第55話:謎と不思議のタトラT3

「そういえば……」

「どうしたの、ジョバンニ君?」


 伸びてしまった髪を切ってもらいつつ、プラハにあった鉄道工場で大量生産され東側諸国を席巻した路面電車『タトラT3』の話題で盛り上がる中、僕はコタローさんに気になった話題をぶつけた。

 14,000両以上も大量生産されているのなら、もしかしたら日本にも輸出されていないだろうか。確かに昔は西側諸国だった日本でも、冷戦が終わった後ならあり得えそうな話だ。

 実際のところどうなのか、と尋ねた僕の言葉に返ってきたのは、コタローさんの少し寂しそうな声だった。


「うーん……確かにジョバンニ君の言う通り、日本にも一応プラハから譲渡された車両が1両だけあったのよ」

「へぇ……あれ、でもそういう電車が走っている話、僕は聞いた事がないです……」

「そうよね……色々あって日本では運行されないまま、最後はスクラップになってしまったらしいわ。残念な話だわ……」

「そうだったんですか……つまり、今の日本にはタトラT3が現存していないという事に……」

「そうなるわね……」


 それなら、今まで存在を知らなかったのも無理はないかもしれない。

 色々な情勢もあるし、日本の路面電車に合わせた改造も結構大変だし、仕方なかった側面も大きいけれど、つくづく惜しい事をしたものだ、と僕は素直に感じた。

 そして、コタローさんが語った、『綺堂コレクション』にでも保存されれば良かったのに、という意見に、僕も賛同の意思を示した。大富豪の綺堂家がどこかに所有しているという噂がある鉄道車両のコレクションに、もしこの日本に輸入されたタトラT3が選ばれていれば、一度も日の目を見ないまま解体される悲劇は無かっただろう。

 でも、すぐにコタローさんは嬉しそうな声と共に、『日本』から近い場所に現存する車両について教えてくれた。


「韓国に、日本と同じくプラハから譲渡された1両が鉄道公園で保存されているから、これなら確実に見ることが出来るはずよ」

「そうなんですか!?知らなかった……」

「それに、北朝鮮の首都・平壌の路面電車では、こちらもプラハから譲渡されたタトラT3が市民を乗せて活躍してるそうよ。こちらは私たちが乗るとなるとちょっと難しいかしら」

「へぇ、北朝鮮にも……」


 日本から近い国、近いようで遠い国。東アジアの2つの国で、今もタトラT3は多くの人たちから親しまれているようだ、と語ったコタローさんだけど、少し残念そうな口調で言葉を続けた。

 このタトラT3の活躍のように、海を越えた海外の鉄道の情報だけはたくさん頭の中にあるけれど、生憎自分は『有名なスタイリスト』。毎日本業が忙しくて、海外へ渡航できるほどの休暇が取りづらいのが現状だ、と。

 それに、どうやらコタローさんには色々と体質的な事情があって、外国へ向かうのは非常に難しい状況のようだった。その『事情』の詳細については、本人曰く、海外の鉄道に詳しい『海外鉄』としてはあまりにも恥ずかしい事らしく『機密事項』だったようだけれど。


「体質もあって外国へ碌に行けないのに、海や空を越えた先にある外国の鉄道がとても大好き。だから、模型やネットの情報を集めて、それで我慢するしかない。思い直してみれば、私って本当にダメダメな『海外鉄』なのかもしれないわね……」

「え、そ、そんな事ないと思います!」

「えっ?」


 コタローさんの口から出たネガティブな言葉を聞いて、僕は咄嗟に反応した。


「こんなにたくさん外国の鉄道の事に詳しくて、興味深い事を楽しく教えてくれる人がダメダメだなんて、僕は全然思わないです……!それに、コタローさんは毎日忙しいのに大好きな鉄道趣味にも打ち込めていて凄いです……それに比べれば僕なんて、まだまだ全然ダメで情けない鉄道オタクで……ってすいません……」


 またいつものように、勢いに任せる形で余計なことを口走ってしまった、と縮こまってしまう僕が感じたのは、頭を優しく撫でるコタローさんの温かな掌の感触だった。


「ありがとう、ジョバンニ君。貴方の方こそ、全然駄目じゃないわ。素晴らしい『鉄道ファン』よ」

「コタローさん……こちらこそ、ありがとうございます……」


 そんな会話を続けているうち、いつの間にやら僕の髪はコタローさんによって綺麗にカットされていた。

 以前訪れていた近所の床屋には失礼だけど、その床屋のおじさんの出来栄えに勝るとも劣らない、丁寧さと大胆さが両立する素晴らしい仕上がりのように感じた雑誌や新聞、ネットの仕事でも大忙しの天才美容師の腕前は伊達ではなかったのだ。

 鏡を眺める僕の視線には、嬉しさと驚きが混ざる僕自身の表情と共に、コタローさんの自信満々な笑顔が映っていた。


 その後、席を移動した僕はコタローさんの手によって丁寧に髪を洗ってもらった。指先の程よい力加減が生み出す心地良さは、つい夢の世界へ誘われてしてしまいそうな程だった。

 そして、最後に僕は生まれて初めてワックスを塗ってもらった。

 見る見るうちにふんわりとした髪型が仕上がっていく光景を鏡越しに見る僕の瞳は、驚きと嬉しさで輝いていた。


「さあ、どう?『ファーストクラス』の髪形になったかしら?」

「……ありがとうございます!最高です!」


 こうして、この僕、和達譲司の髪形の『リニューアル工事』は、予想以上の成功に終わった。

 

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「譲司くん、素敵な髪型になったわね!見違えたわ!」

「あ、ありがとう……梅鉢さんも、とっても綺麗な髪だね……!」


 僕がコタローさんにヘアカットしてもらっている間、梅鉢さんも長い黒髪の手入れをしてもらっていた。今までもとても綺麗だったけれど、ヘアサロンでの『全般検査』を経てより美しさを増したように見えた。

 互いに褒め合う僕たちに、うちのスタッフは皆優秀だから、とコタローさんが自慢げに声をかけてきた。

 そして、会計を済ませた直後、そんなコタローさんが僕を店の奥へと誘った。

 一体なんだろうか、と思いながら、梅鉢さんをいったん待たせた上でついていった僕に、コタローさんはある資料と、掌サイズの小さな箱を渡してくれた。


「ジョバンニ君、これからはこの『ガイドブック』と『ワックス』を使って、たっぷりオシャレを楽しんでみなさい」

「えっ……こ、これって……!」


 少しだけ覗いたガイドブックには、どうすればより良い髪型になるか、普段どのようなケアをすれば格好良く美しい髪を保てるか、など、髪にまつわる様々な情報が事細かに記されていた。

 これを見て試してみれば、もっと素敵な男子になることが出来る――コタローさんは自信満々の笑顔で太鼓判を押してくれたけれど、僕は逆に恐縮してしまった。

 当然だろう、著名な美容師から直々に手ほどきを受ける機会なんて、僕の立場からすれば信じられないようなものだったからだ。それに、僕は冴えないし情けない男子。目の前にいる美形のスタイリスト、『住之江虎太郎』さんのように格好良くなんてなれるのだろうか。

 だけど、そんな縮こまってしまった僕を優しく見つめながら、コタローさんは素敵な男子になるための方法がもう1つある、と教えてくれた。


「今のジョバンニ君に一番大切なのは、『自信を持つ』事よ」

「自信……ですか……」

「さっきも言ったでしょう?貴方は素晴らしい人だって。自分だって格好良くなれるし、素敵な人にだってなれる。心の隅っこにでもそんな『自信』を持ち続ければ、どんな卑怯で卑劣な相手にもジョバンニ君は負けないわ。『有名人』な私のお墨付き、信頼しないわけにはいかないわよね?」

「……そうですね……すいませ……じゃなかった、ありがとうございます」


 つい普段の調子で謝りそうになった僕だけど、踏みとどまってしっかりと礼を言うことが出来た。この場で必要なのは、僕を信頼してくれるコタローさんへの感謝の言葉だからだ。

 そして、そんな僕に対して、コタローさんは最後に教えたい事がある、と悪戯気な笑みを見せてきた。


「さっき、タトラT3は『東側諸国』で作られた路面電車だ、って教えたでしょう」

「あ、はい……」

「ふふ……でも、その技術の基になったのは、『西側諸国』の中心・アメリカ合衆国の路面電車なのよ」

「……え、え!?」


 アメリカ合衆国と言えば、冷戦時代に西側諸国の中心として、東側諸国と様々な形で対立姿勢を見せ続けた超大国。それなのに、どうして東側諸国の標準型路面電車がアメリカの技術を使っているのだろうか?

 不思議がる僕に、コタローさんはこう言ってウインクをした。

 この店にまた訪れてくれたら、続きをたっぷり教えてあげる、と。


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「確かに奇妙な話よね……なんで『東側』のソ連やチェコスロバキアや東ドイツに『西側』のアメリカの技術を使っている路面電車が導入されたのかしら……」

「そうだよね。どういう事なんだろう……確かとても敵対していたよね……」

 

 帰り道、僕は梅鉢さんにコタローさんとのやり取りを教え、最後の奇妙な事実について語り合った。

 やはり梅鉢さんも答えは知らなかったようで、夕日に照らされる道に、不思議がる僕と梅鉢さんの影が映し出されていた。

 しばらく互いに無言で考えた後、話題を変えたのは梅鉢さんだった。

 

「コタローさん、やっぱり素敵な人だったでしょう?」

「うん。優しくて頼りになって、鉄道の話題も豊富で……」


 スタイリストとして、店長として、毎日大活躍しているのも納得の素晴らしい人だ、とコタローさんを褒め称えていた僕は、梅鉢さんの顔が普段よりもどこか嬉しそうなように見えた。

 どうしたのか、と尋ねた僕に、梅鉢さんはその表情の理由を教えてくれた。『特別な友達』である僕が楽しそうな様子を見て、どこか嬉しさや安心感を抱くことが出来た、と。


「やっぱり、譲司君は落ち込んだり悲しんでいたりしているよりも今の姿の方がとっても似合うと思うわ」

「あ、ありがとう……梅鉢さんも、素敵な笑顔だったよ……」

「え、本当……?なんだか照れちゃうわ……」


 でも、梅鉢さんはそれに続いて、本当のことを言うとちょっぴりと『悔しい』、と告げた。


「え……どうして……?」

「ま、まぁ……勿論、私の髪をケアしてくれた店員さんも素敵な人だったけれど、譲司君はコタローさんとタトラT3の話でとっても盛り上がったんでしょ?ちょっと羨ましいって感じで……」

「ああ、なるほど……こ、今度行った時、梅鉢さんもコタローさんに髪のケアをしてもらえば……」

「そこまで気を遣わなくても大丈夫よ。だって、次に来てくれた時に『タトラT3』の秘密を教えてくれる、って言ってたんでしょ?」


 私はその次で良いから、是非コタローさんに髪を切ってもらいつつ、この不思議を解き明かしてほしい――そう梅鉢さんに頼まれれば、断る訳には行かなかった。

 そして、同時に僕は、今後もコタローさんのヘアサロンのお世話になりそうになりそうな事を確信した。海外通の『鉄道オタク仲間』が待つ素晴らしい場所へ行くという、日常の新たな楽しみが生まれたのだから……。

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