第54話:ヘアサロンと路面電車

 梅鉢さんと一緒に『鉄デポ』で、スタイリストのコタローさんが経営するヘアサロンに予約を入れてから、あっという間に数日が経過した。

 久しぶりに外へ出た僕は、駅前広場で梅鉢さんと合流し、挨拶もそこそこに、駅に到着した電車に急いで乗った。


「うう……」

「大丈夫、譲司君?」


 最寄りの駅で降りた後、徒歩で目的地のヘアサロンに向かうにつれて、緊張する僕の感情が顔や体に現れてしまったようで、隣を歩く梅鉢さんが気遣いの声をかけてきた。

 心配はない、でも僕が行く所にしてはやっぱり若干場違いじゃないかと感じていただけ、と正直にその理由を話すと、梅鉢さんは不安を解きほぐすような優しい笑顔を見せてきた。


「確かにコタローさんのヘアサロンはテレビや雑誌によく取り上げられるわね。でも、近所の子供たちから年配の人まで色々な人が訪れる、とっても素敵な場所なのよ」

「そ、そうなんだ……」

「ええ。きっと『場違い』と言う言葉が一番似合わない場所かもしれないわね」

「な、なるほど……」


 梅鉢さんの優しくも自信あふれる言葉に、僕は少し勇気づけられた。そして、しばらく人並んで道を歩き続けた僕たちは、目的地のヘアサロン――ガラス張りの綺麗な外見をした建物に辿り着いた。

 扉の中に広がっていたのは、とても綺麗で落ち着いた雰囲気に包まれた店内。優しい音楽とゆったりしたソファーが、手続きを終えて順番を待つ僕と梅鉢さんを包み込んでくれた。


 ただ、僕たち2人の鉄道オタクの注目点はそういった雰囲気よりも、店の一角に飾られていた様々な物品、特にその中でひときわ目立つ鉄道模型だった。クリーム色と赤色に彩られ、どこか丸っこい外見をした、外国のものらしき路面電車。写真で何度も見た事があるけれど、僕も梅鉢さんもその詳細が思い出せなかった。

 どこかで見た事があるのは確かだけれど、正体がなかなか分からない。一体あの電車は何だろうか――そんな事を話し始めた時、僕たちは店員さんから順番が着たのを教えられ、店内に入る事になった。

 ここで梅鉢さんと一旦別れた僕は、少し緊張しながら自分の席へと向かった。


「ふふ、いらっしゃい、ジョバンニ君。よく遠い所から来てくれたわね♪」

「あ、こ、こんにちは……」


 そこで僕を待っていたのは、ふんわりした少し長めの髪型に優しげな表情、すらりとした体形にどこか女の人と間違えそうなほどの美貌を持つ、このヘアサロンの店長であるコタローさんこと『住之江虎太郎すみのえ こたろう』店長だった。

 この店にやって来るのを心待ちにしていた、と笑顔で語るコタローさんに感謝の言葉を返しつつ、僕は席に座ろうとした。

 ところが、ふと横を見た時、僕はつい驚きのあまり声をあげてしまった。コタローさんと共に働いている店員の皆さんが多数集まり、注目の視線を浴びせていたからだ。


「ちょ、ちょっとみんな何をやってるのよ!」

「す、すいません店長!」「店長のヘアカットを是非参考にしたくて……!」「わ、私もそうです!」

「もう、見世物じゃないのよ!お客さんが驚いちゃってるじゃない」


 早く持ち場に戻りなさい、と慌てて店員さんたちを注意したのち、コタローさんは僕に迷惑をかけさせたようで済まない、と謝ってきた。

 勿論僕は驚いたものの全然気にしておらず、それ以上にコタローさん、いや虎太郎店長の凄さを認識する事が出来た。

 様々なテレビや雑誌、ネット記事で紹介されるだけあって、沢山の人たちの尊敬を集め、皆の憧れになっている。僕には全然足元にも及ばない程に、コタローさんは凄い人だ。

 ただ、そう思ってしまうと再度僕の体に緊張が走ってしまった。当然だろう、そんな注目を浴びる逸材に、今から髪を切ってもらうのだから。

 そのせいで、僕はどんな髪型が良いか、と尋ねるコタローさんの質問に、具体的な答えを返すことが出来ず、しどろもどろになってしまった。


「あら、もしかして悩んじゃっているかしら?」

「あ、す、すいません……」

「いいのよ。だったら、私に任せてみる?」

「コタローさんに……?いいんですか、僕の髪を……」

「勿論!私の手にかかれば、ジョバンニ君を『ファーストクラス』の髪形にするなんて造作ないんだから♪」

「……ありがとうございます。じゃ、じゃあそれでお願いします……」


 そして、僕の髪形の『リニューアル工事』は、名スタイリストのコタローさんに託される事となった。


 ただ、ヘアカットが始まってから、僕は困った事実に気が付いた。


「……なるほど、ジョバンニ君、なかなか良い髪質してるじゃない」

「ありがとうございます……」


 時々コタローさんが様々な話題を振りかけてはくれているものの、それ以上の会話が続かないのだ。

 髪を切る音だけが響く中で、僕は少しだけ焦りを感じてしまった。これでは、前に行っていた不愛想な床屋さんと全く同じ気まずい状況と同じだ。それに、折角話を持ち掛けてくるコタローさんに対しても申し訳ない。

 何とか会話を続けないと、と考えた僕は、先程見た鉄道模型の事を思い出した。そして、気付いた時には僕の口から、あの鉄道模型のモデルになった路面電車の事を尋ねる言葉が飛び出していた。

 そして、しばしの沈黙の後、返ってきたのは――。


「……流石ジョバンニ君!あの鉄道模型をちゃんと見てくれたのね!嬉しいわ!」


 ――先程までの穏やかで優しい口調とは一変した、猛烈な嬉しさを隠せない、美形スタイリストのコタローさんの中に眠る『鉄道オタク』の血が騒ぐような興奮の声だった。

 そして、ここから僕の耳に入ってきたのは、コタローさんが語る鉄道模型のモデルになった電車、『タトラT3』の解説だった。


 タトラT3は、僕が生まれるずっと前、チェコスロバキア――今のチェコとスロバキアにあたる国で作られた、『タトラカー』と呼ばれる路面電車の1形式。

 『タトラカー』というのは、製造メーカーの『ČKDタトラ』に由来する、非公式の通称だ。


「ジョバンニ君、『冷戦』は知ってるわよね?授業で習ったかしら?」

「はい。確か、国の形態や思想の違いなどで起きた対立で、日本やアメリカ、イギリス、西ドイツなどが『西側諸国』、ソ連や東ドイツ、チェコスロバキアとかが『東側諸国』……でしたっけ」

「流石、よく覚えているわね。その中で、タトラT3を含むタトラカーは東側諸国の標準型車両としてつくられた経歴を持つの」


 元々、タトラカーはチェコスロバキアの路面電車の近代化を目的に開発された電車だったが、当時のチェコスロバキアを含む東側諸国の国々は、各国で計画的に役割分担を行う、西側諸国が『コメコン』と呼んでいた計画経済を採用していた。

 そしてタトラカーは東側諸国の標準型路面電車に選ばれ、チェコスロバキアのみならず他国へも導入される事になった、という。


「その中でも、タトラT3は一番多く製造された電車で、製造数は14,000両以上にもなるのよ」

「い、14,000両以上……ですか!?路面電車でそんな数が……」

「それだけ需要が各国で高かったのよ。特にソ連が物凄い数のタトラT3を注文していて、1万両以上があちこちの都市に導入されたって言われているわ」

「さ、流石東側諸国の中心ですね……」


 制御装置やモーター、台車の構造こそ古いけれど、ずんぐりした姿や丸いヘッドライトが可愛らしく、それでいて少しの設計変更だけで様々な条件に対応した、まさに路面電車の優等生。

 当時の東側諸国の情勢もあるけれど、それを抜きにしてもなおタトラT3が世界を代表する路面電車なのは間違いない、とコタローさんは自信満々に語った。


「それにね、ČKDタトラの工場があったチェコの首都・プラハの人たちは今もタトラT3を大事にしていて、車体をリニューアルした時にもわざわざ全く同じデザインの前面形状や塗装にしたほどなのよ。しかも、最近はタトラT3の塗装を基にしたデザインが、プラハの公共交通機関の新塗装のモチーフになっているそうね」

「へぇ……つまり、タトラT3はプラハの走るシンボルなんですね……」

「ふふ、まさにそうかもしれないわ♪」


 路面電車1つでも、世界情勢やお国柄など様々な情報がぎっしり詰まっている。まるで色々な事を一気に勉強したようだ、と感想を述べた僕に、コタローさんは自信満々に語ってくれた。

 たった1つのコンテンツだけであらゆる事柄が学べるのも、『鉄道趣味』の醍醐味だ、と。


 そういえば、前に『鉄デポ』の皆も、コタローさんから同じ言葉を聞いた事があると語っていた。

 これを改めて本人の口から聞くことが出来た僕は、自分が『鉄道オタク』である事への嬉しさ、自信、そして奥深さを感じることが出来た……。

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