第53話:デートじゃありません!

『さて、だいぶ落ち着いたところで話をちょっと変えたいんだけど、みんな大丈夫かな?』


 そう言って、僕を含んだ『鉄デポ』のプライベートルームの面々に同意を求めたのは、恐らくこの中で一番の年長と思われる教頭先生だった。勿論、梅鉢さんによる教室の現状、それに対する皆の思いを共有する事が出来た僕たちは全員賛同の意志を示した。

 すると、教頭先生は僕の名前を呼び、最近はどう過ごしているのか、何か困った事は無いか、と優しい声で尋ねてきた。僕のいじめ問題に巻き込んだ以上、梅鉢さんだけではなくここにいる仲間にも僕の現状をしっかり共有してもらう事は欠かせないようだった。


「えーと……困っている事は特にないですね……最近は……鉄道の本を読んだり、DVDを鑑賞したり、ネットで情報を収集したり……」


 後は、時間が空いている時に無事だった教科書やノート、参考書を持ち出して自習を行っている、と語ると、既にこれらの事を電話で毎日把握していた梅鉢さんが嬉しそうに言葉を付け加えてきた。『ジョバンニ君』はとても真面目で偉いから、休みの間でも教師に頼る事なくしっかり自らの力で勉強している、と。

 そんなに凄い事なのだろうか、と恐縮した僕に、プライベートルームに居る皆――ナガレ君、幸風さん、それにコタローさんが誉め言葉を送ってくれた。


『凄い事っすよ、ジョバンニ君。俺なんて絶対にサボりそうなのに!』

『あたしもだよー。勉強するって発想がまず浮かびそうにないね』

『ふふ、意識しないと知らない分野は触れる機会が少ないものね。ジョバンニ君は勇気があるわ』

「そ、そうですか……ありがとうございます……」


『うんうん、私も素晴らしいと思うよ。立派で格好良い教頭として日々大活躍している私が言うのだから間違いない!』

『自分から「立派で格好良い」って言っちゃうんすね……』

『ふふーん、私は立派で格好いいと学校でも評判だからねぇ!』


 先程までの真剣なムードとは違う、どこか愉快な雰囲気を醸し出しつつナガレ君たちに突っ込まれる教頭先生の様子に少しだけ笑みがこぼれた時、僕の手が自然に前髪を触れていた。ここ最近色々と環境や状況が変わる中で、自分の体の変化に対して若干無頓着だったことに、ようやく気付いた。


「……そういえば、困っている事、あるかも……」

『え、どうしたのジョバンニ君?』

「い、いや、大したことじゃないけれど……最近、髪が伸びてきて、少し気になってきたかもしれない……です……」


 その事を正直に告げると、皆はその話題に乗ってきてくれた。確かに髪は気づかない間に伸びてしまうものだ、気付く前に予約を入れるのが快適に暮らせるコツかもしれないけれどいつも忘れてしまう、などなど、様々な事が話されている中で、ふと幸風さんがある事を述べた。


『それだったらさ、コタローさんとこの店で髪切ってもらえばいいんじゃない?』

「え、え……!?」


 驚く僕の一方、そのコタローさんの方はとても嬉しそうな声をあげていた。

 各方面で人気のスタイリストとして活動している、オネエ口調のコタローさんは、自身が経営しているヘアサロンで沢山の従業員の人たちと共に大忙しの日々を過ごしている。普通なら予約をするだけで大変らしいけれど、偶然・・にも今週末の午後、丁度良い時間に空きがある、と語ってくれたのだ。しかも、その時間に予約を入れてくれれば、店長であるコタローさん自身が髪を整えてくれる、というのである。


『ふふ、ジョバンニ君が来てくれるのなら私は大歓迎よ。鉄道の話もいっぱいしたいものね♪』

「う、うーん……」


 その誘いに、僕は少しづつ興味を抱き始めた。

 確かに、僕には今まで家の近所にある床屋でいつも髪を切って貰っていた。でも、ここ最近は床屋の人と会話が弾まず、かといって事務的な会話だけはしっかりと行っているという、非常に気まずい状況になってしまっていた。何故なのか理由が分からないのも、床屋へ行く事に対しての不安感に拍車をかけてきた。

 それならば、いっそコタローさんのヘアサロンに行けば、髪も綺麗に整えてくれるばかりではなく鉄道の話でも大いに盛り上がれるのではないか――そう考えた僕だけれど、一方で尻込みしてしまう要素も幾つかあった。値段が若干高くなりそう、というのもだけれど、勝手に髪を切る行きつけの店を変えるという事に、若干不安な気持ちが沸いてしまったのだ。


 すると、そんな僕を後押ししてくれるかのように、梅鉢さんがある提案をした。


『それだったら、私もジョバンニ君と一緒に行ってもいいかしら?折角だから、私も髪の手入れをしてもらいたかったのよ』

「え、うめば……じゃない、彩華さんも?」

『あら~、素敵じゃない!丁度2人分の予約が空いてるから、全然オッケーよ!』

『本当ですか!?ありがとうございます!』

「あ、あれ、つまり……僕と彩華さんが一緒に行くっていう……事!?」


 ジョバンニ君が大丈夫ならそういう事になる、と梅鉢さんが語った途端、ナガレ君や幸風さんが嬉しそうに僕たちをはやし立てた。


『おー、つまり久しぶりのデートっすね、デート!』

『いいね~、ヘアサロンへ2人で行く!良い感じのデートじゃん、彩華にジョバンニ君!』

『うんうん、素晴らしい関係。まさに青春だねぇ♪』 

『で、デートって……!そんな大げさな話じゃなくて……!』

「そ、そうですよ……髪を切りに行くだけだから……!」


『まあまあ、とにかく来てくれるのならとっても嬉しいわね。値段とか、気になる点があったら、今から送信するURLを見て確認してね。お金が心配でも、学割で安くなるはずだから安心していいわ』

「は、はい……あ、ありがとうございます……!」


『という事で、ジョバンニ君……一緒に行く?』

「う、うん……!」


 梅鉢さんまでコタローさんのヘアサロンに行く決定をするとなれば、僕も怯えてばかりはいられない。

 僕は皆が聞いている前で、はっきりと意思決定をした。当然だけど、それに対して批判や誹謗中傷が飛んでくる事は無かった。

 ここはあの地獄のような教室ではない。僕の趣味を理解してくれる人たちが集まる隠れ家なのだから。


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「なるほど……この店で髪を切りたいのね」

「う、うん……」


 そして翌日、僕は『鉄デポ』のプライベートルームで決定した内容を、事後報告と言う形で父さんや母さん――僕の散髪代を負担してくれる2人へ伝えた。

 コタローさんのヘアサロンの場所は、今まで言っていた行きつけの床屋とは違い、電車で数駅先の場所。今までよりも遠い所になってしまうけれど、ここならきっと僕の髪をより綺麗に切ってくれるだろう、と僕は何とか拙い言葉でプレゼンを行った。今までの床屋に、どこか居場所の悪さを感じていた、という正直な思いを含めて。


「しかし、こんな人気の店、予約とか大丈夫なのか?」

「う、うん……聞いてみたら、丁度空いている良い時間があるって……」

「値段も、学割を使えば今までの床屋とあまり変わらないのね」

「あ、本当だ。高級そうなヘアサロンなのに優しいな」

「そ、そうだね……」


 そして、改めて僕は、この場所に言って良いかどうか、父さんや母さんに尋ねた。

 しばらくの静かな時間の後、2人が下した回答は――。


「……勿論、大丈夫だぞ」

「行ってきなさい、譲司」


 ――僕の提案を全面的に受け入れてくれる、と言う最良のものだった。


「あ、ありがとう……!」


「ふふ、それに譲司、最近外出せずに家に籠りっきりだったじゃない?」

「あ、確かに……」

「このヘアサロンのような『新しい場所』で新鮮な気分を味わうのも、心に良い効果をもたらすかもしれないぞ」

「父さん……そうかもしれないね……」


 そして、嬉しさからくる勢いで、僕はもう1つ、父さんと母さんに重要かもしれない要件を伝えた。

 今度の週末、僕は梅鉢さん――『特別な友達』と共にそのヘアサロンへ向かう、という事を。


「おぉ、つまりデートって事だな!」

「だ、だからデートじゃなくて……そ、その……」

「照れなくてもいいぞ、譲司!しっかりヘアサロンで格好良くなって、『特別な友達』をうっとりさせて、そのまま良いムードで……」

「父さん、言い過ぎよ。譲司がすっかり茹でだこになってるじゃない」

「ああ、これは失礼……」


 母さんに言われてしまう程、その時の僕は全身が気恥ずかしさやら何やら、様々な感情で真っ赤になってしまっていた。

 でも、恥ずかしいからそれ以上はやめて欲しい、という思いはあっても、憎しみや怒りといった感情は一切起きなかった。父さんも母さんも、様々な方法で僕を応援してくれている事を、今日も改めて認識できたのだから。


 こうして、学校を休み続ける生活を過ごしている僕に、新たな楽しみが加わろうとしていた。

 あと少し待てば、久しぶりに梅鉢さんと出会い、コタローさんの散髪の腕前を堪能する事が出来る――。


「譲司、週末が楽しみだな」

「……うん!」


 ――こうして、僕は来たる週末に思いを馳せた……。

 

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