第43話:図書室の長い午後

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした……」


 午後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いてから少し経った後、僕たちは屋上で手を合わせ、弁当の制作に協力してくれた人や食べ物への感謝を込めた挨拶をした。

 こうして、今日の本来の目的――僕と梅鉢さん、2人揃って美味しく弁当を食べる、というのは完遂できたのだけれど、この後どうやって時間を潰せばよいのか、という疑問が僕の心に浮かんできた。梅鉢さんと一緒に午後の授業は全てサボって自由に過ごす、というのは確定したけれど、学校をこのまま出て家に帰る、なんて言う事になっても父さんや母さんに心配かけてしまうし、町に出ても制服姿なので何を言われるか分からない。

 すると、学校の中で暇をつぶすのが最良の手段かもしれない。でも、一体どこに行けばよいのか――その答えは、梅鉢さんが教えてくれた。

 そう、僕と梅鉢さん、2人の『鉄道オタク』が安心して過ごせるオアシスのような場所が、この学校に僅かながら存在しているのだ。


「そうか……図書室……!」

「ええ、確かおばちゃんなら事情を説明してくれれば図書室を開いてくれるはずよ」

「分かった……一緒に行こう……弁当の箱は僕が持つよ……」

「大丈夫よ、気にしないで」

「で、でも……美味しいご飯を食べさせてもらったんだから……」

「……了解。譲司君はいつも優しいわね」


 準備を終えた後、僕たちは屋上を後に、図書室へ向かった。

 皆が授業を受けている学校の中、たった2人で移動するのは今まで経験したことがなく、どこか緊張するものがあったけれど、『特別な友達』が隣にいる事がそれを和らげる安心感を与えてくれた。

 そして、図書室についた僕たちは、鍵がかかっていない事に気が付いた。今の時間は施錠されているはずなのに、と僕たちは意外な状況に顔を合わせながらも、ゆっくりと扉を開き、足を踏み入れた。すると、僕たちの耳に飛び込んできたのは、いつもお世話になっている図書室のおばちゃんの安心したような声だった。


「良かった、2人とも何ともなかったんだね!本当に良かった……!」

 

「……えっ?」

「ど、どういう事ですか、おばちゃん?」


 おばちゃんが伝えてくれた言葉に、僕は勿論、梅鉢さんも言葉を失っている様子だった。

 僕たちが屋上で色々な出来事を繰り広げていた同じ時間、この図書室に稲川君とその取り巻き――常日頃、僕を『鉄道オタク』という理由でいじめ続けていたクラスの中心人物たちが押し寄せ、僕を探す乱暴な声を張り上げていたというのだ。

 その内容たるや、おばちゃんが怒りを隠せない程に失礼で無礼なものだった。聞くに堪えない差別用語も大量に吐き散らしていたというのだから、相当酷かったのがよく分かった。

 でも、最終的に激怒したおばちゃんから稲川君たちは追い出され、父に言いつける、など色々な悪態をつきながら図書室を後にした、という。


「全く……本当に酷い奴だよ。あんなのが生徒で居られる時点で、この学校は腐りきってるよ!」

「ええ……本当に私もそう思います……お陰で大変な目に遭ったんですから……」

「……はい……そ、その……」


 梅鉢さんに続き、騒動のそもそもの要因を語ろうとした僕だけど、おばちゃんは全部言わなくても大丈夫だ、と止めた。

 あの連中の言動を見る限り、相当酷い仕打ちを受けたのは詳細を伝えられなくても十分に把握できる。だから、ここでゆっくり身も心も休んで欲しい、と言ってくれたのである。


「こっちの事は気にしなくていいよ。なに、理事長だろうがボンボン息子だろうが屁でもないさ!」


 頼もしいおばちゃんの言葉に、若干目頭が潤んだ僕だけど、何とかこらえながら、梅鉢さんと一緒に感謝の気持ちを言葉で伝えることが出来た。

 そして、梅鉢さんは僕の荷物を取り戻すために教室へ、それも授業中の教室の中へ堂々と入る事を宣言したのち、一旦図書室を後にした。


「……だ、大丈夫かな……梅鉢さん……」

「大丈夫。真に友達のために動く人に敵う相手なんていないよ」

「……そうですよね……僕がしっかり信じないと……!」


 その意気だ、と褒めてくれたおばちゃんの言葉に、また少しだけ僕の元気が戻ってきた。


 しばらく経った後、図書室の奥に座り帰りを待ってきた僕のもとに、梅鉢さんが戻ってきた。

 だけど、その手に握られていた僕の鞄は、ズタズタに切り裂かれ、『鉄道オタクは○ね』『犯罪者は○刑』『鉄オタは障○者』など見るに堪えない悪口の数々が油性ペンで書かれていた。


「……ごめんなさい、予想はしていたけど、こんな事になっていて……。教科書もノートも滅茶苦茶にされていていたわ。あと、譲司君の弁当は見つからなかった。きっとゴミ箱に捨てられたのかもしれないわ……」


 授業中の教室の中に乱入し、鞄を見つけ、教科書やノートを探し、教師の注意や生徒たちの野次を一睨みで黙らせる。自分が出来た事はそれだけしかなかった、と語る梅鉢さんからは、この学校に対する怒りや悔しさが大量に滲み出ていた。

 そんな梅鉢さんを宥めながら、僕は感謝の言葉をかけた。こうなるのはある程度覚悟していた。授業を中断させてまで探してくれたのは本当に嬉しい、と。

 気づけば、屋上で大泣きしたのを境に、僕の方が梅鉢さんを励ます場面が幾度も訪れているように感じた。


 一方、その様子を見ていたおばちゃんもまた、一旦図書室を後にする事を告げた。


「……ちょっと行ってくるよ。碌な事にならないのは目に見えてるけど、少しでも2人の力になりたいからね」

「おばちゃん……本当に、ありがとうございます……!」

「大丈夫。いつも図書室を大事にしてもらっている恩は、こういう時に返さないと、ってね」


 そして、自由に本を見たり、思いっきり喋ったりしても良い、というおばちゃんの言葉に甘える事にした僕たちは、この機会を利用して存分に盛り上がる事にした。勿論、話の中心は僕と梅鉢さん、2人に共通する趣味――『鉄道』だ。


 碓氷峠を克服するために導入された、中央にラックレール=歯車を嚙み合わせる事が出来る特殊な線路を備えた『アプト式鉄道』の歴史。

 板谷峠に導入された、世界初の『回生かいせいブレーキ』を採用した交流区間用電気機関車・ED78形。

 瀬野八で長らく活躍した、モミジ色の電気機関車『EF67形』の話題。

 そして、昨今話題になっている、大阪駅の地下ホームを経由する急勾配区間、通称『うめきた峠』。


「そういえば、梅鉢さんが好きなキハ58系気動車にも『碓氷峠』専用の車両が開発されていたよね」

「そう、本州で初めて導入されたキハ58系列の車種・キハ57系!当時の碓氷峠で使用されていたアプト式ラックレールに適した特殊な台車を使っていたのよね」

「へぇ、そんな違いがあったんだ……」

「でも、経由していた信越本線の電化が進んだり、アプト式鉄道が普通の鉄道に切り替えられたりして、たった2年で碓氷峠から撤退しちゃったのよ。最後の車両が引退したのは何故か遠く離れた四国だったし……」

「全然碓氷峠と関係ない所だね……」

「ま、でもJRになってからも生き残った車両がいたのは幸いだったかもしれないわね」

「なるほど……」


 やはり、好きな事を語りまくる梅鉢さんの表情は、明るく、楽しく、そして眩しい。この姿を見ていると、僕もどんどん元気がもらえる気がする。

 これが、『特別急行』=『特急』クラスに匹敵する、『特別な友達』という存在なのかもしれない、と改めて実感した。


「ね、ね、次はこの本を一緒に読みましょう!」

「うん……そうしようか……」


 ただ、こういう好きな事を楽しみ続けていると、時間はあっという間に過ぎてしまうもの。

 午後の授業を全部サボるという、ほんの僅かな背徳感を味わいつつ梅鉢さんと思う存分語っているうち、外から夕陽が差し込んでいる事に気が付いた。

 そして、そろそろ図書室を後にしようとしていた時、どこかへ行っていたおばちゃんが戻ってきた。

 その顔に若干の疲れを見せながら、おばちゃんはじっと僕の方へ近づき、そっと肩に手を当ててきた。あの時の梅鉢さんと同じように、その肩から感じたのは僕を気遣ってくれることを示す暖かさだった。


「……だいぶ事情を把握したよ。今まで本当に、辛かったんだろうね……」

「お、おばちゃん……」


「さっきも言ったけれど、こっちは心配しなくていいよ。こっちはもう少しで教師を辞める年齢だし、後は悠々自適に過ごすさ」

「そ、そうなんですか……」

「でも、君はまだ若い。絶対に、無理だけはしちゃいけない。そんな事をして身も心も滅茶苦茶になったら、大切にしている人が悲しんじゃうよ。それは、隣の君にも当てはまる事さ」


「……分かりました……」

「……おばちゃん……了解です……」


 そして、おばちゃんははっきりと言った。


 辛いと思ったら、こんな学校なんて来なくても大丈夫。いや、敢えて断言すると、『来ない方が良い』かもしれない。


「……おばちゃん……」


 それは、僕の頭にずっと存在しなかった選択肢だった。学校へ真面目にいかないと多くの人に迷惑をかける、と思い込み続けていたのだから、仕方なかったかもしれない。

 でも、今の僕には、それがまるで闇夜を照らすヘッドライトのように眩く輝くもののように感じた。大げさに言ってしまえば、まさに希望の光明だった。


「……ま、来るか来ないかは、2人に任せるよ。でも、何か辛い事があったら、いつでも連絡しておいで。『図書室のおばちゃん』は、どんな時だって2人の味方だからね」


 そう言いながら、おばちゃんは僕たちに名刺を渡してくれた。趣味で作ったものだからレイアウトは汚いだろう、と謙遜していたけれど、そこには綺麗な文字と共に、おばちゃんの電話番号、それも固定と携帯、両方がしっかりと記載してあった。

 

「……ありがとうございます……!」

「大切にします、おばちゃん……!」


 そして、梅鉢さんと一緒に、僕は感謝の思いを示すためおばちゃんに頭を下げた。

 学校に来なくても良い――その言葉を心に深く刻み込みながら……。

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