲司君の声を聞くと落ち着くわね!譲司君最高!』
「あ、もしもし……えっと、梅鉢さん……だよね?」
『そうよ、私は紛れもなく、梅鉢彩華本人よ!譲司君、こんにちはー!』
――やけに明るく、テンションも高く、そしてどこか興奮しているような、梅鉢さんの声だった。
僕にとって、梅鉢さんの声を聞くというのは一種の清涼剤のような役割を果たしていた。その綺麗で澄んだ声を聞くと、どんな悩みも吹き飛んでしまうような気持ちになれるからだ。
でも、今スマホの向こうから聞こえてくる梅鉢さんの声はどこか妙だった。確かに明るく振舞ってはいるけれど、嬉しそうな声とはどこか違う。やり遂げたような爽快感もあるけれど、それにしては若干わざとらしい。
そして、何より一番不思議なのは、電話がかかっているこの時間だった。普通なら今頃、梅鉢さんは『絶対零度の美少女』――誰とも関与を嫌がる冷静沈着な存在として、学校で授業を受けているはず。それなのに、どうしてこうやって僕の声を聞くために電話をかけているのだろうか。
「う、梅鉢さん……な、何かあったの……?」
『じょ、譲司君?別に私は悪い事なんて……』
「し、し、心配は要らないよ……!ぼ、僕で良かったら……そ、相談に乗るから……!」
今までいつも梅鉢さんにしてもらっている親切を、今度はこちらが返す番だ、と考えた僕は、何とか梅鉢さんの本心を引き出そうと努力した。もしかして体の具合でも悪いのか、それを隠そうとするために、無理して明るく振舞っていたりしていないだろうか、など、思いつく限り様々な気遣いの言葉をかけた。
すると、しばらくの沈黙を経て、梅鉢さんは少しだけ落ち着いたような、そして少しだけ悲しげな感じの声で、語り始めた。
『……やっぱり、誤魔化せないわね。「特別な友達」相手には……』
「ど、どうしたの……?や、やっぱり体でも……」
『ううん、体は全然大丈夫よ。でも、強いて言うなら少しだけ「心」が傷ついたかしら。だから、今日はさっさと学校を早退してきたの』
「えっ……や、やっぱり大丈夫なの……?」
『あ、最初に言っておくけれど、譲司君は何も悪くないわ、本当に。今回の一件、私にも責任があるかもしれないから……』
「ど、どういう……事?」
当然、何を言っているか分からず気になった僕は、正直に伝えて欲しい、と梅鉢さんに訴えた。
でも、梅鉢さんはそれに対して幾つか念を押してきた。嫌な気分にさせてしまうかもしれないし、何より失望させてしまうかもしれない。自分が言う資格は無いかもしれないけれど、聞く覚悟はあるか、と。
そんな真剣な問いに対しての僕の答えは――。
「勿論、とは言えないし、やっぱり不安だけど……で、でも、覚悟はできているつもりだよ……」
――いつも通り、曖昧で情けないものになってしまった。
『……ありがとう、譲司君』
「ど、どういたしまして……それで、やっぱり学校を早退した理由って……僕のいじめ絡みの事なの……?」
僕が尋ねた言葉に、梅鉢さんはその通りだ、と返した。
やはり思った通り、梅鉢さんが僕に代わって稲川君たちの新たないじめのターゲットになろうとしている。やはり僕が学校へ行かなくなったせいなのか、とまた頭の中で自己嫌悪感がよぎってしまったけれど、コタローさんや梅鉢さんなど多くの人たちの約束を思い返し、何とか心を奮い立たせて梅鉢さんに詳細を尋ねる事にした。
「もしかして、教科書を捨てられたり、机を外に投げ捨てられたり……?」
『うーん、そこまでは……いえ、考えてみたら、それ以上の事かしら……』
「えっ……!?そ、それって……」
そして、梅鉢さんは一呼吸置いた後、早退の理由をはっきりと口にした。
それは、僕にとって信じがたく、聞きたくなく、そして一番起きて欲しくなかった、あまりにも恐るべき事態だった。
『……理事長の息子の「稲川」とかいう人物が、この私に「告白」をしてきたのよ』
「……え……えっ……えええええええ!?!?」
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