第52話:恐れていた標的

 様々な人たちからの助言を受けて僕が学校に行かないという選択をして以降、ひとりぼっちであの学校に通う事になった梅鉢さんは、誰も寄せ付けない『絶対零度の美少女』として過ごしつつ、唯一の憩いの場である図書室を訪れては、数少ない理解者であるおばちゃんと語り合う日々を過ごしていた。

 図書室を担当しているおばちゃんの方は変わらず元気で、僕が学校に行かない事にした旨についても全く気にせず、むしろ良い判断だと褒めていた、と梅鉢さんは僕や『鉄デポ』の皆に語ってくれた。あの優しく頼もしいおばちゃんには、これからも頭が上がらないだろう、と感想を述べながら。


 一方、大きな問題が起きていたのは、僕が懸命に通い続けていた、あの教室の方だった。

 あの日以降、梅鉢さんは時間を見つけてはクラスに足を踏み入れ、僕がいなくなって以降のクラスの様子を観察していた。たまに色々と『余計な声かけ』をする生徒もいたけれど、梅鉢さんはそんな面々をずっと無視し続けていたという。

 ところが、そんな状況が続く中で、今日も今日とて教室の様子を観察しに訪れた梅鉢さんは――。


『なにこれ……』


 ――つい、そう口に出したくなるような光景を目撃してしまった。

 『祝!鉄道オタク○刑』『犯罪者には○あるのみ!』『ざまあみろ鉄オタ』『さようなら鉄道オタク号』『安らかに地獄へ逝ってください』――机の上にびっしりと寄せ書きのように描かれた『落書き』の中心に、綺麗な花瓶とその中に入れられた1輪の花があったのだ。

 これが意味している内容は、話を聞いていた僕たちでも嫌と言う程認識できた。

 クラスが一丸となって、『鉄道オタク』である僕を亡き者――既にこの世からいない存在として扱っていた、という事だ。


 あまりの悪趣味ぶりに絶句した梅鉢さんは、近くにいたという稲川君――僕をいじめ続ける面々の中心にいた、この学校の理事長の息子へ向けて花瓶を投げつけかけたけれど、何とかそれを我慢して、花瓶だけでもここから持ち去ろうとした。

 その途端、梅鉢さんの耳に、このクラスの女子による碌でもない言葉が入ってきた。 

 

『うわ、梅鉢さん、勝手にあたしたちの「おもてなし」を壊そうとしてるよ~』

『やっぱり稲川君の言う通り、鉄屑オタクに気があったんだね~』

『前からずっと陰キャだと思ってたら、好みも陰キャなんだ~、見た目だけ綺麗でも中身はキモいね~』

『ね~、常識的に考えて趣味を疑うよ』


 そして、その女子たちに視線を向けようとした時、梅鉢さんの視界に絶対入って欲しくなかった存在が映ってしまった。

 梅鉢さんの顔を見つめ、まるで獲物を狙う肉食獣のように歪んだ笑みを作る、稲川君の姿を――。


『うぅわクソ!!マジクソじゃないっすか!!!』

『幾ら何でも酷すぎない!?ジョバンニ君が通ってた時よりもヤバいんですけど!!』


 ――梅鉢さんの現状報告を聞いて、真っ先に怒りと憤りの声を上げたのは、今回プライベートルームに来訪してくれた面々のうち、動画配信者のナガレ君とモデルでインフルエンサーの幸風さんだった。

 

『これいじめを通り越して犯罪っすよ犯罪!!最悪じゃないっすか!!』

『一線越えたよねこれ……ジョバンニ君の人権侵害してるじゃん』


 以前から僕のいじめに対して声を荒げてくれる2人は、今回の報告を受けて更に義憤の思いが増しているようだった。

 コタローさんが落ち着きなさい、今ここで怒ってもどうしようもないわ、と抑えてくれなければ、ますます怒りの言葉を述べ続けていただろう。


『……そうっすよね……でも、幾ら何でも「死んだ扱い」ってのは……!!』

『確かに、大きな問題だね』

『教頭先生……』


 皆の話をじっくり聞いていた教頭先生もまた、落ち着いた口調だけれど、これはあまりにも悪質なケースだ、と語った。机に花が入った花瓶が置かれ、その周りに寄せ書きのように僕の『死』を喜ぶような声を書き記す、というものは、いじめの中でもあまりに酷い部類だ、と。


『それに、彩華さんが確認するまでずっと花瓶も落書きも放置されていたというのは、担任の教師も全く注意していなかった、もしくは無視していた、という事だ。これは、教師自身もいじめに加担していた、と指摘されてもおかしくない状況だね』

『確かに、そうかもしれません……』

『聞けば聞くほど胸糞悪いっすね……ジョバンニ君、やっぱり行かなくて正解だったっすよ、あんな最低な学校!!』

『ナガレ君の言う通りだよ!あんな学校、潰ればいい……あれ、ジョバンニ君……?』

『……ジョバンニ君……大丈夫……?』


 そして、ずっと黙ったまま、皆の話に耳を傾けていた僕は、心の中で罪悪感が沸き上がっていた。

 当然だろう、僕がずっと恐れていた事態が、とうとう起きてしまったのだから。

 それは、僕が死んだ扱いになっていたという事ではない。情けない僕のちっぽけな命なんて、『特別な友達』のためならいくらでも投げ出す覚悟があるのだから。

 でも、その『特別な友達』が、クラスの女子から明確に悪口を言われる、つまり新たないじめのターゲットにされ始める兆候が見られた、という事実だけは、どうしても耐える事が出来なかった。

 僕が学校を1人で休み、ぐうたらしているせいで、梅鉢さんが悪口を言われ、稲川君に笑顔を向けられるという、最悪の状況に追い込まれ始めてしまったのだから。


「ごめん……ごめん……ごめんなさい……!!」


 気づいた時、僕は大声で謝罪していた。


『えっ……ジョバンニ君……?』

「ぼ、僕のせいで……うめば……彩華さんが……悪口を言われて、いじめの首謀者に目を付けられて……!」

『落ち着いて、ジョバンニ君。私は別に何も……』

「ううん、僕がぐうたらや住んでいる間に、こんなひどい仕打ちを受けているなんて……『特別な友達』がそんな事になっているのに、僕は何も出来なくて……!」


『ジョバンニ君!あなたは悪くない!何も悪くないわ!』

「……こ、コタローさん……!」


 あっという間に自己嫌悪に陥りかけた僕の心に緊急ブレーキをかけてくれたのは、喝のような大声を張り上げたコタローさんだった。


『ジョバンニ君、心配する気持ちは痛いほど分かるわ。でも、彩華ちゃんはどう思っているのかしら?』


 この僕=ジョバンニ君が考えるほど、『彩華ちゃん』と言う存在は弱いのか。いじめに対してすぐ屈してしまう程、か弱い存在だっただろうか。

 ちょっぴり厳しめ、でも愛がこもったコタローさんの声に、僕は目が覚めたような思いを感じた。

 僕は、自分の心の中で思い描いた空想の『梅鉢彩華』という存在の事だけを思い続けてしまい、パソコンの画面の向こうに確実にいる本物の『梅鉢彩華さん』の本当の心はどうなっているか、という所まで考えていなかったのだ。

 そして、コタローさんの言葉が正しい事を示すように、梅鉢さんは力強く、僕を励ましてくれた。


『大丈夫よ、じょう……じゃなかった、ジョバンニ君。趣味だけで人を蔑むような面々に負けるような私じゃないわ。知ってるでしょう?私は「絶対零度の美少女」になることが出来るって』

「う、うん……」

『私の事を思ってくれるのは嬉しいわ。でも、ジョバンニ君はまず「ジョバンニ君」自身を真っ先に大事にして欲しいかな』

「ぼ、僕自身……」


 続けて、教頭先生も言葉を続けた。まるで、梅鉢さんやコタローさんの言葉を纏めるかのように。

 

『「特別な友達」なんだから、心配するのは当たり前。でも、友達の言葉や行動を信じるのも、大事だよねぇ』

「……そうですよね……ありがとうございます……」


 友達の事を思うがあまり、大切な事を忘れて暴走しかけてしまう。形は違えど、僕もまたナガレ君たちと同じような事をやってしまったのかもしれない。このプライベートの中で、また1つ僕は新たな反省と教訓、そして知識を得ることが出来た。自然に口から出た感謝の言葉は、それを皆に示したいという思いから出たのかもしれない。


『でも、彩華も絶対無理しちゃだめだよ。「絶対零度の美少女」でも、粉々にぶっ壊れたら終わりなんだから』

『その通りっす。ジョバンニ君に心配かけすぎってのもダメダメっすよ』

『それもそうね。私も、我慢の限界って時には、ジョバンニ君たちに告げ口のような事をしちゃうかもしれないわ……』

『ふふ、それが一番心にも体にも良いわよ』

「ぼ、僕で良ければ、いつでも相談に乗るよ。うめ……彩華さんは、『特別な友達』なんだから……」


 『鉄デポ』内に設けられたプライベートルームの中に、今度は梅鉢さんからの『ありがとう』の声が各地に転送された。

 改めて、僕は素晴らしい仲間と出会えた事に心の中で感謝した。単に鉄道について語り合ったり賑やかに語り合うだけではなく、人生において大切な指針、重要な物事も教えてくれる人たちが、この場に集ってくれているのだ。

 それも全て、梅鉢彩華さんと言う存在と出会った事から始まった。そして、梅鉢さんは今、僕とは別の形で学校と言う地獄に立ち向かおうとしている。

 僕の方も、出来る限り支えになりたい。勿論、無理しない範囲で――僕は決意を新たにした……。

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