第41話:あなたの補機になりたい

「……落ち着いた?」


 誰もいない屋上で、今までずっと我慢し続けていた分の感情を大粒の涙と大音響の泣き声で発散した僕に、梅鉢さんは穏やかな声をかけてくれた。僕が泣きじゃくっていた事に対して、一切の偏見も軽蔑もなく、優しい感情だけを示してくれた。

 一方、その僕の方は、落ち着くことが出来た事を何とか頷きという形で示せたけれど、それ以上に気恥ずかしさと申し訳なさで全身が真っ赤になってしまっていた。当然だろう、大泣きしている間、僕の体は学校で一番可憐な『絶対零度の美少女』と称される梅鉢さんの温かく柔らかな肉体に包まれていたのだから。

 そして、当然ながら梅鉢さんが上半身に持つ『豊かな膨らみ』も、自然に僕の肉体に触れているという訳で――。


「……ご、ごめん……なんか、色々と……」


 ――その事実にようやく気付いた僕は、申し訳なさですっかり恐縮してしまっていた。


 でも、梅鉢さんは全く気にしていない様子だった。そもそも、我慢の限界に達していた僕を抱き寄せたのは梅鉢さんの方。だから、そこまで顔を真っ赤にする必要はない、と僕に返したのである。

 

「……う、うん……わ、分かった……」


 そして、分かればよろしい、と告げた梅鉢さんの笑顔が、直後に真剣なものへと変わった。

 そう、確かに僕はあの時、梅鉢さんに助けを求めた。その結果、梅鉢さんは僕の行方を捜すクラスの担任から庇ってくれたし、こうやって泣きじゃくる僕を優しく慰めてくれた。でも、何故このような状況になったのか、僕はまだ梅鉢さんに一切を語っていなかったのだ。


「譲司君、私はあの教師の言う事が嘘だってすぐに分かったわ。それも、あべこべだってね。今日、私と一緒に食べる予定だったお弁当を踏みつぶされたのは、譲司君の方なんでしょ?」


 問い詰めるような視線を向けた梅鉢さんの表情を見た僕の口から、再び謝罪の言葉が漏れてしまった。僕の事を『特別な友達』として接し、何があっても信じている梅鉢さんだからこそ、教師の嘘、そして僕が隠そうとしていた事を見抜いてしまったのかもしれない。

 一緒に仲良く食べるはずが、こんな有様になってしまって、本当に申し訳ない、と頭を下げる僕に対し、梅鉢さんは言葉を続けた。


「それは気にしていないわ。譲司君が悪いんじゃない、って言うのは最初から感じていたもの。でも、私が気にしているのはお弁当の事だけじゃない」


 どうしてそのような状況になったのか、それを聞きたい。


 それは、僕がずっと耳に入れたくない言葉だった。

 もし僕が自分の『状況』を梅鉢さんに言ってしまえば、稲川君を始めとしたクラスの生徒たちのいじめの矛先が梅鉢さんにも向けられてしまう可能性が高い。それにあの担任も、僕の関係者として梅鉢さんを敵視するだろう。そうなってしまえば『絶対零度の美少女』として懸命に学校の嫌な空気と戦い続ける梅鉢さんに更なる負担をかけてしまう事になる。

 だから、僕はそのような言葉を告げられた時は、『言えない』『何でもない』『どうしても告げたくない』と必死に隠すつもりだった。


「……譲司君、無理に全部を言わなくてもいいわ。どんな人にも、隠したい事はあるはずだから」


 でも、今の真剣な表情の梅鉢さんに、そのような行為は通用しない事を、僕はひしひしと感じていた。

 それに、先程まで僕は梅鉢さんの体に包まれて大泣きしていた。明らかに何かがおかしい、というのを隠し切れない状況を、僕自身が作ってしまったのだ。


「でも、これだけは約束するわ」

「……な、なに……?」

「どんなことを言われても、私は『和達譲司』君、あなたの味方よ」

 

 そして、この言葉が、僕の心に対する決定打になった。

 最早、僕に今までの出来事を隠さなければならない理由や要因は無くなった。梅鉢さんに全てを打ち明けなければならない環境が、完全に整ってしまったのだ。『味方』となってくれる人を、裏切る事なんて僕には出来ないのだから。


「……う、梅鉢さん……長くなるかもしれないけれど……聞いてくれる……?」

「ええ、大丈夫よ」


 僕は覚悟を決め、大きく深呼吸をしたのち、ゆっくりと言葉を発した。


「……いじめられていたんだ……ずっと前から」


==============


 学校に入学し、鉄道オタクである事を名乗った直後から、ずっと酷いいじめに遭い続けた事。

 机に落書きをされ、中身が荒らされ、周りから誹謗中傷を受けた事。

 昼休憩、いつもご飯を食べることが出来なかったのは、僕をいじめるクラスの生徒たちからからかわれる事を恐れていたから。

 放課後にいつも遅い時間に合流していたのは、教室の掃除を全て僕1人に押し付けられていたから。

 相談できる相手は誰一人いなかった。世間に迷惑をかける『鉄道オタク』の一員だから、と言う理由で。

 教師もいじめる側の味方になり、僕の事を一切信じてくれなかった。


 僕がどのようにふるまっても、僕は『鉄道オタク』といういじめのターゲットであり続けた。


「……少し前に、図書室の鉄道の本が破られた事、覚えてる……?」

「え、ええ、覚えているわ……」

「あの犯人も、ぼくをいじめていた連中。この学校の理事長の息子、稲川君とその取り巻きだよ……」

「……!」


 僕が鉄道オタクである事を知ったうえで、僕から楽しみを奪い苦しむ様子を見るために、鉄道の本を破損させたに違いない。

 

 それだけじゃない。僕は、稲川君たちクラスの生徒たちに幾度となく酷い扱いを受けた。

 悪質な撮り鉄が逮捕されたからと言う理由で『連帯責任』と言う名目で土手座をさせられ、その様子を動画で撮影させられたりもした。

 そして今日、僕は稲川君たちに弁当を取られ、踏み潰され、中身を床の上に撒かれ、その上に鉄釘や画鋲を落とし、それらを食べるよう命令された。

 クラスの全員が、僕を見ながら食べるよう促した。やはり僕を庇う人は誰もいなかった。


「……それで、逃げ出したんだ……梅鉢さんの元へ……」


 とても長い、いじめに関する告白を言い終えた時、僕の瞳に映った梅鉢さんの表情は『唖然』や『絶句』という言葉が似合うものになっていた。

 声を出そうとしても、上手く言葉に出来ないような、そのような感じになっているのかもしれない、と僕には思えた。


 そして、僕は言葉を続けた。どうして今に至るまで、このような大変な事態を口に出せなかったのか、ここではっきり言わなければいけないと考えたからである。


「……ずっと、僕のいじめに、梅鉢さんを巻き込みたくなかった。巻き込んじゃいけない、って、ずっと考えていたんだ……」

「……」

「だって、僕がいじめられる事を梅鉢さんに言うと、絶対に梅鉢さんも巻き添えにされる……クラスだけじゃない、学校の皆から敵視されるに決まっている……」

「……」

「そうだよね……僕はただの『鉄道オタク』……いじめすら1人で解決できない、無力で情けない存在なんだ……」

「……」


「ごめん、やっぱり、梅鉢さんに全部を言うのは間違いだったかもしれない……今までの事、全部忘れて欲しい……いじめを受け続けるのは、僕1人だけで十分……」


「それ以上、言わないで!!!!」


 懺悔ざんげのような僕の言葉は、突然聞こえた大声によって中断された。

 僕の目の前に立つ梅鉢さんの表情は、今まで見た事もないものになっていた。普段の温和で優しく朗らかなものでも、『絶対零度の美少女』として誰も寄せ付けない冷たいものでもなく、怒り、憤り、そして瞳に悲しさや悔しさを織り交ぜたようなものだった。

 そして、梅鉢さんは僕の肩を強い力で掴み、僕をじっと見つめ、声を張り上げながら言葉を続けた。


「今までの事は全部忘れて欲しい!?いじめられるのは自分だけで充分!?そんな事、いくら『特別な友達』の言葉でも、私は絶対に聞きたくない!!そんな事、絶対に口に出しちゃ駄目!!駄目に決まってるわ!!」


 『碓氷峠うすいとうげ』をED42形やEF63形なしで乗り越える気なのか。

 『板谷峠いたやとうげ』をEF71形やED78形の助け無しで進めるのか。

 『瀬野八せのはち』をEF59形、EF61形200番台、EF67形、EF210形300番台なしで登りきれるとでも言いたいのか。

 『うめきた峠』の急勾配を、たった1人で潜り抜けられるのか。


 梅鉢さんが語ったのは、『鉄道オタク』の僕だからこそ分かる例えの数々だった。

 これらに共通するのは、全て国鉄やJRにおける急勾配の難所。通過する列車を助ける役割を持つ『補助機関車』、通称『補機』が専用で配属されている、交通の要衝だ。

 

「『鉄デポ』のミサ姉さんが言いそうな内容だけど、今の譲司君は『いじめ』っていう途轍もなく重くてキツい積み荷を乗せた『貨物列車』よ。そんな危険な貨物を積載したまま、人生と言う名前の急勾配をたった1人で通過できるなんて、私は絶対に思えない!」


 今のままでは、絶対に途中でブレーキが壊れ、坂を転げ落ち、最終的に再起不能の大事故を起こしてしまうだろう。そのような事態を防ぐために『補機』というのがあるのではないか。明治時代、蒸気機関車が全盛期だった頃から、ずっと製造され続けたのを忘れたのか。

 

「……梅鉢さん……」


 そして、ずっと厳しくもどこか暖かな言葉を発し続けた梅鉢さんは、僕の肩からゆっくりと手を離した。


「……譲司君、私は、貴方の『補機』になりたい。それが無理でも、せめて『補機』を操る運転士になりたい」


 この私――『梅鉢彩華』を、もっと頼って欲しい。


 その言葉を聞いた僕は、ようやく目が覚めたような気分になった。

 梅鉢さんは、決して頼られる事を迷惑に思っておらず、いじめに巻き込まれる事も気にしていなかった。むしろ、僕の苦しみを分け合いたい、とずっと思い続けていたのだ。それを拒み続け、ずっと梅鉢さんを傷つけていたのは、僕自身じゃないか。

 そう考え、頭を下げて謝ろうとした時、僕の額は梅鉢さんの掌によって優しく抑えられた。


「譲司君、何か悪い事でもしたかしら?」

「え……いや、その……」

「何もしてないでしょう?私は、譲司君が悪い事をしたなんて一切思ってないわ。そんな人に、謝る必要なんてないわよね?」

「……う、うん……」


「こういう時にふさわしい挨拶がある。譲司君だって、知ってるでしょう?私は、そっちの方を聞きたいわ」


 その言葉に、僕は気づかされた。ここ最近――いや、今に至るまでずっと、僕は何かある度に謝罪の言葉ばかり述べ続けていた事を。

 ここで望まれているのは、いや、ここから先、望まれ続けているのは、『ごめんなさい』という、自分を卑下し続ける言葉ではない。それを、梅鉢さんは教えてくれたのだ。

 

 そして、緊張しながらも、僕ははっきりと、その言葉を口に出すことが出来た。


「……あ……ありがとう……」


 返ってきたのは、『どういたしまして』という返事と、梅鉢さんの安心したような表情だった……。

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