第47話:ぐうたらな1日

 学校に行かなくても良い――父さんや母さん、図書室のおばちゃん、そして梅鉢さんと、多くの人たちからアドバイスを受けた翌日、僕はそれに従い、平日、平熱にもかかわらず、家の中でのんびりと過ごす事にした。

 朝起きた時は既に午前10時過ぎ、テレビも既に朝のワイドショーが終わっている時間。

 それなのに母さんから注意も受けず、それどころか安心したような表情で朝の挨拶をかけられるというのは、どこか不思議な気分だった。


「どう、昨日はよく眠れたかしら?」

「う、うん……おかげさまで……」

「それは良かったわ」


 母さんが用意してくれた美味しい朝ご飯を食べた後、僕はリビングに鉄道の本を何冊か持ち込み、座椅子に座ってのんびりと読みふけった。

 勿論、どれだけ本に夢中になろうが、どれだけだらしない恰好をしようが、母さんが口を挟む事はなかった。

 そして、気付いた時には時計の針は昼を過ぎ、午後1時になっていた事を告げていた。

 少し遅めの昼食は、母さんが作ってくれた美味しいカルボナーラパスタだった。


「美味しい……美味しいよ、母さん」

「ふふ、ありがとう。譲司が美味しそうに食べてくれるのを見ると、母さんも嬉しいわ」

「うん……いつか僕も、梅鉢さんと一緒に母さんの料理を食べることが出来たら……」

「梅鉢さん?」

「え!あ!あ、その……」


 つい友達の名前が口に出てしまった事に慌てながらも、僕はきょとんとする母さんに梅鉢さん――僕をずっと支え、助けてくれている『特別な友達』の事をある程度説明する事が出来た。梅鉢彩華さんが、僕と同じ学校に通っている女子生徒だという事も含めて。


「ふふ、父さんの言う通り、譲司の『特別な友達』っていうのは素敵な女の子だったのね」

「う、うん……で、でも恋人とかそう言うのじゃ……!」

「勿論、承知済みよ。男女の間のつながりは恋愛ばかりじゃないっていうのは私も納得してるわ。その梅鉢さんっていう子が、譲司の事をとっても大切に思っているっていう事もね」

「う、うん……ただ、ちょっと心配だな……」


 母さんの優しく頼もしい言葉を聞いていると、僕は自然に心に思った事が口に出てしまうようで、僕がいない学校に1人登校している梅鉢さんの事を心配に思う感情もそのまま言葉となっていた。

 確かに昨夜、梅鉢さんは心配しないで欲しい、自分の体や心を優先して欲しい、と言ってくれた。でも、やはり『特別な友達』をあの地獄のような環境――鉄道オタクが忌み嫌われる場所に放置しておくのは、どこか不安な部分があったのだ。


「なるほど……譲司は昔から、他人をよく気遣う事が多かったものね」

「うん……」

「でも、あまり気遣い過ぎると、逆に相手の方が心配になってしまう事もあるわ。それに、『大丈夫』って力強く言ってくれた、梅鉢さんの事を信じてあげるのも、『特別な友達』の大切な役割なんじゃない?」

「大切な役割……」


 母さんの言葉の意味も、しっかり理解できた。僕自身がここで怖気づいたり怯えたりし続けていると、ますます梅鉢さんの方にも迷惑をかけてしまうし、梅鉢さんが折角伝えてくれた『大丈夫』という意志を裏切ってしまう事になる。

 でも、それでも心の中に生まれた不安はなかなか消えなかった。梅鉢さんはずっと『絶対零度の美少女』として様々な視線に耐え続けていた。それが、僕のためにより深刻な状況に陥ってしまう時、一体どうなってしまうのだろうか。


「……ごめん、やっぱり心配かもしれない……」

「……譲司はいつも優しいわね。そんな譲司と友達になれた梅鉢さんは、とっても幸せだと思うわ」

「そ、そうかな……?」

「当然よ。譲司は私たちの大切で特別な息子だもの!」

 

 結局、昼ごはんのパスタを食べ終えるまでに、不安に対する明確な回答を自分の中で見つける事は出来なかった。

 でも、そんな僕でも母さん、そして父さんはずっと応援してくれている。その事を改めて知れたのは、とても有意義なことかもしれなかった。


 母さんに代わって皿を洗い終えた後の時間、僕は自室に戻ってパソコンを操作し、鉄道のDVDをのんびりと鑑賞する事にした。

 折角購入したのにまだ見ていなかった、いわゆる『積みDVD』が僕の部屋には多数存在したからだ。存分に視聴できるこういう機会をたっぷり活用しないと、と意気込んだ僕は、色々なジャンルの映像を思う存分楽しんだ。


 そして気付いた時、時計が示していたのは下校時間だった。普段なら地獄を乗り越えた事に安堵しながら梅鉢さんと一緒に家へ向かって歩いているはずの時間だけれど、今日は梅鉢さんたった1人だけ。

 DVD鑑賞でつい忘れていた不安の心が蘇り始めてしまった時、僕のスマホがその梅鉢さんからの着信を示す音色を鳴らし始めた。


「も、もしもし!だ、大丈夫だった……!?」


 いきなりそう尋ねてしまった僕だけど、電話口の向こうから聞こえる声は、至って普通の、明るく頼もしいものだった。


『大丈夫、譲司君が気にする事は何もなかったわ。もしかして、今日ずっと心配してくれたの?』

「あ、そ、その、ご、ごめん……」

『なんで謝るの?むしろ、私はありがとう、って思っているわ。そんなに私の事を思ってくれたんだもの』

「そ、そうか……良かった……」


 梅鉢さん自身が『何事もなかった』と語るのならば、僕としては信じる以外に道はなかった。勿論悪い事ではなく、安堵の思いも籠った良い事だ、と僕は感じていた。

 そして、梅鉢さんの方からも何をして過ごしたのか尋ねてきたので、僕は正直に今日1日のぐうたら生活ぶりを語った。母さんが作った朝ご飯や、昼ごはんのカルボナーラパスタがとても美味しかった事も含めて。


「いつか、梅鉢さんと一緒に母さんの料理を食べたいな、なんて……」

『そうよね。譲司君の話を聞くたびに、私もお母様の手料理を食したくなってくるのよね……絶対チャンスを見つけて、一緒に食べましょう』

「う、うん……!」


『ところで、話は変わるけれど……』

「ん、どうしたの……?」


 真剣な口調に変わった梅鉢さんが伝えたのは、昨晩電話で話した一件――僕が受けたいじめを『鉄デポ』の皆にも伝える、という件だった。

 色々と悩んだ僕だけれど、梅鉢さんの後押しを受け、皆にも正直に、アレな言葉で言うと『チクる』事に決めたのだ。

 でも、その後に続いた梅鉢さんの言葉を聞いて僕は驚いた。まさか、その『皆にチクる』日が、今日の夜――夕ご飯を食べた後の時間帯になるとは、思いもよらなかったからだ。


『私も驚いたわ……あの後、皆に急いで連絡したんだけど、今日の夜に偶然・・空き時間が合致したのよ』

「そ、そうだったんだ……あ、ありがとう、夜遅くなのに連絡してもらって……」

『その点は心配しないで。私が勝手に「急を要する事態」だって思ったから』


 梅鉢さんが連絡をしたのは、僕が初めて『鉄デポ』にログインした時、会話に加えてくれた面々。

 モデル業を営むギャルの幸風サクラさん、イケメン動画配信者の飯田ナガレ君、人気アイドルとして活躍中の美咲さんに、軽便鉄道とVTuberの大ファンだというトロッ子さん。そして、人気のスタイリストなコタローさんに、どこかの学校の教頭先生――この6名だ。

 皆それぞれの生活や職業で忙しいにもかかわらず、本当に偶然にも今日の夜、『彩華』こと梅鉢さんも含めて『鉄デポ』に全員集合してくれる事になったのだ。

 

『……ごめんなさい、ほとんど私が決めてしまった事なんだけど……譲司君、大丈夫かしら……?』


 無理なら構わない、皆もきっと怒ったりはしないはずだ、と梅鉢さんは優しくフォローを入れてくれた。

 

 確かに、驚きと同時に若干の怯えが無かったわけではなかった。こんなにたくさんの人へ向けて、一気に『いじめ』を伝えて、本当に全員に納得してもらえるのか、僕の下手な説明で大丈夫なのか、という思いがあった。

 でも、今の僕は昨日の昼までの僕とは違う。梅鉢さんを始めとする多くの人たちへ『頼る』ことの大切さ、その行為が決して恥ずかしくないという事を学んだのだ。

 それに、もしかしたらこのチャンスを逃したら、全員に真実を伝える事は出来なくなるかもしれない。そんな貴重な機会を逃して、良いのだろうか。


「……梅鉢さん、ありがとう。みんなを巻き込んでみるよ……」


 誰かの手を借りるのも、大切だから。


 僕の口から自然に漏れたその言葉を聞いたであろう梅鉢さんから、安堵の笑い声が聞こえてきた。


『……そうね。分かった、夕ご飯を食べた後、また「鉄デポ」で会いましょう。大丈夫、みんな譲司君の頼もしい仲間よ』

「……ありがとう……」


 そう返事をしたタイミングで、母さんから父さんが帰宅した事、夕食が既に完成していていつでも食べる準備が出来ている事を示す声が聞こえてきた。

 少し緊張していたけれど、僕は不思議と勇気のような感情が沸いていた。


 梅鉢さんの言う通り、僕にはたくさんの仲間がいるはず。昨日と今日を境に、何かが大きく変わるかもしれない。

 そのような思いを胸に、僕は一旦通話を切り、自室を後にした……。

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