第44話:友達取扱便・自宅行き

 夕陽が街の向こうに沈もうとしている頃、僕たちも午後のひと時を過ごした図書室を後に、家へ帰る事にした。

 でも、そのまま正門へ向かい、いつも通りの道を辿ろうとした僕を、梅鉢さんがちょっと待って、と呼び止めた。


「ど、どうしたの、梅鉢さん……?」

「もしかしたら、このまま帰り道を辿るのは危険かもしれないわ」

「えっ……」


 一瞬どうしてなのか分からなかった僕だけど、梅鉢さんが続けた言葉を聞いて納得した。

 教室で罵声を並べ、廊下へ逃げ出した僕を追いかけ、図書室まで押しかけて散々探しまくった、稲川君たち僕をいじめるクラスの生徒たち。見つからなかったとしてすんなり諦めるとは到底思えず、正門や帰り道のどこかで待ち伏せをして、復讐を企んでいる可能性が高い。そうなれば、僕だけではなく梅鉢さんまで大変な目に遭うかもしれないのだ。


「……た、確かに……で、でも、どうすれば……」


 僕が困惑の声を出した時、梅鉢さんは堂々とした表情で、心配はない、と語った。


「こういう時に備えて、譲司君の荷物を取りに行った帰りに連絡・・を取っていたのよ」

「れ、連絡……?」

「そう。いつもお世話になっている『あの人』にね。もうそろそろ到着しているはずかしら?」


 そう言いながら、梅鉢さんは僕をこの学校の『裏門』へと案内した。

 滅多な事で開かないはずの場所だけど、不思議な事に僕たちが到着した時、門は僕を待っていたかのように開いていた。

 そして、その外には、梅鉢さんが好きな気動車・キハ58系の赤色に似た色で塗られた自家用車と、その横で待つ1人の女の人がいた。

 梅鉢さんよりも一回り年上のような風貌をした、長い黒髪を後ろで1つに結っている、スタイルも顔つきも綺麗なお姉さんだ。


「ごめん、待たせちゃったかしら?」

「いえ、心配は要りません。お……彩華さん」


 梅鉢さんの事を『彩華さん』と下の名前で呼ぶ、という事はそれなりに親しい仲なかもしれない。一体この美しいお姉さんはどんな人なのだろうか、と気になった僕に、梅鉢さんは嬉しそうな笑顔と共に教えてくれた。この人こそ、今日のお昼に梅鉢さんが用意してくれた美味しい弁当を一緒に作ってくれたという、『いつもお世話になっている人』なのだ。

 梅鉢さん曰く、小さい頃からこのお姉さんには色々と助けてもらっており、実の姉や母のように頭が上がらないという。


「そ、そうなんだ……は、はじめまして!ぼ、僕は……」

「和達譲司さん、ですね。彩華さんから詳しい話を聞きました。これまでの心労、お察しいたします」

「あ、ありがとうございます……あ、あと、弁当とても美味しかったです……!」

「どういたしまして。そう言っていただくと、私もとても嬉しいです。ですよね、彩華さん?」

「ええ、頑張って早起きした甲斐があったわね」


 梅鉢さんとお姉さん、凛々しい2人の美人が互いに笑顔を見せる光景に、少しだけ僕の頬が赤く染まった気がした。


 そして、僕と梅鉢さんはお姉さんが運転する車の後方座席に乗せてもらう事になった。

 そう、梅鉢さんがこのお姉さんに連絡を入れたのは、稲川君たちクラスの生徒たちに見つかる事なく、安全に僕を帰宅させるためだったのである。

 ようやくその事に気づいた僕は、あっという間に緊張と恐縮の気持ちでいっぱいになってしまった。これでは完全に『VIP』、梅鉢さんとお姉さんと言う2人に守られた富豪のようなポジションである。そんな僕の感情はいつの間にか表に出ていたようで、発進した車の中で梅鉢さんに緊張を解いても大丈夫だ、と促される羽目になってしまった。


「大変な事態を耐え続けたんでしょ?これくらいしないと、私の気持ちも収まらないわ」

「私も同じ気分です。和達さん、私があなたを安全に送り届けます。それが、今の私の使命です」

「あ、ありがとうございます……本当に、至れり尽くせりで……」


 そして、僕はお姉さんに頼まれ、家へ向かうための道案内を行った。少々曖昧な指示になってしまったけれど、備え付けられていたカーナビの助けもあり、車は順調に僕の家へ向かい続けていた。

 そんな中、梅鉢さんは僕に、到着する前にどうしても約束して欲しい事がある、と真剣な表情で告げた。自分に気にせず、言いたい事をはっきり伝えて欲しい、というお姉さんの言葉を受け、梅鉢さんははっきりと語った。


 今回の事を、ご両親――僕の父さんと母さんに、全て、隠さず、全部打ち明ける事。


「……全部……」

「ええ。あの時私に伝えてくれた時と同じように、譲司君のご両親にも伝えて欲しいの」


 それを聞いた僕は、一瞬拒絶反応のような心境に陥りかけてしまった。今までずっといじめの事を隠し続けていた状況だったのに、いざそれを明かすとどのような事が起きるのか、怖くなってしまったからだ。

 でも考えてみると、僕が置かれていたのは、『いじめを打ち明ける』事しか選択肢がない状況だった。弁当箱は紛失し、教科書もノートもボロボロ、鞄に至っては切り裂かれた上に絶句しそうな誹謗中傷の落書きで覆い尽くされている。これらの惨状を前に、いじめの事実を隠蔽するのはほぼ不可能だ。

 それに、僕自身の心も訴え続けていた。耐え続けるのは御免だし、我慢もしたくない。今までのように虐げられ続ける事は、もう絶対に嫌だ、と。

 

「……分かった、梅鉢さん。どこまで言えるか自信ないけれど、頑張ってみるよ……」

「ありがとう、譲司君……そうだ、折角だから、ちゃんと約束を守るよう、おまじないをしましょう?」

「おまじない?」

「そう、『指切りげんまん』。日本古来のおまじないよ」


 そう言って人差し指を伸ばしてきた梅鉢さんの思いを受け取った僕は、そっと自分の人差し指を絡ませた。滑らかで暖かな指の感触を、僕はしっかりと確かめることが出来た。

 そんな僕たちの言動が目や耳に入っていたのか、お姉さんはそっと呟くように言った。


「お二人とも、青春をしていますね」

「えっ……」

「そ、そうかしら……?」


 横槍失礼しました、と謝罪するお姉さんだけど、何となくその口調は僕たちを見守るような、暖かく微笑ましいような雰囲気に感じた。

 そういえば、会員制の鉄道オタク用SNS『鉄デポ』でも、僕たちのやり取りを年長の人たちが『青春』という言葉で例えていた事があった。図書室のおばちゃんも、僕たちのやり取りを『青春』だと褒めていた記憶がある。

 僕たちは全く自覚がないけれど、こういう光景を大人たちは『青春』と呼び、懐かしさや感銘など様々な思いを抱いているのかもしれない。


 そんな色々な事を考えているうち、車は僕の家の近くへ辿り着いていた。本当はもう少し長く車の中の時間を過ごしたかったけれど、お姉さんや梅鉢さんに迷惑をかけてはいけないし、何より僕は重大な『約束』を果たす必要があった。


「梅鉢さん、今日は本当にありがとう……」

「頑張ってね。夜にまた連絡をするわ」


 そして、ここまで僕を安全に導いてくれたお姉さんに挨拶をしたとき、こんな言葉を返された。


「1つだけ、私からも伝えたい事があります。最後に勝つのは、『強い』人ではなく『負けない』人です。私は、あなたが『負けない』人だと信じています」

「負けない……分かりました……」


 そして、梅鉢さんを乗せたお姉さんの車が遠くへ離れていくのを見送った後、僕は家へと向かった。

 お姉さんの言葉――『負けない』人への第一歩を踏み出すため、梅鉢さんとの約束を果たすため。そして、僕が出来る事をするために……。

 

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